【 夕暮れの街、遠い言葉 】
◆D7Aqr.apsM




174 名前: 元祖広告荒らし(大阪府) 投稿日:2007/04/22(日) 21:19:01.31 ID:aKtgjkKx0
 夕刻。耳を塞いだときに聞こえる、体内の音の様なノイズがビルの谷間を満たしている。
 春めいた週末の、一日が終わろうとするその時間。
 駅前広場の一角。首と手のない、翼を背中に負った彫像がたたずんでいた。
 あかね色の空に翼は大きく広げられ、それでも地面に縛り付けられているように見える。
 香織は彫像の足下にひざまづき、頭を垂れていた。
「ヘイ、リーダー。時間」
 美也子がくるくると右手に持ったドラムスティックを回しながら声をかけてきた。
 香織は黙って立ち上がると、彫像に立てかけてあったギターを手に取る。
 ドラムセットの前に座る美也子と、左に置かれたアンプの前でパキパキと指を鳴らしている真希。
 真ん中に立てられたマイクの前に、香織はギターを抱えて立った。
「三銃士です。よろしくお願いします」
 美也子が早めのバスドラで、リズムを刻み始めると、真希のベースがそれに乗る。
 空に向かって、香織は右手のピックを高く高く掲げた。いつもの、この曲をやるときの儀式。
 叩きつけるようにして、最初のコードをかき鳴らす。ゆっくりと息を吸い込み、香織は歌い始めた。
 人混みに斬りつけていくような感覚。
 香織は最初のフレーズを目を閉じて歌いきる。
 目を開けると、数人が立ち止まって曲に耳を傾けているのが見えた。
 その中に一人、金髪の少女と、その保護者らしい長身の女性。
――また来てくれてるのか。
 照れくさい、という感覚とうれしさが入り交じる。
 空を見上げた。
 真希のコーラスが被される。香織は目を閉じず、空を見たまま歌う。
 ぼんやりと月が光り始める、春の夕暮れ。
 
「聴いてくれて、ありがとうございました。もし、よければ、また」
 一通りの曲を演奏し終えると、一礼して香織はマイクから離れた。ギターを降ろしながら、
アンプの上に置いてあったスポーツドリンクを手に取り、喉に流し込んだ。
真希が握り拳を向けてきたので、それに拳をぶつけるように合わせる。今日も悪くない演奏だった。
 でも。
 アンプのスイッチを切る。ぼそん、というこもった音がこぼれた。

175 名前: 元祖広告荒らし(大阪府) 投稿日:2007/04/22(日) 21:19:47.80 ID:aKtgjkKx0
 一週間前。
 香織達は大手レコード会社の名刺を持った男に声をかけられた。
 メジャーデビューの話。代わりに提案されたのは、いくつかの曲の排除。
 そしてその曲は、三銃士最初の、そして結成のきっかけにもなったオリジナル曲だった。
「そういう思い入れは、解らなくもないけどね。ただ、それとメジャーデビューってのは別の話だよ。
そうだろう?」
 男はそういうと、以前に渡した、楽曲が納められたCDの曲目に印を付けた物を渡してきた。
「そのリストにある曲を、順番通りに演奏して欲しい。十日後の夕方に、ウチの部長を連れて
行って聴かせたいんだ。――いいかな? こういう言い方はなんだけど、僕らはプロだ。
気持ちはわからなくもない。けれど、その選択を信じて欲しいな」
 男は、手を組むと、じっと香織達を見た。

