【 最後に 】
◆sjPepK8Mso




625 名前: ディトレーダー(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 15:57:44.77 ID:y0fimmn00
 「――から我々は、この宇宙と言う未開を切り開いていく事が重要となるのです。よって」
 二重もまだ半ばに差し掛かったばかりの男がマイクを通して高らかに。心にも無い事だろうに。
 場所は月、静かの海。時はヒトフタマルマル。儀礼用ドームの中にはめったやたらに豪華な式典会場が作られている。
 大きくて白い演説台にはこれまた高価なコンデンサマイクと、一級の宇宙パイロット。
 演説台の後ろ、宇宙開発局の有象無象に混じってリコは立っている。まるでダルメシアンの紛い物のような儀礼用の服を着て、形ばかりの儀礼用のレイピアを帯びている。
 形だけで刀剣としての実はまるで無い。怪我をしないように切っ先にボールがついたおもちゃだ。今は、何も知らない民にウケるいかにもな服装が必要だった。
「人々がより良い未来を想像し、人類がこれ以上に発展の途を往く為に、努力を惜しまぬ所存であります」
 今日は大事な日だ。人類の宇宙進出事業の最前線、月の宇宙飛行士の意思表明式。
 三十八万キロメートルも後方に下がって、宇宙開発の意味すらも見失ってしまっている地球のお偉方に、この式典で見せ付けてやらなければならない。
 宇宙飛行士の勇猛さを、人類の為に見知らぬ宇宙を切り、世界を切り開いていくその意味を。
 月の宇宙開発局の予算でさえ、その表明式の評価に大きく揺さぶられる。
「何故、宇宙を開発する必要があるのか。何故、それによって人々が豊かになり得るのか。忘れている方々も」
 地球にはこの表明式ぐらいしか、月の宇宙開発の状況を知る術が無いのだから当然と言えば当然だ。
 お偉方が地球から出てきて、実際に状況を見に来れば済む話なのだが、重い腰は中々上がらないようで、引きこもった地球人はなかなか出て来ようとはしない。
 表明式の花形と言えば、今年度の成功事業発表でも表彰式授与でも勲章授与でもなく、やはり最優秀成績を収めた飛行士直々の意思表明演説だ。
 そして、今がその時間。演説台に立っている男は、リコも良く知っている男だ。
 マイネ・レーヘンバーグ。リコの古くからの知り合い。幼稚園から一緒で、宇宙開発の仕事も一緒。
 要は幼馴染。彼とは、小学生の頃によく宇宙の話をした。いくつもの星が光る宇宙。広くて、その中では人間なんか小指の先程の存在ですらない。
 宇宙の話をするマイネは、決まって空を見上げたまま周りが見えなくなる。夢が彼の心を握り締め、周りのものを見えなくする。恋も遊びも。
 学生の頃のマイネは空を見上げて、そのための勉強ばかり。気付いてもらおうと思ったリコとしては、彼が周りのものを見るようになるまで根気良く待たなければならない。
 待っていたら、リコはいつのまにかこんな所まで来てしまった。
 生まれ故郷の地球から離れて、三十八万キロ彼方の月面で宇宙飛行士のサポート。
「火星、そして木星。人が住める環境を生み出す事の出来る惑星があり、資源を腹に溜め込んだ惑星がある。そしてこの地球権に住む我々が」
 マイネは得意満面でセールストークを続ける。宇宙開発がどれほど素晴らしいか、そして自分たちがどれほど勇敢か。
「そこは遠いでしょう。そして宇宙は真空、危険です。しかしご安心してください。我々は人類の為ならばこの命さえ」
 幼馴染だから良く知っている。こんな事を心のそこから本気で言える奴じゃない。それは開発局の皆だって知ってる事だ。
 知らぬは地球ばかりなり。彼が謳う「勇猛でへっぴり腰で何もしない地球人の為に命を投げ打つ人間」なんて、演説台には立っていない。
「我ら人類が火星にその手を伸ばすまで、あと一年もかからないでしょう。もうじき、我らは新しい大地を踏みしめるのです」
 地球に見えている月の顔は、ありもしない優等生の顔だ。地球には、マイネと言う名前の仮面しか見えていない。
 今この瞬間、マイネには月の仮面としての義務がある。

