【 車窓にて 】
◆D7Aqr.apsM




677 名前: 忍者(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 20:23:50.86 ID:22AZGwCA0
 ギターケースを立てかけて、あたしはベンチに座り込む。
 屋根も何もない、無人駅のプラットホームは、まるで草の海に浮かぶ船のようだった。
 東の空がかすかに赤く染まり始めている。ぽつりぽつりと雲が群れている。海風がそのまま
走っていくホームの上は、春だというのにまだ肌寒い。始発まで、あと30分。
 何もすることがなければ、普段通りにギターを取り出す。あたしの習慣。
 ハニーブロンドのボディから、ネックがすっきりと伸びているエレキギター。ボディの横に、小さくヘ
コミができていた。ごめんね。傷、作っちゃって。小さく呟く。
 弦に挟んでおいたピックを抜き、軽くコードを押さえると、軽い金属音が風に飛ばされた。
      #
 その街が最初にニュースをにぎわしたのは半年ほど前のことだったと思う。海を挟んだ国の政権が
崩壊。難民の発生。国が受け入れ施設を急遽設置したり、災害の発生と同じように、ボランティアの
人々が集まっていったり、自衛隊が出動したり、それに反対する人たちが怒ったり、という一連の事が過ぎ、
今、人々の関心は薄くなっている。

「ねえ、小里さん、あなたギター弾けるの?」
 あたしが大学の食堂でコーヒーを飲みながら曲作りの為に譜面と格闘していると、背後から声を
かけられた。ふり向くと、髪を襟元で一つにくくった地味な服装の女の子が立っている。
「弾くのは弾くけど。……えーと?」
「坂上。授業で少し話したことがあるだけだから、覚えてないかな。ね、あのさ。あなた、あの街に
行ってみる気はない?ギター弾ける人が欲しいんだ。一緒に行くはずだった子が怪我でいけなく
なっちゃってね。ギター弾ける人が欲しいんだ。交通費はこっち持ち。どう?」
 彼女は難民受け入れ施設のあることで有名な海沿いの街の名をあげた。そこで行われる余興で
ギターが必要という事らしい。
「いつ?」
 曲作りに環境を変えるのもいいかもしれない、あたしはそんな風に思いながら彼女に向き直った。

 二日後。海を見下ろす丘の上。国道沿いの、道の駅と呼ばれるだだっ広く、閑散とした駐車場。
 ボランティア登録所、などという看板が休憩所に掲げられている。坂上は車を運転していた
男の子をつれて建物の中に入っていった。手続きか何かがあるのだろう。あたしは駐車場脇の
ベンチに座り、動き回る人々を見るとも無しに見ていた。

678 名前: 忍者(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 20:25:34.17 ID:22AZGwCA0
 ジーンズのポケットからイヤフォンを取り出し、坂上から渡された楽曲を聴き直す。単純なコード進行で
作られた曲が二、三曲。本当はここに来るはずだった子、とやらが録音しておいたものだという。
 びゅう、と風が吹き抜ける。あごのラインで切りそろえた髪が風に解かれた。コットンのシャツジャケットと、
黒い短めのベストが心地よく空気をはらんだ。さらさらとした感触が肌に気持ちいい。
 不意にサイレンが鳴り響いた。
 何事だろう、と見ていると登録所からバラバラと人が出てくるのが見える。
「香織ちゃん、こっちこっち!」坂上が大きく手を振る。歩道脇にアンプが置かれているのが見えた。
そういえば、彼女はいつからあたしを名前で呼んでいるのだろう。
「渡したのと同じ曲順だから。合図したらよろしくね?」
 興奮した様子で坂上はあたしの肩を叩いた。周囲の人々はしきりに海の方を気にしている。
 何かが、この道をやってくるのだろうか。小さな音で、軽くチューニングを合わせる。
 
 そうして、それはやってきた。
 黒い影が道をやってくるように見えたそれは、武装した兵士達だった。体中をゴツゴツとした
プロテクタがつけられ、ヘルメットの下の顔もマスクで完全に覆われていた。目にあたる部分の
ゴーグルだけが、唯一、光を反射している。
 隊列を組み、一歩一歩、足を引きずるようにしてそれは歩いてきた。
「あれは、なに?」
 まるで、ロボットのような――。ギターを持ったまま、坂上に声をかける。
「ただの人殺し、よ。さ、曲を弾いて!」
 坂上の勢いに押されるようにして最初のコードを押さえた。人々が歌い始める。――歌詞が、違う?

