525 名前: 短大生(コネチカット州) 投稿日:2007/04/16(月) 00:09:42.42 ID:DnGFej57O
『火刑』1/5
「すごーい」
教室の戸を開けるや否や、香奈の甲高い声が耳をついた。
「……朝っぱらから頭悪そうな声出してんなよ」
「あれ、裕介知らないの? 美佳の占いって超当たるんだよ」
知るか、と裕介は思った。香奈とは小学校からの幼なじみだが、高校生になってもこんな調子である。
見れば、美佳の机を香奈も含めて三人の女子が囲んで談笑している。
「ねぇね、聞いてよ。この前真奈美の飼ってた犬がふらっと家出たまま行方不明だったんだけどね、
美佳に占いで探してもらったらさ、ホントにそこにいたんだって」
裕介はうんざりした。どうして女というのはこうも占いやら怪談やらが好きなのだろう。
「坂井君も何か占ってもらったら?」
犬好きの真奈美が言ったが、裕介は黙って首を横に振るばかりだった。
「相変わらずノリの悪い奴」
香奈の罵りを無視して、裕介は座の中心にいる美佳の方をちらりと見やった。机に頬杖をつき、
微笑を浮かべながら香奈たちのやりとりを眺めている。艶々としたロングヘアーが眩しい。
一瞬、美佳の真っ黒い瞳孔がくっと動いて裕介を捉えた。慌てて
視線を逸らす裕介。
――相変わらず気味の悪い奴。 七森美佳は一ヶ月程前に転校して来た。美貌の転校生の出現に
男子たちは騒然となったが、裕介はどこか違和感をおぼえて仕方がなかった。
別に暗いわけでは無い。よく笑うし、女子たちともすぐに仲良くなった。頭もいい。他人に
警戒される要素など皆無のはずなのだが――
「一週間前のボヤ騒ぎってさ」
美佳の声に裕介は思わず振り向いた。心臓に針でも刺されたような感覚がした。
「……犯人まだ分かんないのかな」
額から冷汗が流れ落ちる。
無論、占いなど信じてはいない。そんなので「あのこと」がバレるハズもない。
しかし――
526 名前: 短大生(コネチカット州) 投稿日:2007/04/16(月) 00:10:57.26 ID:DnGFej57O
2/5
一週間前のボヤ騒ぎとは、バレー部の部室でのことだった。
原因はタバコの火――部活が終わったあと、部室に一人残った女子マネージャーがヘアスプレーを
使った瞬間、誰かの捨てた吸い殻の残り火がガスに引火したのだ。
周囲に可燃物がなかったため火は壁の一部を焼いただけだったが、マネージャーは顔に大火傷を
負って入院し、一週間が過ぎた今でも学校に来ていない。
――名乗り出るべきだろうか。
裕介は幾度も思い悩んだ。マネージャーの沙紀子にはひそかに淡い思いを寄せていた。病院に
見舞いに訪れた時に見た、顔を包帯でぐるぐる巻きにした沙紀子の姿を思い出すたび、深い罪悪感に
押し潰されそうになるのだった。
だが、騒ぎがあまりにも大きくなったため今更名乗り出られるような状況ではとてもなかった。
全校集会も開かれ、さらにバレー部員は何度も教師たちから呼び出され尋問を受けたが、裕介は
結局しらを切り通してしまった。もはや自首などとても出来たものではない。
手掛かりは部室に残された吸い殻だけ。黙っていれば発覚する恐れなどはまず無いのだが、
その朝のやり取りは裕介の心に一点の不安を残すものがあった。
――あの女が密告るのではないか。
占いが当たるなどとは露ほども思っていない。が、美佳の思わせぶりな視線は裕介の奥底に眠る
不安感を煽り立てるのに十分なものだった。
美佳は真相を知っているのではないか。何か証拠になるものを握っているのではないか。
不安と疑念とが飽和状態にまで増長した時、突如ある残酷な考えが脳裏に浮上し、悪魔のように
裕介の理性を誘惑した。
翌日。美佳は一週間の停学処分を言い渡された。
528 名前: 解放軍(コネチカット州) 投稿日:2007/04/16(月) 00:12:09.82 ID:DnGFej57O
3/5
正直、これほど上手く運ぶとは思わなかった。いや、上手くいってはいけなかったのではないか。
裕介が咎めを受けることは無くなったとはいえ、真犯人は変わることはないのだ。
沙紀子をあんな目に遭わせたという罪悪感も、決して晴れることはないのだ。
朝、隙をみて美佳のバッグの中に忍び込ませたタバコの箱は、部室で見つかった吸い殻――つまり
裕介自身が吸っていたものと同じ銘柄だった。その上でプリントアウトした手紙を学校のポストに
放り込んだのだ。
