【 ロリコン探偵の事件簿そのいち 】
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103 名前: 保育士(東日本) 投稿日:2007/04/08(日) 14:13:03.27 ID:MiRN8w4j0
 住宅街の中の何の変哲もない歩道に、一人の少女がしゃがみこんでいた。
 道そのものの交通量は少ない方だろう。時折、ぶん、と車が走る音がする以外は、とても静かな昼下がりだった。
 背中に陽射しを受けながら、しゃがみこんだ少女はじっと何かを見つめている。
 小学校低学年のように見えるその顔は、真剣そのものだった。
 そんな少女の三メートルほど背後に、同じように背中に陽射しを受けながら一人の男が立っている。
 身長は高く、顔つきは端正だ。年齢はまだ二十代の前半に見える。
 スキンヘッド、丸いサングラス、びしりと着込んだスーツに革靴。季節が春でなかったら、暑くて耐えられないだろう格好。
 そんな彼は今、三メートルほど前にいる少女を、一心に見つめている。
 手をあごに当てて、まるでかのロダンの有名な彫刻を上半身だけ再現するかのように。
 昼下がりの歩道で、男と少女が、一定の距離と沈黙を保ったまま動かずにいる。
「あ、ろりこんだ。何やってるの?」
 そんな沈黙を破ったのは、男よりも少し若いであろう女の子だった。
 PTAやワイドショー好きのおば様方なら顔をしかめそうな単語を何事もなかったかのように発してみせたその女の子は、しかしいわゆる美人の類に入るのだろう。
 薄く茶色に染めたショートヘア、初春にふさわしく薄手のジャケットを着て、片手には買い物袋をぶら下げていた。
「む、奈緒か……いい加減ろりこんと呼ぶのはやめろ。名前で呼べ」
 ろりこんと呼ばれた男が返事し、奈緒と呼ばれた女性がそれに答える。
「名前で呼んだじゃん。ろりこんたろう。違うの?」
「断じてろりではない、なみざとだと何度言えばわかるんだ。浪里紺太郎だ、間違えるな」
 丸いサングラスの奥の瞳が、奈緒を睨んだ。けれど奈緒はそれに臆する様子もなく、あっけらかんと答える。
「わかったよ、ろりこん」
「き、貴様……狙ってやっているな」
「当たり前じゃん」
 彼らはこんなやりとりを、今日までもう何百回と繰り返していたのだった。
「で、社会不適合的幼女愛好者ことロリコンは何を見てるの?」
「ロリコンじゃない、幼女研究家と呼べ」
 ロリコンと呼ばれた男は、三メートルほど先の少女を見つめながら答える。
「どっちも嫌だよ……それはどうでもいいんだけど、何見てるのさ」
「見ればわかるだろう、幼女だ」
 答える際も、やはりロリコンは……浪里は、視線をまったく動かさない。もはやまばたきすらしているのかすら怪しくなる。
「そりゃ見ればわかるわよ。だから、あの子の何を見てるのさ」

104 名前: 保育士(東日本) 投稿日:2007/04/08(日) 14:14:09.93 ID:MiRN8w4j0
「単に見ているわけではない。仕事だ、幼女研究家としてのな。一体何が彼女の興味をあんなに惹いているのか、俺は突き止める必要がある。そう思わんかね、ワトソン君?」
「そんな必要ないでしょ……っていうか誰がワトソンよ。字は似てるかもしれないけれどロリコンの助手がワトソンだなんて私は認めないわ」
 あきれながら奈緒は思う。いつもこうなのだ。
 根は良い奴なんだけれど、犯罪者スレスレのこの趣味だけはいただけない。同じボロアパートの隣室同士じゃなかったら、そもそも会話すらしていないだろう。
 そんな奴に平然と接する自分も、相当アレかも、と奈緒自身は時々思うのだが。
「私はもうアパートに戻るから」
「待て、彼女が何を見ているのか確かめてきてくれないか」
「何で私が」
「俺が近づくと、概して幼女たちは逃げるからだ」
「………」
 それでも奈緒は少女の前に回り込んだ。ああ、アホな私と思いながら。
 下を向くと、少女の表情こそ見えないものの、その視線は少女自らが作り出す影の中にある何かに、固定されているようだった。
 それは、蝶の死骸だった。
「そんな蝶の死骸を見ていて何が面白いんだろうか……俺にはわかりかねる」
「さあ。ってかあんたも死ねばあの子にじっと見てもらえるかもしれないわよ?」
「名案だ。しかし実行する度胸は俺にはないな。何より俺が死んだら幼女たちをもう見られなくなる。そうなると幼女たちが悲みに打ちひしがれるだろう」
 浪里と奈緒は、少女から三メートルほど離れた場所に再び立っていた。暖かな春の風が吹いて、奈緒の髪と浪里の髪のない頭を撫でる。
「蝶の死骸ごときがあの少女にとってどんな価値があるのだろう……理解できん。いや、きっとあの蝶の死骸には何かあるに違いない。これは事件の予感だよワトソン君」
「あんたの脳ミソにどんな価値があるのか私は知りたいよ」
 しかし浪里は奈緒の言葉に耳を貸さず、周囲の住宅街を見回している。
「ロリコン、何探してるの?」
「……蝶、いないな」
「試しに殺すつもりかい!」
「研究に犠牲はつきものだ」
 浪里は、その丸いサングラスをくい、と押し上げながら言う。
「あんたが蝶だったらいいのに……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「代わりに死ねってことよ!」
 そう言われても、浪里に気にする様子など見られない。
 もう一度だけ周囲を見回すと、浪里は諦めたような顔して言う。

