【 流されて大浴場 】
◆tGCLvTU/yA




229 名前: 張出横綱(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:26:45.93 ID:tL/wcsa40
 金色の玉を叩き出した代価。温泉旅行、それも四名様ご招待だった。
 ビバ、商店街福引。素晴らしきかな商店街福引、ありがたや、商店街福引。
「うはー……やっぱ家の風呂と温泉じゃ違うなー」
 俺が今こうして温泉宿の大浴場から絶景を眺めていられるのも、寂れ気味な商店街の町興し企画のおかげに
他ならない。きっと極楽というのは、こういう所のことを言うんだろうなあ。着いて早々温泉ってのもいいな。
 にもかかわらず、だ。
「いい加減諦めろって……親父」
 軽蔑の意味も込めて、向かい側に鎮座して景色をただぼーっと眺めている親父を見やる。
「なぜ、なぜだ。なぜ混浴じゃない温泉にしたんだ商店街の連中め」
 もういい加減呆れてくる。旅館に着いた三時間前からずっとこの調子だ。
 二十代でも通せそうな整った爽やかな顔立ちも今は暗く沈み、歳相応の哀愁が漂っている。俺も多少なりと
てこの人のパーツを受け継いでいれば、恐らく女の子には困らないことだろう。
「この前も親子揃ってボコボコにされたところじゃんか、いい加減懲りようぜ。俺はもうああいうのは懲り懲
りだよ。千早にもしばらく口きいてもらえなかったし」
 まあ、正直気持ちは分からないでもない。俺だって青い春を現在進行形で満喫しているわけだし、女の子の
体よりも興味をひくものなんて今の世界じゃはっきりいって存在しない。
「だからお前はダメなんだ……大輔。混浴じゃない温泉に意味はあるか? あったとしてもそれはどれほどの
価値があると言うんだ」
 相変わらず堂々と言い切りやがる。どこまで色狂いなんだよこいつは。
「いや、色々あると思うぞ……効能とか、それにほらこの景色とか」
 大体親父は全く理解していないのだ。この前の無茶な提案で俺は妹の風呂を覗くはめになってしまったし、
親父だって男性として色々再起不能になるほど母さんにこってり絞られたはずなのだ。色々と。事件の翌日
からいつも通りラブラブしていたのを鑑みるに、これは間違いない。
「効能? 景色? なんだそれは。どちらも温泉にしかないわけじゃないだろう。私はね、大輔。女の裸が
みたいんだ」
 なんというカリスマ。危うくその通りだと頷きそうになる。しかし同じ轍は決して踏まないのが賢い人間
の生き方である。もう木製バットフルスイングの刑は死んでもごめんだ。というか死んでしまう。
「大体裸ならいつも母さんの見てんじゃねえか。高校、大学とミスコンを総なめにして、一時期雑誌のモデ
ルまでやってたんだろ? 今も充分綺麗だし、それで足りないってのは贅沢だろ」

230 名前: 張出横綱(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:27:13.09 ID:tL/wcsa40
 ちょっと嫉妬深いのが玉にキズだけどな。今まで何度この親父が病院送りにされたことか。1
「ああ、その通り。母さんの美しさは恐らく日本一だろう。結婚するために何度土下座を重ねたことか。い
やあ、その話をすると夜が明けてしまいそうだな。しかしな、大輔。良いものは良いものはいい。世界一の
宝石を持っていたとしても、他に良い宝石があれば目移しても仕方ないだろう? むしろ見なければ失礼だ。
さて、というわけでそろそろ我慢できん。行ってくる」
 待て待て待て。今回ばかりは流石にダメだ。千早には釘を滅多刺しにする勢い注意を受けたし、母さんか
らだって、いつものニコニコ顔での無言の警告を受けた。正直ちょっとちびった。
「普通にダメー。大体行くってどこにだよ。まさか女湯に行くつもりじゃないだろうな! 露天だってこの
時間は誰も――」
「露天? ……ほう、初耳だな。この旅館は露天風呂があるのか」 
 しまった。と、思ったときにはもう遅かった。というのはよくあることだ。そう、今がまさにそれ。
「おかしいと思ったんだよ! そもそもあの商店街の連中が混浴を用意しないわけがない!」
 自分のアホらしさに絶望している横で親父は一気にヒートアップしていく。くそ、まだだ。まだ終わらな
いぞ。
「今回は絶対ダメだ! 本気で殺されるぞ……大体親父はあの二人が怖くないのかよ!」
 妹と母。我が家では絶対服従の代名詞。というより、どこの家庭でも女はやはり強いのだ。うちはただそ
れが少し顕著なのだけなのである。少し命の心配をしなくちゃいけない程度なのである。
「大輔」
 激昂する俺をなだめるように親父の手が優しく俺の肩に触れる。そこでふと、我に返る。この時二人とも
裸なので、傍から見るとかなり気持ちの悪そうな光景だ。
「離せよ……で、なに」
 いつになく真剣な親父の顔に、少し息を飲む。雰囲気がいつもの親父じゃない。
「価値の問題だと、私は思うのだ」
「価値?」
「そう、価値さ。女の価値は何で決まる? 私の場合は見られる、ということだ。そして男の価値はなんで
決まるか。決まっている。何回女の裸を見るかだ。ならば! ならばこそこれは! 男の価値を上げるため
の戦場に他ならない! いわばこれは、運命なのだ。私は私自身が定めた価値のために、戦って死ぬ。てい
うか理想的すぎる!」
 どっちにしても俺の中ではとっくに大暴落してることはきっとどうでもいいんだろうな。この物言いだと。
 しかし、斜に構えて聞いてはいるものの。ふつふつとこみ上げて来る熱い何かが俺の中で生まれつつあった。

