【 月だけが知っている 】
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305 名前: スレスト(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 16:48:34.56 ID:oy5wtRLH0
 爆音が夜空を翔けて行く。
 音の主は、私だ。
 破砕音。亜聖殻箒、インドゥルゲンティアの術式装甲が音を立てて瓦解する。崩壊率、約二十五パーセント。まだ焦ることはない。この程度、蚊ほども痛くない。
 速度をさらに上げる。音速などとうに超えている。しかしまだ速度は上昇していく。
 崩壊速度がゆっくりと加速していく。徐々に徐々に装甲が剥がれていく。問題ない、こんなものは飾りだ。もっと速く、もっともっと速く。音を超えた一陣の風は光をも超えようとするが如く翔けていく。
 と、そのとき。
「……あった」
 ――空に浮かんだ巌の砦。魔法が支配するその城を、人はペッカータと呼ぶ。
 ペッカータ……罪の名を冠すその城は、正式名称を魔道宮という。彼の地こそ魔境、人を外れし物どもが跋扈する悪魔の都。
 ついに、辿り着いた。
 ついに、戻ってきた。
 やっと、やっと悲願が叶う。
 今度はしくじらない。
 今度こそ。
 今度こそ――跡形も残さず消してやる。
 パン。
 結界を突破。
 パン、パン、パンパンパパンパパパンパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ。
 十重二十重に張られた結界をいともたやすく破壊していく。……笑えない。世界最高峰の魔法使いどもの、魔術の結晶がこの程度。
「……ふふっ」
 思わず口から吐息が漏れた。魔術を志すもので、ある程度の見識があるものならばこの結界の出来栄えには間違いなく賞賛の拍手を送るであろう。
アリンコどころかミジンコ一匹入り込む隙間すらないほどに繊細に編み込まれた、一種の芸術でもある強力なその術式は、しかし為す術もなく破壊されていく。あぁなんて……なんて楽しいことだろうか!
 術式装甲の崩壊率はすでに五十パーセントを超している。かまわない、予定通りだ。……むしろそれでいい。
 眼前に城壁が迫る。
「……あはは」
 笑いが込み上げる。もうだめだ、押さえきれそうもない。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
 箍が外れたように止まらなくなった嗤い声。
 楽しい、愉しい! 夢に見るほど待ち侘びた瞬間がもうすぐそこまで来ているのだ! 絶頂の如き歓喜が雷のように身を焼き、その次の瞬間には城壁に突っ込んでいた。
 ――爆砕音。

306 名前: スレスト(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 16:52:45.20 ID:oy5wtRLH0
『――緊急警報発令! 緊急警報発令! 何者かが施設内に侵入! 繰り返します! 何者かが施設内に侵入! 居住者の皆様方は速やかにシェルター内に非難してください!』
 ……通路の要所要所に設置してあるスピーカーが忙しなく捲くし立てる。喧しい。いわれなくともここにいるもののほとんどは事前に察知している筈だ。そういう傑物どものための坩堝、――団地といった方が聞こえはいいかな? そういう魔窟がここなのだから。
 ――それに、さっきの気配は。ここに居るものならば多少の覚えがある筈だ。いや、なければ困る。……まぁ新入居者なら知らないものもいるかな?
「とうとう、来た、かな?」
「うむ、ほぼ間違いなく彼女だろうね」
「……君は随分、余裕そうだね」
「うん? そう見えるかい? うれしいね。ではお礼に君に一つ心配をしてあげよう。――脂汗がすごいし、顔色がドドメ色になっている。いまにも死にそうだ、大丈夫かね?」
「せめて紫色って言おうよ! まぁそれにしても壊死気味な色だけどさ!」
「何を言うか、フツノ。折角のこの私の心配を無碍にするとは。――祟るよ?」
「……君に祟られると後を引きそうだよね」
「心外だね、私はそんなねちっこい事はしない主義だよ? むしろこう、一撃で葬る」
「そうですか……」
「だが心配せずとも私はフツノに対してそんなことはしないよ。さっきの? あれは言葉のあやというものだよ! 葬るというのはこう、目で殺すってことだ。悩殺だね、悩殺。悩み殺すとかいて悩殺。うむ、格好いいじゃないか」
「……リディル君、僕はおもむろに変なポーズとったり珍妙なポーズとったり、そういう奇行しはじめる人って、嫌いだな」
「うむ、その意見には概ね賛成だね。そんな奴は見てるだけで吐き気がするよ」
「君、鏡見たことある?」
「うむ、毎日見てるね。身嗜みを確りするのは紳士の嗜みだよ?」
「それならそのとき吐き気がしたりとかしない?」
「ふむ、おかしなことをいうね君は。体調管理も紳士の嗜みだよ?」
「末期だ……」
「いよいよおかしくなってきたね、大丈夫かい?」
「君のせいだよ……」
 他愛のない日常会話、……ん? 何か本題を忘れているような…。
「あぁ、そういえば先ほど来訪した侵入者――恐らくレーヴァの件だが」
「……本当にレーヴァ、なのかな」
「ふむ、先ほどもいったが、恐らく、確定だろうね」
「……」
「何をそんなにしょぼくれているのかね? フツノン」
「フツノンってなんだよ、フツノンって! いきなりラフな感じになるなよ!」
「うむ、やはり君は元気なほうが美しいね」