105 名前: 保育士(東日本) 投稿日:2007/04/08(日) 14:14:43.23 ID:MiRN8w4j0
「奈緒、俺は虫取り網を取りにアパートへ戻るからここで待っていてくれ」
「ええ? 私だってアパートに戻る途中なんだってば」
「それは困る。どちらかが彼女を見ていないと、戻ってきたときにいなくなっていたら大変だ」
「いや、だから、ロリコンがあの女の子の観察を諦めれば万事解決じゃない」
「それは駄目だ。俺はあの蝶の死骸の秘密を解き明かし、彼女に好かれなければいけない。それが幼女研究家の使命だと思わんかねワトソン君」
「黙れピーマン以下の脳ミソしか持たないロリコン偽ホームズめ」
 少女はまだしゃがみこんで、蝶の死骸をじっと見つめている。あれからもう五分以上は経っているはずだ。子供の好奇心は、なかなかにすごい。
 ここに至って奈緒も、あの蝶の死骸がどうしてあんなに少女の興味を惹くのか、少しだけ気になった。
「ったく、わかったわよ。どうしてそんなに蝶の死骸を見つめているのか訊けばいいんでしょう。訊いてくるから、いい年こいたロリコン野郎が昼間っからスーツ着て路上に立つのはやめてくれる?」
「ふむ、俺は彼女に関する謎が解ければそれでいい」
 奈緒はすたすたと歩き出した。そして少女の横に立ち、話しかける。
「ねえお嬢さん、何を見てるの?」
 少女からの返事はない。
 奈緒はしゃがみこんで、少女と同じ目の高さからもう一度話しかける。
「何か面白いもの、あったの?」
 それでも少女は答えずに、真剣な眼差しを地面に向けている。その視線の先にはやはり蝶の死骸があるだけで、奈緒は困ったように立ち上がると、浪里の傍へ戻った。
「駄目、反応ナシ」
「困ったな。同僚に顔向けできん。研究家失格だ」
「ロリコンの時点で人間失格よ」
「やはり蝶を一匹殺してみるしか……」
「だからその前にあんたが死ねばいいのに」
 浪里は再びあごに手を当てて、考えるそぶりを見せた。こんこんこんと、革靴の先がアスファルトの路上を打った。
「実は彼女は熱心な昆虫マニアで、実はあの蝶の死骸は相当に珍しいものだとか」
「見た感じ、普通のモンシロチョウよ」
「実は彼女は北極か南極からやって来た人で、モンシロチョウを生まれて初めて見るとか」
「どう見ても日本人じゃないの」
「実はモンシロチョウを食べたくてたまらないとか」
「それはただの変人でしょう。ったく、あんた探偵失格ね……」
 浪里はぬう、とうめき声を上げた。
「考えろ、考えろ、モンシロチョウの死骸の価値……モンシロチョウの死骸の何が彼女の興味を惹くのか……」

