【 一メートル先のきみに 】
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530 名前: 配管工(catv?) 投稿日:2007/03/25(日) 23:09:29.10 ID:fETgbMYl0
 小学校。
 多くの青い果実たちが、むらむらとしながら共同生活を送る学び舎。
 ロリコンの聖地。
 時たま未成熟な愛が育まれたりする。
 昨今では少子化問題の憂き目にあい、連鎖的に潰れることも珍しくないようで。
 母校の廃校の知らせを俺が知るきっかけとなったのは、地方紙に躍った小さな記事だった。
 最後の卒業式が行われた翌日、仕事を午前で終えた俺は、ほんの気まぐれでそこに立ち寄ることにした。
「おお、なつかしい」
 独り言を呟きながら、ネクタイを緩めた。
 かなり年期が入っている。外面は、かなり厳つい。
 幾度も修繕がなされているためか、壁にはひび割れが無数に走行している。まるで老婆の肌に蓄積された皺を見ているようだ。
 歴史ある建造物といえば聞こえはいいが、早い話がボロっちい。
「たのもー」
 ガラガラー。
「……」
 いとも簡単に正面玄関突破しちゃったけど、セキュリティー管理が杜撰すぎやしないだろうか。
 い、いいの?と思っていたら受付に職員がいた。
「すいません。ここの卒業生なんですが。ええ、五十六期生で」
 昇降口で外来用とかかれたスリッパを失敬し、廊下をひたひたと歩く。
 内装は外装に比べたらましな方で、目立った損傷はそれほど見受けられない。
「わーい、人体模型だあ」
 童心にかえってはしゃぐ。
 三階にあがった。この階は五・六年生の教室が鎮座している。
 俺は自分の通っていた教室に足を向けた。
 目的の教室プレートが見えてきた。
「?」
 踏み入ろうとして躊躇した。中から人の気配。というか歌声。

531 名前: 配管工(catv?) 投稿日:2007/03/25(日) 23:10:09.07 ID:fETgbMYl0
 幼さい声は、どこまでも透き通る。でも、舌足らず。そんな未完成の歪さに陶酔する。
 それは唐突に打ち破られた。歌声がぴたりと止んだのだ。
「だれ?」
 向こうがこっちに気づいたようだ。逃げたり隠れたりする必要はない。俺は鴨居をくぐる。
 そして、その少女の顔を見て俺は息を呑んだ。
 遠い日の記憶がフラッシュバックする。
 少女――桐谷ほたるは、すべてがあの日のままだった。

「あ、ハナミズキ」
 ハナミズキ……俺のこと。
 あだ名の由来云々につきましては、めいめいキャパシティーを駆使して補完していただこう。子供の悪意って残酷よね。
「まあた、鼻水垂らして」
「矢先にばらすなよ!」
「運賃表示機だっけ?」
「漏らしたことねぇよ!」
 桐谷はけたけたと笑った。
 次いで、机から飛び降りて近寄ってくる。低身長だ。
「うっす、チビ」
「うい」
 挨拶。かなりダメダメな。
「なにして遊びたい?」
 そう……あの日もそうだった。桐谷はこうして脈絡もなく誘いを持ちかけてきた。ネジがゆるいのかもしれない。
「悩むなあ。そんじゃあ、両地首を糸をくくりつけた洗濯バサミで挟み込んで、まるでピュアな恋愛模様を楽しめなくなったカップルが、
 浮気を引き金に離れていく時のような空虚さを醸しつつ、反対方向に引っ張り合うという荒行に挑戦しようかな」
「じゃあ、鬼ごっこね。十秒数えて」
 聞いてねーし。
 言うが早いか、桐谷はとっとと教室を出て行ってしまった。

532 名前: 配管工(catv?) 投稿日:2007/03/25(日) 23:10:42.45 ID:fETgbMYl0
「やれやれ」
 ちょっくら遊んでやるか。
「いーち、じゅーう」
 二進数で数えた。追尾を開始する。
 背中はそう遠くはない。
 俺は廊下を突っ切りながら、違和感を覚えた。
 同じ光景を知っている気がした。
 埃をかぶった記憶を掘り返されていく。
 この後……まっすぐ東階段を下りる。
 思ったとおり、桐谷は東階段を駆け下りた。
 それを見て、俺は確信する。これはあの日の再現なのだ。
 アウトインアウトでくの字に曲がり、やがて二階に差し掛かる。
「ハナミズキおそいおそいっ」
 桐谷が振り返る。
 危ない!
「前!」
「え?」
 手を伸ばした――。

 卒業式の数日前。
 桐谷は足を踏み外した。
 俺は手を伸ばしたが、滑稽なくらいぜんぜん届かなかった。
 永遠の一メートル。
 桐谷はごろごろと転がり落ちて、頭を打って、怪我をした。
 結果、膝をすりむいた。
 軽症だった。
 軽症だと思っていた。
 桐谷の訃報が届いたのは、卒業式当日のことだった。
 死因、脳挫傷。

533 名前: 配管工(catv?) 投稿日:2007/03/25(日) 23:11:15.11 ID:fETgbMYl0
「……」
 埃が舞っている。光をキラキラと反射して綺麗だ。
 仰向けに倒れている。どうやら落ちたらしい。
 俺の腕の中で、重いものがもぞもぞと動く。
「あせくさい」
「……文句言うな」
 俺はむくりと起き上がる。
「どこもぶつけなかったか?」
「う、うい。ダイジョブ」
 何故か桐谷は俯いている。様子が変だ。イントネーションも変だ。
「なんか、ぐわっと加速した」
「ん……まあ、陸上部でした。曲がりなりにも」
「りくじょうぶ」
 言葉を反芻するように。
「ドジでのろまな亀のハナミズキが? どうして」
 ひでぇな。
 どうして、ね。
「忘れたね」
 恥ずかしいから、本音は心の中で言うとするよ。
 桐谷。お前との、どうしようもなく遠い一メートルを縮めたかったんだ。
 格好の悪い逃避だ。
「卒業式、これで出れるな」
「……うん」
 俺たちはようやく離れる。
 いつの間に夕方になったのか、外は橙色に染め上げられていた。立ち上がり、スーツについた埃を掃う。
「じゃあ、俺帰るわ」
「ん」
 玄関に向かう。

534 名前: 配管工(catv?) 投稿日:2007/03/25(日) 23:12:00.69 ID:fETgbMYl0
「ハナミズキ!」
 名前を呼ばれた。足を止めて顧みる。
「さっきの、けっこう格好よかったよ」
 光の下で、彼女は笑顔だった。

 あれから。
 月日は流れ、取り壊し工事が始まった。
 ヘルメットで頭を覆った野郎どもが、右へ左へ忙しく行き交っている。
 その周りに群がっている老若男女は、OBなのか単なる野次馬なのか。
 俺は離れた所から、タバコを咥えてその様子を見守っていた。
 歓声があがる。
 いよいよ重機が動き出した。
 俺は傍らからビールを取り出し、プルタブを開けた。
 乾杯の合図を。
 高らかに、どこまでも高らかに告げよう。
「卒業おめでとう」
 もう一人の第五十六期生。遅刻してきた卒業生に。

                                           <完>



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