【 授業料 】
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224 名前: 踊り子(兵庫県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:24:23.22 ID:lbs1v1FZ0
 市場は活気に満ちていた。この地域の食料から寝具まで生活用品はすべてそろうほどだ。
 麻で出来ている敷物の上に商品を置いただけの店が、広場だったはずの場所を埋めており、
 店の隙間に自然と出来た道で人々が交渉をしていた。
「じゃー、これでどうだい? おまけにこれつけるよ」
「おいおい、あっちでは赤魚と塩にスイカが二つだったのに」
 あちらこちらで貨幣や、時に物々交換によって交渉が行なわれる。みんな叫ぶような大声だ。
 俺も店を開いているうちの一人だった。
 既に日は高く昇り、持ってきた商品はもう残り少ない。
 そろそろ店を畳んで他の店を見て回ろう、と立ち上がった。

 この地域まで足を伸ばしたのは初めてなので、俺には馴染みのない香辛料や交易品なども並んでいる。
 珊瑚や琥珀などを横目で見ながら通りを歩くと、時にとてつもなく心惹かれる品物を見つけるが、
相場の分からないものに手を出す余裕はない。
 人ごみを掻き分け、人が多いというだけで興奮している子供や、
かごに一杯の食料を抱えているおばさんとすれ違い――時にぶつかり――歩みを進めた。
 そうして市を半周する頃、麻の上にでかでかと陣取る木彫りの像と、
それと良く似た格好でひざを抱え込んでいた爺さんの前を通り過ぎた瞬間、何か違和感を覚えた。
 反射的に振り向く。そうして爺さんの足元に、汚いその姿と対照的に光輝く短剣を見つけた。
 爺さんもこの視線に気づいたようだ。いかん、気取られた。振り向いておいて去るのは格好悪い。
「へぇ、爺さん、格好に似合わず綺麗なもん持ってんな」足を止めて、
極力興味なさそうに、かつ冷やかしながら尋ねる。
「おお、客人お目が高い。綺麗な短剣だろう? これは半年前北の砦跡で見つけたもんだ」
 さっと目を走らせる。一直線の刃に、金色の柄に刻まれた文字。数年前滅びた北の王国の物のようだ。
「なるほど綺麗だな。この柄の装飾も良く出来てる」一言断って手に取る。
 柄に貝を薄くした物がはめ込んであった。淡い虹色に輝く貝と金色の柄の対比が見事だ。
 光にかざすと貝に透けて赤い光が見えた。貝は、飾りか。奥に何か入っている。宝石かもしれない。
 とにかくこれはかなり手の込んだ代物だな。相場は3000くらいか。

225 名前: 踊り子(兵庫県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:24:53.07 ID:lbs1v1FZ0
「刃も柄も装飾もいいし、使い勝手だっていい。高いよ」にひひ、と笑う爺さん。
「高い? まさか。仮に砦から持ってきたものが正しいとしても一般兵士の護身用だろ?
せいぜい200ってところだな」あくまで安物の場合の平均相場を言っているように装う。
 爺さんはかぶりを振って、「話にならないね。1500は行くだろう」といった。
 1500? コイツ、装飾の仕掛けを知らねえな。知っていたら10000は吹っかけてくるはずだ。
「いや、まさか、300だろ」短剣なんて必要はないけど、儲けが出そうなら話は別だ。
 結局800と小袋に入れた小麦粉で交渉は成立した。
 よくこういう相手が商品の情報を知らないまま行なう商談を卑怯だという者がいる。
 しかし、悪いのは知識のない方である。もちろん素人を騙すのはいけないことだが、
この場合商人として暮らしていながら商品の価値を見誤っていることが罪なのだ。
 損をした時は、価値を見誤ったことに対する授業料だと思って笑い飛ばすしかない。
 物の価値を見抜くのが俺たちの商売なのだから。

 こうしていくつかの店で適当に買い物をして、まあ、高く見積もったり低く見積もったりで、
結局収支は少し黒字。短剣のおかげだった。
 市場の隅に腰を下ろした。ほう、とため息をつき、空を見る。
 太陽が色を変え、西の空を赤く染めようとしている。
 かなりの人が既に店を畳んで帰路についていた。
 そんな中に二人の子供がいた。白いシャツの、どこにでもいそうな子供に目を留めたのは、
子供らしく走り回っているでもなく、親と一緒に帰るでもなく、雑踏の中で二人だけが足を止めていたからだ。
 泣いている弟と慰める姉、というように見えた。歳は、十を越したくらいか。

