【 汝、その身を盾として。 】
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497 名前: ハンター(大阪府) 投稿日:2007/03/25(日) 22:47:49.50 ID:fZzMsyxZ0
 教会の石造りの壁が、ロウソクのほのかな灯りに照らし出され、ぼんやりと浮かび上がる。
 レティシアは、大きな扉のある入り口から、祭壇と、その上にある大きなステンドグラスの
窓を見上げた。闇の中で、色ガラスが淡い色に揺れていた。
 コツ、コツ、と革靴だけが乾いた音を立てる。
 深夜。城の隣にある、王族の教会。
 祭壇にむいて並ぶベンチの列の中程に、その女性は座っていた。
「お待たせいたしました。お呼びでしょうか」
 レティシアは女性の脇まで来ると、静かに声をかける。
「ああ、ごめんね。忙しい時に。これを渡したくて」
 女性は隣に置いておいた一抱えほどもある箱を取り出すと、レティシアへ差し出した。
「明日、見習いの卒業試験でしょう? これ、服なのだけど明日使って欲しい。サイズは、
合ってると思うのだけど。――よかったら、開けてみて」
 レティシアは淡いピンクのリボンを引くと、箱を開いた。濃紺の、しなやかな布地。襟元や
袖口には細かい刺繍が施された白いレースがあしらわれている。
「こんなことしかできないのだけれど」
「ありがとうございます」
 スカートをつまみ、腰をかがめながら、ゆっくりと、作法通りに頭を下げる。
 髪を二つにくくる、濃紺のリボンが揺れた。
      ◆
 朝。レティシアは、小さなベッドの中で起きあがると、壁に掛けた洋服に目をやった。
 濃紺のたっぷりと布を使ったワンピースと、極上のリネンでつくられた、エプロンスカート。
少し、目立ちすぎる。一目見て解るものの良さに、少しだけ顔をしかめた。
 あくまで影として行動するのが本当なのに。しかし、これを着る以外の選択肢は無かった。
渡された、と言うことは命令なのだ。そう思いながら、夜着を脱ぎすて、下着姿になった。
 命令ならば、仕方ない。
 この、王室の別荘で見習いとして働くようになってもう1年が過ぎようとしている。
 レティシアは手早く髪を二つに括ると、リボンを結んだ。
 ひざまずいて、胸の前で手を合わせ、祈る。一人部屋だ。他人の目を気にする事もない。
 長いまつげがふるえる。
 そして、今日が始まる。

498 名前: ハンター(大阪府) 投稿日:2007/03/25(日) 22:48:38.41 ID:fZzMsyxZ0
「レティシア・コリンズ。こちらへ。シンシア様がお待ちです」
 食堂で食後のお茶を飲んでいると、メイド長の声が響いた。
 周囲に座る少女達が、一斉にレティシアを見る。
 短く返事を返し、レティシアは立ち上がった。レティシアと同じ、見習いメイドの少女達は
小さく、注意を受けない程度にレティシアの腕に触れるなどして、声援を送った。
 食堂を後に、メイド長の後をついて歩く。ゆっくりと、胸を張って。ほっそりとした首に、
ハイネックになった襟の、真新しいレースが少し痛い。
「背中の傷――体の調子はどうですか?」
 長く、暗い廊下を歩きながら、メイド長はふり向かずに言った。
 レティシアが一人部屋にいる理由になっている体を、気遣っての事だった。
「無理はしないように。見習い卒業の為の試験ではありますが、なによりも、お客様を
おもてなしする事が第一になっている事を忘れずに。お客様は……どうやら少々荒っぽい
方のようです。シンシア様が直々にお相手をされているので、それなりの方であることは
間違いありませんが。緊張しないように。普段通りの実力を出せば良いのです」
 お気遣い、ありがとうございます。レティシアが短く返すと、メイド長は振り返り、小さく
笑みを見せた。廊下が終わり、庭へ降りる扉が開かれる。芝生が光って見えた。
「さあ、行ってらっしゃい。ここが、あなたの戦場です」
 小さく頷いた。
 濃紺のベルベットとレースに飾られたエプロンドレスを身にまとい、銀の盆を抱える。
 それが、今日の装備。
 レティシアはふうっ、と一つ大きく深呼吸をして、踏み出した。
 城を出ると、そこは緑一面の草原が広がっていた。
 遠くを森に囲まれた前庭は、丘を四つ、小さな湖とそれに連なる川をのむほどの広さと
聞いている。その中の、もっとも城から近い丘の上に、王室の青を基調とした天幕があった。
 青い空の下、風が草原を渡っていく。その中をレティシアは丘に向かって歩いていった。

