【 ザ・ウィッチ 】
◆We.HF6BFlI




451 名前: 受付(アラバマ州) 投稿日:2007/04/15(日) 23:21:47.49 ID:wMvHknVp0
揺れるヘッドライトが前方を照らす。視界は悪い。
ストーム警報が出された東海岸全域は、強い風と大粒の雨で轟音に支配されていた。
暗雲が一瞬だけ雷光に引き裂かれる。数秒もしないうちに破裂音が密閉された車内にも轟いてくる。
(最悪だな)
舌打ちをしながらジェフリー=キンダーソンは、意外にも冷静な自分に驚いていた。
事態は急を要する。しかし、どこかぼやけた――不完全な現実が、自分の中の感情を押し沈めていた。
理解できていないわけではない。因によって導き出されていく結果は、悉く最悪へ進行している。
だからなのだろうか。食い止める使命感と共に湧き上がる諦観――そんなネガティブな冷静さ。

こんな心境は初めてだった。冷静沈着を常としてきたジェフリーは、いかな境遇、場面に於いても最小限の労力で最高の結果を導き出してきた。
それが彼自身の自負であり、組織に必要とされている理由でもある。
自己保全とは、一歩先の展開を己にとって有利になるよう誘導することによって完成する。
簡単なことではあった。それが揺るいだことは一度足りとて無い。
そう、今揺らいでいるのは自分ではない――他人の命の灯火。
(どうにもならないこと、ではなかった……しかし……)
言い訳などをしている自分が、ジェフリーは気にくわなかった。しかし、止められるものでもない。
ハンドルを握る手に力が入って、安物の合皮がぎり、と音を立てた。
「Fuck!」
一つ吠えて、彼は乱暴に車を右折させた。

             ◇    ◆    ◇

ダネット=ダンキンと別れた理由は、簡潔に言えば意見の相違だった。
情熱的な彼女の精神構造は、それを持ち得ないジェフリーには魅力的に映ったのは確かだ。
だが彼の徹底した沈黙性はやがてすれ違いを生み、二人が水と油であることを今更のように浮き彫りにした。

決して混ざらない二つの属性はお互いを求め合うのだろうか。
だから今もこうして、彼は――

             ◇    ◆    ◇

452 名前: 受付(アラバマ州) 投稿日:2007/04/15(日) 23:22:18.19 ID:wMvHknVp0
小高い丘に車は止まった。
ヘッドライトが照らす先には、大きく傘を広げるように屹立するモミの木とその根本に停車している一台の白いベンツがあった。
強い風雨にさらされて、孤独な高木は大きくしなっている。沈黙している車の中には、暗いながらも二人の人間が座っているのが見えた。
大きな雨粒が叩き付けられ、地鳴りのような音が車内に響く。ジェフリーはダッシュボードからオートマチック式の拳銃を取り出した。
弾丸の数を確認し、装填する。短く重い金属音は、すぐに雨音に飲み込まれてしまう。
ジェフリーはその手の中にある不慣れな重さを実感し、改めてこれが現実であると認識した。
「ふぅ……」
ゆっくりと息を吐いて、彼はドアを開けた。

向こうもこちらを確認していたのだろう。ジェフリーが外に出ると同時にヘッドライトが彼を照らし出した。
車のライトが照らし合う互いの距離は、ほんの十メートルも無い。開いたドアを盾にして、相手が車外に出てくるのを待った。
強い風と雨が顔を叩いていく。端整な顔立ちをしかめながら待つこと十秒。
白の高級なドアが勢いよく開いた。思わず手にした拳銃を構えそうになって、自制する。
運転席から飛び出してきたダネットはスーツ姿だった。彼女の手元に愛用のリボルバーが見える。
「独りね!」
耳元に押し寄せる風雨の音に負けじと、彼女の声が聞こえてくる。
ジェフリーが首を縦に振ると、ダネットは助手席に残ったもう一人に拳銃を突きつけて出るように促しだした。
だがその人物は抵抗しているようだった。ダネットの顔がさっと怒りに染まる。
「Get a fuck out!」
怒鳴り散らしながら彼女は車中の人間の襟首をつかみ、引っ張り出そうとしている。
転がるように出てきた女性を雨に濡れた地面に放り出して、ダネットは見下しながら彼女に銃口を突きつけた。
「やめろ!」
ジェフリーの叫びにダネットがこちらを向いた。思わず構えたオートマチックの銃口を見据えて、彼女が不敵な笑みを浮かべてくる。
「アンタ、拳銃は使えるのかい」
含み笑いをしながら彼女の指先がゆっくりと撃鉄を引きあげていく。ハンマーコックの音を聞いたのか、ダネットの足下で女性がピクリと身を強張らせた。
「慣れないことはするもんじゃないよ!」
問いに答える必要はない。しっかりと構えた両手で今一度グリップを握りなおす。
ごおお、と風の舞う音が嵐の勢いを物語っている。最悪の環境の中、最悪な結果を――Worse than all――
ジェフリーはダネットの眉間に狙いを定めた。

