【 ローカルルール 】
◆sjPepK8Mso




350 名前: 留学生(大阪府) 投稿日:2007/04/15(日) 20:38:07.56 ID:fFJ+K6XB0
 後二週間も残ってると言うのに。
 クラス委員の佳景山と来たらヤケに張り切って、クラス合同展示作品の製作を二週間も前倒ししている。
 他のクラスは今日のホームルームから作り始める、という所なのに結構な事だ。
 自分一人で頑張るというのなら誰一人として文句は言わないが、クラス全員を巻き込んでの事だから不満を言いたくもなる。
 が、簡単にそれを言ってしまうワケにも行きはしない。今年の文化祭はまがりなりにも中学最後の文化祭だ。
 佳景山が張り切るのもしょうがない事だし、全員でバックれるなんて事をする度胸は誰にも無い。
 実際一週間前にクラス全員で話し合って、建前上は張り切って参加するという事にしよう、と決めたばかりだ。
 しかし
「納得したつもりでも疲れる作業ってのはやっぱり疲れるなあ」
 やけに大きい横断幕を、小さい刷毛で赤に染めながら。成樹はうんこ座りをして左の甲で額の汗を拭く。
「お前ちゃんと日本語勉強したか? ちゃんと手を動かせよ。さっきから遥ちゃんと話してるばっかりで手が動いてないぞ」
「うるさいな、なんでお前に言われなきゃならんのだ」
 隣でただワンパターンに真っ赤な刷毛を動かし続ける東が言う。
 やはり不満げな顔で、口をへの字にしている。東と成樹と遥が担当している部分は、まだその五割以上をただの白が埋め尽くしている。
 途方にくれてしまう。もう朝から授業を潰してずっと赤色を塗り続けている。
「成樹さん、正しい日本語を使わないと言葉が綺麗じゃなくなっちゃいますよ?」
 遥も成樹の右で赤い刷毛を握っている。とりあえず、まずは赤を塗ってしまわなければならない状況。
「あ、もちろんその通りだって思うけどさ」
 東が急に口を尖らせる。刷毛を握る手にほんの少し力が入って、赤の絵の具が担任教師への愚痴を吐き続ける。
 ため息が出る。
 最後なのだから、と言った佳景山が用意した横断幕は教室の端から端までよりなお長い。
 教室の中に無理矢理持ち込むために教室最後尾のロッカーの辺りで一度折り返している。
 学園祭の出し物としては、その横断幕はほんのオードブルの様な物だ。
 最大でも十人ほどで完成させる予定になっているが、赤の下地を塗るだけでもう四日も掛かっている。
 中断できる授業は全部中断させてしまっていて、当組は同学年の他のクラスより二歩も三歩も勉強が遅れている。
「しかしなあ、クラス展示以外にもなんか出来たらまだ良いんだけどなあ」
 文化祭は、と付け足すような呟きはあっさりと宙に溶ける。肺から空気を搾り出すのも面倒な気がする。
「しょうがないだろ」
 と東。

351 名前: 留学生(大阪府) 投稿日:2007/04/15(日) 20:38:33.56 ID:fFJ+K6XB0
「食品店は衛生検査をパスしなきゃ出来ませんし、お化け屋敷なんかは後片付けとか何とかでやらせてもらえませんしねえ。PTAも検査するらしいですし」
 と指折り数えながら遥。
「いっその事こんな文化祭やめにしちゃえば苦労しなくても済むのになあ」
 人が見れば枯れた青春だと言うだろうか。いや、これこそが青春である。反語は一昨日の授業で習った。
「そういうこと言っちゃまずいだろー、佳景山泣くぞー、あれでも女なんだぞー」
 まあね、とため息をつく。別にフェミニストだとか言うワケでは無いが、女の子を泣かすのは趣味が悪い事なんだと思う。
「それよりも」
 興味津々な顔。遥はさっきのさっきまでしていた話をまだ引きずっていて、それを成樹から聞きたがっている。
「魔女狩りとか何とかってのは一体何のことなんですか?」
 訊かれた成樹は遠い目になって一昨年の秋を幻視する。幻聴までも聞こえ、とても懐かしい気分にはなる。
 なにをばかな。まだ中学生のクセに。
 しかし聞こえてくるのはしょうがない。おい、こいつラブレターもらってやがるぞ。制裁じゃ制裁じゃ、ものどもここに集えい!
 そして箒でケツを突付かれて、黄色いパンツが宙を舞う。
「成樹さん?」
「え、ああ。なんでも。魔女狩りって言うのは」
 東が説明する所には、つまりよってたかって一人の人間を血祭りにすることだ。
 なのに、成樹が魔女狩りって言われるのには実はワケがあって、それはつまり中世のヨーロッパで教会が権威を保つ為に、
 などと抜かし出した所為で遥はすっかり混乱してしまう。
 成樹が意外と器用な手付きで刷毛を使って、メモ帳の切れ端に「十字架に張り付けられて、大勢の人に囲まれて燃やされる魔女」を描く。
 東が一発成樹の頬に突っ込んで、遥があわてて止めるまで説明は続く。結局何の事だか分からない。
「目立った事をした男子が、つまりラブレターを貰ったり告白された奴を槍玉に挙げて、皆でからかったりすることなんだ」
 十数分に渡る説明の最後を締めくくったのが東だった。もちろんからかうなんてのは柔らかい表現をしたまでで、下手をすれば血を見る事だってある。
「男の人を槍玉に挙げるなら、なんで魔女って言うんです?」
 とでも言おうものなら、殴られたばかりの成樹が立ち上がって、
「それはつまり、魔女狩りでは男が罰されていたって事で――」
「お前は黙れ」
 次は頭に一撃。
 説明が長すぎて、遥には結局何がなんなのかわかったものでない。どう言う事なのか頭で整理している時に、