626 名前: ディトレーダー(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 15:58:22.75 ID:y0fimmn00

 「そんなタイミングでデブリが衝突するなんて、何かの間違いじゃないのか!?」
 オペレーションルームに切羽詰った空気が充満する。
『間違いようが無い、シーラカンスの船体はハーフロックから三十メートルも離れてるんだ、ぶつかりはしない』
 シーラカンスは、オペレーションルームに直接通信を送ってきている宇宙船の名前。ハーフロックはシーラカンスが点検しに行った人工衛星の名前。
 リコは通信士であるからして、通信を開いた後はホログラフキーを叩いて司令官に通信を回し、今はただ眺めているだけ。
 良い言い方をすれば、待機中だ。何を命じられてもすぐに動けるように、準備をしている。
「船外活動開始直後だといったな? 誰が船外活動の担当で一体どうなっている? 状況を説明しろ」
 一瞬の沈黙。緊迫した空気は相変わらず。でも、皆が皆勝手に状況を動かすわけには行かない。
 シーラカンスの軌道データと月の周回軌道に乗ったデブリ群の予測軌道データが、壁面一面を覆う大画面に表示される。
 通信がすぐには帰って来ない。電波の向こう側から紙をめくる音が何回も聞こえて『おい』『まずくないか』『なんにせよ報告しないことには』三つの声。
『ええっと、報告します』
 何かに躓いたような声。緊迫した空気が更に張り詰める。
「さっさと言え、状況がわからなくてはこちらでも対応が出来ん」
 と司令。腕を組んでいて凄みがある。黒い口ひげが更にそれを強調している。
『船外活動に出ていたのは……』
 おずおずと、後ろに退いていくような尻すぼみ。そしてその更に後ろから怒鳴り声が響いたようだった。
『おい! キサマは糞詰まりだ。俺に代われ。
 ……オペレーションルームへ通信。司令、聞こえますか? 先程、デブリと思しき物体の衝突によりシーラカンスの第三燃料室の付近に穴が開きました。
 それにより出た被害はいくつもありますが、最も重大な損害をまずお伝えします』
 一拍置く。オペレーションルームにいる人間が全員息まで止めた。聞き漏らさないように耳をそばだてる。リコだってその例外ではない。周りに迷惑がかからないレベルで、何時だって身構えている。
『船外活動に出ていたのはマイネです。マイネ・レーヘンバーグ。船外活動時間のレコードホルダーです。先程の振動は予想以上のもので安全装置は全部吹き飛びました。
 命綱も切れ、今年は太陽系活動期でノイズも激しく、現在本船では補足出来ない状態です』
 腹から絞り出すような声だ。悔しい気持ちを押しとどめて、冷静を取り繕った声。
 マイネは幼馴染だ、リコの。息を呑んで目を見開いて、手を口に当てて叫びたいのをガマンした。二十年以上も一緒に歩いてきたのだ。叫びを上げないでいるのも大したものだ。
『それと、そちらでも観測してみてください。ブリーフィング時にはハーフロックに掠る予定すらなかった大きなデブリ群があります。
 先程付近の衛星のデータを使って軌道計算した所、デブリ群がハーフロックを巻き込むことが分かりました』
「え」
 あっけに取られるばかりで、思考が追いつかなかった。脳みそが酸素までも拒否している気がして、リコは一生懸命に脳を回して死ぬ気で考えて、脳の糞尿が声になって出た。
 シーラカンスはデブリに当たって、マイネは月軌道上に投げ出された。シーラカンスがいるのはハーフロックの近くで、ハーフロックはデブリにあたる。

