【 知りすぎた二人 】
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203 名前: 花見客(アラバマ州) 投稿日:2007/04/22(日) 22:30:05.92 ID:3IDQLJCW0
 僕は以前に一度だけ、女の子と付き合ったことがある。その一度以降誰とも付き合ったこともないし、心惹かれた事もない(引かれたからといって付き合えるとも思えないけれど)。
 だからなのか、彼女との思い出は記憶に強く残っている。今も少し記憶の中に身を投じれば、昨日のことのように思い出すことができるのだ。
 その日は三月の初め頃。学校の代表者が綺麗な言葉で飾りつけ、『春は出会いと別れの季節です。先輩方との別れはとてもつらいです。このあとに出会う新入生達にも、先輩方がそうしてくれたように優しく接したいです』ということをいったあと、少したったときのことだった。
 春と呼ぶ季節になってすぐのことだけあって、とても強い風が吹いていた。彼女は僕の右斜め前あたりにある、ごつごつした石の椅子──ごつごつしているのは横の面だけで、当然すわる面は平らだった──に腰掛けている。
 僕は彼女の前にいたいので、すわらずに彼女の前にたつことにした。
 そこは橋の上で、僕の立っているところからは川の姿が良く見えた。丁度彼女の頭の少し上あたりに川が来る。他の人にはわからないだろうが、僕にとっては絶景だった。
 川はお世辞にも綺麗とは言いがたいのだけれど、彼女の姿が映ることでその景色はとても綺麗なものに思えた。
 この橋の道幅は大きくとられていて、歩道でもそこそこの広さがあった。
 歩道の真ん中のあたり、僕らの後ろのあたりにはオブジェがあって、そこには聞いたことのない名前の芸術家の名前が彫られている。それは特別珍しいものというわけでもなく、おかしな形をしているわけでもなく、どこの町にでもあるようなそれだった。
 二つの歩道にはさまれている道路には、やはり朝と夜は人通りが多く、今僕たちがいるような時間にはあまり車の姿は見えない。
 そんな場所で、僕は彼女の言葉を待った。
「…………」
 彼女の呼び出しに応じてから、もう何十分か経っている。そう、今日は彼女から俺のことを呼んでくれたのだ。珍しくも。「会わないか」と。ここのところはあまり彼女からの誘いはなかったので、うれしかった。
 なので「自分から呼んでおいてなんでこんなに待たせるんだ」なんてことは思わない。僕にとっては一緒にいられるだけで幸せだったし、急かすのも何か失礼だと思ったからだ。
 ふと、彼女の動作に目が留まった。そっと、頬に中指を這わせている。ゆっくりと、何度も、丁寧に。
 これは、彼女にとって重大なことを話すときの癖だ。前にこの癖を見たときには、家族構成の話──それもとびきり重い、母が死んだだの、父が蒸発しただのというやつだ──をした。
 当時僕は大きく戸惑ったが、何とか受け入れることができた。これについては僕が今彼女の前に立っていることが証明している。
 なので僕は多少身構えたものの、あまり大きく考えていなかった。前も大丈夫ではあったし、何より僕は彼女のすべてを受け入れることができる自信もあった。
 彼女はまだ中指を頬に這わせ、うつむいている。彼女をせかしたくはないけれど、少しじれったくなってきた、そんな時。
「ねえ、祐樹(ゆうき。僕の名前だ)。あなたはきっと、私のすべてを受け止めてくれるわよね?」
 もちろん。と答えようと思ったのだが、まだ彼女は話を続けそうな気がしたのでやめておいた。
「……もちろん。って言おうとしたでしょう? けれど、私が話を続けたがっていると思って言うのをやめたんでしょう? 祐樹が私の話を続けたい気持ちが分かったように、私にはそれが分かったの。
 ねぇ、私たちはお互いを理解しすぎていると思わない?」


204 名前: 花見客(アラバマ州) 投稿日:2007/04/22(日) 22:31:05.09 ID:3IDQLJCW0
「理解にしすぎるということはないと思うけれど。僕の場合が特別、人に理解されたいと思っているのでなければ」
「あなたが特別人に理解されたいと思っているのか、私が特別人に理解されることを嫌がって……違うわね。私が特別、恋人に理解されたくないと思っているのかは分からないけれど」彼女は前置きのようにそういった。
「私はね、恋愛と言うのは、分からないからこそ意味のあるものだと思うのよ。少なくとも私は、ね。だからあなたとのこの繋がりを恋だとか愛だとかに思えないの。
 あなたとの関係には不確定なものがなさ過ぎるのよ。私はあなたが私のことを好きだってことを知っているし、あなたは私があなたのことを好いている事を知っているでしょう?」
 確かに、知っている。彼女が僕のことを好いているということを。だから呼び出されたときも不安になんてならなかったし、待っている間にも楽観的なままだったのだ。
「けれど、少なくとも今この状況は以外だよ。僕にとってね」
「いいえ、違うわ。あなたは分かっていたはずよ。いつか私がこんなことを言うんじゃないかと。私があまりにあなたのことを理解してしまっているように、あなたは私のことを理解しすぎているから」
 どうだろう? 知っていたのだろうか。彼女のこんな気持ちを。……いや、知らなかった。と、思う。
 けれど、どうしてだろう? 今僕は戸惑っていないのだ。この後の彼女の台詞を想像しても、怖くはないのだ。それほど身構えていたとは思えないし、一体どうしてだろう?
「ねえ、よく考えてみて? 本当に全く思いもよらなかった? だとしたら何でそんなに平静とした表情なの? ねえ、もう分かってるでしょう? 私が何を言いたいのか」
 そう、分かっているのだ。これが別れ話だということを。なのに、怖くはない。まるでずっと前から予想していたように。なんでだろう。なぜなのだろう?
「ねえ、もういい? いうわよ、私の言いたいことを。つまりはね──別れましょう。私たち」
 そういうことなのよ。彼女はそう続け、席を立った。
 やっぱり、分かっていたのだろう。僕は。もしかしたら一ヶ月は前から気付いていたのかもしれない。だって、僕は彼女のことを理解しているのだから。
 もし気付いていないのならば、彼女のことを理解していないということだ。それは良くない。僕にとって理解とは愛していることの証なのだから。否定することなどできない。
「もう、分かったでしょう。もっと早く気付くと思っていたけれど、さすがにもう、分かったでしょ。
 それじゃあ、私はもう行くわ。…………じゃあね、愛してる」
 そういって川の下る方へと彼女は歩き出した。僕の返事も聞かずに。けれども、伝える必要はないのだろう。僕と同じように、彼女は僕のことを理解していたのだから。
 僕はその後姿をただ眺めた。傾きだした日が、彼女の背を照らし、とても綺麗だった。彼女の姿が消えた後も、眺め続けた。夕暮れはやっぱり綺麗だった。
 隣を見ると、来たときに比べて、大分行き交う車の量も増えてきたようだ。空ももう暗い。山のほうを眺めると、黒く染まり始めていた
「わかったよ」
 最後にそう呟いて、僕は橋の上を後にした。



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