【 肩書き、買い取ります 】
◆DzHpA/9hyM




174 名前: 修験者(京都府) 投稿日:2007/04/08(日) 21:38:52.87 ID:GZ6ooJ2L0
 私は、延命治療を受け続けている私の娘、未央に会いに病院へやってきた。いつも元気に出迎えてくれる。だけど、彼女が
生きられる時間は限られている。 
 未央は高校卒業とともに病気で倒れ、さらにそれはかなり危ない病気だと言う事を医者に告げられた。日本ではまだ治療法
が確立されていないのだ。
 外国に行けば治す方法がある。だけど、手が届かないほど治療費が高い。
 夫が昔、交通事故で死んでから、パートを掛け持ちして、なんとか女手一つで育てている状況なのだ。とてもじゃない
が払えない値段である。
 私は当てができるまで、何とか持ち堪えてほしいと仕事の合間に病院へ訪れる。
 そんな私を未央は優しく励ましてくれる。その顔を見るたびに、私は胸に痛みを感じるのだ。
 しかしそんな母子に訪れたのはいい知らせではなかった。
 二つのパートのうち、片方を解雇されてしまったのだ。理由は掛け持ちをしていた事がばれてしまった事である。いや、それど
ころか今の社会はなかなか仕事が見つからなく、会社側は選び放題なのだ。そんな時に、私みたいな疲れきっているような人材を、
雇い続けてくれるはずもない。もう片方は何とか続けられそうなのが、不幸中の幸いだった。
 そして私のサイクルは、パート、職探し、病院に変わり、収入が半額になったことから家計は赤字になった。貯金どころではない。
 毎日、新しい仕事を探し回っても当然見つかるはずがなく、私は余計、疲れた表情になっていった。

 そしていつも通り、無駄に歩き回り日が暮れて、私は暗い路地裏を歩いていた時のことであった。
 「肩書き質屋」という古めかしい店を発見したのだ。窓からのぞくと、質屋と言うには物がない部屋で、初老の従業員
が一人、店の奥に見えた。
  視界を店の外観に戻し、壁に小さな看板があるのを見つけた。
「あなたの肩書き、買い取ります」
 私は「買い取ります」の文字につられて、なんとなく店のドアを開けてしまった。
 ドアを開けると取り付けられていた鈴が鳴り、初老の男がこっちを向いた。私は少し怯えたが、何とか店内に入っていっ
た。藁をも掴むような気分である。
「あなたお金に困っているね?」
 男が聞いた。私は少し驚いたが、こういうところに入る人間が、お金に困っているのは当たり前なのだ。
「あの。肩書き買いますって、どういう事なんでしょうか」
 男は微笑んだ。


175 名前: 修験者(京都府) 投稿日:2007/04/08(日) 21:40:40.62 ID:GZ6ooJ2L0
「どういう事も何もそういう事だよ。私は肩書きを買っている。そしてそれを売ってもいる。それを転がしてお金を稼
いでいるんだ。」
 壁には、お勧め肩書きが貼られていた。○○会社専務、や、映画俳優、他にはミスコン準優勝などというものもあっ
た。それを見つめていると男が近寄ってきて話を始めた。
「それは以前、私が買い取ったものだよ。それを転売するんだ」
「これを買ったら本当にこの肩書きが手に入るんですか?」
「あぁ、もちろんだとも。ただ自分に合わないものは続ける事ができないだろうがね。――ところであんたは買う人じ
ゃないだろう?」
 もちろんそんなお金は一銭もない。いい仕事の肩書きを得ても、働く労力があるかどうかもわからない。
「売るものは、なんでもいいんですか?」
「あぁなんでもいいよ。値段はこっちが決めるがね」
 私は壁に並べてある紙を、もう一度見てから答えた。
「じゃあ運転免許を……」
 男は、オーケーオーケーと言って書類を持ってきた。
「最初はね。それが一番無難だろうね。需要もあるもんだから」
 その後、差し出されたたくさんの書類に何度も名前を書き、免許証を差し出して取引は終わった。
「明日からは車に乗っちゃだめだよ。捕まっちゃうからね」
 もちろん私には車に乗る余裕なんてないし、ちょうどよかったのだ。私は手にした一センチほどの札束を見て思った。

 翌日、病院で医師に重大な事実を告げられた。
 未央の体がすでに限界なのだそうだ。医師は気の毒ですが、と言葉をにごらせた。日本の医師として、外国での治療
を薦める事も援助することもできないのだと言う。
 未央もそれにうすうすと感づいているらしく、少し暗い態度をとっていた。でも私と会話するうちにどんどん気分が
よくなってきたらしい。
 なぜなら私の顔には希望が満ちていたから。昨日一晩考えて売れそうな「肩書き」をリストにしてきたのだ。
 私が「お母さんに任せなさい!」と力強く言うと、未央はようやく無垢な笑顔を見せた。

 その夕方、私はあの質屋にいた。男に肩書きを売るためだ。リストを見せると男はにんまりと笑った。
「これはいいね。たとえばこれだ。名門△△大学卒業。こういう過去の成績は金持ちが欲しがるからねぇ」


176 名前: 修験者(京都府) 投稿日:2007/04/08(日) 21:42:25.76 ID:GZ6ooJ2L0
 他に、私が若いころに集めた資格達や、学生時代にやっていた部活の賞など。それを見て男はいいね、いいねと何度も言った。
「合計でいくらくらいになりますか?」
 男は電卓を取り出し何度かキーを押した後、私に見せた。だけどその数字は治療費に届かない値段だった。
「なんとかならないですか? もう少しお金がいるんです」
 男は首を振った。私はその場で考え込み、リストにもう一つ加えた。
「今って仕事が少ないんですよね?」
 加えたのは今働いてるパートの従業員、という肩書きだ。男はすぐにその分の価値を加えた。
 だけどそれもたいした値段にならなかった。落胆した私は、とりあえずそれらを売り払い、またなにか探そうと家に帰る
ことにした。
 