352 名前: 留学生(大阪府) 投稿日:2007/04/15(日) 20:38:55.58 ID:fFJ+K6XB0
「痛いなあ、お前もさっさと刷毛持てよ」
 と言って乱暴に振り返った成樹の左肘が、危険な軌道を描いていたのがわかった。
 成樹の背後には脚立があって女子生徒が一人、それに乗って背の高い看板に文字を入れていた。脚立の上には事あるごとにフラフラゆれるバケツと、絵の具の盛られたパレット。
 直撃軌道、危険なエンゲージ。弧を描いた肘が綺麗な角度で脚立を直撃し、脚立がぐらりと倒れる。東の丁度真横を脚立は通り過ぎる。
 ドミノ倒しのようなものだ。まず赤色であるべきでは無い部分に、青絵の具の盛られたパレットが落ち、その上にバケツの水が降りかかり、
 横断幕が薄い青色に染まったと思ったら、横断幕の向こうで箒チャンバラをしていた無法者代表の出席番号41番鷲辺が、水と共に流れるパレットを思い切り踏んづける。
 綺麗に尻餅をついた無法者は箒を勢い良く背後に放り投げ、薄っぺらいベニヤ板に直撃、思いもよらない角度と力で容易く粉砕し、それでも勢いを止めずに廊下側の窓ガラスにヒビを入れた。
 流れた水とガラスの破片が辺りに被害を撒き散らし、きゃーきゃーわーわーと黄色い悲鳴があっちこっちに突き刺さる。
「あれ」
 脚立を壊した当の本人と言えば、親の化粧瓶を割った子供のような顔をしている。
 さすがにまずいと思ったのだろうか。遥は暫く絶句した後に、成樹に向かって苦笑いをして見せた。

 「うーん」
 遥は成樹が描いた魔女狩りの絵を凝視する。聞いてわからなかったのなら、絵から何かを学び取れないだろうか。
 絵の中では火にあぶられる十字架と、それに重なる人。そしてそれを囲む、たいまつらしきものを持った棒人間の群れが描いてある。
 それから三十分が経ち、クラス中最も勇猛な指揮官・佳景山が教師に掛け合って大道具使用許可をもらって帰ってくる時まで騒ぎが止むことは無かった。
 騒ぎが止んだ所で佳景山が完全に脱力し切ってる事に気付いた、出席番号41番が叫ぶ。だんと一歩踏み込んでまだ片付けてないガラスの破片を踏みつける。
「だれだ! 俺たちの佳景山さんががんばってると言うのに、こんな事をした奴は!」
 お前だお前。などと言える奴はいなかった。鷲辺は無法者だけあって、このクラスを〆ているわけで、彼に逆らえる人間は理論上教師ぐらいのものだ。
 佳景山は俯いていて、ワナワナと震えていて、おまけに少し涙ぐんでいた。
「、かく、っかく、がんっ、ばっ、ろうっ、てっ、」
 あっという間に佳景山は泣き出す。大衆はこういう雰囲気に弱い。
 教室中が責任転嫁を始める。お前がやったんだろう、と言う声と何をやったんだよ、と言う声がぶつかり合った後に、鷲辺の顔がにんまりと笑う。どさくさにまぎれて教師に禁止されていたチャンバラをもみ消すつもりだ。
「えーと」
 遥はまだ絵を凝視したままで、騒ぎのことにはあまり気を回していない。
「あーあーあー、おらしらねっと」
 東は無実を決め込んだ。