454 名前: 受付(アラバマ州) 投稿日:2007/04/15(日) 23:22:51.84 ID:wMvHknVp0
ふと、彼女の笑みが消える。こちらの真剣な、シリアスな空気を見たからだろうか。
雨で額に張り付いた金髪を払い除けながら、一度だけ目を伏せるようにした彼女は小さく何かを呟いた。
(Are you serious……? 本気か、だと)
暴雨風の視界の悪さに加えてヘッドライトの輝きで隠れはしたが、彼女の口はそう動いたように見えた。
湧き上がる感情を抑えて、いつもの自分らしく冷静な言葉を口にしようとする。だが。
「How silly of you!(アンタも莫迦だね!)」
ダネットは彼よりも先にそう罵って、足下でくずおれていたパーティドレス姿の女性の髪を引っ張り上げた。
同じブロンドヘアーを乱暴に引き上げ、小さく悲鳴を上げる女性の首元に後ろから腕を回す彼女。
再び碧眼でこちらを見据えた彼女は、その銃口を女性――フラン=パーリア――の眉間に押しつけた。

狙いは動かさないまま、盾にしていた扉を閉める。こちらの動きをダネットはフランを盾にしながらじっと見つめている。
ジェフリーの体はすでに雨でびしょ濡れになっていた。だが今更のように、彼は一歩一歩踏みしめている泥濘るんだ地面が、自分の靴を汚していくことに舌打ちをした。
ベンツの放つハイビームがそれほど眩しくは無くなった距離。五メートル弱の直線上に三人は対峙した。
「フランを離すんだ!」
張り上げた声は予想以上に大きくて、ジェフリーは自分の声にフランが顔を引き攣らせるのを見た。
「大丈夫だか――」「ジェフ! 助けて!」
安心させようと彼女に声をかけるが、悲鳴にも似た返答が彼の言葉に覆い被さってくる。
だがそれも何故か冷静なダネットが更に強く押しつけたリボルバーで黙らせてしまう。
「黙りな」
念を押すようにダネットが低く唸る。彼女の中に冷静さを見たジェフリーは静かに声を掛け始めた。
「ディーディー。いい加減にしておけ」
「ふん、何もクソもあるか。ジェイ、アンタは今のままでいいかもしれないけど、アタシはもうこれしか無いんだ」
吐き捨てるような物言いに、彼はゆっくりと頷いた。
「わかっている」「じゃあ、黙りな! 組織からも何もかも裏切られて、それでアタシは誰知らずに死んでいくんだ!」
激昂するダネットはヘッドライトに照らされた金髪を振り乱しながら、組織の長の娘――フランの首を片腕で締め上げようとする。
「俺は知っている」
それを止めるように目で訴えながら会話を続けるが、彼女は止まらない。
「巫山戯んな! アンタにはフランがいるんだろうが! こんなクソアマ……アタシは……」
彼女の怒りが引き金にかけられた人差し指に伝わって、銀色のマグナムがカタカタと震えている。
フランがひっ、と小さく息を飲み込む声がこの距離でも聞こえてきて、ジェフリーは胸中で舌打ちをした。

456 名前: 受付(アラバマ州) 投稿日:2007/04/15(日) 23:23:25.93 ID:wMvHknVp0
ダネットに課せられた仕事は敵対ファミリーへのスパイだった。
美貌と愛嬌を兼ね備えた彼女にはうってつけの任務ではあったのだが、任務開始から二年が経過したその時に問題は発生した。
偶然に起こった下部組員同士の小競り合いが、警察に通報され、その証拠写真にたまたま通りかかったダネットが映り込んでしまった。
双方のファミリーが独自に懐柔している警察組織の人間から伝えられた情報で、それだけなら特に問題はない。
だが運が悪いことにその小競り合いで、どちらの組織も中堅幹部を殺されてしまったということがのちの火種になっていく。
警察の内通者から、ダネットが両方の組織に出入りしているのではないかという情報を受け取った敵対ファミリーは、
彼女を拘束し、こちらの組織にケジメを付けるように要求してきた。
法外な要求に組織も首を縦に振るわけにはいかない。結局組織が打ち出した方針は、ダネットの存在を否定する、という彼女への死刑通告だった。
組織が安直に部下の首を切ることは、道義に反する。もちろん苦渋の選択ではあったものの、巨大な『社会』を守るために致し方なかった。
敵対ファミリーも重要な人間を一人失っている。憂さ晴らしとは聞こえが悪いが、もはやダネットの命の保証は毛ほどもなかった。