「お母さん駄目かもしれない」
 私は始めて未央に愚痴を言った。あの後家で散々考えても、もう売るものなんてなかったのだ。
「私、母親失格だわ。私があなたの母親である価値なんてない。」
 昨日とは打って変わった表情を見て、未央は優しく微笑んだ。
「お母さん。お疲れ様。私、今でも十分幸せだから。これ以上は求めない。だから無理しないで。お母さんの娘でよかっ
たと思うわ。十分価値のある人生だった。だからもう無理するのは止めて。」
 私は涙を浮かべて未央を抱きしめた。少し歪んだ声が出た。
「私もあなたの母親でよかった。あなたの母親で本当によかった。」
 そうして私は数分間の間そのままの姿勢でなき続けた。
 涙がひいてきたころ、私はもう一つ売ることのできる肩書きがあることに気づいた。
 それは他の肩書きと違い、売るには決意のいるものだった。

「まぁ確かに売れないことはないが。この程度だろうかな。」
 男が差し出した電卓を見るとわずかに届かない額だった。
「何とかあと少しだけ! 絶対必要なんです!」
「前から聞きたかったんだが、あなたがそれを売ってまでお金が欲しいのはなぜです? 場合によっては買取しませんよ。」
 そう言われ私はしぶしぶ説明をする事にした。娘の病気の治療費にお金がいる事、もう他に当てがないこと。
「未央の母親」と言う肩書きを売ってまで、娘を助けたいと言うこと。



177 名前: 修験者(京都府) 投稿日:2007/04/08(日) 21:45:10.17 ID:GZ6ooJ2L0
 それを聞いた男は、いつもの笑顔で電卓をたたきなおした。そしてそれを私に見せた。なんとそれは、必要な治療費をぐんと抜
くほどの金額であった。
「娘との関係を売る母親、と言う肩書きなんてたいした額になるはずがない。それがさっきの値段だ。でもあなたは違った。娘の
ために娘との関係を売るんだから。そんなに素晴らしい母親これくらいの価値があってもいいだろう? これは良心ではない。さ
っきの査定が間違えてただけなんだ。」
 私は、泣きながらお礼を言った。でも男は「商売だから」と言うだけだった。それでも私は娘を助けられるということが嬉しく
て何度もお礼を言った。
「あ、それと図々しいんですが」私はつけたした。
「その肩書きを誰かに売るときは、かなり高額で取引してもらえますか? 未央の次の母親はお金持ちのほうがいいと思うので」
 男は優しく微笑んで頷いた。

 あれからもう五年経った。私はあの店を出た瞬間、母親でなくなったのだから匿名で未央に寄付した。もちろん余りの分もす
べてだ。それで外国へ行き、見事に手術は成功したと言うことだけ聞いていた。
 私はなんとか再就職したけれど、生活は一向に良くならなかった。でも、どこかで未央が生きていることを考えると、私は嬉
しい気分になる。会えなくてもどこかで生きていると言うだけで、嬉しくなるのが母親と言うものなんだ。
 いつもの勤めを終えて、家に帰ると電話がかかってきた。かけてきたのはどうやらあの質屋の男だった。
「あの肩書き、買い手がつきましたよ」
「本当ですか! どんな方なんでしょうか」
 それは会った方がいいでしょう。男はそう言って、今から店に来るように言った。もちろん私はすぐに服を整えて店に向かった。
 店に着くと男は嬉しそうに笑っている。私は辺りを見回した。
「えと。で、その人はどなたなんでしょうか? どこに?」
「まぁそう焦らずに、ちょっと話を聞いてください」男は言った。
「人間関係の場合は、セットで買い取り、そしてセットで売りに出すんですよ。つまり母子の場合、娘の母親と言う肩書きと、
母の娘と言う肩書きを一緒に買い取り、並べて売るんです。だってそうでしょう? 片方だけ売買すると、食い違いが生じますからね。」
 そのあと男は奥の部屋のドアを開けて奥にいる人間を呼んだ。


178 名前: 修験者(京都府) 投稿日:2007/04/08(日) 21:47:06.90 ID:GZ6ooJ2L0
「未央さん。お母さんが来ましたよ」
 私はあまりにも驚いて腰が抜けそうになった。奥から出てきたのは髪が伸び、顔も少し大人びた、未央だ
ったのだ。
「お母さん。お久しぶりです。またあえて嬉しい」
 私は頭がこんがらがった。私は五年前、確かに未央の母親ではなくなっているのだ。
「私はあなたのお母さんじゃないのよ?」
 私がそう言うと、未央は首を振った。すぐに男が間に入って説明を始めた。
「未央さんが買ったんですよ。あなたの娘と言う肩書きを。あなたの言うとおりかなり高額で売りに出して
いたのに」
 私の視界が嬉し涙でぼやけた。未央が買った? そんなお金どうやって――。
 未央も顔をゆがめながら口を開いた。
「言ったでしょう? 私は価値のある人生だったって。あの程度の値段、お母さんの苦労に比べたらたいし
たことなかったよ」
 私はおもわず未央を抱きしめた。そのままずっと抱きしめていた。ずっと。
 初老の男は微笑んでいた。ずっとずっと。
 もう、いくら札束を積まれてもこの肩書きだけは売れないな。
 だってお金で買えるものであるはずがないんだから。



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