106 名前: 保育士(東日本) 投稿日:2007/04/08(日) 14:16:33.36 ID:MiRN8w4j0
「あの女の子に訊くしかないんじゃないの? 価値とか興味って、人それぞれじゃないかな。でも、答えてくれないし……」
 浪里も奈緒も途方に暮れかけた、そのときだった。
 二人の目の前をふと、モンシロチョウが横切った。
 浪里は目にも留まらぬ速さで動いた。気づけば目の前からモンシロチョウは消えていて、その死骸は浪里の手の中にあった。
「さすがの私でもそれは引くわ」
「それはツン……ツン、なんだっけか。まあいい、ほめ言葉だと受け取っておく」
 断じて私はツンデレなどではない、と奈緒は思う。
 そんな奈緒の横で、浪里はじっとモンシロチョウの死骸を見つめている。
「わからん、何が面白いんだ。どこに価値があるんだ。どのあたりが興味を惹くんだ。ワトソン君はどう思うかね」
「助手にすがりつく探偵が主人公の推理小説なんて、誰も読まないと思うわ」
「敵に塩を贈らなくてもいいじゃないか」
「傷に塩を塗りこむんじゃなくて?」
「それはどちらも同じ……ん、あ、ひらめいた」
「え、何?」
 浪里は急に奈緒に向き直った。サングラスの奥の瞳に見つめられ、奈緒は少しどきりとする。
 浪里はモンシロチョウの死骸を指でつまみ、空いた手でサングラスをくい、と押し上げながら言った。スキンヘッドが陽射しを浴びてきらりと光った。
「これを彼女にプレゼントすればいいんだ。そうすれば俺に対する好感度もアップし、かつ彼女にも逃げられずに済む。まさに一石二鳥」
「勝手にして」
 奈緒は呆れたふうにそう言う。少女はいまだに地面に視線を落としている。その視界の中を、浪里が少女の方へと進んでいく。
「……ったく」
 奈緒もあわてて、浪里についていく。
「おほん。お嬢さんお嬢さん、目に入れても痛くないくらい可愛らしい貴方に、とっておきのプレゼントがあるんだ」
 浪里がそう言っても、少女は反応しない。浪里はしゃがみ込むと、手のひらに載せたモンシロチョウの死骸を見せる。
 ふと、少女がそれを見た。そして初めてその口を開く。
「地面に置いて。早く」
 たったそれだけの言葉。けれどそれに従う浪里。頷く少女。そして浪里と奈緒は、それを、見た。
 先ほどからあったモンシロチョウの死骸の、その姿を。
 バラバラとなった、その姿を。
 羽が頭が胴体が足が体のあらゆるパーツが全てもぎ取られ、よく見るとそれぞれが動き回っている。
 先ほどはいなかったはずのアリが、死骸の周りにびっしりと群がっていた。

107 名前: 保育士(東日本) 投稿日:2007/04/08(日) 14:17:28.07 ID:MiRN8w4j0
 奈緒はそれを見て声を上げそうになった。浪里が置いた死骸にも、あっという間にアリが群がる。
 そしてそれを見る少女は、恍惚とした表情を浮かべていた。
「なんと……」
 浪里は思わずうなる。
 その口から涎すら垂らし、瞳を爛々と輝かせ、少女はただモンシロチョウの死骸が解体されていく様子を、じっと見つめていた。
 まるでモンシロチョウが解体されていくのが、心から嬉しいかのように。
「ねえ……変人どころじゃない、何かやばいよこの子、ねえ、帰ろうよ」
 奈緒は浪里の耳元で、思わずそうささやいていた。
 少女の口から垂れた涎が、ぴちゃりと地面に落ちる。アリたちがそれを避けて歩く。落ちずに唇に残った涎を、少女はずず、とすする。
 少女の涎など、普段の浪里ならば発狂するほど喜ぶ場面だ。けれどこの場ではそんな浪里すらも、素直に喜ぶべきではない、と直感的に思っていた。
 奈緒は浪里の手を掴んで立ち上がった。それから手は掴んだまま、すたすたと歩き出す。
「お、おい、待て」
 浪里が叫んでも奈緒は聞き入れない。二人は少女からどんどん離れていく。歩きながら奈緒が言う。
「あの子、絶対やばいって。あれ見て喜ぶなんて、普通じゃないよ!」
「なあ奈緒」
「何よ!?」
「手、離せ」
 奈緒は一旦立ち止まると、振りほどくように乱暴に手を離した。それからまた歩き出す。
「確かにな……」
 浪里も奈緒に遅れず歩く。けれどその頭の中は、さっきの少女のことでいっぱいだった。浪里はつぶやく。
「あれは、まったく理解できん。あんな死骸の何が良いんだろうな。世の中にはもっと健全な趣味があるだろうに、最近の親は何をやっているんだか」
「ロリコン野郎がそれを言うなッ!」
 奈緒が歩きながら叫ぶ。けれどその口調は怒っているようで、どこか楽しそうでもある。
 少女は二人の遥か後方で、モンシロチョウの死骸を、それに群がるアリを、ひたすらに見つめ続けている。
「ち、違うぞ。俺はただ、健全な幼女が良いと言っただけであって……」
「うるさい黙れ死ねロリコン迷探偵のくせに生意気だぞのび太!」
「のび太って……似てるのは丸い眼鏡だけじゃないか……しかも俺のはサングラスなのに」
 昼下がり、何の変哲もない歩道をロリコンの男が歩く。
 その前方を歩く奈緒は、やっぱり私ってツンデレなのかも、とふと思った。
 こんな世の中、何がその人にとって価値があって、何がその人の興味を惹くかなんて、まるでわかったものではないのだろう。



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