【 仮面を外したら 】
◆BLOSSdBcO.




730 名前: グラドル(愛知県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:57:46.05 ID:yIcyHnPg0
 いつもの放課後、いつもの帰り道。
 いつでも街は謝肉祭。色とりどりの服で着飾り、薄っぺらな仮面で素顔を隠し。
――いつから世界は狂ったのだろうか?
 真志は自らの問いに、自ら苦笑で答える。
――狂ったのは、僕の方だろう?
 ふと、擦れ違った二人組に目を向ける。何の変哲も無い幸せそうなカップルだ。頬は蕩けたように緩み、
交わされる言葉は砂糖菓子のように甘く。
 そして胸に抱いた仮面だけが、意地悪そうな笑みを浮かべていた。
(男は女の体が、女は男の金が。恋愛なんて、所詮は利害関係じゃないか)
 仮面の虚ろな瞳はいやらしく細められ、大きく開かれた胸元と、腕に巻かれた高級時計を見つめている。
 真志は大声で叫びたくなった。
 何故誰も、相手の本心に気付かない? 何故誰も、相手の本心を知ろうとしない?
――気付かない方が、知らない方が幸せだからさ。
 再び自らが答える。嘲るような、哀れむような声で。
 居た堪れなくなった真志は、周囲の目など気にする余裕も無く駆け出す。
 行くあてなど無い。ただ、誰もいない場所を目指した。
 不気味な仮面が埋め尽くす、この演劇の外を。

 真志に奇妙な仮面が見えるようになったのは、ほんの一月ほど前だ。
 両親の離婚と引越し、それに伴う転校。目まぐるしく変わる周囲の環境に、真志の心は疲れ果てていた。
互いに傷つけ合うだけの口論や、中途半端な時期に転校してきた彼を遠巻きに観察するだけの新しい級友。
 誰を信じて良いのか、誰を頼って良いのか。彼はそれが分からなくなった。
 信じれば裏切られ、頼れば疎まれ。彼はそれが怖くなった。
 ネットで見かけた怪しい薬に惹かれたのも、そんな彼の精神状態のせいであろう。
「悩みなんて吹き飛ばせ、これ一錠で毎日ハッピー! ……だってさ」
 サイケデリックな色使いで踊る陳腐なキャッチフレーズを、ほとんど無意識にクリック。細かい受け渡し方法や
支払方法を選択している間も、真志に『法に触れるかもしれない』という危機感や罪悪感は湧いてこなかった。
「もう、どうでも良いさ」
 そんな自虐的な思考で、数日後に届いた小さな真空パックの中身、五錠の薬を一気に飲み干した。

731 名前: グラドル(愛知県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:58:16.29 ID:yIcyHnPg0
 ぐるぐると脳味噌が回転しているような感覚と、それに伴う快感。一晩中異質な世界を旅した後に、目を
覚ましてしまった事を残念に思った。そして、仕事(という名目の逢引)から帰宅した母親を出迎えた時、彼は
己の異変に気付いた。
「母さん、そのお面は何?」
 そう言った彼を母親は怪訝な目で見た。
「なぁに? まだ寝ぼけてるの?」
 まだ夢の中なのか、もしくはまだ薬の効果が残っているのだろうか。
 そう考えた真志は、それ以上何も言わずに自室に戻った。
 だがしかし、何日経っても、誰を見ても、その胸元にある仮面は消えない。
 人の表情や機嫌を窺う癖の付いていた彼が、仮面の変化の意味を悟るまでさほど時間はかからなかった。