307 名前: スレスト(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 16:54:45.94 ID:oy5wtRLH0
「なっ! ……いやでも変態にいわれても嬉しくないような……」
「ふむ、私は変態じゃないので嬉しいわけだね。私も嬉しいよ」
「もう……いいかげんにしやがれ変態め……」
「ふむ、聞き分けのない子だね君も」
 ズズン。衝撃が走った。どうやらレーヴァはすぐそこまで来ているらしい。
 ……ふむ。
「――どうしたものかね」

 燃え上がる人口天蓋。青空がまるで夕焼け空の如く燃えている。もはやそこは阿鼻叫喚の有様だった。地獄絵図と化したその中心で、魔女は静かに嗤っている。
「うふふふふ……」
 研究所の『職員』――忌々しい虐殺者どもは、さっきまでに、ざっと数えて50人は殺した。
 まだだ。まだ、足りない。弟を殺した糞どもの陳腐な贖いにしては、まだまだ足りなすぎる。
「ひいいいいいいいいいい!」
 恐怖に引き攣った一人の男を見つける。衣服を確認、白衣。――『職員』だ。
「来るな来るな来るな! ――この、裏切り者の魔女め!」
「あなたたちがそれをいうの?」
 左手の箒を一閃。次の瞬間、男はこの世から消えた。
「これで、えーっと。……まだまだね、まだ――」
 ――まだ、殺し足りないわ。

 ここの内部構造は熟知している。幾ら五年近く外にいたとしても、全く変わっていない筈だ。ここを改装することは、いたるところに仕掛けられてある、防衛術式をも書き換えることを意味する。
しかし城内に密かに仕掛けられてある術式は、書き換えることはおろか、触れることすら出来ない。――そういう術式なのである。
 だから私は、五年間、この城を崩すために、跡形もなく破壊するために、このペッカータの建築者を探した。そして、やっとのこと、ペッカータの防衛術式をも破壊する魔法を、手に入れたのである。
 ――それがこの箒、インドゥルゲンティアだ。
 先ほど城壁をぶち破った際に、装甲は全て砕け散った。しかし、装甲は、ただの鞘。大半はさっきの超々加速と、術者にかかる負担の軽減のための術式に過ぎない。つまり現在の状態は、抜き身の真剣なのだ。
 これこそが、この城をも壊す力。神をも殺しかねないと伝え聞く、贖宥状と名付けられし魔法。
 界呪兵装、亜聖殻箒インドゥルゲンティア。
 ――曰く、箒とは魂を掃き集める神器であるという。インドゥルゲンティアを見遣る。幾何学的な意匠を凝らした棒を除けば一見ただの箒にしか見えない。
しかしこの箒、穂先の一本一本が高密度の呪いの塊である。よく見ればわかることだが、この穂先は全て人間の毛髪である。特殊な封印術をかけ、このような状態にしているのだ。
呪いとは、ある種の魔力。この沢山の穂先の一本一本には、この世の全てを呪った人の魂が、それぞれ入っているらしい。ゆえに、このインドゥルゲンティアは、穂先に触れたものがこの世のものであるならば問答無用で粉砕するという魔力の生成装置である。

308 名前: スレスト(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 16:56:32.91 ID:oy5wtRLH0
 インドゥルゲンティアでその辺の壁を掃いてみる。途端、穂先に触れたところから瓦解して行く。つまり、術式ごと破砕、昇華してるということだ。……いける。これで、これでこの忌々しい城を粉微塵に出来る! 途端、歓喜が身を包む。
もういいや、みんないっぺんに殺すことにする。あぁ嬉しくて堪らない! じゃあターミナルに急ごう、あそこはここの運営機関だ。破壊したらまずひとたまりもあるまい。
「やぁ。久しいな、レーヴァ」
 ……ターミナルに入ろうと扉をあけたとき、問答無用で真っ先に視界に入ってきたそいつらは、かつての旧友だった。