監禁場所から何とか脱出することに成功したダネットだったが、もう行く場所はなかった。
組織には裏切られ、敵対ファミリーに見つかれば即座に殺される。
押し寄せる恐怖の中、スケープゴート――哀れな生け贄――が見つけた最後の道は。


「もう、コイツを人質にして組織から金をかっさらわなきゃダメなんだ……」
怒りを静めたダネットは、震える歯の根を押さえつけるようにして言葉を絞り出した。
ジェフリーはもちろん理解していた。彼女がこの選択肢を取らざるを得なかったことも。
そして、彼女が『ここで死ななくてはいけない』ということも――それを『彼女も理解している』ということも。
「何故、俺なんだ」
自然と言葉が漏れていた。語る意味すらもはや無いのに。ダネットの眉間にエイミングされたジェフリーの弾丸は、何があっても逸れることはない。
それが彼の持つ、隠し続けた切り札でありエースだった。だからこそ――彼は組織に必要とされている。
「さあ、知らないわ。アンタに会いたかっただけなのかもね」
空とぼけるダネットの口調はもう鋭利なものではなかった。雨に濡れた彼女の顔は柔らかく、もしかしたら泣いているのかもしれなかった。

そして事態は急激に変化した。力を緩めたダネットの腕からフランが突然抜け出した。
気を逸したダネットは舌打ちをしながら、こちらに駆けてくるフランに銃口を向ける。
ジェフリーは「ディーディー!」と叫ぶが、指が動かない自分に気がついていた。
そして、ダネットの、銃口は、ゆっくりと、ジェフリーに、向けられ――嵐の夜に異質な轟音が鳴り響いた。

457 名前: 受付(アラバマ州) 投稿日:2007/04/15(日) 23:23:49.75 ID:wMvHknVp0
コルトパイソンから放たれた弾丸はジェフリーの左腹部を貫通し、彼はしとどに濡れそぼった地面とキスをしていた。
幸い意識はあるが、トリガーを引けなかった自分にショックを受けて起き上がる気力すらない。
こんなに自分は駄目な人間だったのだろうか。自責の念なのか、悔悟の念なのか、複雑な感情がまぜこぜになってジェフリーを襲う。
彼の上に覆い被さって、しきりに顔を撫でてくる手がある。フランに頭を抱き上げられて、そこで初めて彼女が真っ赤なドレスを着ていたことに気付く。
顔をくしゃくしゃにして寄り添ってくる彼女から視線を逸らし、僅かに視界に入っていたダネットを見ようとした。
仕事着のパンツスーツに身を包んだダネットは、腰まで長い金髪を指で遊ばせながら、口先を尖らせて寂しそうにしていた。
(俺は……莫迦なんだろうな)
何を思うでもなく、撃った者と撃たれた者同士、夢想に耽る。
彼等の意識はフランの唐突な罵声に現実へと戻された。
「You fuckin' bitch!(このクソアマが!)」
さっきまで殺されかけていたことなど気にもしない勢いで、顔を真っ赤にしたフランが吼える。
だが、まだ現実味が足りないのか。ダネットはやはり寂しそうなまま、呟き返した。
「Bitch……? No,I'm a "Witch"。Don't you think so?(阿婆擦れ? 違うわ、魔女よ。そうじゃない?)」

フランの手には拳銃が握られていた。ジェフリーの手から落ちた銃器――Cz75は、震える彼女の手の中で目標もろくに定まっていなかった。
向けられた銃口を嘲笑うかのように、ダネットはフランを無視しながらゆっくりとベンツに乗り込む。
エンジンがかけられ、車はモミの木を旋回するようにUターンしていく。
「あ……ああああああああああああああああああああ!」
絶叫するフラン。連射された九ミリパラベラム弾が、運悪くガソリンタンクに命中したのが先なのかはわからないが。
轟音を掻き消す爆音が空を切り裂き――モミの木に雷が落ちた。
天の怒りを受けた高木が、瞬間炎上する。何故かベンツはその場で停止していた。

ジェフリーは音が消えた世界で見ていた。
ゆっくりと倒れていくモミの木。その倒れる先に停車している、バックガラスに二発の弾痕の付いた白いベンツ。
巨木が白い箱を押しつぶし、爆発炎上した。
茫然と呆けるフランと共に、ジェフリーはそれを見続けた。勢いよく吹き出してくる黒い煙と炎は、猛烈な風雨の中でも天高く上っていく。

世の理不尽を一手に担う、黒き生け贄はその昔、魔女と呼ばれた。
魔女はその身を焼かれ、悲鳴と共に理不尽に死んでいく。誰も抗えない。皆のために憎悪されて死んでいく。
魔女を愛した男は、彼を愛する魔女のために。冷静に泣いた。                【了】



BACK−一期一会とキリギリス ◆/7C0zzoEsE  |  INDEXへ  |  NEXT−魔女の箒 ◆KARRBU6hjo