 いつもの朝、いつもの席。
 いつでも教室は舞台上。お揃いの衣装に身を包み、薄っぺらな表情で白々しい台詞を吐き。
――いつまで劇は続くのだろうか?
 真志は自らの問いに、自ら苦笑で答える。
――演じているのは、僕の方だろう?
 まるでファントムだ。オペラ座に住まう怪人は誰よりも歌劇を愛し、そして彼自身が劇になった。
 誰よりも人間の偽りを知る彼が、誰よりも自分を偽っているのと同様に。
「皆、席に付けぇ。朝のホームルームを始めるぞぉ」
 真志の思考は間延びした大声に遮られた。壁にかけられた時計をみると、喧騒に紛れて予鈴を聞き逃していた
らしい。慌てて席に戻る級友の中、彼の視線は担任の仮面に向けられる。
(いつもより緊張しているな。何かあったのだろうか)
 への字に曲がった仮面の口元から、そんな事を感じ取る。真志はこの一月の間に、表情と違って取り繕う事の
出来ない仮面の変化を、正確に見抜けるようになっていた。
「ええぇ、いくつか連絡事項があるがぁ、その前に転校生を紹介する」
 教室に詰め込まれた四十人が、一斉に驚きの声をあげた。
「何でこんな中途半端な時期に?」
「男かな? 女かな?」
「結婚を約束した幼馴染、結婚を約束した幼馴染……」
 その声の多くは転校生の素性を推測するものであり、無責任な期待と好奇心に満ちていた。

732 名前: グラドル(愛知県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:59:10.49 ID:yIcyHnPg0
 かつて同じ目に晒された真志も声に出しさえしなかったが、転校生には興味がそそらた。
「静かにぃ! それじゃあ、入ってきなさい」
「――はい」
 彼の興味、それは転校生の仮面についてだった。仮面は人それぞれ多少の違いがある。しかし仮面の似た
者は同じ様に接することで上手くいく。故に他の誰とも似ていない仮面を持つ人間は、関係を一から構築する
必要があり面倒なのだ。
 立て付けの悪い引き戸を開け、転校生が教卓に歩み寄る。
(妙な仮面を持ってるんじゃないぞ)
 そう願いながら彼女を見た真志は、唖然とさせられた。
「初めまして、久留里、咲です」
 彼の望みは叶えられた。と同時に、完全に裏切られた。
 大きな栗色の瞳に長い睫毛、筋の通った高い鼻と薄い唇。全身が小さく整った彼女の、最大の特徴は腰まで
ある長い黒髪だった。とても細く艶があり、風に揺れるとまるで黒曜石のごとくキラキラと光り輝く。
 しかし、真志とは別の理由で呆然とする男子を尻目に、彼女はきっぱりと言い放った。
「私は他人が嫌いです。出来る限り、私に関わらないで下さい」
 今度は教室中が、男子も女子も、担任の教師までもが呆気に取られた。
「以上です。先生、私の席はあの空いている所ですか?」
「えっ? あ、あぁ。そうだが……」
 皆が水を打ったように静まり返る中、優雅に歩を進める咲。周囲の視線など意に介さない威風堂々たる姿は、
上履きが床を擦る音だけを伴奏に、一人舞うボレロを思わせた。
 そして皆が言葉を失っている中、彼女の宣言を意に介してない人物がいた。
(――何故だ)
 彼女の言葉を耳にするよりも前、姿を目にした時から真志は頭の中でそう繰り返している。
(何故、彼女には仮面が無い?)

 その日、真志の目は咲を追い続けた。
 とは言っても、彼女は宣言通り誰とも関わろうとせず、ひたすら新品の教科書を読んでいた。まるで一字
一句を完全に暗記し、理解しようとするように。