233 名前: 張出横綱(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:27:37.56 ID:tL/wcsa40
「そして逆もまた然り。相手が戦場に立っている以上、こちらもそれ相応の礼儀で持て成すのが私のルール。
大輔、考えても見ろ。女が一糸纏わぬ姿、それも多数で和気藹々としているのだ。これはいわば据え膳!
据え膳食わねば武士の恥! いやこれはもう女の恥だ! 逆に聞こう、大輔。女風呂がある。それを覗かない
のは、女にとっても恥、そう思わないか」
 そもそも据えてない。据えてないのだ。だけど……だけど!
「思う……思うぞ親父ぃ! 失礼なことを俺はしていたのかぁぁぁっ!」
 湯船の中で膝をつく。崩れ落ちる勢いだったのでちょっとだけお湯を飲んでしまったが、そんなことはどう
でもよかった。ただ、ショックだった。俺の今までの過ちが。
「いいんだ、大輔……お前はまだ若い、失敗などいくらでも取り返せる。さあ、行こうじゃないか。我々と、
そして世の温泉好きな女性の価値を上げる手助けをしに――」
 俺はその言葉に無言で頷く。そして思うのだ、なんだかんだ言ってやっぱり俺はこいつの息子なのだと。
いつかきっと、俺もあんたのような……うわー、なんだろう。肩がすごく痛いぞー。
「二人で盛り上がってるのは、とても楽しそうでいいんだけど……そろそろこの大浴場は男女交代の時間だよ?
兄さん?」
 いたたた。お前の手が俺の肩にめりこんでるって。しかもご丁寧に水着まで着けてわざわざここまですること
はないだろ。確かに親父の魂の演説はやかましかったと思う。だけどこれは前回と違って未遂なんだ。いや、
前回の覗きも事故だけど。

236 名前: 張出横綱(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:28:20.21 ID:tL/wcsa40
「いや、とりあえずお前も聞くんだ千早。お前も俺の妹ならわかるはず。俺たちが風呂を覗きに行こうとしたの
は価値の問題なんだよ、なあ親父――」
「いやー、それにしても今日の母さんは一段と綺麗だなー。ははは! これが旅先で出会う女は二割増しで美しい
法則というやつかな? あれ、ちょっと待って母さん。持ち上げちゃだめ、しかもそっちは湯船じゃな、がぼちっ」
 奇妙な断末魔を上げて、親父は二度と演説することもなく早々と逝ってしまわれた。とりあえず本当に早く救急
車を呼んだ方がいいと思う。あ、俺の分も追加しないとな。
「さて、先ほど価値がどうやらとか言ってたみたいだけど。私にとっての女の価値っていうのはね、兄さんみたいな
女の敵を――」
 千早ちょっと待て、その動きは。体をゆったりと八の字に動かすその動きはまさか――
「あ、お前どうでもいいけどあんま胸がな――」
「捻り潰すことなんですっ!」
 でんぷしーろーる、というやつだった。いや、お前が運動神経がいいことは知っていたがまさかそんな技まで使え
たとは。やだ、鼻血が止まらない……。3
「お前だってなぁ……親父のあの話聞いたら、そう思う、って」
 朦朧とした意識の中で、辛うじて残った力を振り絞り、千早に言う。そうさ、あの魂の演説を聞けば誰だって――。
「聞いてましたよ。ていうか聞こえたからここに来たんです」
 ですよね。うるさかったですもんね。あれ、じゃあなんで。
「貴方たち変態さんとは……そもそもの価値観というものが、違いますから」
 あ、なるほど。こいつは一本取られたね、といったところで俺の意識は完全にお開きとなった。



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