723 名前: 鉱夫(三重県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:43:15.44 ID:8cWKejad0
朝起きる。顔を洗う。何の面白味もない姿を鏡で確認し、洗面台の横に置かれたそれを手に取った。
今日はどの“顔”にしよう。ギャルっぽい女の子? それともつり目で美人なお姉さんにしようかな。いっそ不細工なおばあさんでもいいか
もしれない。
軽く悩んで、結局活発そうな“顔”にした。ぴったりと顔に装着し、ふふんと笑ってみる。よし、表情もちゃんと出来る。
それに合わせて髪型をツインテールにしていると、お母さんの呼ぶ声がした。朝ごはんだ。
服を確認する。胸元と背中に、大きく名前と年齢を書いた布を貼り付けるのは、国民の義務だ。これがないと、毎日顔が変わる私たちは
人を見分けられない。
再度、お母さんの声。時間は九時。やばい、待ち合わせに遅刻する。
食卓に着くと、小顔にぱっちりとした二重の、色の白い女性が出迎えた。しかし体は中年のそれで、なんか気持ち悪い。タグを確認するま
でもなく、お母さんだ。いつだって同じ仮面。これがお気に入りなのだと、大切に扱っているのを知っている。お母さんと同年代の女性は、皆
同じようなのを好んでいる。
仮面だけじゃない。髪型も、服装も、嗜好でさえも、親世代は全部みーんな一緒。みーんな一緒じゃなきゃ、落ち着かないんだ。
「また今日も仮面?」
「お母さんだって付けてるじゃない……」
おはようの挨拶もなしに言われた言葉に、うんざりする。可愛い顔を隠す意味が分からないのだと言って、お母さんは私の仮面を嫌がる。
こんな顔のどこがいいのかと思う。個性の欠片もなく、つまらない、ありふれた顔立ち。髪を染めても服を奇抜にしても誤魔化しようがない
から、私たちは仮面を付ける。
こっちは必死なのに、お母さんたちはファッション感覚なのが気に入らない。私たち世代にとっては、切実な問題なのに。
「あ、そうだそうだ。お母さんお小遣い!」
「今日買い物に行くんだっけ? また仮面増やすの?」
「……売り上げに貢献するの」
ああ、やばい。本当に遅刻しちゃう。折角の休日を、お母さんの愚痴で潰したくなんてない。
ぐちぐちと呟く声を背に、私は家から駆け出した。
待ち合わせ場所に早足で向かうと、すでに友達が待っていた。大きな文字で書かれた名前は、山田月衣。年齢は十五。最初にツキイ、と
読んだらげんなりした様子で訂正された。ルナイ、と読むらしい。
すれ違う若い人たちは皆、奇妙な名前ばかり持っている。ぱっと見で読める名はかなり珍しい。
724 名前: 鉱夫(三重県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:43:40.91 ID:8cWKejad0
そういう私の名前も風凛と書いてフワリだし、名づけた人間は馬鹿なんじゃないかと思う。お母さんとお父さんなわけだけどさ。
きっと、私たちを人間だなんて思っていないんだ。だからなんだ。私たちは人間じゃなくて、親の所有物で、永遠に自我なんて持たない赤
ん坊だと思ってるんだ。
だから、平気で可笑しな名称をつけて、自己満足するんだ。だから、私の顔を可愛いだなんて、平気で言えるんだ。
もやもやとしたものを振り払うように、私はルナイに駆け寄った。今日の彼女の顔は、馬みたいな一重の面長。お世辞にも可愛いとは言え
ない。
「おっはよ」
「おはよーさん。二十分の遅刻!」
「ごめんごめん」
仮面はどこでも売っているけど、大きな店となるとやはり市街地にしかない。だから電車に乗って向かうべく、私たちは歩き出した。
「ねーねー聞いてよ! またお母さんが説教してきたの。また仮面? また仮面? って。いい加減うっざー」
「うっわ、災難。ウチは今日お母さん出かけてたからね。でもやっぱ顔あわせると、嫌そうな顔してる」
「だったらお前も仮面やめろっつーの。何で娘が付けるのは気に入らないのに、自分は付けるんだか」
「流行だからじゃないの? 皆やってるから自分もやる、みたいな。サイッテー。チョー迷惑」
会話の内容は、愚痴とか新作の仮面の話とか愚痴とか学校の話とか愚痴とか噂話とか愚痴とか愚痴。
生まれた瞬間、多分私は産声じゃなくてお母さんとお父さんへの悪口を叫んだんじゃないかな。なんでこんな顔なんだ馬鹿! って感じに。
私たちの生まれる十年くらい前からその傾向はあったらしい。そして今の若者世代はほぼ完全に、こんな感じだ。だって毎朝見る鏡には、
何よりも疎ましい自分自身の顔が映るんだから。
そうこうしている間に、駅にたどり着いていた。切符を買って、電車に乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車は、国民への暴力だと思う。
国家はさっさと改善しろ。
ぐらぐらと揺られながら、私たちはなんとなく無言になっていた。暑苦しいし、人と必要以上に引っ付くのは、体力がいる。
ぼんやりと今日の買い物について思いを馳せていたら、ルナイの顔が奇妙に歪んだ。いや今日の顔は最初から歪んでるけれど、表情が
変になった。
どうしたんだろう。声をかけようとして、その前に気付いた。何か後ろに立ってる男が、妙な動きをしている。
痴漢だ!
725 名前: 鉱夫(三重県) 投稿日:2007/04/01(日) 22:44:04.46 ID:8cWKejad0
名前も年齢も、大勢の人に阻まれて見えないけれど、外見年齢は中年のおっさん。にやにやと笑う口元がきしょい。
助けを求めるルナイの視線。親友として応えねばなるまい! 気合で人ごみを潜り抜け、右手を振り上げる。
「社会的に抹殺されろこの変態!」
か弱い乙女の最終兵器。ボールペンに仕込んだぶっとい針を、男の眉間に突き刺してやった。
駅員に男を引き渡し、どうにか私たちは目的地へと歩みを進めていた。
男の名は雄河と書いてオスカー。二十歳。……って何人だよ。取調べのために仮面を外した顔は、ああやっぱりな、という感じだった。
私たちの生まれる五年前ということは、ちょうど変革の著しかった時期だ。さぞや大変だったろうが、同情なんてしてやらない。
「あーあ。災難だったね。大丈夫?」
「どうにかねー。本当サイッテー。ふざけんなって感じ」
どうせなら美人な顔に痴漢すりゃいいのにと思ったら、なにやらブス専だったらしい。不細工から醸し出される雰囲気が云々。何かキモか
ったから、それ以上は聞き流しておいた。
そもそもルナイの顔が仮面だってことぐらい分かるだろうに、何やってんだか。まあ、本当のブスなんてもう絶滅したようなものだけど。
嫌な気分を発散させるために、いつも以上の熱心さで仮面屋を漁った。二、三枚買えればいいと思ったけど、五枚くらい買っちゃえ。
「あ、これなんてどう?」
「いいかも。こっちはどうかな」
試着をするために、家で装着した仮面を外す。
ルナイの本当の顔は、小顔にぱっちりとした二重瞼で、その上色白なとても可愛い女の子。
そして店に設置された鏡に私の姿も映る。それはやっぱり、、小顔にぱっちりとした二重瞼で、色白のとても可愛らしい、ルナイと全く同じ顔
だった。
どっとはらい