【 そこらへんにいる魔女 】
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494 名前: 空気コテ(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 23:42:57.60 ID:TrNMXoLD0
月曜のオフィスは忙しい。
日曜にしていなかった仕事の片付けから始めないといけない。
その中で、田辺だけが退屈そうにしていた。
もっとはっきり言ってしまえば、寝癖の頭で欠伸をしていた。
「何してんのよ」
美智子が怒る。
「いや、何の仕事をしようか考えていて.......」
「P社との取引はどうなってるのよ。先方へ挨拶には行ったの?」
「まだ」
「まだなら行かなきゃダメじゃない」
「だけど......やる気がなくてさ」
ふぁーと言って買って来た雑誌を眺め始める。
田辺は丸っきり仕事できないというわけではない。
ただ、極端にやる気が無かったり、月曜の朝だったりすると何にもしようとしなかったりすることがあった。
子供みたいだと言えば子供みたいで、間抜けと言えば間抜けだった。
みんなそう考えている。上司は呆れて何も言わない。
大きなミスをしたらこてんぱんに言ってやるかと思っているが、田辺は妙に立ち回りがよくそこまで大きなミスもしてこなかった。
「なんとかなるよ」
無気力に田辺が言う。美智子はいい加減あきれて、やっ、やっ、やっ、と田辺の前で妙な十字を切り始めた。
「何してるんだい?」
「あんたに呪いをかけてるの。今日、ちゃんと仕事をしないと、身を滅ぼす呪い」
「君は魔法使いだったのかい?」
「そうよ?楽しいでしょう」
田辺は、面白い冗談を聞いてかっかっかっと笑い出す。美智子はジトっとした目で田辺の笑い顔を見た。

496 名前: 空気コテ(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 23:44:30.63 ID:TrNMXoLD0
よし、そんなら今日は仕事をしないで身を滅ぼしてみようと、
夕方まで雑誌だの新聞だの2チャンネルの掲示板だとかに出入りしたり、時折何かメールを打ったりしたりして、時間を潰しいみた。
田辺の名誉のために言っておけば、別にこれは美智子の呪いのせいでも何でも無い。
単純に田辺の普段の月曜日の行動だった。
あんまりに自堕落な態度を見かねて、今度は仲の良い同僚が
「お前、木曜のプレゼンの資料、水曜までにまとめておかないとヤバいぞ」
と忠告する。
「そりゃ、そうだ。まとめなきゃ首だろうね」
「わかってるならやれよ」

うーん、うーんと、田辺は唸る。
わかっていてもやりたくない。

それでも、いい加減手をつけなければならないことがわかっているので
田辺は必要な資料やメモを一通り整理して、家で準備をしようと黒革のカバンにつめる。
「あら、お帰り?」
「あぁ、君の呪いも効果がなかったらしいね」
「どうかしら」
美智子は、意味ありげな笑いを浮かべる。
「これから、僕が車にはねられてしんだりするのかね?」
「馬鹿なこと言わないで」
カラカラ笑って田辺は退社して行く。
上機嫌なのには理由があって、田辺はこれからデートなのである。
大学時代の友人と言うか、当時の片思いの相手と言うか、そんな相手からメールがあって、
これから夕食を一緒に取ろうという、そんな予定がこの後にある。
「ネクタイ、曲がってるわよ」
美智子が帰ろうとする田辺を呼び止めて、彼のネクタイを結び直す。
「おいおい......」
と口にしながら、田辺は少しどぎまぎする。仕事もせずに女性とデートとは、体面が悪い。
「......もういいわ、お疲れさま」

498 名前: 空気コテ(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 23:47:09.41 ID:TrNMXoLD0
田辺は予約したレストランで、ガブガブとビールを飲んでいた。
「いやぁ、俺、今度、大きな仕事まかされちゃってさぁ、出世コースをひとっ飛びだよ!」
わけのわからない冗談を口にして大騒ぎする。
昔好きだった女性が目の前にいる。
しかも、<久しぶりに田辺君に会いたくなって......>、という妙に思わせぶりなメール付きである。
単細胞の田辺は多いに飲み、多いにはしゃぎ、多いに記憶をなくして家に帰った。
そして、大いに狼狽した。
確認のためにカバンを開けてみると必要な書類が無くなっていたのだ。

どうしよう。どうしよう。と、さっき会っていた女性に連絡する。知らないわ、と彼女は首を振る。
レストランに連絡を入れる。落とし物はありませんと電話を切られる。
会社に電話をする。てめぇ何時に電話してきやがるんだ、と残業中の上司に怒られる。

落とすとしたら、どこで落としただろうか、と歩いて来た道順を考えてみるが、
わざわざ閉じた鞄を道で開くような場面は一つも無い。開けた覚えもあるはずも無い。

じゃあ、きっと忘れ物で、明日オフィスに行けば出てくるに違いないや、と
脳天気な田辺は合点をつけてさっさと眠った。
けれど、会社にある自分の机を見にいっても書類は出て来ない。
「おーい、書類くーん」
と田辺は机に呼びかけるが、返事は無い。
どうしようか。どうしよう。別にどうもしない。クビになるだけさと田辺は虚勢を張ってみる。
だが虚勢を張ったところでどうしようもない。

500 名前: 空気コテ(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 23:48:57.02 ID:TrNMXoLD0
「すいません......今度のプレゼンの資料を一通り無くしてしまったみたいで.......」
と言うと、部長はツチノコやネッシーと言った信じられない生き物を見たかのような目で田辺を見る。
さすがの田辺も、これはマズいことになった、と息を飲んだ。

資料は長期にわたって製作されたものなので、一昼夜で用意できるような代物では無い。
周りからはぐうたらに思われていても、田辺はこういう仕事にはマメだった。
資料集めなんてかったるいなぁとぼやきながら、いつも田辺は人の知らないところで真剣にそれを集めている。
そして、仕事にだいたいの目処がたった時は、進んで遊ぶようにしていた。
昨日がそうだったのだ。

まわりから見ればぐうたらに見える田辺も、本当は自分の仕事に賭けていた。
だから、自分の不注意で資料を無くした自分が悔やまれて仕方が無かった。

「部長、すいません。責任を取らせてください」
「本気かね?」
「本気です」
「では、今日は帰りたまえ、会社の方は私が探すから、君は家に帰って、もう一度資料を探してみるのだ」

501 名前: 空気コテ(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 23:50:48.01 ID:TrNMXoLD0
田辺は、家の隅から隅まで資料を探したが、やはり見つからなかった。
心配したのか、昼過ぎに美智子がやってくる。
「君の言う通りになっちまったな」
「.......」
「どこで自分が不注意をしていたのか思い出せないよ。俺はクビになるかもしれないけど、君は会社を続けろよ」
「あたしとの付き合いはどうなるのよ」
「終わりかな......。君に悪いよ」
爪を噛み、本当に悔しそうに、田辺は眉間に皺を寄せる。
「本気?」
「自分に愛想が尽きたよ」
「ねぇ、一緒に探しましょう。あたし、あなたがどんなになっても一緒にいたいわ」
普段は明るい田辺も、今日、この日の美智子の優しさには思わず泣いてしまった。

それから二時間ほど経ぎた頃、会社から資料が見つかったと言う連絡が入って、田辺はへたり込んだ。
田辺の代わりに会社へ戻った美智子は、部長に礼を言いに行く。

「今回のことで、田辺も懲りたみたいです。これからはちゃんと働くと思います」
美智子は自分の鞄から、月曜の夜にすり替えた田辺の資料を取り出して、悪戯っぽくニコッと笑ってみせた。



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