【 おかしまい 】
ID:FW+82FPL0




539 名前: ゆうこりん(愛知県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:13:53.30 ID:FW+82FPL0
 プリンうめぇ。心からそう思う。
「あー、お昼の三時はどうしても小腹が空くな……」
 世間は卒業シーズン真っ只中だが、中学二年生の私にはそんなもん全く関係なっしんぐ。春休みを間近に控
えた休日の午後なのである。プリンうめぇ。手も口も止まる気配がない。
「次は何に挑戦してみよっかなー、ケーキもいいし……クッキー? ビスケット?」
 そろそろプリンを制覇してしまいそうなので、次の対戦相手を考えてみる。どれもこれも魅力的過ぎて困る。
どうでもいいがクッキーとビスケットの違いってなんだろう。
 などと、とりとめのないことを考えていると玄関の方でドアの開く音が聞こえた。
「お、帰ってきたかな?」
 微かな足音を数回聞く。するとこの部屋のドアが、がちゃりという音と共に開いた。我が愚妹、ゆずのご帰
還である。
「あ、姉さん。ただいま帰りました……」
 うむ、今日も綺麗な栗色の髪の毛だ。うらやましい。
 それにしても気のせいか、今日はいつにまして元気がない。顔色が悪そうなのはいつものことだが。
「うむ。楽にせい。そんなことより今日はプリンを作ってみたでの。ほれ、たんと食え。たーんと」
 冷蔵庫の方を指差して、ゆずに言う。
「……プリン、ですか」
 おかしい。いつもなら普段被っているはずの猫を投げっぱなしジャーマンで叩きのめしてでも冷蔵に駆けて
行くはずなのに、今日は青ざめた顔でプリンですか、などと感情を殺した声で呟いている。
「んもぅ! ゆずちゃんったら冷蔵庫の場所が分からないのかなー? 冷蔵庫はね、こっから月面を北に三百
キロ進めばいいんだよ? 危険だけどねっ」
 エデンからは出られねえんだよ。プリン食って元気出しやがれ。君のような薄幸少女には圧倒的に糖分が足
りてないのだ。ただでさえいつも元気がないのだから。
「姉さん、意味の分からない冗談は止めてください……あ、それと今日はプリン結構ですから」
 そうそうプリンは結構なんだ。牛乳と卵と砂糖が奏でる奇跡のハーモニーを、って――
「ギャッ! グッワ! 待ってくれ! 待ってくれ!」
 私は、叫んだ。
「食ってくれよ! せっかく作ったんだから!」
「まーた訳の分からないことを。とにかく、今日は結構ですから姉さんがもうひとつもいただいて下さい」
 必死の懇願にもかまわずゆずは言葉の暴力で私を殴り続ける。

540 名前: ゆうこりん(愛知県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:14:17.40 ID:FW+82FPL0
「ヒッー! 食べてー! 食べてー!」
 私が悲鳴に近い叫び声を上げた。
「いい加減にして下さいっ!」
 ゆずが、叫んだ。
「あっ……はい」
 私の常識が、後ろから私の理性を取り押さえた。

「全く、お前が変なこというから変なモノが乗り移ってきちゃったじゃないか」
 おやつの後のコーヒーを啜りながら、向かい側に座ったゆずに向かって言う。うん、ちょっと今日は砂糖が
多すぎた。
「まったく筋の通らない理屈ですけど……すいませんでした」
 いつもながら、理解の早い妹で助かる。いつもは愛いやつめっで終わってしまうところだが、今日ばかりは
そういうわけにはいかない。
「まあ、座ってくれよ。なんで私のプリンが食べられないのか詳細を頼むぜ?」
「もう座ってます。詳細、ですか。簡単なことです。私、お菓子はもう卒業することにしたんです。モウ飽き
飽きなんですよネ。お菓子トカ、あはははハはは」
 後半の恐ろしいくらいまでの棒読みが明らかに飽きたという理由ではないことを語っている。まあ、理由な
んてのはどうでもいい。お菓子を卒業。許せないのはこの部分だ。
「ふふふ、理由を問うつもりはないが、ゆず。君はお菓子を卒業するというんだな?」
 こくりと無言でゆずは頷いた。上等じゃないか、その言葉後悔させてやんよ。そしてお前は跪くのさっ。こ
の私の前に、ギブミーお菓子、とね。悪いが今日のプリンは自信作なんだ。口にした瞬間ほっぺとプリンのシ
ンクロ率が四百パーセントオーバーで溶けてなくなることうけあいだぜ。
 椅子から重い、いや軽い腰を上げて私は凄まじい怒気を孕んで冷蔵庫まで歩いていく。
「こいつを見てもっ――」
 そして、迷うことなく取り出すのは黄金の理想郷。理想の果てに作り出すことに成功した究極の具現体。
「まだそんなことが言えるってのかアンタはぁっ!」
 脳内に轟く爆音。実際は優しく机に置く。私の作品に乱暴な真似なんてとてもじゃないが出来ない。だが、
脳内でも現実でも共通していることがひとつ。それはこのプリンが、圧倒的な存在感をリビング中に放ってい
るということだ。
「……っ!」