353 名前: 留学生(大阪府) 投稿日:2007/04/15(日) 20:39:26.44 ID:fFJ+K6XB0
「皆! 今回何故こんなことになったか、確かめる為にも状況を整理したいと思う」
 みんながみんな状況に流されて、宣言する鷲辺に文句を言う奴は一人もいない。
「まず、俺は出しっぱなしだった箒を用具入れにしまおうと思って歩いていた。そうしたらキャンバスと水が流れてきて滑って転んだ。原因は誰だ」
 鷲辺の神経の太さについて、認識を改める必要があるなあ、と成樹は思う。なぜか他人事のような気分。
「ちょっと待ってよ、飛んできた箒が破ったベニヤ板はどーすんのよ、替えは無いんだよ?」
「それより原因究明が先だと思わないか!」
「それもそうだけどこの後どうしたもんだか、横断幕も青色になっちゃってるし」
「まー、どうにでもなるんじゃない? あと二週間あるじゃん。体裁だけ整えたら良いだろ」
 皆ばらばらになって叫び、またもクラス全体が流されてしまおう、という時に手が上がった。
 引っ込み思案で目立たない女の子だ。手を上げた所為で注目されて、怖がっているようにも見える。成樹には名前がどうしても思い出せない。
「なんだ、お前のせいか」
「あの、脚立の上から、絵の具と水を流したのは、私」
 なんだそうなのか、と言う空気がクラス中に立ち込める。
 女が相手になると男はすぐに掌を返して、悪意を持って行われた行為ではないのだからいいじゃないか、と言い出す。
 が、クラスの女子勢は逆にヒートアップして、おずおずしてれば男子が遠慮するとでも思ってるんじゃないの!? と言い出す。
 鷲辺は内心ほっとしていることだろう。箒チャンバラで今度教師にとッ捕まったら、図書室の掃除を一人だけでやらされることになっていた。
 鷲辺は真面目ぶった薄皮を顔に被せる。
「それで、お前が原因なのか?」
 と質問をすると、ゆっくりと首を振る。丁度三回振ってから、ピッタリ背後を指差す。指の先には他人事のような顔をしていた成樹がいる。
「え、おれ? 確かにそうかもしれないけどなんていうか」
 成樹は自分を指差す。
 よかったよかったコレで解決したという顔をしていた男子はまたも掌を返し、しげきてめー佳景山さんになんてことしやがったんだ、なんて言い出して、
 女子はさらにヒートアップして、なによいけしゃあしゃあと、おんなのこがじぶんからなのりでてしかもおとこのくせになんて。
「そういえばこんな学園祭なけりゃーいいのにとか言ってたよなー」
 東が窓の外を眺めながら言う。
 遥はさっき成樹が描いた絵を見て、ナイフの様な目付きで眺められる成樹を見上げ、何かを掴んだかのように掌と掌を合わせた。
 場の空気にそぐわない笑みを浮かべる。頭上で裸電球がにっこり笑った。
「てめー、そんなに学園祭したくなかったのか。そんなどうでもいい事で佳景山さんの気持ちを踏みにじって……」
 鷲辺がにやにやする。男子の一人が今にも噛み付きそうな目をしている。
 クラスのどこかで、男子が魔女狩りだ血祭りだと言う。

354 名前: 留学生(大阪府) 投稿日:2007/04/15(日) 20:39:54.60 ID:fFJ+K6XB0
「うわ、ちょっとまって、まだ話し合いの余地が」
「黙れ、ねーよ。ねーから黙れよ!」
「わっ、たしっ、いっ、しょーっ、けんっ」
「ちょっと、男のクセに言い逃れするなんてあんまりじゃないの! え!?」
 泣き声と怒声と腰の引けた腑抜け声が重なっててんやわんや。エンピツが飛んで消しゴムが飛んで机が飛んで縦笛が飛ぶ。
 やがて男子勢が皆皆さんおそろいで成樹に向かって駆け出す。
 遥は仏にでも祈るように掌と掌を合わせて笑ったままだ。声は出していない。菩薩のような笑みはしかし、この場に全く似合わない。
「うらー! 成樹の分際で女泣かせて只で済むと思ってんじゃねえぞコラー!」
 思いもがけない角度で拳が飛び、成樹はじりじりと後ずさる。
 それは男子学生が風呂場に群がった時などに良く見られる光景ととても似ている。
 魔女狩りとはローカルルールのようなものだ。カタツムリの事をデンデン虫と呼ぶのに似ている。
 解剖に似ている。
 遥は目まで瞑って微笑んでいるから何も見えやしない。
 真っ赤な怒声が響いて真っ赤な顔が乱舞して黄色い悲鳴が廊下に木霊して、
 遥は笑っていて、佳景山は泣きっぱなしで、名前も思い出せない大人しい女子は涼しい顔で何かをメモしていた。
 一人の涙で男子が猛り狂い、それを見て微笑む一人が居り、興味を持とうともしないのが一人。
「あー、魔女狩りなあ」
 遥たち三人の方がよっぽど魔女と言えると思う。東はナムナムと両手を合わせる。自分でも何に祈ってるのかわからないが、とりあえず血を見ないぐらいで済めば良いと思う。
 そして成樹の白いブリーフはいつのまにか窓枠を超えて、秋空の下に放り出されて宙を舞う。少しだけ黄金色に染まっている。
 成樹の名誉の為に言っておく。ほんの少し、本当にほんの少しだけである。



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