【 第二ボタン争奪戦 】
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414 名前: 新宿在住(福岡県) 投稿日:2007/03/25(日) 18:36:08.84 ID:9JAI0X9L0
 校庭は異様な熱気に包まれていた。
 前に並ぶ奴は手を振り上げて自らを鼓舞している。横にいる奴は地面に膝をついて何かに祈っていた。少し遠
くでは密かに可愛いと思っていた二組の白石さんが、長い髪を振り乱しながら奇声を上げている。
 その光景を奇妙だとは思わなかった。俺だって冷静さを装ってはいるが、鼓動が早まるのを抑えきれずにいる。
「諸君!」
 スピーカーに悲鳴を上げさせながら、朝礼台に立つ校長が吼えていた。いつもの冴えないスーツ姿ではない。
いつのまにか生えた長髪を揺らしながら、袴に身を包んで悠然と俺達を睨み付けている。
「人生とは――戦いであるッ!」
 呼応するように、学生の集団から声が上がる。黒い塊が揺れている。
「知力、体力、時の運! この学び舎から三年間で得た全てを持って、今日と言う日を乗り越えて欲しい!」
 ロック会場よりも声を枯らし、宗教信者よりも盲目的に。
 敗者は全てを無くし、勝者は全てを得る。
 そう、今日は卒業式なのだから。

 誰が考えたルールなのかは知らない。創立当初からあったと主張する奴もいれば、ここ数年くらいのものだと
いう噂もある。ただ、そのルールが絶対だということだけが共通していた。
 そのルールというのはたった一つ。卒業式で第二ボタンを奪われた者は、その持ち主の命令に従わなければな
らない――。
 胸に手を当てながら、小さく深呼吸をする。背中に触れるコンクリの壁がやけに冷たい。スタートの合図から
断続的に聞こえていた悲鳴はその数を減らし、今は不気味な沈黙だけが学校を満たしている。
 プールの裏側、目の前には道路と学校を分ける大きな壁。初春の風は膝まで伸びた雑草の群れを揺らしていた。
そしてその中に横たわる学生達にも、ただ優しく。
 そんな静寂の中、がさりと草を掻き分ける音がした。とっさに息を殺し、曲がり角へと視線を向ける。いつの
まにか白い壁には、黒い影が姿を現していた。
 つま先に体重を乗せ、ゆっくりと拳を作る。影が徐々に大きくなる。からからに渇いた喉に思わず唾を送り込
むと、それは耳の奥でやけに大きく聞こえた。
 敵が角から顔を出す。拍子抜けするくらいに無警戒に。飛びかかろうとしたところで、それが見知った顔だと
気がついた。――友人の鈴木。どこか虚ろな表情のままこちらを見つけると、力なく笑みを浮かべ、そのまま前
のめりに倒れていった。

415 名前: 新宿在住(福岡県) 投稿日:2007/03/25(日) 18:36:51.34 ID:9JAI0X9L0
「お、おい?」
 駆け寄って鈴木を抱き起こす。制服の第二ボタンは、既にもぎとられた後だった。
「どうした? まさか――やられたのか?」
「……化け物だよ、アイツ」
 か細い声で鈴木は答える。
「アイツって?」
「皆やられちまったんだ。残ってるのはもう、十人もいない……」
 それだけを言い残し、鈴木の体がだらりと弛緩する。
「す、鈴木……?」
 腕の中で重みを増した鈴木の体を、ただ呆然と見つめていた。柔道部主将。全国大会にも出場したこいつが、
まさかやられるなんて――。
 そっとその体を横たえて、ぶるぶると震える拳を手で押さえる。
 仇はとってやるからな。唇をかみ締めながら、そう友の亡き骸に誓う。
「あ、そういやさ」
 しかしそんな感傷に浸る俺に向かって、暢気な声がかけられる。
「先週貸した三千円、早く返して欲しいんだけど」
「――鈴木、お前のボタンは絶対に俺が取り返してやるからなッ!」
「え? ちょ、お前まさか――」
 何か伝えたそうな友の体に背を向けて、俺は早足でその場を後にしていた。

