【 一期一会とキリギリス 】
◆/7C0zzoEsE




441 名前: ホタテ養殖(滋賀県) 投稿日:2007/04/15(日) 23:09:38.48 ID:TIyuab7R0
 どこぞの家があった。見るからにオンボロで、
見渡しても玄関に長い箒が表札代わりに一つ在るだけ。 
 そこの荒れ放題の温室に勝手に入った。
不法侵入の罪も気にしたが、一攫千金の機会を見つけてしまったから。
 どこから見ても白いキリギリス。明らかに珍種。
 それはとぼけた顔で俺を見つめて、
チョンギースと鳴いていた。
 捕まえればおそらくいくらか金になるだろうと、
手を伸ばして握ろうとした。
 しかし、あと少しのところで遠近感がぼやけて
捕らえ損なった。キリギリスは人を馬鹿にしたかのような泣き声で、
ついには消え去ってしまっていた。
 軽く頭痛がしたので、そっと帰宅することにした。

――少し日が経って。
 頭痛は治るどころか酷くなる一方だった。
吐き気も伴い、気分は最悪の状態。
 それでも俺の頭から、あの白いキリギリスが離れることなく。
 どうしても捕まえたい、そんな妙な義務感を覚えながら
先日の古屋に向かった。
 あの草臥れた温室の何処かに奴はいる。
そう自分に言い聞かせて、重たい体を引っ張って歩いていった。
 しかし、そこにいたのは黒い山高帽を被った色白の女の子。
整った美しい顔立ちをしているも、無造作で。
腕を組んで、高飛車に
「人の家で何してるの? 君」
と、睨みつけられた。

442 名前: ホタテ養殖(滋賀県) 投稿日:2007/04/15(日) 23:11:00.92 ID:TIyuab7R0
 事の次第を全て話すと、彼女の顔は青ざめた。
「君、私のジョン見たんだ……。まいったなあ。
あ、ジョンってそのキリギリスの名前だけどね」
 俺は、どうしてもそのキリギリスを譲って欲しいと頭を下げた。
あと、どうしようもなく頭が痛い。
「頭痛、吐き気……あと、悪寒も?」
 彼女はいきなり、俺の額と自分の額を合わせてそんな事を言い出した。 
緊張するのもあったが、病状をピタリと当てられていたので驚きが先に出た。
「これって、一体?」
「言い辛いんだけど、君は死にます」
 ビッと指を俺に突きつけた。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。動揺する間に彼女は続ける。
「白いキリギリスを見た人間は必ず死ぬって言い伝えがあるの、昔から。
それが視神経に直接刺激を与えるのでか、鳴き声で精神障害を起こすからか、
理由はよく分かっていないんだけど……っと」
 彼女は戸棚から薬品を取り出して、俺に渡した。飲め、と。
「この間、逃がしちゃって参ってたんだ。
温室の中からは出ないだろうと安心してたんだけど……。
私だって魔女の端くれだし、一般人に迷惑かけられないよね」
 俺は、口早にすっとんきょうな事を言い続ける彼女を横目に、
薬をぐいっと一飲みした。彼女の言うことは眉唾だが、
この頭痛を前にすると疑うことさえ出来ない。
 それよりも何だこの苦味は。毒か。
「朝摘みのヘンルーダの葉を煎じた漢方薬よ。
強い解毒作用があるのだけど」
 俺の心を読んだかの如く、説明してくれた。
「でもそれじゃ駄目。全然駄目。君、死にたく無いわよね?」
 俺は強く、上下に頭を動かした。
「じゃあ、これから一仕事よ」

