523 名前: 通訳(鳥取県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:05:57.87 ID:eIbB4vFW0
一目見た時から、ずっと君に恋をしている。
これから先――多分、一生。君の事は忘れないだろう。
だけど、もう二度と。君に、会えはしない。
第五十一回週末品評会――卒業。
「……せ……ぃ……」
もうじき、冬が終わる。気温も大分上がってきたし、そろそろ桜が咲いてもいい頃だろう。
山はまだ雪化粧をしたままだが、街中で雪を見かける事はなくなった。
雪は嫌いではない。一面に雪が降り積もった景色は、まさしく銀世界と呼ぶに相応しい。
世の中の汚いものをすべて覆い隠してしまっているかのような――統一された、白。
「……先輩、ってば!」
その声に、俺はゆっくりと顔を上げる。
「耳元で叫ばなくても聞こえてるよ、由紀」
目の前に、頬を膨らませた少女が立っていた。
佐々木由紀子、高校一年生。一学年下の後輩で、俺は由紀と呼んでいる。
「聞こえてたんなら返事をして下さい。先輩は寝てるか考え事をしてるか区別がつかないんですから」
そう言って、由紀はますます頬を膨らませる。
小動物みたいだな、と以前言った時にはわき腹をくすぐられたので、今は言わない事にしておく。
「考え事をしていたんだよ。部長らしく、ね」
そう言って俺は部室を見渡した。
目に映るのは石造りの壁と申し訳程度に部誌の入った本棚、木製のテーブルと、同じく木製の椅子が五つ。
俺が座っているのを含めて全部で六つの椅子があるが、その主は俺と由紀の二人しか居ない。
「先輩たちが抜けて部員は今現在二人。新一年生を最低でも三人は集めないとこの文芸部も同好会に格下げだな」
「そんなに冷静に言わないで下さいよ、先輩」
俺としては溜息混じりに呟いたつもりだったのだが、どうにも俺は感情を表現するのが苦手らしい。
524 名前: 通訳(鳥取県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:06:29.12 ID:eIbB4vFW0
これでも危機感は覚えているつもりだ。由紀には伝わらなかったが。
「先輩の書くキャラクターは表情豊かなのに、どうして先輩自身は朴念仁なんでしょうね?」
それを俺に聞いてどうするつもりだ。というかそれを俺に言うか、普通。
「……何でも思い通りに事が進むのは小説や漫画の中くらいなものだ。現実は、そんなに甘くない」
そう答えたものの、小説の中のキャラクターにしてみれば思い通りに進まない事も多々あるのだろう。
それでも、物語の行く先は書き手一つだ。どれだけ幸せにする事も出来るし、その逆もまた。
それに比べて、現実のなんと不条理な事か。
どんなに望んでも手に入らないものなんて幾らでもある。
小説にハッピーエンドが多いのは、書き手が現実では叶わない夢を書いているからなんじゃないかと思う。
読み手もまた叶わない夢が叶うのを小説に求める。だから、そういった本が多く書かれるし、売れるのだろう。
俺はハッピーエンドで終わる小説なんて滅多に書かないが。
「……由紀?」
いつもなら思考の飛躍した俺を由紀が現実に引き戻すのだが、今日に限ってそれがない事を不思議に思い、俺は逆に由紀に呼びかけた。
その表情は、どこか陰がかかっていて。
「由紀、どうした? 調子でも悪いのか?」
「現実って、残酷ですよね。小説なら幾らでもハッピーエンドにする事ができるのに……」
考えていた内容自体は俺とさほど変わらないようだったが、由紀の表情にはどこか緊迫したものがあった。
由紀が入部してから今まで、こんな表情を見たのは初めてかもしれない。
文化祭でミスひまわりに選ばれた程の少女の笑顔は、今は見る影もなかった。
「何かあったのか?」
そう聞いてみるが、返事はない。思い詰めた表情のまま、由紀は俯いていた。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。数秒か、数分か。この部室には時計が置いてないので正確にはわからないが。
顔を上げた由紀の表情は、いつもと同じものだった。
「――なんて、心配してくれました?」
「は?」
くすくすと、笑って。
「たまには、先輩の困った顔を見てみたいと思ってですね。あんまり表情は変わってなかったですけど」
いつも通りの、由紀の笑顔。それは、本当にいつも通りで――かえって、不自然だった。
525 名前: 通訳(鳥取県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:06:57.61 ID:eIbB4vFW0
それから、数週間。春休みが明けて学校に出てきた俺は、部室の机の上に置かれた手紙を見つけた。
『先輩へ。
私、佐々木由紀子は三月末をもって引っ越します。
先輩と一緒に新入部員の勧誘をしたかったんですけど、私一人残る事を親は許してくれませんでした。
先輩には言っておこうと思ったんですけど、やっぱり言えませんでした。
言ってしまったら、多分、離れられなくなってしまうと思いましたので。
先輩一人で新入部員の勧誘が出来るか心配です。先輩、朴念仁だから。
先輩は知ってると思いますけど、“朴念仁”って“無愛想”って意味だけじゃないんです。
“わからずや”、です。先輩、知ってました?
朴念仁の意味の事じゃないですよ? 私、先輩の事が好きだったんです。
私が文芸部に入ったのも、先輩が居たからですし……一目惚れだったんですよ? 結局、最後まで言えませんでしたけど。
去年の部誌の題材は“卒業”でしたね。私は、先輩から卒業したいと思います。入学すらしていませんでしたけど。
先輩も、朴念仁から卒業して下さいね。ちょっとは愛想良くしないと、新入部員が入ってくれませんから。
以上、不出来な後輩より』
「……阿呆、が」
独りになった部室で、俺はそれだけをようやく捻り出す事が出来た。
知ってました? じゃねぇよ。知らなかったのはお前の方こそ、じゃないか。
新入部員なんて入らなくてもいいんだよ。同好会になろうが、好きな文章が書ければ。それで、お前が読んでくれれば。
手紙を持った手に、思わず力が入る。そこでようやく、二枚目がある事に気付いた。
『追伸。
先輩の書く文章のキャラクターは表情豊かで、私は好きなんですけど。
でも、終わり方がいつも悲しいので、たまにはハッピーエンドのものも書いてあげて下さい。
現実はそんなに甘くないんですから。せめて、小説の中くらいは幸せなのがいいと思います』
やはり、由紀は不出来な後輩だった。追伸に『好きでした』って書いた方が物語としては盛り上がるだろうに。
そんな事を思って、批評する相手はもう居ない事を改めて気付かされる。
本当に、不出来な後輩だ。
526 名前: 通訳(鳥取県) 投稿日:2007/03/25(日) 23:07:27.07 ID:eIbB4vFW0
入学式が終わり、由紀の心配とは裏腹に新入部員は五人も居た。
同好会に格下げされる事もなく、文芸部は少なくとも向こう二年は安泰だ。
俺が無愛想なのは相変わらずだったが、少しずつ、ハッピーエンドで終わる小説を書くようになった。
そして、更に時は流れ。大学進学も決まり、もうじき俺は高校を卒業する事になる。
俺は今でも暇を見つけては小説を書いている。次の作品も、冒頭だけは出来上がっていた。
『一目見た時から、ずっと君に恋をしている。
これから先――多分、一生。君の事は忘れないだろう。
だから、もう一度。君に、会いに行こう』
さて、問題は何て言って迎えに行くか、だが。まぁ、何とでもなるだろう。
ハッピーエンドで終わるのが小説だけじゃないって事を、出来の悪い後輩に教えてやらないとな。
≪完≫