 あまりにも酷い歌だった。
 おとしめ、揶揄し、尊厳を踏みにじる。
 彼らが何をしているのかしらない。それでも人々が歌ったそれは許されるものではなかった。
 曲が始まると兵士達は一瞬こちらを見たが、黙々と歩いていった。まるで慣れているとでも
言うかのように。
 歩み去る彼らに向かって、人々は歓声を上げた。
 アンプを蹴り倒し、ギターとつながるケーブルを引き抜く。それでも歌は、終わらなかった。

679 名前: 忍者(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 20:26:15.32 ID:22AZGwCA0
 砂が髪につくのもかまわず、あたしは砂浜に横になった。
 海。波の音が少しずつ体を満たしていくのが感じられる。あかね色の深い空に、オレンジ色に光る
雲が流れていく。
 坂上は説明した。難民の中には、生活の苦しみから粗暴になっている者もいて、治安を維持する
為に、彼ら警備隊が出動し、その対処に当たっているということ。そのやり方に問題があり、死者も
出ているということ。それは到底ゆるされず、我々が難民を暖かく迎え入れる事で解決できるはずだ
ということ。――全て、あたしにとって、どうでもいいことばかりだった。
「ね、香織ちゃんちょっと時間はかかるかも知れないけれど、すぐに解るようになるよ。だから――」
「あたしを――香織って呼ぶな」
 右手に持っていたギターのネックを両手で握りしめる。坂上の手を振り払うようにして、ぐるっと体を回し、
あたしはギターのボディを斧を振るようにして、彼女の顔面に叩き込んだ。不協和音が響く。
 アスファルトの上に転がった坂上の前髪を掴み、顔を上げさせる。血だらけの口から歯のかけらが落ちた。
「あんたの主義主張なんてどうでもいいんだよ。あんたはな、あたしを使ったんだ。あたしと、あたしの
ギターを使った。あんなうす汚ねぇ歌詞くっつけやがって」

 砂を掴み、投げる。アスファルトへ坂上の顔を叩きつけた時の嫌な感触が、まだ手に残っていた。
 周囲にいた大人は、黙り込んでこっちを見ていたが、何も口出しはしてこなかった。あたしはそのまま
国道を歩いて海を見ようとやってきた。意外にも海は閉鎖されていたりはしなかった。そのまま浜へ入り込む。
ぼんやりと海を見ていると、眠ってしまったらしい。いつのまにか夕暮れの中にいた。
 あの兵士達はここで何をしていたのだろうか。海と空。砂浜には何も残されていない。
 ため息を一つ。体はすっかり波と風の音で一杯になっている。駅まであるけるのだろうか。そんなことを
考えながら、ふと、目を海にやった。赤から黒に色を失っていく景色の中で、何かが動いているのが見えた。
 ばしゃり、ばしゃりと水をかく音で、それがブイや忘れられたボールなんかじゃあ無いことが解った。
 人?溺れている?
 波打ち際まで駆け寄ってから、浜辺を見回す。あたし以外に誰もいない。救助ってどうすれば?携帯で
助けを呼んだ方がいいだろうか? 救急車? 警察? この場合はどっちだろう?
 ばしゃり、という音が近くなって我に返る。人だった。薄暗い中でもはっきりと見えた。波で、浜に
寄せられた。もう四つんばいになっている。
「だ、大丈夫ですか?」 
 あたしが声をかけると、その人は顔をあげ、にやりと笑う。サイレンの音が遠くに聞こえた。

