110 名前: 留学生(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 14:35:50.37 ID:PQSYRaVV0
その日、隣のベッドに女の子がやってきた。
初めてその子を見た時、一瞬、天国へと迎えに来てくれた天使かと思ってしまった。
朝の光と相まって、とても綺麗に見えたのだ。事実彼女はとても美しい少女だった。
見た目私と同じ十四、五歳の彼女。名前を聞くと、夜美(よみ)という名前らしいことがわかった。
らしいと表現する程あやふやなのには理由がある。
「私、記憶がないの」
なんとなく名前だけ覚えているらしい。
「夜美でいい。私はあなたをなんて呼べばいい?」
こうして向き合うと、改めてその美しさに見とれてしまう。
私は夜美の黒水晶のような瞳を見ていた。それに吸い込まれるような気がしてボウッとしてしまう。
「どうしたの?」
夜美はその瞳をパチクリさせた。
「あ、ごめん! 私は燿子、宮澤燿子です。へへ、私も燿子でいいよ」
照れくさく笑う私に彼女は小首を傾げてみせる。
「何か嬉しそう?」
「あ、うん。私長い間ここで生活してるから、同い年の友達が少なくって……だからちょっと嬉しいかも」
そう言って布団に顔を半分埋める私……夜美は微笑んでくれた。
「私も記憶がなくて一人ぼっちだから、友達になって貰えたら……嬉しい」
立ち上がり私のベッドに腰を掛けた夜美は「よろしく」と手を差し出す。私は、
その細く透き通るように綺麗な手を握り「よろしく」と笑って返した。
夜美が来てから、退屈だった病院生活は今までと比べものにならない程楽しくなった。
私の大好きな小説を彼女に貸してあげたり、一緒にテレビゲームをしたりして遊んだ。
趣味で描いている絵本も読んでくれた。面白い。もっと読んでみたいって言ってくれた。
次第に自分自身の事も話すようになったっけ。私の、泣き言も聞いてくれたんだ。
ある日の夜の事。
「燿子はここにどれ位いるの?」
111 名前: 留学生(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 14:36:25.73 ID:PQSYRaVV0
「もう八年になるかな……長いよー」
私はしみじみと呟き、大きく溜息をつく。夜美は少し悲しそうな顔をして口を開いた。
「長いね。でも燿子が羨ましい……暖かそうな家族がいるもの」
夜美にも家族はいる。少なくとも、着替えや日常品を母親らしき人が定期的に持ってくるのを私は何度も見ていた。
しかし、夜美はその母親に対して他人行儀で接している。母親の事も思い出せないのだという。
私は「夜美の方も羨ましいよ」と胸中で呟いた。
「そうだね。でも、私も記憶喪失になりたい……んーん。いっそ消えて無くなりたい」
不思議そうにその澄んだ瞳を大きくする夜美。私は続けた。
「だって八年もお母さんやお父さん、家族に迷惑かけているんだよ? いらない子だよ私……」
ハッとした私は夜美に対してとても失礼な事を言っている自分に気付いた。
「ご、ごめん。夜美の辛さが楽だなんて……私どうかしてるわ」
「ううん、気にしない。そうね……自分の在る意味を持っていないということはとても苦しい事だわ……辛かったね」
私は泣き出しそうだった。ニコッと寂しそうに笑って頭を撫でてくれる夜美に、堪えきれなかったのだ。
しんみりとしないように振る舞っていた自分を捨てて、私は彼女の肩の上で嗚咽をあげ、また彼女もその頬を濡らした。
「燿子? 私燿子の絵本が読みたいな。新しいお話。出来たら見せてね」
その言葉はまるで、私が在る意味をくれるように優しい響をしていた。
私は夜美と約束した通り、気合いを入れて絵本の制作に取りかかった。
その物語は、彼女と初めて出会った時のイメージを膨らませて描くことにした。
きっと素敵な作品ができる。そう信じて描き始めた。
絵本を描くのはとても楽しい。しかし、それ以上に読んで貰う人がいる喜びが私を動かしていた。
……でも、動き過ぎて無理をしてしまったのかもしれない。
そう、私の様態は急に悪化してしまったのだ。
病室を移され、幾つもの物々しい機械達が、その吹けば飛ぶような私の命を止めている。
結局絵本は完成できなかった。最後まで描き上げれなかったのが、今の私の一番の心残りである。
夜美にも会いたい。面会謝絶なんか知ったことではない……来て欲しい。
112 名前: 留学生(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 14:36:58.55 ID:PQSYRaVV0
「――こ。ようこ。燿子」
段々と大きく聞こえてくる誰かの声に私は目を覚ました。
そこは私が寝ている病室……の筈なんだけどいつもと違う。視界の全てがセピア色をしていた。
壁に掛けられた時計に目をやると午前二時。それよりも、秒針が動いていないことにギョッとする。
目の前には夜美が立っていた。
「夜美……どうして?」
どうしての意味は二つ。
何故ここにいるのか?