 一組の男女と一人の女が、扉を挟んで対峙していた。一方はフツノとリディル、もう一方はレーヴァである。
「レーヴァ、出会い頭にこんなことをいうのもなんだが率直に謂わせてもらおうか。――好きです、結婚して」
「……お前は突然何を言い出すんだ、頭が沸いたか?」
「リディル君、とうとう黄色い救急車を呼ばなきゃいけなくなっちゃったね……」
「おいおいおい冗談だよ冗談、イッツジョークジョークジョーク。場を和ませようと我ながら結構考えたんだよ?」
「……リディル君、僕は君の感性が疑わしいよ。――あ、そうか。変態さんだからこれでいいのか、納得」
「なにをいうかフツノ。僕は変態じゃない。文字通りそして見た目通りに、――天才じゃないか」
「……僕は君を天才と定義した人を疑うよ」
「ほう、君は僕を疑るというのか? ――まったく、こまったちゃんだね」
「もういいよ……」
 深く考えることをやめ項垂れるフツノを他所に、リディルはレーヴァを向き直し、そして告げた。
「――では、名残惜しいがストロベリートークはここまでだ。本題に入る。レーヴァ、ここを壊さないでくれないだろうか」
「断る」
「だろうな」
「リディル君……」
「しかしだね、私たちも、ここを居住区としているからね。ここを破壊されると宿無しだよ? ――それは、非常に、困る」
「だが」
「ああ、レーヴァ。君の考えももっともだ、なぜならば――君は弟をここ、ペッカータの『施設』の連中に殺されているからね。確かにあれだけ惨い殺し方をされれば。人体実験とは名ばかりの虐殺行為を行った――ここの『職員』も、怨まれて仕方ない。殺されても仕方あるまい」
「なら」
「だがしかし」
 またもや話を遮るリディル。
「私たちが、私とフツノが、宿無しになってしまうのだよ? ――他の凡愚どものことなど知ったこっちゃないが――それは途轍もなく、非常に、未曾有にこまっちゃうね」
「いいかげんうるさい! 邪魔するならお前らも一緒だ。死ね」
 いきなり、レーヴァは箒を二人に向けて一閃する。二人はよける暇もない。箒が二人にあたる、その直前。パチン、とリディルが指を鳴らした。次の瞬間、何事もなかったかのように、そこに何もなかったかのように、箒が二人をすりぬけていった。
「――な」

309 名前: スレスト(長屋) 投稿日:2007/04/15(日) 16:58:29.87 ID:oy5wtRLH0
「まったくこまったちゃんだね君も。人の話は最後まで聞くものだと教わらなかったのか」
「……リディル君がそれをいうかなぁ」
「お……おまえ、そ、な、なんで。なんで消えない!」
「簡単だよ、――私は天才だからね」
「……どういう類の魔術だ? なぜ消えない?」
「ふむ、君のその魔法は魔術を術者ごと消せるとでもいうのかね? ――恐ろしいね。しかし、だ。この私を、他の愚人どもと一緒にしないでくれないか? 馬鹿がうつる。――ああそれと、私たちはこのままここを降りさせてもらうよ」
「――は?」
「君はどうも聞き分けのない子らしいからね、退散することにしたのだよ」
「……そんなことは分かっていただろうに。ならばなぜここへ来た」
「ん? 愚問だね、それは。――レーヴァ、君に挨拶するためだよ」
「――え?」
 二人の言葉に、レーヴァは言葉を失った。
「な……わ、わたしはおまえらを、殺しにきたんだぞ?」
「私を凡人の尺度で測らないでもらおうか。それに、『自分を殺しに来た人とは特に仲良くしなさい』というのはフレンドリーシップ道の基本中の基本じゃないか、幼稚園で習わなかったのかね? それに――私は、その程度じゃあ死なないね」
「……く、ならばさっさとそこを退け。私はここを潰す」
「ああ、しかしまだ降りないよ? ……君も連れていくからね」
「――なんだと?」
「おっと、そんな嫌な顔をするなよ。君のことだ――大方、ここの連中と道連れに死のうとでもおもっていたのだろう?」
「……おまえらには、関係ない」
「たしかに、私たちには関係ない。しかしだねぇ、他ならぬフツノの心底よりの頼みごとだよ? ――私がそれを無碍になどできようはずもあるまい」
「……レーヴァさん」
 フツノがレーヴァを見据える。かなり真剣な顔だ。
「仇討ちは、一概には言えないけど、――悪いことだけどさ。君の正義観も知ってる。だからって。……だからって一緒に死ぬってことは、ないんじゃないかな? 君は、生きるべきだよ」
「……」
「――さて、レーヴァ。この誘いを受けて、君はどうするかね?」
「――私は」

 ――夜空には、音を立てて崩壊していく巌の砦。
 星の合間を縫うように翔けながらその壮大な光景を見つめる影が、二つだったのか、三つだったのか。
 知っているとすれば、それは月だけである。



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