 レティシアは天幕を守る衛兵に会釈をして、中へ入った。
 軽くダンスが踊れそうなくらい広い天幕の中、テーブルについた金髪の少女の姿が見える。
それがこの城の、そしてレティシアが使える主人だ。

501 名前: ハンター(大阪府) 投稿日:2007/03/25(日) 22:49:43.79 ID:fZzMsyxZ0
「モリー。これがあなたの言う訓練の成果だとでも?」
 威圧感のこもった声が天幕の中に緊張を走らせる。
 中央に置かれたテーブルを叩かんばかりの勢いで、シンシアが向かいに座る
女性を睨みつけた。机の上には、書類が積まれていた。
「誰もこの丘に近づく事もできなかったのよ?狙撃の基本になる隠密行動が取れ
ないなんて、お話にならないわ。試してみてくれ、って言われたから近衛軍を出したのに
――あ、レティシア。お茶をいただける?」
 金髪の少女は、天幕に入ってきたレティシアに頼んだ。薄い青のドレスが、天幕に
持ち込まれたクラシカルな椅子やテーブルに似合っている。
「シンシア様、私たち、街ネコなんです。こういう自然が一杯な所は性にあわないんですよ。
正規軍じゃなくて、地下勢力ですしね。上品に言えばレジスタンス、ぶっちゃけた話、ゲリラ
みたいなもんですから」

 聞くともなく会話を耳に入れながら、天幕の片隅にあらかじめ用意されたコンロで湯を沸かし、
お茶の用意をした。ついでにいついわれても良いように、サンドイッチの用意をチェックする。
 今日は草の緑の匂いがヤケにつよい。茶葉を少し多めにティーポットに入れる。あとは作法通り。
丁寧に、そして温度が下がらないように、素早く。軟水に合わせて、十分に沸かしたお湯を
ティーポットの中へ。そして、茶葉が開く様子を想像する。タイミングを計り、すっ……とポットを
静かに持ち上げ、降ろす。ゆったりと紅茶をカップに注ぎ入れると、天幕の中に香気が立ち上った。
 失礼致します。声をかけ、音を立てずに、ソーサーに乗せたカップをテーブルの上に移す。

「この娘ね、今日一日が試験なのよ。髪を結ったリボンが青いでしょう?正式に採用されると、
赤になるの。長くて三年くらいかかる事もある。この娘はとても早くて、一年くらいだけれど。 
それでも、色々な仕事を一つ一つ覚えて、立ち居振る舞いを自分のものにして、やっとよ?」
「連綿と受け継がれる伝統のためですね。――見習いは卒業できそうですか?」
 モリー、と呼ばれた主の向かいに座る女性が尋ねた。
「どうでしょう? 早くシンシア様のご期待にお答えできれば、とは思いますが」
 紅茶のカップを置くと、シンシアはにっこりと笑った。
「おいしいわ。ありがとう。十分に応えてくれてる」
 レティシアは教科書通りスカートをつまみ、腰を落として礼を返した。

