【 取り戻せない時間 】
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290 名前: 私立探偵(兵庫県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:09:12.02 ID:q6QXFMZ10
 彼女ができた。
 俺は今まで生きてきて十五年間、彼女はおろか告白されたことすら一度も無かった。いちゃいちゃするカップ
ルを見ては毒づき、鏡を見てはため息をつき、恋人を作るだけで手に入る幸せなんて本当の幸せなんかじゃない
と自分に言い聞かせてきた。しかし、それも昨日までの話だ。
 繰り返し言う。彼女ができた。俺にではなく他の誰かに、だなんてつまらないオチではない。高校生活初日で
ある今日、入学式を終えて帰る途中に、いきなり告白されたのだ。男に、だなんてくだらないオチでもない。今
までに見たどんな生物よりも可愛らしい女の子に、好きです付き合ってくださいと言われたのだ。
 何度でも言う。彼女ができた。そんな話を家に帰ってから妹の部屋に押し入り、しつこく何度も聞かせた。ど
うせまたお兄ちゃんの妄想でしょなどと言われても、いつものような見破れたときの悔しさは無い。なぜなら本
当に彼女ができたのだから!
「初めて会っていきなり告白なんてありえないよ」
 妹が怪訝な顔をして言う。さてはこいつ嫉妬しているな。お兄ちゃんに恋人ができたなんて認めたくないのだ
ろう。彼女持ちの余裕がある今の俺には妹の小言すら可愛く思えてしまう。なにせ俺は彼女いない暦0年、世界
の真理を悟った気分である。
「何度かデートをして、家に呼べる雰囲気になったら、その時に紹介するよ」
「まあ、そこまで言うなら信じてあげてもいいけど」
 眉間に皺を寄せる妹はなおも納得がいかない様子であった。それも仕方がないことだ。いきなり肩を叩かれて
振り返ったら告白されたなんて話、誰だってすぐには信じないだろう。実際にされた俺もビビったくらいだ。お
そらく俺の発する闘気が彼女を惹きつけたに違いない。これでも物心つく前から空手を習っていて、中学時代は
空手部の主将だった。自分の知らないうちにオーラを漂わせている可能性は大いに有り得る。これからは気を抑える特訓が必要だ。
「告白された後は、どうしたの?」まだ少し疑い気味なのか、妹はなおも食いついてくる。
「もちろん『はい、こちらこそよろしくお願いします』と元気に答えたさ」
「その後よ」
「ん? 帰り道が違うからって、すぐに分かれたけど」
「……名前はなんていうの?」
「ああ、そういえば聞いてなかった。おっちょこちょいだなあ、彼女」
「……。まあ、そんなこともあるか」
 恋人ができたとなると、デートやら何やらで妹と遊んでやる時間も少なくなる。ひょっとするとそれを気にし
て妹はツンツンしているのかもしれない。ここは妹にも早く彼氏ができるように、人生の先輩として、恋愛の達
人として、一つアドバイスをしてやろう。

291 名前: 私立探偵(兵庫県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:09:32.66 ID:q6QXFMZ10
「お前も、もう少し胸があればモテるようになるよ」
 凄まじい速度で接近してきた拳が、左頬にクリーンヒットした。俺は部屋のドアまでふっ飛んだが、いつもの
ように泣いて謝るようなことはしない。
「お兄ちゃんの馬鹿! 死ね!」
 ただ一言「ふっ」とクールに決めて、俺は妹の部屋を立ち去った。
 本当に死んでしまっても構わない心境だった。高校生活が始まって、また悶々とする日々が繰り返されると思
っていた矢先、これである。自分の部屋に戻るなり布団の上に倒れこみ、ほっぺたをつねってみる。実は夢でし
た、なんてありきたりなオチではない。
 彼女の姿を思い出してみる。どんなモデルよりも整った顔立ち、肩まで伸びた綺麗な黒髪、スカートから伸び
た細い足、……ぼんやりとしか思い出せないが、これからは毎日近距離で見ることになるだろう。それはもう、
頭からつま先、普段は見えないところまで、頭に焼きつくことになるだろう。
 俺は妄想しているうちに勃起していた。景気良く一発抜こうかと思ったが、これを期に『初めて』まで禁欲し
ようと決心した。

 翌日、朝からワクワクが止まらなかった。珍しく早起きをして、町内を十周ほど走った。途中何度も新聞配達
のおじさんと出くわしたので、俺は会うたびに「世界中のみんなが幸せになればいいですね」と挨拶した。
 家に帰ってシャワーを浴びた後には、家族みんなの分の朝ごはんを作った。
「何してんの、きもちわるい」
「いえいえ、それほどでも」
 妹の暴言も褒め言葉に聞こえてしまう。あの出来事から一夜明けても、俺の昂奮はピークを見なかった。
「今からそんなに浮かれてたら、後で泣きを見るよ」
「なあに、今までずっと泣かされてきたんだ。これから俺の人生はようやく上がりだすんだよ」
「ったく、やれやれだぜ……。いってきまーす」
 妹は肩でため息をついて、学校へ出発した。
「あいつめ、すっかり俺が貸したジョジョにはまってやがるな」
「あんたもさっさと行かないと遅れるよ」
 リビングから母が声を上げた。時計を見ると八時を回っていた。
 慌てて家を飛び出すと、少し遠くで救急車のサイレンが聞こえた。いつもなら何も思わないところだが、俺は
心の中で「無事でありますように」と祈った。