職員室に呼び出された美佳は、持ち物をチェックされたのだろう。バッグから出てきたタバコが
動かぬ証拠となり――事件は解決した。
ことの経緯は担任から短い説明があっただけで、事件の余韻は意外なほどあっさりと風化した。
学校としても、これ以上騒ぎを引きずってイメージを落とすような
ことは避けたいのかもしれない。
美佳のいない教室はいつもと変わりなかった。ただ、香奈だけが以前より心なしか元気をなくして
いるようではあった。
数日が、何事も無く過ぎていった。
事件から四日が経ったその日は日曜日だった。既に辺りが薄暗くなった時分に、裕介は部室に
向かっていた。
沙紀子からメールが来たのは前の晩である。
――会いたい。部室に来て欲しい。
ただそれだけの内容だった。
応急修理の終わった部室は立入禁止も解除されているが、部員はまだ別の部屋を使っている。
ほの暗い廊下を通り、裕介はおもむろに部室のドアを開けた。
「――あの日も日曜だったよね」
沙紀子の声ではない。
「あ、違った。祝日か」
裕介は文字通り戦慄した。
529 名前: 短大生(コネチカット州) 投稿日:2007/04/16(月) 00:14:03.36 ID:DnGFej57O
4/5
「……なんでここにいるんだ」
裕介はやっとのことで声を搾り出した。
美佳はそれには答えず、パイプ椅子に座って手鏡を見ながら髪をとかしている。
あのメールは確かに沙紀子からのものだった。なのに何故?
「サキちゃんなら家にいるよ」
ぞっとするほど無邪気な声で美佳は言った。
――こいつは知っている。
ボヤ騒ぎの真犯人も、美佳を犯人に仕立てあげた主も。裕介は確信した。
「タバコのこと……怒ってるのか?」
あぁ、と思い出したように、美佳は天井を見上げて声をあげた。
「あれ、坂井君がくれたんだ? おかしいと思ったんだよね、いつの間にか箱が増えてるから」
何を言ってるんだこいつは?
もはや裕介には理解不能だった。
「それにしても良く知ってたね、私がホープ吸ってることなんて」
「とぼけんな」
裕介は語気を強めた。
「知ってるんだろ、何もかも。あの日俺がここでタバコ吸ってたことも、それをお前のせいにした
ことも。その意趣返しのために俺をここに呼んだんじゃないのか」
「あれは私がやったのよ」
何――?裕介は唖然とした。
「え?まさかずっと自分のせいにしてたの?」
あははっ、とさも可笑しそうに美佳は笑った。
「考えてもみなよ。ゴミ箱の中の吸い殻の火がスプレーに引火するわけないじゃん」
あ――と裕介は思わず声を漏らした。
「よく分かったなぁって、感心してたのよ? 私がスプレーに細工してたコト。私より坂井君の方が
占いの才能あるんじゃないかって」
美佳はホープと書かれた小さい箱から一本取り出し、黒いオイルライターで火を点けると
美味しそうに一服した。
530 名前: 短大生(コネチカット州) 投稿日:2007/04/16(月) 00:15:18.09 ID:DnGFej57O
5/5
「……なんでそんなコトしたんだよ」
事実を知ると、あまりにふてぶてしい美佳の態度に裕介は腹が立ってきた。
「知らないの? 魔女は火あぶりの刑って、中世からの常識よ」
「魔女はお前だろ!」
裕介は激昂した。平気な顔をして沙紀子を酷い目に遭わせた目の前の女が、本物の魔女に思えてきた。
「――知らないのね。自分を思ってくれる人の気持ちも」
「え――」
「香奈ちゃんに相談されたのよ。坂井君に振り向いてもらうにはどうしたらいいかって」
裕介は戸惑った。確かに知らなかった。香奈はただの幼なじみのちょっと頭の足りない女だとしか
認識していなかった。
「なかなか難題だったよ。サキちゃん可愛いし、あなたがサキちゃんに惚れてるのも知ってたしね」
「だからって――」
あんな酷いことをしなくても。裕
介の脳裏に、包帯を巻いた痛々しい姿の沙紀子が浮かんだ。
「……これだから男ってヤツは」
処置なし、といった顔で煙を吐きながら天を仰ぐ美佳。
「サキちゃんてヒドイ女なのよ? あんなロリ顔のくせしてクラス中の男を誘惑してたんだから」
確かに男はロリ顔に弱い。
「ま、強制はしないけど、少しは香奈ちゃんのことも考えてあげたら? 魔女からのアドバイスよ」
それから一ヶ月後、再び美佳は転校していった。
裕介は香奈とつきあっている。それなりに充実した日々だが、油断は禁物だった。
――女は怖い。
美佳のことを思い出すたび、裕介はそう思うのだった。
<了>