【 勉強中 】
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165 名前: 酒類販売業(富山県) 投稿日:2007/04/15(日) 00:12:34.20 ID:ADIArj8p0
 ドイツへ赴任していた、兄貴夫婦が家へ帰ってきた。
 三年間の海外生活というのは、人間に大きく変化を与える。
 俺が感じる最大の変化。それは何故か外人の女の子を連れているところだ。
「こんにちは」
 笑顔で元気よく挨拶する女の子。発する日本語には違和感を感じない。
 年は中学生くらいか? 肩ほどに金髪を切りそろえ、紺色のニットにベージュのスカー
ト姿。夜明けの空を思わせる、透き通った蒼眼が美しい。
「ハンブルグの隣、ヴァルプルギスからやってきました。よろしくお願いします」
 女の子は丁寧にお辞儀をした。
 確か、ドイツは握手で挨拶じゃなかったっけ。それにハンブルグは兄貴の赴任地だから
いいとして、ヴァルプルギスって聞いたことがない。
「私は今、魔女コースで勉強中です」
 ……え、何て言った?

 ドイツは日本と違って、大学へ行くのは相当な競争倍率だそうな。多くの人は、小学校
を卒業すると、職人コースへ進学する。彼女は、その職人コースのひとつ、”魔女”を進
んでいる最中。十六歳の今年、教育の一環として働きながら勉強することとなったとか。
「市内に日本支店があります。そこで勉強しながら働くこととなりました」
 魔女だ? 頭が痛くなってきた。この子がこの年で働くのだ、真面目なのは分かるが。
「あのさ、魔女の仕事って、何?」
 角刈り頭をかきむしりながら、俺は尋ねた。
「ああ、すみません」女の子は口に手をあてがって笑った。「勘違いされているようです
が、魔女というのは職人コースのひとつです。その”魔女”の中にもいくつかの進路があ
ります。私は日本でいう薬剤師の部です」
 ああ、そういうことか。やっと納得いった。技術大国でもあるドイツで魔女なんてな。
 だが、もうひとつ気になるものがある。
 俺は、彼女の手元を指差しながら、少し顔を寄せた。
「それ、何?」
「これですか」彼女はにっこりと笑って”それ”を突き出した。「魔女のほうきです」

166 名前: 酒類販売業(富山県) 投稿日:2007/04/15(日) 00:13:20.62 ID:ADIArj8p0
 女の子は俺の向かいにある、空き部屋へ住むこととなった。鍵は無いがいわゆる下宿だ。
 兄貴夫婦がドイツ滞在中、よく三人で遊んでいたらしい。女の子は仕事から帰ると、兄
貴夫婦へと一目散に駆けていく。まるで子犬のようだ。
 その日の夕食は、普通に日本の食事。女の子は箸も上手で、何の抵抗もないようだ。
「ドイツでよくご馳走になってましたから。梅干とわさびは駄目ですけど」
 ほっぺたにご飯粒をつけながら、楽しそうに言った。
 ご飯の後、家族はテレビを見ながらくつろぐのが常だが、俺は大学のレポート提出期限
が迫っている。とっとと部屋へと戻ると、女の子も俺の後をついてくるようにして自分の
部屋へ戻った。
 勉強机でレポート用紙に向かうと、間もなく、微かな地響きが聞こえ始めた。
 まるで、縄跳びをしようと一回ごとに縄を引っかけているような、そんな間隔だ。誰か
が、いや、誰なのかは分かりきっている。
 レポートの邪魔にはならない。だが、どうしたものか。そっとした方がいいのだろうか。
間欠的に響くその音に、俺は顎にひとさし指をあてがい、ちょっと考えた。
「魔女、ねえ」
 俺にも覚えがあるが、空想でも真剣に信じられる時期ってのがある。そんな部分へ触れ
るのは、本人にとってタブーに近い。
 だが、そんな思いを好奇心が上回った。俺は部屋を覗くべく、廊下に出てドアノブをそ
っと回した。気付かれないようにほんの少しだけ押し、開いた隙間から息を殺して覗く。
 すると、そこには蒼い瞳がひとつ、こっちを見ていた。
「おおっ!」
 俺はカエルのように後方へジャンプした。心臓が炸裂するかと思った。
 部屋から女の子が出てきた。両手を組み、いかにも軽蔑したような表情で、俺の目前三
十センチほどで足を止めた。
「何かご用ですか」「あ、いや」
 まいった。一番恐れていたことが起こってしまった。
「日本の男はスケベですね」
 心底嫌そうな表情で、吐き捨てるように言った。
「いや、その、部屋からドンドンと音が聞こえたから」
 はっとした顔つきの女の子。思ったとおり触れてはいけなかったようだ、失敗したか。

167 名前: 酒類販売業(富山県) 投稿日:2007/04/15(日) 00:13:52.03 ID:ADIArj8p0
「ちょっとこちらへ」
 女の子は小さな声でそう言い、俺の手を掴んで自分の部屋へと促した。

 ほうきを掴んだまま、女の子が説明を始めた。
 ヴァルプルギスにおける魔女コースの中には、魔女養成部がマジで存在する。だが、殆
どの人はついていけない。だから、魔女にちなんだ観光業や薬剤師など実用部へ転向する。
後で魔女養成部へ戻ることもできるが、前例は殆ど無いらしい。
 まれにその地方では魔女としての資質を持つ人が現れる。魔女養成部はそういった人の
ために存在するので、自分もひょっとしたら、と、日々練習しているそうだ。
 俺にもその気持ちは分かる。誰だって、自分に特別な能力があるのでは、と思う時期が
ある。ましてや、この子はヴァルプルギスに魔女が存在すると思っているのだ、尚更だ。
「こうやって」
 女の子はほうきにまたがり、眼を閉じた。そしてほんの少しだけジャンプをする。
 俺は何が起こるかと息をのんだ。が、普通に着地した。
 ゆっくりと眼を開いてから女の子は、「あは、やっぱり駄目ですね」と、後頭部へ手を
回しながら、笑った。
「よく分からないが、難しそうだね」
 愛想笑いで俺は応じた。
「いえ、駄目だとは薄々分かっています」
 寂しそうに笑ってから、女の子はうつむいた。
 