627 名前: ディトレーダー(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 15:58:55.17 ID:y0fimmn00
 このままだとシーラカンスはデブリ群に突っ込む事になる。
「捜索をしているヒマは無いと言う事か。よりにもよって……」
 司令もため息を無理矢理声にしたようで、声には全く針が無い。司令官がため息を吐く暇などあってはならない。
『本船は直ちに離脱、捜索を打ち切りま……おい、何をするんだ!』
 電波の向こう側で人が争っている音が続く。『仲間を見捨てるって言うのかよ!』『見捨てるなんて言ってない! 俺たちは保身をするべきだといったんだ!』
「そんな……」
 通信士に仕事は無い。宇宙は巨大で人は小さい。宇宙が決めた法律に従ってデブリが動いていて、宇宙が決めた法律がシーラカンスとハーフロックを叩き潰そうとしている。
 ちっぽけな人一人がどうこう出来る話ではない。ましてや通信士は専門外ですらある。無力感を噛み締める以外に出来ることは無い。
「捜索する時間があれば……」
 司令の言葉を待たなくてはならない筈だ。余計な事を言って指揮系統を混乱させてはいけない。
 しかし、黙っていられないと思う。「黙ってなければいけない」なんて考えは一瞬で頭の端に追いやられて、アパルトヘイトも真っ青の酷い迫害を受けている。
 二十年間も、マイネが周りを見回すために待ったのだ。何も言わないなんて事が出来るものか。
「マイネを、マイネを捜索する時間は」
 ええと、と脳が一瞬立ち止まって、またすぐに動き出す。問題なのはデブリだ。デブリが来るまでの時間。
『お前は簡単に割り切りすぎだろうが! 司令、捜索のタイムリミットまでの許可を……』
 司令が口を開く前に、リコは先走る。
 司令なんかよりマイネの事を考えているのに、何で司令より遅く出なければならないのか。
「デブリが到達するまでの時間はあとどれくらいですか?」
 意外に声のトーンが落ち着いていた。自分でもビックリして、深呼吸をしなおして自分の喉を疑って目を擦ろうかとも思った。違う、疑うべきは耳だ。
 隣の軌道計算担当とその向こうの船体のモニター担当が口をあけてリコを振り向く。司令の口を待ったほうが良かったハズだと。
 そんなわけあるか。
「あと、どれくらいですか?」
 はっきりと、口を開いてもう一度言う。
 どうも、シーラカンスの方も司令の声を期待していたらしく、戸惑いの声が聞こえた後、逃げるべきだといった声がまた言う。
『損傷度を気にしなければ後一分。無論、船にマイネを収容するまでの時間を考えればもう……。隊員全員の安全を保障すればもう時間は切っています』
 声に続けざまに大きい衝撃音がなる。悲鳴が聞こえて電波が乱れる。多分、もうデブリはかなり近づいている。モニターを見つめる全員が息を呑んだ。
 そして、戸惑いの声。
『なんだ? 通信、こんな細い回線の……なに、おいお前この通信がどこから出てるかわかるか。……わかった。オペレーションルームに繋ぐ
 今、通信が入りました。一等通信士のリコへと、マイネから。発信源の位置も送ります』 

