【 月明かりに舞う 】
◆PUPPETp/a.




380 名前: 文学部(山形県) 投稿日:2007/04/15(日) 21:22:41.49 ID:2R/+C/4z0
 知ってる?
 満月の夜、窓ガラスをノックする音が聞こえてくる。だけど窓を開けちゃいけないよ。
 そのノックは魔女が外から窓を叩いてる音だから。
 窓を開けると「箒の後ろに乗らないか」って言われて箒に乗っちゃうの。
 けれど魔女はその箒に乗った人を攫っていくんだって。
 だからノックを聞いても窓を開けちゃいけないよ。

「今日小テストがあったんでしょ。結果はどうだったの?」
「……いつも通りだったよ」
 どこから仕入れてきたのか、母親はそんなことを聞いてきた。
「もっと勉強したらどうなの? 三丁目の、ほら、同じクラスのあの子なんて遅くまで勉強してるみたいじゃない」
 母親の言葉がわたしの心を醜くついばんでいくような気がした。
 部屋に戻り、着替えもせずにベッドに倒れこむ。
 このままわたしはやりたいことも見つからずに、ただ年を取っていくのだろうか。大学に行って、就職して、結婚して、平凡に暮らしていくのだろうか。人生の荒波とか言われる世界に飛び込んでいくのだろうか。そう思うとひどく憂鬱な気がしてくる。
 いつまでベッドの上に覆いかぶさっていたのだろう。下から母親の夕飯に呼ぶ声が聞こえた。急いで着替えを済ませると、母親と対面に座って夕飯を食べる。
 テレビから聞こえる笑い声と対照的に、わたしと母親の間に笑顔はない。ただ用意されたご飯を口に運び、目はテレビの方を向いているだけ。
「ごちそうさま」
 わたしはそう言って、自分が使った食器を台所に持っていく。母親はそんなわたしに目も向けない。
 お風呂に入り、洗ったばかりの濡れた髪を少し絞る。鏡に向かいながら、髪がほんの少しだけ湿り気が残るように乾かす。少しだけ癒される時間。何も考えずに、ただ髪をすきながら乾かしているのが好き。
 髪、また少し伸びてきてるなあ。
 肩を越したくらいの自分の髪を触ると、洗い立てのしんなりとした感触がした。その髪をバサッと後ろに流すと勉強机の前に腰掛ける。
 数学の授業で出された宿題を済ませると、もう夜も遅くなっていた。
 部屋の電気を消してベッドに潜りこむ。目をつむってもすぐには寝付けなかった。
 外をバイクが走る音が聴こえる。
 こんな時間なのに元気だなー。
 バイクの音は遠ざかり、近づき、そんなことを繰り返しながらずっと走っていた。
 うるさいなー、もう。まったく、何時だと思ってるの。
 そう思っているとバイクの音は少しずつ、少しずつ近づいてくる。
 ――そして窓がノックされた。
 わたしの部屋は二階にある。