502 名前: ハンター(大阪府) 投稿日:2007/03/25(日) 22:51:00.81 ID:fZzMsyxZ0
「ねえ、モリー。解ってもらえる? 国から追いだされた亡命王族としては、あなた達に
手をかしたいのは山々なのよ。でも、こうして近衛軍を維持するのだってやっとだわ」
「はい。努力は大事なのはわかりました。でも、まだ終わっていませんよ?」
「まだ隠れている兵がいるとでも?」
「ええ。恥ずかしがり屋なもので。……さて、じゃあお見せしましょう。これが私たち、
街ネコのやり方です。――ジョー、シンシア様を守れ」

 モリーは右手を上着の中に差し入れ、何かを抜く素振りを見せた。
 衛兵が目を疑う。銃――? ボディチェックは――。いや、まさか――。
 その瞬間、青い影が走った。
 がん! という派手な音がして、一瞬でテーブルが蹴り飛ばされる。
 シンシアを庇うようにして、モリーの前にレティシアが立ちふさがっていた。
 銀の盆を胸に抱き、サンドイッチを切り分けるためのナイフを振りかぶっている。

「全員、うごくなっ! 銃をしまえ!」
 椅子に座ったままのシンシアの声が響いた。銃を構えた兵がおずおずと銃をホルスターに
納める。
 レティシアはモリーを睨みつけ、ナイフを振りかぶったままだ。
 にやり、と笑ってモリーが口を開いた。ゆっくりと懐から手を抜き出す。
 なにも握られていないのを確認して、レティシアはシンシアの横に立った。
「潜入しての隠密行動、ご苦労。現任務を解く。主を守るために、銀の盆を抱えるってのは
いいアイデアだなあ。おめでとう。狙撃手見習いは卒業だ。引き続きシンシア様の警護にあたれ」
「了解しました」
 レティシアはナイフを盆と一緒に持つと、直立して敬礼を返した。
「シンシア様。失礼致しました。すぐに代わりのお茶をお持ちします」
 シンシアに向き直ると、レティシアは天幕の外に吹き飛んだテーブルを取りに向かった。


503 名前: ハンター(大阪府) 投稿日:2007/03/25(日) 22:51:24.13 ID:fZzMsyxZ0
「採用部は見直しをかけなければならないわね」
 テーブルを元に戻したレティシアは、銀盆に代わりのお茶をのせて運んできた。
 給仕しおえると、静かにシンシアの左斜め後ろに立つ。
「そうですね。文書偽造から潜入まで一人でやらせましたんで……」
 モリーは、ありがとう、といいながらカップを受け取った。
「……後ほど彼にレポートをあげさせます」

「……モリー、あなた言葉が不自由なの?」
「いえ、まったく? 母国語以外に三つほどは不自由しませんよ」
「彼?」
「はい。 レティシア・ジョー・コリンズ。名前は四人姉妹のお姉さん達がつけてくれたそうです。
正真正銘、男の子ですよ?」
「彼?」
「ええ。まあ、私はわりとカジュアルな方法で確認しましたけど」
 モリーは、ぽんぽん、と軽く自分の胸のあたりを叩いてみせた。
 ふり向くシンシア。レティシアは伏し目がちにして、静かに頭を下げた。
「……近衛師団の奴らの中に、ファンクラブがあるとかないとか聞いたけど……」
「残念ですね。解散です。まあ、『それでもいいっ!』 なんてノーマルを卒業して、そっち系に
走る奴が出てきそうですが」
 モリーは『……ああ、やっぱりそのスカート似合うなぁ。良かった良かった』 などと呟きながら
お茶を口に運んだ。
 シンシアが、はっと我に返る。
「モリー! ちょっとまって! かの……れ、レティシアは私の寝所にも入っていたりしたんだけど!」
「重用していたけてたんですねえ。ありがたいことです。ジョー? 君からも何か」
 シンシアは、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていた。
 耳たぶまで赤くなっている。
 レティシアは、口元に手をやり、少し頬を染めながら、ゆっくりと口を開いた。青いリボンが揺れる。
「……寝顔は、とても、可愛らしゅうございました」



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