【 追憶の彼女 】
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34 名前: 渡来人(千葉県) 投稿日:2007/04/22(日) 03:03:45.65 ID:xCG1v75y0
お題「追憶の彼女」

「おじいちゃん、遊びに来たよ〜」
「おお、おお……。良くきたねぇ」
駆け寄ってきた孫達の頭をなでながら読んでいた本をテーブルに置いた。
暖かな日差しの差し込む居間でかわいい孫と共に穏やかな時間が過ぎる。
「ねえ、この本何?」「うっわ、きったねー本」
孫達が大きな本をその手で乱暴に扱う。あまりに危なっかしく扱うので思わずその本を取り上げる。
「こらこら、あまり乱暴に扱うんじゃないよ」
おもちゃを取り上げられて不機嫌そうにこちらを見る二人の孫。
どうも諦めがつかないらしい。やれやれ、すこし説明するしかないな。
「これはな、爺ちゃんの大切な本なんだよ」
「えー? こんなきたねぇ本のどこが大切なのさ!」
「いいか、この本には、お爺ちゃんの思い出が詰まっているのさ……」
感慨深そうに本を開く。白黒写真の独特な臭いがふわりと漂う。
自身の幼い頃の写真、それがページを追うごとにだんだんと大きくなっていく。
ふと孫の様子を見るとすっかりその内容に釘付けになっている。
どんどん捲っていく中で一枚の写真が出てくる。

“昭和63年8月1日 病室にて”

そう銘打たれた写真にはかつての自分と、ベッドに横たわる女性の姿があった。
大貫見里、私が本当に愛した女性であった。


35 名前: 渡来人(千葉県) 投稿日:2007/04/22(日) 03:04:16.16 ID:xCG1v75y0
 彼女との出会いは大学のサークルでの事だった。私は当時人付き合いのできない人間で周囲になかなか溶け込む事ができなかった。
孤立を深めていた中彼女だけは私のことを嫌わず、普通に接してくれたのだ。
そんな彼女に私は何でも話し、すべてを打ち明けた。そのたびに彼女は私にこう言った。
「大丈夫、自信を持って。あなたは自分で思っているほどだめじゃないわ」
彼女の助けもあって、だんだんと私は、サークルの仲間と何とか打ち解ける事ができた。
その姿を誰よりも喜んでくれたのは彼女だけであった。
 時は過ぎ、卒業式の後。私は思い切って彼女に告白をしてみた。
「なんだ、私から言おうと思っていたのに。いい所を持っていかれちゃった。よろしくね」
まもなく私と彼女は結ばれた。昭和40年1月の事だった。
その後バブルという荒波の中、私と彼女は子どもを設け順風満帆な生活を送っていた。
 それから20年経った昭和60年1月の事だった。子ども達が独り立ちした家で静かに卓を挟んでいるときだった。
神妙な面持ちで彼女は言った。「私と別れてください」と。切り出されたとき私は冗談とばかり思っていた。
だが翌日、彼女の部屋が何も無い状態になっているのを見た時、私はそれが本気だったのだと理解した。


36 名前: 渡来人(千葉県) 投稿日:2007/04/22(日) 03:04:59.35 ID:xCG1v75y0
初めは、自分が至らないばかりに彼女が出て行ったのだと思っていた。必死に自分を騙し、彼女はいないとそう言い聞かせていた。
12月のある日私は彼女の両親に呼び出された。そこで驚くべき事実を聞いたのだった。見里が……白血病だというのだ。
 慢性期に入っていた彼女は親族の家に身を寄せていた。遠目に彼女の元気そうな姿を見る限り、不治の病に冒されているという印象は無い。
いずれ訪れる急性転化がくれば彼女は……死ぬ。その事実を前に、私は会うことが出来なかった。
それから私は家財を売り、ドナー探しに奔走した。頭を下げて検査を受けてくれと頼み込んだ。
幸い広報という仕事をやっていたおかげで人脈は広く、700名もの人が集まった。しかしその中に彼女に会う適合者はいなかった。
 昭和62年12月、ついに彼女に再入院の時が訪れた。私は一層必死にドナーを募った。だが、すでに人脈も尽きてしまった状況で集められるあてなどなかった。
毎日街頭に立って検査を呼びかけた。必死の訴えも誰一人相手にしてなどくれなかった。不毛な毎日を過ごす中、私は彼女の母親に諭されて病室を訪れた。
扉越しに中をうかがうと幼い子ども達と戯れる彼女の姿が見えた。不治の病に冒された人々とは思えない明るい姿に私は締め付けられる思いがする。
中に入ると彼女は驚いた表情でこちらを見た。
「ど、どうして……」
「君のご両親に聞いたよ」
「……そう、なんだ」
「どうして、どうして俺の元を去ったんだ?正直に打ち明けてくれればよかったのに」
俺の言葉に彼女はうつむいたまま黙ってしまった。周りの子がだんだんと部屋を後にする中、彼女は消え入るような声で言った。
「仕方無かった…………私は死にたくなかったから」
「だったらどうして……」
「私は正気じゃなかったのよ。だって考えられないじゃない? 私、今まで病気一つしたこと無かったのに。
 なのにさ、もう自分の死がすぐそこまで迫っているなんてさ……普通じゃいれないよ」
顔を上げた彼女は笑っていた。それから本当に他愛の無い会話をして俺は病院を後にした。


37 名前: 渡来人(千葉県) 投稿日:2007/04/22(日) 03:05:52.60 ID:xCG1v75y0
 そして翌年の7月、私や親族らの努力むなしく転化が訪れてしまった。私が病室を訪れると彼女は寝たままこちらを見ていた。
「久しぶりね」
搾り出すように発する言葉が彼女の容態を表していた。顔はむくみ、紫色のあざが点々と見受けられる。
言葉も無く椅子に座ると彼女は天井を見た。
「ねえ、外、どうだった?」
「ん、外は晴れていたよ。……暑かった」
「そう」
どうしても会話が続かない。それは彼女が弱っているせいもあるが、自分が堪えるのに必死だったからに他ならない。
「ねえ、私の事……好き?」
「え……」
「だって、別れちゃったでしょ? どうなの?」
「…………」
思わずこみ上げたものが溢れそうになる。唇を噛み締めてそれを押し殺すと彼女を向いて言った。
「ああ、好きだよ。また、付き合って……」
それだけ言うと私は俯いたまま何も言えなかった。一度堰を切ったものは止める事ができず床の色が変わっていく。
そんな私に彼女は諭すようにこう言った。
「大丈夫よ、私頑張るから」
それから間もなく、彼女はこの世を去った。両親達に見守られて、壮絶な最期を遂げたのだった。
そして墓石の前で私は、彼女の最後の言葉を胸に秘めて、彼女に別れを告げた。
「お前が頑張ったから、俺も、頑張るよ。まだまだ、頑張るよ……」


38 名前: 渡来人(千葉県) 投稿日:2007/04/22(日) 03:06:31.63 ID:xCG1v75y0

「……ちゃん、お爺ちゃん!」
はっと我返ると孫達が私の体を揺らしていた。
「どうしたんだよ〜、早く次〜」
「次、次〜」
「ははは、そうだったね。すまん。じゃあいくよ」
そういって私は彼女との思い出を送った。孫の姿を見ながら私はかの日の彼女の姿を思い返した。
たった一人の、私の元を去った最愛の彼女の姿を……。

Fin



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