そして何故そんなに大きな鎌を持っているのか?
「私……全てを思い出したわ」
そう言って悲しそうに微笑む夜美。私は解ってしまった。
夜美は死神だ。
「燿子の絵本読んだよ……不思議。これって運命なのかな? なんて……皮肉なお話なのかしら」
「そうだね……でもあれで終わりじゃないんだよ?」
私は苦い笑みを浮かべた。こんな状況でなんだけど、笑うのも久しぶりだと思った。
「夜美は――夜美は私の命を摘みにきたんだよね?」
夜美の首はゆっくりと縦に動く。その瞳は、黒水晶のように澄んではいなかった。ただその代わり、
その頬に一筋の滴が流れ零れた。
「いいよ……夜美が連れて行ってくれるなら……私嬉しい」
私は笑って見せた。苦しみから解放される喜びと、夜美に罪悪感を持って欲しくない気持を込めて。
夜美は鎌を大きく振り上げる。その鎌はとても美しい造形が施されていたが、夜美には似合わないと思った。
私は鎌から視線を外す。
大好きな友達を見ながら逝こう。ありがとう夜美。仕方ない事だし夜美に出会えて本当に良かった。
そして鎌は振り下ろされた。
――燿子の絵本
在る所に、心優しい死神の少女がいました。
113 名前: 留学生(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 14:37:36.97 ID:PQSYRaVV0
少女は、いつも母に一人前の死神になりなさいと怒られていました。
しかし少女は、人の命を摘む事ができません。
そこで母親は最後の試練を少女に与えます。
それは、人として過ごし、仲良くなった人の命を摘むというものでした。
この試練を乗り越えられなければ、あなたを捨てますからね!
何もかも忘させられて舞い降りた人の世界。そこで一人の少女と出会います。
何も覚えていない死神の少女は人の少女と友達になりました。
しかし、その少女の病状は悪くなり、その命はあと僅かとなってしまいました。
その時、死神の少女は全てを思い出しました。少女の小さくなった命が、試練を思い出させたのです。
遂に少女の命を摘む時がやってきました。
私の絵本はここで終わってしまっていた。でも、私は今この続きを描いている。
物々しい機械から解放されて、戻ってきた元の病室に、もう夜美は居ない。
それどころか、夜美の存在を覚えている人が誰もいない事に私はとても驚いた。
彼女はやはり死神だったんだ。
寂しい。また隣のベッドにひょっこり現れないかな?
そうじゃないね、私の絵本に夜美がいる。描こう。初めから頭の中で描いていた物語の続きを……。
114 名前: 留学生(愛知県) 投稿日:2007/04/08(日) 14:38:19.15 ID:PQSYRaVV0
人の少女の命を摘む鎌を振り上げて降ろす死神の少女。
しかし、その切っ先は的を得ずに少女の横を過ぎていった。
そして死神の少女は人の少女の前から姿を消してしまいました。大粒の涙を残して。
母親に呆れられ、捨てられた死神の少女。
私には存在する意味も価値もない。そう呟いて蹲った少女の元に神様が訪れた。
君はとても優しい心の持ち主だね。それならば天使になりなさい。
神様の言葉は光を紡ぎ、彼女を包む漆黒衣を光へと変えていきます。
こうして、死神の少女は人々に幸福をもたらす天使へとなりました。
終
最後のページ、嬉しそうに微笑む天使を描き終えた時、私は夜美を最初に見た時の事を思い出した。
あれは天使だった。今でもそう思える位彼女は眩しく見えた。
夜美が居た隣のベッドに目を向けると、何故かその上には一枚の真っ白な羽が乗っていた。
大丈夫だよ夜美。心配しないで。私も変わるよ。
今は自分の在る意味なんて無いのかもしれない。でもそれは生きていく上で築きあげていくもの。
生きていれば、無限の可能性がある。
きっと、きっと夜美が天使へと変れたように……私もいつか。
<終わり>