「まだ、考えてるのですか?」真希がベースのストラップを外しながら続ける。
「私は……リーダーの思うようにして良いと思います」
 香織はハードケースに収めたギターをアンプに立てかけた。
「メジャーは確かに魅力的だけどねー。まあ、自分たちのやりたいことをやりたいように
できる、なんて商業ベースに乗ったらあり得ないんだろうし」
 美也子はスネアドラムを取り外しながら口を挟む。
「うん、そう。そう、なんだよね」
 演奏の後片付けをあらかた終えると、香織は歩いていく人の群れをぼんやりと見る。
 それぞれの暮らしの中で、それぞれの生き方をしている人々。そこに自分たちの音楽は、
果たして届いているのだろうか。届く距離をのばす事に、意味はあるのだろうか。
 美也子の運転するハッチバックに機材を積み込む。車に乗った二人と別れ、香織は一人、
駅前の広場に残った。もう一度、ギターを取り出し、彫像の足下に座り込む。
 コードを押さえ、弦をはじく。アンプを通さない、乾いた音が風に飛ばされて消える。
 
「あの、すみません」
 香織がふと顔をあげると、そこに立っていたのは、あの金髪の少女だった。
 飾り気の無い、黒いワンピース。すっきりと背筋が伸びている。中学生くらいだろうか。
「少し質問したいの事、あるます。よろしいですか?」

176 名前: 元祖広告荒らし(大阪府) 投稿日:2007/04/22(日) 21:21:08.33 ID:aKtgjkKx0
 街で歌っていると、時折、こんな風に見知らぬ人に声をかけられることがあった。
ナンパ目的だったりもするけれど、それなりに音楽の話をしていく人も多い。
「あの、最初の、うたの言葉。は、貴方の?」
 その少女は言葉を選びながら、カタコトの日本語を話した。
「最初の歌……、これ?」
 香織は最初のギターリフを弾いてみせた。少女は曲に合わせて、香織がそうしたように
自分の右手をゆっくりと高く掲げて、にっこりと笑った。
「そう。それです。その歌の言葉。 ――盾なんていらない、という」

 君を変える事はできない
 国や社会や学校や
 一番大事な友達だって
 プライドと信念、そして自分の決めたルール
 それだけに従って生きる
 騎士みたいに
 ただ、ギターを剣にして
 盾なんていらない

 香織はサビの部分を歌ってみせる。少女は小さく拍手をして言った。
「強くて、良い歌。とても、とても好きです」
 少女は聞き取れた歌詞を、繰り返し、小さく口ずさんでいる。
「ありがとう。ここのところ毎日聴きに来てくれてるよね。――でもね、なんか最近この曲に
自分が合ってない気がするんだ」
「合ってない? んー? わからない。上手とはちがう?」
 香織の横にしゃがみ、少女は小首をかしげている。大きな青い瞳が香織の顔をのぞき込んでいた。
「うん。なんていうか。……あ、そうそう言葉はね、もとは私のじゃないんだ。あたしの、なんて
いったらいいかな。昔の、その――」
「彼氏、ですか?」
「ううん、女の人なんだけどね。塾の先生。……最近迷ってばっかりでね。あの歌詞みたいに思い切れない。
見えてるのに……なんか手が届かない気がする。もう会えない恋人の写真を見ているみたいに」