628 名前: ディトレーダー(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 15:59:26.29 ID:y0fimmn00
 沈黙の後、オペレーションルーム全体の視線がリコに注がれたが、リコにはその視線を感じる余裕も無い。
 深呼吸して、通信機に耳と口を近づけて、息を殺して数を数える。
『…………ー……ー……』 
 通信機の奥底から呼吸の音が聞こえる。酸素ボンベに穴でも開いたのか、随分と苦しそうで浅い呼吸だ。
「マイネ、マイネ?」
『こちら、マイネ。ああ、名前だけ、で、良いかな……』
 要所要所で寸詰まりを起こす、お世辞にも良いとはいえない通信状態と声自体の細さがじれったい。
 自分に向けられたものでないと悟った司令が、相変わらずの顔で黙ったまま。
「マイネ、今からシーラカンスに頼んで捜索に」
『間に合わないからさ、そういうの、やめるように言ってくれないか』
「何でそんな事を」
 そして、送られてきたデータを元に、デブリの観測していた担当者が悲鳴を上げるように叫ぶ。
「デブリ、発信源到達まで後一分!」
 もう時間がない。
「そんな……」
 張り詰められていた空気が弛緩していく。今度は、諦めてはならないものを諦めた、どうにもやるせない空気。まだ張り詰めていた方が悲しくないのに。
 隣に座っている同期のマリーが半べそを掻いている。
 思う。よせ、泣きたいのはこっちだ。
『一分しかないんじゃ、』
 すうと、息を吸う音が聞こえる。生命維持装置はしっかり動いているだろうか。
『ろくなお別れも出来なさそう。
 そう言えばさ、リコは覚えてる?』
「忘れるような出来事なんて無い……」
 もう、助かりはしない。オペレーションルームに、マイネの通信よりも声が大きいシーラカンスからの通信。
『デブリ群を避ける為、一旦月軌道の外に出てから帰還する。通信終わり』
 ブツリ、と。オペレーションルームにつながれた通信は、シーラカンス経由のマイネからのものだけになる。宇宙服備え付けの、粗末な。
「あと四十秒です!」
 時間は待ってくれない。
『二ヶ月前の表明式でさ、僕が言った事……』
「人類のために宇宙をってさ……嘘っぱちでも忘れないよ」

629 名前: ディトレーダー(大阪府) 投稿日:2007/04/01(日) 16:00:01.30 ID:y0fimmn00
 いつの間にか声がしぼんでいく。横隔膜が萎縮したまま、呼吸もままならなくなって。
 声が泣いてしまっている。
『そうさ、嘘っぱち。僕はあんな事一度だって考えたことも無い……』
「あと三十!」
 マイネが喋るのが遅すぎて、残り時間を数える声が邪魔だ。
『火星、そして木星。人が、住める環境を……生み出す事の出来る、惑星があり、資源を、腹に溜め込んだ惑星がある。
 あんなのだめだ。ただ、行って見たかった、だけなのに……。かっこ悪い仮面にされちゃって……』
 息を吐くだけの笑い声。
 マイネは子供の頃から、リコに何度も言って聞かせていた。僕は宇宙飛行士になるんだと。
 空に光る星を掴んで見せて、火星にだって土星にだって行ってみせる。そして星を掴むその手で異星人と握手する。
「あと二十!」
『ほら、手を伸ばせばさ、すぐに星がつかめそう。キラキラ光ってて。
 宇宙がすぐそこにあって、地球もすぐそこにあって、星もすぐそこにある。あっちの方向には、火星が……』
 宇宙服つきの簡易通信機は、映像までは伝えてくれはしない。だから、リコは一生懸命に火星と木星と土星に思いを馳せる。
 でも、星を掴む事は想像できなかったし、異性人との握手も考えられない。
「わからないよ、マイネ……」
 涙が止まりそうに無い。口まで垂れてきて、しょっぱい味が口の中に漏れてくる。嗚咽。「あと十!」
 ゲホゲホと、咳をする音が通信機の向こう側から響いてくる。酸素が足りないのだろうと思うが、リコには何をすることも出来ない。心臓が潰れる思いで耳を澄ましているだけだ。
 ゼーハーと、呼吸をするだけの、マイネが一生懸命に生きるだけの二秒が過ぎる。「五」
『リコ』
「なに?」
 思い出したように返事。一秒もかかりやしない。
『今は仮面なんか被っちゃいないって、それに僕は月の仮面でもないって、だから』
 そんなの分かり切っている。「四」
『最後に……』
 その先は無い。多分、笑っていたと思う。三と二と一は誰も数えなかった。ノイズが走り。ザー、と雨が降るような音。
 涙のせいで、黙りこくった通信機の輪郭がぼやけている。
 仮面の役目は既に終わっている。式典はもう二ヶ月も前に終わってしまっている。



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