298 名前: 私立探偵(兵庫県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:14:56.97 ID:q6QXFMZ10
 入学式の次の日ということで、まだ授業は始まらない。午前中にオリエンテーションをして、昼前には下校となった。
 同じクラスに昨日の彼女はいなかった。
 一学年は五クラスある。放課後も残って彼女の姿を探したが、見つけることはできなかった。もしかしたら、
友達ができたから一緒に帰ったのかもしれない。最初は交友関係を築く方が大事だもんな。できれば一緒に帰り
たかったけれどしょうがない。彼女はシャイなのだ。
 この日は諦めて一人で歩いて帰ることにした。
 そして翌日、休み時間を使って各教室を回った。しかし、彼女らしき人物を見つけることはできなかった。
 いろんな考えが頭を巡る。女子全員の顔を確認したつもりだったが、見落としていたのかもしれない。俺は彼
女が同学年だと決め付けているが、実は二・三年生なのかもしれない。どちらの可能性も捨てきれなかった。
 次の日も、さらに次の日も、俺は校内で彼女の姿を探し回った。ある時には朝から校門に張り付いて、登校し
てくる生徒一人一人の顔を入念にチェックしたこともあった。それでも見つからないと、俺は入学式から長期に
渡って休んでいる生徒がいないか教師に調べてもらった。そして、その結果を知らされて、俺はようやく彼女が
この学校に存在しない可能性に気がついた。
「そうだ……思い出してみると、あの制服はデザインが微妙に違っていたような気がする」
「お兄ちゃん、何ぶつぶつ言ってるの?」
「ああ、妹よ。いつのまに部屋に入っていたんだ」
「ノックしたのに返事が無いから……。ところで、彼女さんとはどうなの?」
「ん……上手くやってるよ」
 あの日以来会っていないとは言えない。
「なら良かった。最近、お兄ちゃん、学校から帰ったらすぐ部屋に篭っちゃうし、心配してたんだよ」
「そっか……構ってやれなくてごめんな」
「いいのいいの! 早く私にも紹介してよね!」
「ああ、頑張るよ」

292 名前: 私立探偵(兵庫県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:09:53.23 ID:q6QXFMZ10
 平日は学校が終わればすぐに、彼女と初めて会った場所へ向かった。柔道部に入っていたが、今まで一度も練
習には行っていない。それどころか、まだ高校に入って一人も友達ができていなかった。ほぼ全ての自由時間
を、初日に会った彼女を探すために使っていたのだ。
 クラスメイトや教師からあそこで何をしているかと聞かれれば、人を待っていると答えた。その内、誰も話し
かけてこなくなった。俺はいつの間にか影で身障者とささやかれていた。
 休日には電車に乗って他校を巡った。グラウンドや体育館で活動している部活を一通り見て回る。あらかたの
高校を回ったら、今度は中学校を回った。そこに彼女がいる可能性がある限り、諦めることは出来なかった。

 ある日、妹が俯きながら俺の部屋にやって来た。
「お兄ちゃん、今日どこに行ってたの?」
「どこって、部活しに学校行ってたけど」
 家族にはちゃんと柔道部で頑張ってると話していた。
「嘘、あたし知ってるの。お兄ちゃんが休日に他の学校を回ってるのも、毎日あの場所で誰かを待ってるのも。
みんな知ってるんだから!」
 妹は今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
「もう、やめてよ。昔のお兄ちゃんに戻ってよ! 私もう耐えられないよ……。いい加減、向き合ってよ。あれ
から何年経ってると思ってるの? お兄ちゃんはもう高校生でもなんでも無いんだよ。ほら、鏡見なよ!」
 突きつけられた鏡に映った醜い姿を見て、俺は現実に引き戻された。伸びきった髪の毛。皺の入って顔。同時
になんとも形容しがたい激しい感情が胸を襲う。
「……駄目だよ。俺は確かにあの日、彼女に会って……告白されたんだ。それで、俺はオーケーして……俺たち
は付き合うことになったんだ。彼女もきっと俺のことを探している。だから、俺も……」
「この分からず屋! お兄ちゃんの言う彼女は、もうこの世に存在しないんだよ! お兄ちゃんが告白した次の
日に……交通事故に会って死んじゃったんだよ……」

293 名前: 私立探偵(兵庫県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:10:16.05 ID:q6QXFMZ10
「おお……おおお……」そうだ。俺の人生で一番幸せで輝いていたあの日。その翌日は、俺の人生で一番不幸な日になった。
彼女は学校へ行く途中に、交通事故に会って死亡した。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 涙が溢れて止まらなかった。俺の虚妄の生活が始まったのは、病院で彼女の死体を見てからだった。こうすることでしか、
当時の俺は自分を制御することができなかった。あの日の行動を繰り返すが、決して事故は起こらない。その代わりに、彼女は二度と登場しないのだ。
「俺は……もう、やり直せないのか……? あの輝いていた日々を……取り戻すことはできないのか……?
彼女と過ごすはずだった、華やかな高校生活を……」 
 俺は床に泣き崩れた。伸びきった髪がばさっと乱れる。
「もう一度始めから人生をやり直すことができれば、今よりずっと上手く生きられると思う。でも、そんなこと
できないよね。だから、私たちはこれからをできるだけ上手く生ないといけないのよ」
 妹の言葉が胸に深く突き刺さって、俺を強く奮い立たせた。
 見上げた妹の顔は、不思議なことにあの頃と全く変わっていなかった。



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