【 月と桜と屋上と 】
◆PUPPETp/a.




604 名前: 麻薬検査官(山形県) 投稿日:2007/04/01(日) 12:26:02.05 ID:kEd0tKlk0
 まだ春になったばかりの肌寒い風が吹く中、俺は屋上にいた。
 俺の他には女生徒が一名。
 スカートの裾がひらりひらりと舞っているが、残念なことにその奥は見ることができない。いつも思うが女子の
スカートはあの丈の長さをどうやって見極めているのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。
 他には誰もいない屋上で、俺と彼女はふたりきり。このシチュエーションははっきり言えば告白しかないと
俺統計では出ている。
「前から好きでした。付き合ってください」
 とか
「前から好きでした。私を抱きしめて!」
 とか
「前から好きでした。もうめちゃくちゃにして!」
 とか言って飛びついてきたら、サーカスの綱渡りより頼りない俺の自制心は軽く吹っ飛ぶコト請け合いだ。
 なぜこのような出来事に遭遇したのか。

 それはまだ春休み中のこと。
 残り少ない休みを満喫するべく、友人たちと集まって遊んでいた。残念なことに女の子はひとりもいない。
ゲームをしたり、だべっていたり、そんなことしかしていない。
 電柱の明かりがついて、アスファルトにはスポットライトがぽつりぽつりと当たっている。そんな時間に俺は
我が家へと帰っていた。
「うう、さみい……」
 俺はポケットに手を突っ込んだまま、途中で公園に入っていく。公園を通るか通らないかで家に着く時間が
五分は変わるからだ。
 住宅街のど真ん中にある公園には家無き子はいない。家無き娘なら連れかえ……、いや美少女かどうかが問題か。
または魔法の国のプリンセスが修行のために人間界にやってきて、プリティなにがしとか名乗ってるいんだけど、
誰も相手にしなくて公園の片隅で寂しそうにクークー眠っているから「お嬢さん、風邪を引きますよ」とか言って……。
いや、これもどうでもいいことだ。
 電灯もない公園は真っ暗だが、歩き慣れた公園だったし、歩道も整備されていることもあり迷うことはない。
 少し大きめのこの公園には桜の木が一本植えてある。子供の頃は桜色のじゅうたんが敷き詰められていた。最近では
花を咲かせることもなくなってしまった老木である。

605 名前: 麻薬検査官(山形県) 投稿日:2007/04/01(日) 12:26:22.80 ID:kEd0tKlk0
 いつもなら気にも留めずに歩き去るのだが、その日はなぜかその木のことが気になり、回り道になることを承知で
見に行ってしまった。
 桜が見える場所まで来たら気がついた。その木の下に一人の人影が立っている。
 俺と桜の間に立つその後姿からでも十分わかる。さてここで問題。神社と言えば……? はい、そこのあなた正解。
そう、巫女さんである。
 その巫女さんが片手に鈴がたくさんついた棒を持ち、もう片方には桜の花が咲いた小枝を持つ。
 大きく丸い月の下、黒い長髪を後ろで縛って、仰ぐように桜を見上げている。
 ――シャン。
 今まで音一つなかった公園に鈴の音が響く。
 俺が今まで見たことがない世界が、目の前にあった。
 それはまるで一滴の水が紙に染み込んでいくような緩やかな動きから始まった。空気が震えている気がする。
 桜の枝が振られ、花びらが散る。
 テレビでも見たことがない踊りだった。月の光が彼女にだけ注がれている気がした。
 規則的に鳴る鈴が、溶けるように散る花びらが、揺れる黒髪が幻のようにキレイだ。
 見ていると吸い込まれそうで怖くなる。いや、本当に吸い込まれていた。踏み出した俺の足が砂利を踏む。
 巫女さんはまるで人形のようにピタリと動きを止めてしまった。ゆっくりと、映画をスローで見るかのような
動きで振りむく。
 そこにあるのは絶世の美少女、ではなく意外にも年の行ったおばさん、でもない。そこには狐の面があった。
 まるで美しい映画を見ているような現実感の薄い光景から、しっかりとした現実が追いかけてくる。もしかして
幽霊ではないだろうかという恐怖感に襲われた。
 ……この年になって幽霊とかありえないって。ないない。ない……。ないけど、ダッシュで逃げた。
 その日の夜、トイレに行くことすら怖かったのを覚えている。