 俺と女の子は、部屋の壁へもたれるように座った。女の子の目の前には先ほどのほうき
が転がっている。女の子が電気を消したので部屋は真っ暗。窓から染み込む、微かな月明
かりだけが部屋を照らしている。
「ほうきを見てください」
 月明かりの中で真っ白な、しなやかな指先がほうきを指す。ほうきのあちこちで、黄緑
色に光る物が見えた。
「夜光塗料?」
「そうかも知れませんが、よく分かりません。このほうき、おばあちゃんの遺品です」 
 女の子が言うには、数年前に死んでしまったそうだ。生前は殆ど力を失っていたが、若

168 名前: 酒類販売業(富山県) 投稿日:2007/04/15(日) 00:14:24.23 ID:ADIArj8p0
い頃は魔女として、何かと大活躍していたらしい。
「大好きでした。だから、おばあちゃんと同じように魔女になりたい。そう思って今では
誰も進まない魔女のコースを選びました。でも呪術は駄目、飛べない、何もできない。全
て悪あがきでした」
 そう言いながら微笑む女の子。だが、月明かりでも引き立つ唇に、力が入っているのが
分かる。女の子はゆっくりと、体育座りの膝へ顔を埋め、微かに肩を震わせ始めた。
 俺の人生で、女の子が真剣に泣く姿なんて、初めて見たような気がする。どうしていい
のか見当もつかないが、放っておくわけにもいかない。
「俺は魔女のことは分からないが、気が済むまでここで頑張れ。まだまだ時間はある。あ
きらめるのはもっと後でもいいだろ、な」
 柔らかく、ゆっくりと、精一杯のやさしさを込めながら言った。
 俺の気持ちが通じたのかは分からない。それでも女の子は微かに首を縦に振った。
 なんとかしてあげたい。だが、魔女のことを知らない俺に何ができるのだろうか。
 情けない。
 俺は首を横に振ってから、女の子と同じように、自分の膝へ顔を埋めた。

 それから数週間後の夜。
 呼び鈴が鳴ったので玄関へ出ると、グレーのスーツ上下の男が現れた。後ろには警官。
 物々しい来客に、俺の背筋が伸びた。
 スーツの男は、顔写真つきの身分証明証を見せた。運輸省航空管制局と書かれている。
「何でしょうか」
「毎晩、管制レーダーに反応する物体が、この付近から上昇していまして。航空法に触れ
かねない高度ですから、原因調査のために聞き取り調査をしているところです」
 それから続く質問にも、知らない、と答えつづけると、あっさりと役人は帰っていった。
 彼らが去った後も、俺は玄関で立ち尽くしていた。
 それが何を意味するのか心当たりはある。だが、本当なのか? 信じられない。
 俺は、無言で二階へと駆けあがり、女の子の部屋へ押し入った。着替えの真っ最中だっ
たが気にせず、俺は女の子へと詰め寄る。
「まさか、夜に飛んでるのって」「いやぁ!」
 恐怖と怒りの混じる女の子に、目一杯の力で突き飛ばされた。だが所詮は十六歳。たい

169 名前: 酒類販売業(富山県) 投稿日:2007/04/15(日) 00:16:01.95 ID:ADIArj8p0
した力は無い。ただ、礼儀として俺は二、三歩下がってから倒れてやった。
 慌てて服を着込む女の子。黒いブルゾンと黒いジーンズ、それに黒いマントだ。
「ちょっと待てよ。とにかく飛べるのか飛べないのか、説明しろ」
「だから、先週から急に飛べるようになったんです。もっとしっかり飛べるようになって
から、そっと言おうと思っていたのに、思っていたのに……いきなり何を!」
 そう言って、ほうきを素早く手にとり、窓を開いた。ほうきにまたがって眼を閉じ、少
しジャンプをした。
 ……足がたたみにつかない。浮いたままだ、浮いたままだよ!
「お前、やったじゃねえか! おい!」
 最大なる賛辞を絶叫したつもりだった。
 だが女の子は、「バーカ」と、舌を出し、旋風のように真っ黒な空へと消えていった。
 飛び去る一瞬に見せた顔、それはとても嬉しそうだった。

 次の朝。
 俺は、いつものようにベッドから降りた。そして部屋を出るためにドアを開けようとした。
 がつっとした衝撃がドアから伝わり、開かない。
 俺は寝ぼけているのか? 何かあったっけ。
「あ、おはようございます。今日から、鍵をつけましたので」
 ドアの向こうから女の子の声が響く。妙に明るい、いや、何か嫌味な色を含んでいる。
 俺は何度もドアをゆさぶる。だが、全く開く気配がない。
「昨夜のことをご家族へ相談したところ、外から鍵をかける許可を頂きました。鍵は私
が持ち、覗かれたくない時に自由にかけろと。では、失礼します」
「ざけんじゃねえ、火事で逃げられなかったらどうすんだ」
 俺の怒鳴り声に返事は無い。無視して一階へ降りていったのだろう。
 俺は、ドアにもたれながら体育座りをした。

 こんなことするなんて、あの子は正真正銘の魔女だ。



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