「しかし、いくらなんでも早すぎる」
 呟きながら、状況を思い浮かべる。卒業式が始まって一時間と少し。三百人近い生徒が潰しあったとしても、
既に十人弱しか残っていないなんて。
 第ニボタンを奪う方法に厳密なルールは無い。そのため基本的には肉弾戦になるのだが、例外として道具の使
用が許可される場合がある。三年間所属していた場合に限り、その部活動の道具を使用する事が認められるのだ。
当然、俺のような帰宅部連中は拳しか使えないのだが。
 そんな中、毎年最後まで残るのは野球部やアイスホッケー部、そしてブラスバンド部の連中だった。だが、部
員数を考えると残っている人数が少なすぎる。
「まさか、野球部とかの奴らもやられちまったっていうのか?」
「少し違うな」

416 名前: 新宿在住(福岡県) 投稿日:2007/03/25(日) 18:37:30.87 ID:9JAI0X9L0
「――!?」
 突然降ってきた声で、俺は慌てて頭上へ視線を走らせた。だが、目の前にあるのは体育館の壁。さらに目線を
上げると、屋根の上でいくつかの人影がこちらを見下ろしているのが見えた。
「残っているのはもう、お前だけだ!」
 結構な声量で、そいつらはそう宣言する。どうでもいいが、やたら耳がいい。
「……じゃあ、鈴木もお前らがやったっていうのか!?」
「そうだ。だが寂しがることは無い。すぐにお前も後を追うことになるからな!」
 歯軋りしながら、気迫で負けないよう俺は人影を睨みつける。影は三つ。何故か顔の下半分に巻きつけられた
マフラーが、風でゆらゆらと揺らめいている。
 拳を作り、俺は構えを取った。得体の知れない連中だ。隙を見せれば即、やられかねない――。
「よし。んじゃ今から降りるから、ちょっとそこで待っててね」
 だが、盛り上がる俺を置いて、そいつらはゆっくりとその場から姿を消したのだった。

 校舎の中を俺は一人、走っていた。
 ランナーズハイとでも言うのだろうか。呼吸は乱れているが、心地よい充足感が体を満たしている。
 三年間を過ごした学び舎、横目に見える教室、懐かしい思い出達が駆け足で通り抜けていく。
「待てって言ってんだろうがぁ!」
 感傷に浸る俺に、無粋な声が背後から投げかけられる。振り返った先では、無駄に屋根の上に立っていたマフ
ラー野郎達が必死に追いかけてきていた。
「十分待っても降りてこなかったお前らが悪い!」
「だからって置いてけぼりにするか普通!? 誰もいなかったんですげえ切なかったんだぞコラァ!」
 登場シーンに爆薬まで用意していたんだと叫び声は続ける。だが、そんな事は知ったことじゃない。
 そろそろか。そう呟いて、俺は足を止めた。リノウム張りの廊下がきゅきゅきゅと音を立てる。
「――や、やっと観念したようだな」
 肩で息をしながら、三人組はほっと息をつく。
「で、お前らは何なんだ?」
「ふ、よくぞ聞いてくれた……」
 中央で息を整える男が答える。残りの二人はよほど堪えたのか、廊下に手をついて呼吸を荒げている。
「我々は――忍者部だ!」
 そう、高らかに宣言された。