177 名前: 元祖広告荒らし(大阪府) 投稿日:2007/04/22(日) 21:22:51.09 ID:aKtgjkKx0
 少女は小さく頷いた。すっかり日が落ちて、夜の街の灯が横顔を照らしだす。
「盾で、守りたい物、できたですか?」少女の言葉に、香織は頷いた。
「プロにならないか、って言われてね、でも、いくつかの曲は捨てないといけなくて」
「この曲も?」
 香織は一つ、ため息をついてうなずいた。
「あしたね、レコード会社の偉い人が聞きに来るんだ。その時に、あの曲を演奏するかしないか。
たぶん、会社の言うことを聞くかどうか、ってのも入っているのだろうけど、それで決めるらしくて」
 弾くともなしにコードを押さえていた香織は、最後に勢いよく弦を鳴らして、手を止める。
 少女はギターケースの中から銀色の音叉を手に取ると、立ち上がり、彫像を見上げた。
 胸の前で手を組み、ゆっくりと、低い声で何かを呟く。英語ではない、どこか異国の言葉。
 ギターを抱えたまま、香織は少女を見上げた。
 頭の両脇で結われた長い金髪が、街灯の光できらきらと光る。
「貴方が、騎士なら。守るは誰か? 剣を捧げるは誰か? 戦うは何故か? 貴方に言葉を
言った人、それは伝えなかったか?」
 少女は、立ち上がりかけ、膝建ちになった香織の肩に、音叉を触れさせる。その姿勢のまま、
目を閉じ異国の言葉で呪文の様に何事か呟いた。
 ゆっくりと少女の目が開かれる。大きな、青い瞳が香織を見つめていた。
「――剣を取れ。戦う、は一つじゃない。たくさん。ね?」
 少女は音叉を香織に渡すと、にっこりと笑い、歩み去っていく。ロータリーに止まっている一台の
車のドアを持って、いつも一緒に演奏を聴いる、長身の女性が待っていた。ふり向きもせずに、後部
座席へ乗り込む。背の高い女性は、小さく会釈をしてから運転席へ乗り込み、車を発進させた。

「じゃあ、そういうことで。お願いしますね」
 レコード会社の男は、楽器のセッティングをしている所へやってくると、一方的に段取りを
確認し、最後にロータリーに止まっている一台高級そうな車をさりげなく指さして、言った。
 香織は彫像の足下に、昨日と同じように座り込み、答えない。
「香織さん、演奏前は集中しますので。申し訳ありませんが――」
 真希がやんわりと助け船を出して、引き取らせた。
 ドラムスの美也子はセッティングを終えて、いつものように両手でスティックを回転させている。

178 名前: 元祖広告荒らし(大阪府) 投稿日:2007/04/22(日) 21:24:20.16 ID:aKtgjkKx0
 二時間前。
「幸いなことに、一曲目に指定された曲と、例の歌は始まり方が似てるんだよね。バスドラ、ベース、
それからギター」美也子は機材が詰め込まれたワンボックスカーの中で、香織と真希に言った。
「昨日、真希とも話したんすけどね? 香織さん。あたしらは、リーダーについていくよ。メジャー
デビューはそりゃあ夢みたいな話だけど、幸いな事に歌で食べないと明日がねえ、ってわけでも
ないですしね。だから、リーダー、ばしっと決めてくださいよ。リーダーのギターに合わせて、どっちの
曲にでも合わせますから」
 運転席の美也子、助手席に真希。二人は、荷室でアンプに埋もれるようにして座っている
香織を振り返る。
 香織は「ありがとう」とつぶやくと、ポケットから取り出した音叉で、床を叩いた。

 ギターを抱えて、マイクの前に立った。アンプの角で音叉を叩き、口にくわえる。Aの音が
体中に響く。その音が消えないうちに、ギターのチューニング。
 集まっている人の中に、金髪の少女。少し離れた所にレコード会社の男。
「三銃士です。よろしくお願いします」
 いつも通りの挨拶。目をつむって、香織はゆっくりとリズムを取った。
 すぐにドラムが少し早い鼓動のようなリズムを刻み始め、そこにベースがのってうねる。
 目を開ける。金髪の少女と目が合う。
 思わず口の端がゆがみ、笑い顔になった。
 ピックを握った右手を高く、高く掲げる。あの曲の為の、いつもの儀式。
 視界の隅で、レコード会社の男が顔をしかめるのが見えた。
「イヤッホー!」
 美也子の叫び声が聞こえる。横を見れば、ベースを弾く真希もにっこりと笑っていた。
 香織は最初のコードをかき鳴らす。もう一度、この歌を、あの人の言葉を取り戻す為に。
 シルエットになったビルの向こう側に、夕暮れの空。
 香織はゆっくりと歌い始めた。



夕暮れの街、遠い言葉 <了> ◆D7Aqr.apsM



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