542 名前: ゆうこりん(愛知県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:14:39.72 ID:FW+82FPL0
 勝ったッ! ゆずの卒業、完! 間違いなくゆずはこれを食べる。唾を飲む音、しかと聞き届けた。愚かな
り葉定ゆず。私の至高の一品を目の前にしてお菓子を卒業とは片腹痛い。痛すぎて呼吸困難になりそうなくらいね。
「さ、卒業なんて考えなして食べちゃいなさい。貪っちゃいなさい」
 こうしている間にもプリンの芳しい香りが私の鼻腔を陵辱しつづけている。むしろゆずの卒業を促して私が
食べてしまっていいんじゃないだろうか。なーんて――
「け、結構ですから! 姉さんがどうぞっ! ははは」
「ねええええええええええっ!?」
 ありえない、このプリンを目の前にして結構だと。そりゃ確かにかなり我慢をしている感はある。むしろギリ
ギリな状態だと言っていい。だが、許されない。このプリンが、食べたいという欲望を抑え込めるほどの代物
であるという事実が納得できない。プリンといえば洋菓子の最もスタンダードな――
「洋菓子……ふふふ、そういうことか……」
「も、もういいですか? それじゃあ……わたしはこれで」
 名残惜しそうにプリンを眺めながらも、欲望に打ち勝って安堵しているゆず。
 そうやって欲望を我慢できるのも今のうちだ。忘れていたよゆず。洋菓子ジャンキーの私には君の嗜好は盲点
だったのだ。
「ゆずっ、お前にふさわしいお菓子は決まった!」
 淡く輝く抜群のショッキングピンク、全てを包み込むエメラルドグリーン。出て来い――
「さ、く、ら、も、ちィッー!」
 勢いよく叫んで私は戸棚にしまってある桜餅を取り出して机に置く。見ろよ、この輝きをさぁ。惜しむらくは
これが私の作ったものじゃないということ。兄さんの自慢の一品を食えないとは言わせないぞ。
「あっ! そ、それは」
「ふん。食べないとは言わせないぞゆず。私たち姉妹をお菓子ジャンキーに仕立て上げた兄さん自慢の一品。
思い出の桜餅っ! 久しぶりに食べたくなって作ってもらったのを思い出したぜ……これでもお菓子は卒業か?」
「う、うあ……私は……」
 読み通り! やはりゆずは和菓子派。和菓子派の人間がこの桜餅を目の前にしてお菓子を卒業だなんてほざける
はずがない。私だったらこんなお菓子を食べられない人生ならお菓子の前にまず人生を卒業するわ。
 無言でゆずの手が桜餅へと伸びる。おいおい、そりゃあないぜセガール。ゆずが桜餅を取る前に私は皿を取り上げた。
「何か、言うことあるんじゃないかい……? ちなみにこれは私が兄さんにリクエストした私の桜餅だ」
「あ、その……姉さん」
 ああ、その潤んだ瞳。これだからやめられねえんだ妹いじり。

543 名前: ゆうこりん(愛知県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:15:19.74 ID:FW+82FPL0
「なーんだいっ?」
 だ、ダメだ。笑うな。笑いをこらえるのがこんなに大変だったとは。そうだ、あと三十秒経ったら先にいただいてしまお
う。五、四、三――
「そ、その食べさせて……ください」
 ゆず、私の勝ちだ。
「だが断る」
 私は自分自身でも曇りの一辺もない笑顔をゆずに向けたあと、皿に乗っていた桜餅を全て口の中へと放り込んだ。
 この葉定レンの最も好きな事のひとつは自分の妹の頼みごとをNOと断ってやることだ。
 この世の終わりみたいな顔をしてこっちを見てるゆずを見ていると、流石に悪い気がしてきたのでここでネタばらし。
実はこの桜餅。ゆずの分も用意していたのだ。
「いひゃぁ、わむいね。でほ、あんふぃんふぃへ。ほはなにまは(いやぁ、わるいね。でも安心して。戸棚にまだ)」
 ゆずの分があるよ、と言おうとした瞬間。
「んむぅ!?」
 ゆずの口と私の口がぴったりとくっついた。い、息が出来ない。じたばたして離れようとするが、火事場のバカ力という
やつかゆずの力が強すぎてまったく振りほどけない。
「(舌を入れるなーっ!)」
 視線での抵抗も空しくゆずは口内に舌を侵入させてくる。というか、まだ私の口の中に残っている桜餅を奪おうとしてくる。
「(ペロ……これはゆずの舌! って、言ってる場合じゃねー!)」

544 名前: ゆうこりん(愛知県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:15:46.38 ID:FW+82FPL0
 口を犯されること数十秒。見事に桜餅を奪われつくした私はほとんど放心状態だった。
「な、何をするだぁ……!」
 息も切れ切れに私はゆずを睨む、悦に入った表情で茶なんか啜ってんじゃねえよ。これでもこちとら初めてだったんだぞ。
「あ、ごちそうさまでした姉さん。お菓子からの卒業やっぱやめにしますね。太ったくらいじゃこの味はやっぱり止められま
せんでした……あはは」
「あははじゃない! しかもなんだ太ったって! 中一のくせに生意気なんだよ! 体型のことなんかもちっと成長してから
考えろよ!」
「ええ、言われなくてもそうします。さーて、私の分も食べようかなー。あ、姉さんはもう自分の分食べちゃいましたから食
べられませんねー。残念残念」
 負けた。完敗だ。その勝ち誇った笑みに。そして何より策に溺れた自分に。
「ちく……しょう……」
 妹いじりはそろそろ卒業しよう。ゆずの成長を感じ、ひしひしと思った。とりあえず今は、
「お願いですからこの卑しい私めに、その輝く桜餅を食べさせてください」
 ゆずはとても可愛らしい笑顔で、しょうがないなあ、と呟いたあと――
「だが断ります」
 悪魔の笑顔でそう言った。
   ―終わり―



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