733 名前: グラドル(愛知県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:59:43.53 ID:yIcyHnPg0
 完全に他人を拒絶する態度に、クラスメイトは真志の時と同様の対応をした。つまり遠巻きに観察するだけ。
見た目に惹かれて話しかける男子もいたが
「貴方に無いのは耳? それとも記憶力かしら?」
 などと親の仇を見るような目で言われ、すごすごと引き返す事になった。
 何が彼女をそうさせるのだろうか。真志も含め、誰もが知りたがった。しかし周囲に大きな壁を築きあげた
彼女に、それを問いただす勇気は誰にも無かった。
 そして、放課後。
「…………」
「…………」
 夕暮れにはまだ早い時刻、真志は咲と帰路を共にしていた。と言うよりも、偶々帰宅するタイミングが同じで
駅までが一本道なだけだ。わずかばかり先に立った真志は、後頭部に注がれる視線を気にしていていた。
 何か用があるのだろうか、とは思うものの、あえてそれを問う気にはならない。仮面を持たない彼女には、
極力関わりたくない。その点、彼女の宣言は彼にとってありがたかった。
「そこの貴方」
(だから、彼女が呼びかけた相手は自分じゃない。振り向く必要は無いんだ)
 咲の声に聞こえないフリをして、真志は歩き続ける。
「私に呼ばれたら返事をしなさい、この唐変木っ!」
(だから、彼女に後ろから蹴り飛ばされた相手は……僕しかいないか)
 いきなり背中を襲った衝撃にふらつきながら、何とか体勢を立て直して真志は振り向く。
「何かな、えっと、久留里さん?」
 努めて冷静に問う彼に、蹴った時に捲れ上がったのだろう、スカートの裾を直しつつ咲は言う。
「貴方、一日中私を見ていたでしょう。そして今も私に意識を集中していた」
 目線を上げ真志を睨み付ける彼女の目は、まるで彼の心を見透かすかのように鋭い。
「……それは、転校生だから」
「嘘ね。貴方は他の人間と私を見る目が違ったもの。珍しい物を見る目じゃなくて――怯えた目をしていた」
 肩にかかった髪を背中に梳き流すたおやかな指先と、その間から覗く白い首筋。ぞくり、と真志の背中を
駆け上がるものがあった。それは咲への恐怖だけではないだろう。
「何で、そんな事を?」
 動揺しながら返す言葉に、嬉しそうに細められる琥珀色の瞳。ひょっとしたら彼女には、異国の血が混じって
いるのかもしれない。

734 名前: グラドル(愛知県) 投稿日:2007/04/01(日) 23:00:19.45 ID:yIcyHnPg0
「見えるもの。貴方がつけた、道化の仮面が」
「――何だって?」
 真志は大きく目を見開き驚愕の表情を浮かべた。咲は、彼の驚きがさも予想外だと言わんばかりに
「貴方にも見えるのでしょう? 薄っぺらな仮面が。聞こえるのでしょう? 汚らしい心の声が」
 と吐き捨てる。真志は動揺が隠せない。彼は、想像すらなかったのだ。
 自分以外にも仮面の見える人間がいる事を。さらには、声すらも聞こえるという事を。
「貴方は、私の仮面が無いことに驚き、私を警戒していた。折角だからその理由を教えてあげる」
 たった一歩。咲がその一歩を踏み出しただけで、彼女と真志の顔が大きく近づく。それは相手の仮面を見て
行動を予測する彼を、より一層困惑させる行為だった。
「五月蝿かったの。だから、引っぺがして捨ててやったわ」
 今まで他人とこれほど近づいた事のない真志。咲からふわりと漂う香りに、混乱していた頭は真っ白に染め
られた。
 にこり、と。新しいオモチャを手に入れた子供の浮かべるような笑みで、咲は彼の仮面に指をかける。
「光栄に思いなさい。貴方を、私と同じにしてあげる」
 そして、一気に――『俺』を引き剥がした。

 真志は、己をファントムだと思った。だがそれは大きな間違いである。咲こそが本物のファントムだったのだ。
 歌劇の主人公であった彼を、彼女は『俺』から奪い去った。この欺瞞と偽善に満ちた演劇の中、悲劇の歌を
歌う者を。
 彼女の手の中で弄ばれながら、『俺』は聞く。
「私はある薬、麻薬の様なものを一気に二十錠くらい飲んだの。もちろん死ぬつもりでね。ところが永遠の
楽園は私を追い返しヘドロ塗れの地獄に突き落としたわ。
 他人の仮面の薄ら笑いも、甲高い声も。何より自分の心が私を不愉快にさせた。だから捨てたのよ。偽りの
自分も、喜劇の世界も、大根役者の他人も。
 ……でも、貴方だけは拾ってあげるわ。その小動物のように怯えた眼差しが気に入ったから」
 『俺』を路肩の草むらに投げ捨てると、咲は倒れた真志の傍らに屈み込む。そして彼の顎に手を添え、その
まま熟れた果実のように赤い唇で、そっと口づけをした。そうする為に仮面を外したのだ、と言わんばかりに。
「――ところで、貴方の名前は何だったかしら?」
 生い茂る雑草の中、虚ろな『俺』の瞳は土筆に貫かれていた。
                                                    【完】



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