443 名前: ホタテ養殖(滋賀県) 投稿日:2007/04/15(日) 23:12:47.78 ID:TIyuab7R0
 俺は温室に夏休みの少年さながらの格好で放り出された。
麦わら帽子に、虫取り網。肩からかごをぶら下げて。
「言い伝えによると、白いキリギリスの生き血を摂取して
抗体を体の中に取り込めば助かる可能性もあるみたい」
 彼女は温室の外から告げた。
「だから、ジョンを一生懸命探してね、
死にたくなかったら。見つければ一石二鳥でしょ?」
「じゃあ、魔女さんも手伝ってくださいよ」
「いやあよ、ジョンと無防備に触れ合ったら、私でもタダじゃ済まないもの」
 全く手入れされて無いだろう草むらに四つん這いになり
辺りを見渡した。しかし、生き物一匹いる気配も無い。
「俺の危険はどうなる?」
「君は、もう発症してるから良いじゃない。ほら、早くしないと死ぬわよ」
「死ぬわよって……あとどれ位余裕あるの?」
「時間で例えれば、その様子だと君の血が凝固するまで約三時間かな」
 ジョン! 頼む、出て来い!
俄然探す機が湧いてきた俺は、血眼になって草を掻き分ける。
さすが魔女の温室。もっと整ってさえいれば、きっと楽だろうに。
 安易に他人の家に入ったこと、奇妙な物を追い求めたこと。
今更になってから後悔し始める。

 時間だけは無情に過ぎていき、動悸や息切れが激しくなってくる。
彼女も見ているだけでは忍びなかったのか、目隠しと耳栓をして温室に入ってきた。
 その滑稽な格好が、あまりに魔女らしくなくて思わず噴出したいが、
そんな余裕は何処にも無くなっていた。
 怖い、気持ち悪い。このまま、両手を広げて眠ってしまいたい。
もう、目の前もぼやけて何も聞こえなくなりだした。
 もういいや。何もかもを投げ出すかのように、寝転がった。
したらば、俺の顔の横で。「チョンギース」

444 名前: ホタテ養殖(滋賀県) 投稿日:2007/04/15(日) 23:14:24.48 ID:TIyuab7R0
 やっと見つけた。安堵の笑みが浮かんだが、手を伸ばしても触れない。
何故だか、紙一重で届かなかった。彼女を呼ぼうとしても、声が出ない。気付かない。
 俺を馬鹿にするかのような顔で、ジョンは立っている。
もう駄目かと、瞼が落ちきった。その時、始めて気がついた。
 ジョンは瞼の裏で白く輝くのだ。
俺はもう一度、精一杯手を伸ばす。
「そこにあると思ったとき、もう一つ向こうにそれはあるんだ」
消え去るような擦れた声で呟くと、
全く入らない握力でジョンを包み込んだ。
 魔女は何か叫んでこっちに近寄る、けど。
もう、何も聞こえて……。


「お疲れ様」


――少し時間が経った。
 俺は爽やかな気分で古ぼけた家にいる。
そこには誰もいなかった。彼女もいなかった。
 俺は、口に苦味が残るままで、ふらっと外に出た。
此処は何も無い場所だった。何一つ、表札だろうと置いてない玄関。
 荒れ果てた温室があった。
見慣れた場所だったが、どこだか分からない。そんな気分だった。

445 名前: ホタテ養殖(滋賀県) 投稿日:2007/04/15(日) 23:16:29.29 ID:TIyuab7R0
 あれほど苦しい思いをした、あれが夢だったとは思えない。
 しかし、彼女はどうやって何処に行ったのだろう。
 魔女だから、なんて言葉が思い浮かぶが、
耳に残っている最後の優しい声は、どちらかと言えば天使の囀りに聞こえた。
 魔女なんかじゃないかもしれない、ただの人間だったのかも。
 ただ一つ思うのは、もう一度彼女に会いたい。
会って、ちゃんと礼を言いたい。どうしても名前を聞きたい。
 どうすれば会えるのだろうか、そう白いキリギリスを見つければ……。

「チョンギース」

 俺は、目を瞑ったまま恐る恐る振り返った。
そいつを握り捕まえて、家に戻る。
 これがあれば、もう一度彼女に会えるはず。
 部屋の中で、そいつを離す。
「さぁ、俺をどうにでもしろ!」
 俺は、目の前にいる緑色のキリギリスに向かって叫んでいた。

 失望の念を隠せないまま、呆然とする。
そして、何処からとも無く白いペンキを持ち出してキリギリスに塗り始めた。
 キリギリスは困った様な顔をして、鳴いている。
 俺は軽く頭痛を覚えた。
やっぱり、玄関には何も無かった。
 
                  (了)



BACK−悪魔の代償 ◆f1sFSoiXQw  |  INDEXへ  |  NEXT−ザ・ウィッチ ◆We.HF6BFlI