 イベントもなければ、フラグも立たない。不健全な出来事も起きずに、普通の高校生らしく春休みが終わった。
 いつものように具にも付かない友人どもとアハハウフフと優雅に弁当を貪っていると、クラスで随一、
学年でも有数の美少女と名高い鈴川さんが話しかけてきた。
「久谷くん、今日の放課後空いてるかな?」
 と、小首を傾げながら聞いてきた。
 ――神様っていたんだ。神様ありがとう!
「はい! 空いてます。空いてなくても空けます!」

606 名前: 麻薬検査官(山形県) 投稿日:2007/04/01(日) 12:26:43.37 ID:kEd0tKlk0
 腐れ友人どもの目が怖い。
 俺は首が取れんばかりに力強く頷いた。もちろん友人はそんな心配をしてくれなかった。
 鈴川さんは美少女だ。流れるような黒髪は清楚可憐。その細い手足は保護欲をそそる。抜けるような白い肌は、
触れれば吸い付くような瑞々しさを持っていることだろう。
 しかしそれだけに留まらない。試験では上位に食い込み、教師が理不尽な行動を取ればそれに歯向かい、弱き者を
助け、女子の人気も高い。
 友人たちの「絶対騙されている」や「財布の中身は置いていけ」や「飛び降りは下に人がいないことを確認してから」
などの暖かい声援を受けて、俺は屋上へと向かう。
 屋上に上がるための鉄の扉を開けると、晴れ渡った春の日差しを感じる。
 その日差しの下、鈴川さんは立っていた。
 彼女へと歩み寄る僕に気が付くと、天使のような微笑みを浮かべて
「来てくれたんだ」
 そう言った。ここで浮いたセリフの一つも言えれば、格好がつくのだろうが俺はそんなことは思いつかずに
「う、うん」としか返せない。
「あのね、久谷くんに聞きたいことがあるんだけど……」
 手を後ろで組み、少し伏し目がちにする彼女。
 俺は知らぬ間にフラグを立てたのだろうか?
 この後に続く言葉は「今、好きな人いる?」や「彼女いないよね?」などの甘くかぐわしい青春の香り漂う
セリフだろう。そうであってほしい。いや、そうにちがいない。
「一ヶ月前、公園で何か見なかった?」
 ――ほら、見たことか。人生甘くないって。誰だ。青春の香りとか抜かした奴は。
「な、何かって何?」
 春休み中のあの出来事を思い出すが、灰色の脳の隅に追いやって知らない振りをした。
 そんな俺を、彼女は少しだけ身を屈めて上目遣いで見る。なんて卑怯なんだ。美人はこれだから……大好きだ!
「本当に何も見なかった?」
「見なかった。全然。全く。これっぽっちも」
 彼女は「ふーん」と言うと、後ろに組んでいた右手を顔にかざす。その手に収まっていたのはあの日の狐の面。
 あの時の恐怖がよみがえった。心の中の某軍曹が号令するより早く回れ右をして、校舎に戻る扉へと駆け戻る。
ドアノブに手を掛け開ける。いや、開けようとした。しかしそれはびくともしない。