381 名前: 文学部(山形県) 投稿日:2007/04/15(日) 21:23:04.92 ID:2R/+C/4z0
 お、お化け? いや、そんなのいるわけがない。いないいない。
 そう思いながらもわたしは布団を頭まですっぽりと被る。
 ノックの音はまだしている。その音に混ざってバイクの低い排気音も聴こえる。
「ノックノック、もしもーし、いませんかー?」
 どこかのん気な声が聞こえてきた。お化けの「うらめしやー」という声ではない。
 わたしは布団から顔を出し、月明かりがカーテン越しにうっすらと透ける窓の方へと歩いていった。
 コンコン。
 まだノックは続いている。少し迷ったが、思い切ってカーテンを開ける。
 ……窓の向こうにはバイク、いやスクーターに乗ったの髪の長い女性だった。黒いタイトな男性もののスーツ姿に、同じように黒いマントをはおっている。
 繰り返すけれど、わたしの部屋は二階にある。ベランダなんて大層なものをつけるお金持ちではない。あったとしても二階のベランダにスクーターを乗りつけるなんて真似はできないはず。実際そのスクーターは宙にぷかぷかと浮いていた。
 わたしがあっけに取られていると、その女性はにこやかに笑って軽く手を振る。……いや、たぶんにこやかなんだと思う。
 なぜ「たぶん」なのか。
 答え、表情が半分隠されてよくわからなかったから。その女性の顔の上半分にはまるでピエロのような、薄い仮面を被っていたのだから。
 その仮面の女性は『ローマの休日』に出てくるスクーターにまたがったまま、窓のサッシの部分を指差す。その先をたどると窓の鍵があった。
 頭が全く働いていないわたしは、怪しいとしか言いようのないその勧めに素直に従った。指が鍵に触れ、カシャンと音を立てる。
 その音を耳にした途端にわたしは何をしたのか、乏しかった現実感と共に頭に入ってきた。ずっと笑顔だった女性の口元が、三日月のようにニーッと嗤ったように思える。
「き、きゃ――」
 叫び声に力が入る前に、窓を開け、白い手袋をつけた女性の手がわたしの口をふさぐ。
「あー、ごめんごめん。怪しい者じゃないよ、って説得力がないのは重々承知の上だからツッコミはしないでね」
 バランスを崩して倒れてしまいそうな体を、開け放った窓枠に片手を置いて何とか保ったまま、仮面の女性は話しかけてきた。
 仮面の女性は「ヨイショっと」という声を出して窓枠に腰掛ける。
「あんまり大声は出さない方がいいよ。冷たい空気の中で大声を出すとのどを痛めちゃうしね。オーケィ?」
 わたしはその言葉に首を縦に振って答えを返す。
 いかにも怪しい、怪しすぎるその女性。だけど話す言葉は気安く、友人に対するそれと似ていた。
「さて寒いし、いきなりだけど本題と行こうかな。何か悩みごと、あるでしょ?」
 仮面の顔がわたしの顔を見つめる。目の部分に開いたすき間からは女性自身の目は見えない。どこまでも暗く思えた。
 何も言わないわたしに仮面の女性は、流れるような髪を一つまみすると
「私の悩みごとセンサーがビンビンと反応してるんだけどなー」
 と、冗談めかしてつまんだ手を上へと持ち上げる。もちろんそんな反応を示しているような動きは見せず、ただ月の光を浴びてクタリとしているだけだったが。
 仮面の女性は腕組みをして、首を左右に傾けながら「うーんうーん」とうなっていた。

382 名前: 文学部(山形県) 投稿日:2007/04/15(日) 21:23:25.31 ID:2R/+C/4z0
 座っていてもわかる、すらりとしたスタイルの女性のその仕草に、わたしは思わず笑顔になってしまった。と、そんな時に仮面の女性はポンと膝を叩く。
「そうだ! 良いところに招待してあげるよ!」
 同時にわたしの手を握る。
「あっ、えっ?」
「だいじょぶだいじょぶ、変なことしないから」
 そんなことを言いながら律儀に浮かんでいたスクーターにまたがる。自慢にもならないが、運動神経に全く自信のないわたしはそこに飛び移るだろうかという心配があった。
 まだつないでいる手にキュッと力が込められる。
「心配しないで」
 そう言うとつながったままの手がグイッと引っ張られた。
「うわっ!」
 窓から落ちる。思わず目をつぶった。けれどいつまで経っても落ちる様子はない。
 怖いけれど目を開けてみた。下には窓のサッシ。床と庭がちょうど半々に見えている。けれどそれが近づいてこない。
 目の前にあるスクーターと同じように、わたしの体がぷかぷかと浮いている。気がつくと唯一の接点である仮面の女性の手にしがみついていた。
 仮面の女性はその手を見て微笑み、わたしを誘うように引っ張るとスクーターの後部座席に座らせる。
「それじゃ行くからしっかりとつかまっててね」
 わたしは仮面の女性の腰に腕を回す。長いマントが邪魔だった。……余裕で腕を回せる細い腰がうらやましいなあ、もう。
 スクーターは宙を舞い上がり、わたしの家はすぐに小さくなった。
 いきなりこんな高いところに来て、少し体が震える。それに気づいたのか、仮面の女性はわたしの方を振り返り、
「あ、寒かった? ごめんね」
 と言うと、スクーターの速度を落として空中に止まった。勘違いだけど寒いのも間違いではない。
 肩を包むように回して止めてあるマントを外すと、パジャマ姿のわたしにそれを掛けてくれる。まだ温もりの残ったそのマントを羽織って改めて「この人はお化けじゃないんだ」なんて場違いなことを考えてしまった。
 雲一つない夜空に浮かぶ大きな満月は銀色の光を放っていた。スクーターの低いエンジン音だけがその場に響く。腕を回す腰とマントの温もりを感じ、わたしはこれは夢なのかなと思ってしまう。
 滑り出すようにまたスクーターが動き出した。
 下を見ると模型のような家々に明かりが灯っている。
 この明かりの数以上の人がこの町に住んでいるんだ。わたしもその一人。
 月と地面の間でそんなことを考えてしまう。
「見えてきたよ」
 仮面の女性はそう言ってわたしの方をチラッと見た。その視線を受けて、わたしもスクーターの行く先を見る。
 大きな洋館。
 そこには月明かりを受けて輝く、空に浮かぶ庭園があった。