680 名前: 忍者(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 20:27:05.88 ID:22AZGwCA0
 どすん、という重い音が体の中に響くと、肺から空気が絞り出された。
 みぞおちを殴られた、と気づく間もなく、砂浜に引き倒される。体にのしかかってくる。重い。
 首に手がかけられた。
 手をバタバタと動かす。目の裏がちかちかと痛む。普段何も考えずにやっている「息を吸う」という
事ができない。指先がしびれ、すうっと体が冷えていく。
 首にかけられていた力が、不意に弱まった。体にかかった重みが消える。身をよじってあえぐ。
咳き込みながら空気をむさぼった。這うようにして波打ち際から離れると、肩を叩かれ、担ぎ上げられる。
誰に何をされているのかを気にする間もなく、あたしは浜から砂浜の中程へ助け出された。
「大丈夫ですか?」
 砂浜に横たえられ見上げると、そこには昼間の装備に身を固めた兵士があった。兵士が自分の喉の
あたりを押さえて話をすると、スピーカーを通しているような電気的な声が響いた。
「は、はい。あの、あれは――」
「申し訳ありませんが、説明できません。ですが、貴方は我々が守ります。安心してください」
 兵士が無言で周囲を見回すと、あたりから三名、同じ装備を身につけた者が近寄ってきた。あたしの
護衛と言うことらしい。一人が無言であたしの手を取り、脈を測る。あごに手をかけられ、指で口を
開けるように指示して、フラッシュライトで喉を照らした。しばらくして親指がたてられ、ぽん、と肩を叩かれた。
大丈夫、ということなのだろう。彼らは防壁を作るようにあたしを背にして、身を寄せる。がちゃり、という音に
目をやると、手に小型の拳銃を持っているのが見えた。
 彼らの肩越しに周囲を見れば、そこかしこで光が瞬くのと同時に破裂音が聞こえる。
――銃撃戦?
 しかもそれは圧倒的に海から陸へ向けて打ち込まれているのだった。
 兵士達は銃弾を撃ち込まれているのか、時折倒れるが、すぐに起きあがった。プロテクターが防いで
いるのだろうか。銃は構えてはいるものの、応戦しているようにはみえない。
 撃ち込まれ、立ち上がり。また、撃ち込まれる。
「い、痛くないの?」
 思わず声が漏れる。
 一人の兵士が振り返った。「俺たちを何だと思ってるんだ?」電子音声が響く。平板な中に、怒りの
こもった声。他の一人が彼の肩を掴んだ。
 しばらくして、あたしは三人に囲まれるようにして、砂浜から離れた。街中を迂回し、徒歩で彼らの
基地へ向かった。夜。サイレンの音が響く中、死んだようにひっそりと静まりかえる街に人影は無かった。

681 名前: 忍者(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 20:29:36.99 ID:22AZGwCA0
  彼らの基地で医者に手当を受け、ベッドに寝ていると、一人の男性がやってきた。
 深夜だというのに、スリーピースをきっちり着込んだ男性は、あたしにコーヒーを勧めた。体を起こし、
普段は絶対に入れない砂糖を多めに入れ、カップを口に運ぶ。久しぶりにココアが飲みたいと思う。
「あの、答えられないんだとは思うんですが……できる限りで、教えて欲しいんです。あれは、何なんですか?」
「難民ですよ。あなた方が言うところのね。武装してるがね。もう報道されないが、一部の新聞では武装難民なんて
言ってたね。組織だってやってきて、見つかれば攻撃を加えてくる」
「武装して、組織でって……。それ、難民じゃなくて、軍隊――」
「物騒な事を言わないでいただきたいですね。私たちは戦争はできないんですよ。ただ無言で、『対処』する
しかない。だからあんなマスクもつけている。泣き言も、悲鳴も外に漏らさない。殺される時は静かに倒れる
だけです。――喋りすぎですね。ま、口外はお互いのためになりません。いいですか?」
 あたしが頷くと、彼は短く会釈をして部屋から出て行った。
 しばらくすると、彼らの基地から警察へ送られ、そこでギターと再会した。兵士がとどけてくれたのだろうか。
      #
 やっとやってきた始発電車に乗り込む。床は板張りで、油の匂いが染みついていた。ボックスシートに席を取り、
ぼんやりと窓の外を眺める。しばらくすると、甲高い笛の音がして、ゆっくりと電車が走り始めた。
 
 街を抜け、海岸線を走り始める。線路沿って、脇に鉄条網が巻かれているのが見えた。低く流れる
雲の群れの下、海がきらきらと陽光を反射しているのが見えた。

 今見えているこの海に、この景色に何の意味があるのだろう。あたしは、何が見えていて何が見えて
いないのだろう。坂上は何をしたかったのだろう。兵士は何を告げたかったのだろう。自分は何を言えたのだろう。
 何も、解らなかった。仮面越しのまなざし、仮面の奥にある叫び。何が本当で、何が嘘で、何が――。
 窓を引き上げた。ゆったりとした風が車内に入ってくる。あたしはギターケースに入れておいた、小さなカメラを
取り出した。フィルムがあと三枚だけ残っている。ファインダー越しに窓の外を見て、気が変わった。
 ファインダーを覗かずに、窓から外に向けてシャッターを切る。
――どうせ、何も見えちゃいない。
 海はただ静かに光っていた。


<車窓にて 了>



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