226 名前: 踊り子(兵庫県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:25:31.52 ID:lbs1v1FZ0
「うー、お母さーん、お父さーん」と叫んで、大声を上げて泣き始めた弟を、
「もう! いい加減覚えなさい父さんも母さんも二年前の戦争で死んじゃったの!」と姉が怒鳴った。
 周囲の大人の中にもその子供たちの様子に気づいて足を止める人が出て来た。
 その時の、二人の様子を見て心がざわついた。
 北の戦争があったおかげで俺は短剣を売って今日の飯にありつける。
 あいつらはその戦争のせいで親を亡くし、今日の飯にも困っている。
 戦争をはさんで俺は利益を得て、あいつらは不利益を被っている。
 俺には、世界がゆがんで見えた。

 だがここで、俺の持っている商品をこいつらにやるわけにはいかない。
 商売の基本は交換である。タダで何かをやるというのはいわば施しであり、
売買という儀式に対する冒涜ですらある。
 幼くともこいつらが商人である以上、それは絶対的な法だ。
 万一施しがバレようものなら、俺は二度とこの地で商売できない。
 ましてあいつらが今日の食事にありつけたからといって明日もありつけるわけではないのだ。
 取れもしない責任を負うなんて偽善は、しない方がいい。
 周囲の人も手を差し伸べたいができない、と考えているのがその視線から痛いほど伝わってくる。

 姉の方は弟の手を引いて歩こうとしたが、弟は泣きわめいて頑として動かない。
 二人の周囲にはちょっとした人だかりが出来てしまったが、姉の表情はちらちらと見える。
ちょっと困ったような顔をして姉が弟を抱きしめた。そうしてゆっくりと歌を歌い始めた。
 歌は、下手だった。声の出し方なんてまるでなってないし、一定の拍ですらない。
 以前街で見かけた詩人と比べ物にならないほど下手だった。
 だが夕闇の迫る市場の隅で、小さな弟を慰めるために歌を歌う女の子の姿に、
なんといえばいいのか、ひたすら心揺さぶられた。

227 名前: 踊り子(兵庫県) 投稿日:2007/04/08(日) 23:25:56.81 ID:lbs1v1FZ0
 気づけば俺は、手にしていた商売用の袋を持って、人ごみを掻き分けていた。
 人垣の前に出て、袋から出した俺の夕食のパンを半分にわけて姉の方に突き出した。
 姉は、急に飛び出してきた俺に目を丸く見開いていた。
「やる。言っとくが施しじゃねえ。お前の歌が良かったから、その歌を聴いた代金だ。
お前の歌にはこれだけの価値がある」
 多分そういった俺の顔はとてつもなく真剣だったと思う。その時の俺は法なんてどうでも良かった。
 驚いていた女の子は、腕の中できょとんとしている弟からこわごわ手を離し、パンを受け取った。
 俺はまた人垣を掻き分けて出て行った。後ろの方で、大きな歓声に混じって
俺もこれをやる、俺はこれをやろう、という大人たちの声が聞こえた。
 背中を伸ばして歩きたいような、そんな気分だった。

 しかし十歩も行かないうちに呼び止められた。振り返ると短剣を買った爺さんがいた。
 夕日の中では、木彫りの像と爺さんの区別は困難だったが、今はどちらでも良かった。
「ほほ、お前さん、ここの市場は初めてか」笑いながらいう爺さんに、
「ああ」とは答えたものの、何でこの爺さんは俺が初めて来たと分かったんだろう。
 そう訝った目線を受けて、楽しそうに爺さんは語った。
「いやなに、あの姉弟の演技に金を出すのは初めて来たヤツだけだからな。
ほれ、そこの建物があいつら芸人一家の家」
 爺さんが指差した先には、街の中でも結構立派な建物。
「あ――」あいつら騙しやがった!
 気分が良かった分だけ、恥ずかしさが勢いをつけて背中を駆け昇った。
 昇ったが、熱い顔を太陽に向けながら
「あーあ、騙されたー。これからの商人には観劇のキョウヨウも必要だねー」
と、精一杯の強がりを口にして、俺はその場を去った。
 騙されたのは癪だが、演技を見抜けなかった俺の目が節穴だっただけ。授業料だと思おう。
 それに俺にとってあの感動には、出したパンの価値ぐらいはあったと思うのだ。





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