417 名前: 新宿在住(福岡県) 投稿日:2007/03/25(日) 18:37:56.23 ID:9JAI0X9L0
 ぽりぽりと頭をかきながら、俺はどうリアクションしたものかと思案する。
 とりあえず、と、俺はポケットから携帯を取り出す。新着メールなし。時間は、残念ながら結構残っている。
「お、おい! なめるなよ! 忍者だから武器はフリーで使えるんだぞ!」
 じゃらじゃらと音を立てながら、そいつは鎖鎌みたいな獲物を背中から取り出していた。走る時痛かっただろ
うに、そんな考えが浮かぶ。
「お前のデータも調査済みだ。素手では俺達に敵うまい!」
「うん。だから、逃げようかなと」
「そうだろうそうだろう! ……って、え?」
 あからさまにそいつの顔色が変わる。後ろの奴はその先を想像したのか、吐きそうな顔で口元を抑えている。
「ま、待て! ここはだな、正々堂々と戦おうじゃないか」
 片方だけ武器を持ってるのに正々堂々もないだろう。そう思ったが、慌てる理由に想像がついているので口に
はしない。
 奴らの鼻と口をすっぽりと覆う分厚いマフラー。そんなものをつけたまま全力疾走を続ければ、陸上部だって
すぐに呼吸困難になるだろう。
「ふ、副部長。これ取りましょうよ……」
 廊下に寝そべりながら、三人組の一人が弱々しい声を上げる。
「馬鹿野郎! 忍者が素顔を晒せるか! それを取ったら俺達は忍者部員じゃなくなるんだぞ!」
「で、でも……」
「考えてもみろ! 部を辞めるって事はだなあ、将来面接で『高校時代何をやっていましたか?』って聞かれた
時、お前、『何もやってませんでした』って言う羽目になるんだぞ!?」
 忍者してました。なんて言う方がよっぽどまずい気がする。
「す、すいませんでした。副部長……」
「分かってくれたか。忍者ってのはなあ、耐え忍んでナンボなんだからなあ……」
 勝手に盛り上がる三人組。いや、さっき吐きそうだった一人は既に気を失っているみたいだが。
 感極まって抱き合うそいつらにゆっくりと近づいて、その肩に手を置いた。
「まだやるか?」
「いや……俺達の、負けだ」
 がっくりと膝をつく副部長。そいつらのと合わせ、ボタンで一杯になった巾着を手渡された。
「いやあ、まさか優勝できるなんてなあ」
 感慨深げに巾着を眺めながら、俺はそう呟く。

418 名前: 新宿在住(福岡県) 投稿日:2007/03/25(日) 18:38:24.35 ID:9JAI0X9L0
「いや、まだだ。まだ部長が残っているぞ……」
「え?」
 捨て台詞を残し、副部長が事切れる。その瞬間、悪寒が背中を走り抜けた。
 冷涼な空気が辺りを満たす。誰かの気配を背後に感じていた。
 廊下の床に落ちた影が、いつの間にか一つ分増えている。ほっそりとした体躯に、長い髪のシルエット。
 ぎりぎりと音を立てながら、俺はゆっくりと振り返る。
 そこには密かに可愛いと思っていた白石さんが、無表情のままこちらを見下ろしていた。

「諸君ッ!」
 校長が高らかに叫んでいる。
 グラウンドにはボロボロの姿になった学生達が集まっていた。史上初の勝者無き戦い。その凄惨さを垣間見れ
る光景だ。中には感極まって涙を流す奴までいる。
「若者に必要なのはエネルギーの発散する場だ。そして、この式で諸君は全力でそれを出し切ってくれた! 私
は今、その事にただ感動しているッ!」
 白石さんとの戦いは、死闘だった。力量ははっきり言って向こうが数段上だった。だが、そのボタンは今、俺
の手の中にある。
「だが、これから新たな社会に旅立つ諸君らには一つだけ言っておきたい! こうした事や常日頃注意している
諸々の事は、今日を最後の日として欲しい! 文字通り諸君らは、卒業するのだ!」
 俺はもう一方の手で、白石さんの細い手を握り締めていた。白石さんは少し照れたように、その視線を地面に
落としている。
 何のことは無い、俺達の願いは同じだったのだ。それをお互いが理解した時、戦いは終わっていた。
 手の中にあるボタンの群れ。そして俺のボタンだけは、彼女の手の中に。
 指輪みたいだな。そんな風に思うのは、ちょっと気取りすぎだろうか。
 朝礼台で校長が大きく息を吸い込むのが聞こえた。まるで神父が、式の終わりを告げるかのように。
「これにて第六十二回、芳乃崎男子高等学校卒業式を、閉式とするッ!」
 どこからか沸き上がった拍手が、いつまでも降り注いでいた。



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