607 名前: 麻薬検査官(山形県) 投稿日:2007/04/01(日) 12:27:04.02 ID:kEd0tKlk0
「やっぱり見たんだね」
 真後ろから声がした。
 見たくはない。見てしまってはいけない。そう思っても体は意に反して振り向いてしまう。
 俺より少し背の低い狐面の彼女は、表情の見えないその顔で話を続ける。
「どうしようか」
 何がですか?
「見られたからには殺した方がいい?」
 そんなの聞かれても困ります。
「それとも殺されたくない?」
 どちらと聞かれればもちろん殺されたくありません。
 俺は、今度こそ首よ取れろと力の限り何度も頷く。
 彼女は肩を軽く揺らし、狐面の奥で笑う。まるで踊るようにくるりと一回りして俺から身を離すと、その面を外す。
 口は三日月のように笑顔を形作っている。黒目がちのその目は底が知れないほど深かった。
「何であんなことしていたのか、聞かないの?」
「……時代劇で悪事の詳細を話すのは、聞いた人を殺すつもりだから聞きたくない」
「悪人扱いなんてひどいなあ」
「殺すの殺さないのと言ってたのは誰だ」
 俺の言葉に返事を返さずに、彼女は後ろを向く。
「わたしはね、あの桜を元気付けていただけなの」
 彼女は雲ひとつない空を仰ぎ見ながら、そう言う。
「最近、あの桜の木って元気がないのは知ってるよね?」
「あ、ああ。ここ数年、花が咲いてないな」
「だからあの時、わたしはあの木に元気をあげようとしてたの。久谷くんに邪魔されちゃったけどね」
 よく意味がわからなかった。あそこで踊っていたことと桜の木の関係が。
「あの、ごめん」
「わたしって、久谷くんからどう見える?」
「どう見えるって……」
 どこからどう見ても美少女だ。制服姿もよく似合っている。もし付き合えるなら俺の高校生活はバラ色だろう。毎日くんず――。
「わたし、妖怪なの」
 ほぐれつでウッハウハの生活を――はい?

608 名前: 麻薬検査官(山形県) 投稿日:2007/04/01(日) 12:27:24.77 ID:kEd0tKlk0
 俺が頭の上にクエスチョンマークを浮かび上がらせていると、後姿を見せている彼女は手に持つ狐面をまた被る。
 ……頭に生えている耳は何ですか? 尻尾が見えていますよ?
「銀狐って知ってる?」
 俺のつたない知識にその単語は登録されていません。
「お稲荷様は知ってるよね。狐を祭っている神社の神様。わたしはあの神様の眷属なの」
 どうやら電波を受けた何かだ。そう思いたかったが、現在見えている耳と尻尾がその想像を裏切ってくれる。
「銀狐は月から力を借りて、妖力って言えばわかりやすいかな? 力を使える。それをあの桜に分けていたの。
最後に一度だけでいいから花を咲かせたいという桜の願いを聞いてね」
「ふーん……意外と毛深いんですね」
 彼女の話を全く聞いていない俺の言葉に、彼女は凄まじい早さで振り返り、面を被ったままの顔で睨む。
「すいませんでした!」
 俺からは見えない彼女の目に圧倒されて、謝ってしまった。
「ともかく! 見られたからには何らかの処理をしないといけないと思ってるわけ!」
 彼女の勢いに押され、俺は頷く。それを見て彼女は落ち着きを取り戻すように少し深呼吸をした。
「それで、殺されるのと死ぬの、どっちがいい?」
「結局、そこに落ち着くの? それにどっちも死ぬし!」
「まあ、それは冗談だけど」
 その言葉のあと、彼女は狐の面を取る。麗しい顔に微笑みが浮かんでいる。
 俺の頬を両手で優しく挟む。女性の甘い香りが鼻をくすぐる。その細く柔らかい手の感触は、思春期真っ只中の
俺にはたまらなく気持ちがいい。
「黙っていてくれたら、ご褒美をあげる……。イエス? ノー?」
 この久谷浩二の最も好きなことの一つは、自分が強いと思っているやつに対して「ノー」と言って断ることだ!
「イエス!」
 俺の答えに彼女は微笑む。
「お利口さん」
 彼女はそう言うと、美少女と名高い顔を俺に近づけていき――。

 その後のことはよく覚えていない。
 ただ、唇には柔らかい感触があり、甘い香りがする。
 そして「もし誰かに話したら……」という言葉が耳に残っていた。



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