383 名前: 文学部(山形県) 投稿日:2007/04/15(日) 21:23:45.72 ID:2R/+C/4z0
 わたしはそれを見て、きっとアホみたいな顔をしていたんだと思う。仮面の女性は声を出さないように笑っている。でも腰に回した手がおなかの振動を伝えてきていた。
 スクーターはその庭園にある門の前に止まる。しかし少しも待たずにその扉は音もなく開いた。
 庭園の舗装されたレンガ道を走り、タイヤを伝わる揺れに体を跳ねさせる。
 ――ここも飛んでいけばいいのに。
 少し痛いお尻のことを考えながら思う。
 洋館の入り口まで来ると扉が開き、小さな影が転がるように飛び出してきた。
『お館様、お帰りなさいませ』
 飛び出すなり口を開いたその影は――、
「か……かわいい!」
 ――猫。
 それは黒い燕尾服を着た、しゃんと立つ黒猫だった。
 その猫さんが玄関へと出迎えに出てきた。あまりのかわいらしさに声を漏れしまったのも仕方がないと思う。
「お茶の準備をお願いね。庭の方に準備してちょうだい」
 仮面の女性はまた声を出さないように笑いながらスクーターを降りる。そして片手を振りながら歩いていった。
 わたしは「ついてきて」という声を受けて、猫さんに後ろ髪を引かれる思いを残しながらも置いていかれないようについていった。

 案内された庭園はつたないわたしの言葉の中からは「すごい」という言葉しか出なかった。
 手入れされた垣根に、彩りを与えるように咲き誇る花々。
 象牙色の大理石でできた噴水は月明かりを受けて、輝いて見える。
 その庭園の中央には木目調ながら、古臭さは微塵も感じられないテーブルがあった。
 わたしはその庭園を「すごい! すごい!」としか言えずに見回している。
 カシャという音が聴こえた。我に返って自分の行動を考えてし、顔から火が出るんじゃないかと頬を押さえる。
 先ほどの黒猫さんが器用にティーカップと紅茶、そして何かお菓子を持ってきてくれたのだ。
「さっ、席に座ってね。紅茶でよかった?」
「は、はい」
 そう言いながらわたしの視線は持ってきてくれた黒猫さんに注がれていた。
「ずいぶん、ローレンスにご執心のようね」
 仮面の女性は紅茶の準備をしながらそう言った。
「あっ、いえ、すいません……」
 うなだれるわたしの頭の方からクスクスという笑い声が聞こえてきた。

384 名前: 文学部(山形県) 投稿日:2007/04/15(日) 21:24:06.24 ID:2R/+C/4z0
 仮面の女性は「どうぞ」と言って紅茶を出す。作法もわからないわたしはただ恐縮しながら「ありがとうございます」と言って受け取る。
「さて、何か悩んでることがあったんじゃない?」
 悩んでいたこと。それは確かにあった。
 学校や成績。将来のことや家庭のこと。
 でも今はその悩みは……さっき空から眺めた風景が答えをくれた気がする。
 顔を上げると、仮面の女性へと言った。
「いえ、もう大丈夫です」
 わたしはこのとき初めて笑顔になったんだと思う。
 仮面の女性はその顔を見ると、紅茶のカップを優雅に傾けてから「よかった」と言ってくれた。音を立てずにカップを置くと、花の咲いている方へと歩いていく。
 そして、戻ってくると紙ナプキンをそれに巻くとわたしへと差し出す。
「それじゃこれは私からのお祝い」
 その手には一輪の赤い薔薇があった。
「あ、ありがとうございます……」
 その花を受け取り、薔薇を静かに胸に押し抱く。赤い薔薇がわたしの血の一部のように感じられた。
 そこでわたしはひとつ重大なことを忘れていたことに気がつく。
「あの、今さらですけど……」
「ん?」
 仮面の女性は小首を傾げる。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
 その言葉を聞いて、彼女は笑い声を上げた。
 ――だって、色々起きて名前のことなんて思い出すわけないじゃない。
 笑いすぎて息も絶え絶えになりながら彼女は答える。
「そうね。言い忘れてたわね」
 わたしはテーブルの上に少し身を乗り出して何度か頷く。
「私の名前は――」



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