【 二人の翼 】
ID:FP8bOfMt0




370 名前: ふぐ調理師(香川県) 投稿日:2007/03/25(日) 15:33:49.18 ID:FP8bOfMt0
品評会用投下します。 お題:卒業 タイトル:二人の翼
 寒さがやわらぎ、俗に言う卒業シーズンがやってきた。毎年この時期になると、沢山の涙を見かける。別れは、決して楽しいものではない。
 これを機に、と言って告白をしたり、ボタンをもらいに行ったり、また涙したり。
 今年高校を卒業する春華にとっても、この時期は一大イベントであるはずだった。少なくとも昨年の十二月までは。
「春華、入るぞ」
 木製のドアの向こう側から声がした。物心ついた頃から知っている、春華にとっては聞きなれた声。そして最近あまり聞いていなかった声。
「どうぞ」
 入ってきたのは、制服を来た、どこにでもいそうな男子高校生だった。
「卒業おめでとう、龍也」
 春華がそう言うと、龍也と呼ばれたその少年は少し照れたように頭を掻いた。
「ありがと。でも俺がここに来たのは別に親愛なる幼馴染の声が聞きたかったからじゃないんだ」
「どういうこと」
 小首をかしげる春華。もっともな質問だ。
「ゴホン。えー、これより、第二高校卒業証書授与式を行います。卒業証書、授与。三年二組、瀬川春華」
 もったいぶって話す龍也を見て、春華は笑ったが、それでも威厳を保って返事をする。
「はい」
 龍也は卒業証書を持ち、ことさらもったいぶって文面を読み上げる。
「卒業証書。三年二組、瀬川春華。右は高等学校普通科の課程を卒業した事を証する。平成十九年三月一日、第二高校校長、西村博之。代読」
 おめでとう、そう言いながら龍也はベッドの上の春華に卒業証書を渡した。春華はそれを受け取り、感慨深げに見つめる。
「よかったな、出席日数足りてて。にしても、授業受けずにあれだけ点数を取れるってお前すごいな」
 賞賛を含んだ龍也の声を聞きながら、春華はこの一年を振り返っていた。

 春華は、陸上部の短距離走部門の部長を務めていた。走り始めたのは中学に入ってからだが、絶え間ない努力の結果、部内最速をマークするようになっていた。
 とりたてて勉強が出来るわけでもなく、かといって芸術的センスも人並みだった春華にとって、短距離走が唯一のアイディンティティだった。
 コンマ一秒の、ギリギリの勝負。走る事が、春華の生きがいだったと言っても過言ではない。
 走る事で、春華は鳥になれた。陸上フィールドという名の大空を風にのって飛び回れた。



371 名前: ふぐ調理師(香川県) 投稿日:2007/03/25(日) 15:35:41.05 ID:FP8bOfMt0
お題:卒業 タイトル:二人の翼

 異変に気付いたのは、粉雪がわずかにちらつく、十一月下旬のある日だった。
「春華、お前タイム落ちてるぞ。まさかお前に限ってそんな事はないだろうが、手を抜くとあっという間だからな」
 顧問の一言。その時は、調子が悪かっただけだろう、そう思ってあまり気に留めなかった。
 だが、日を追うごとに、徐々にタイムが落ちていくのだ。大幅にではないが、確実にタイムは悪くなっていく。手を抜いた覚えのない春華は、ある疑念を持つようになった。

「後天性の筋萎縮症候群です」
 キンイシュクショウコウグン。医師から下されたジャッジメント。あまり病気をした事がなく、医療と関わりの無かった春華にとっては、それがなんなのかさっぱりだった。
「それは何なんですか」
 おそるおそる聞いてみる。
「分かりやすく言うと、筋肉が弱っていく病気です。この症状ですと、身体の末端、今回は手ではなく足ですが、そこから筋力の低下が始まり、徐々に身体の中心部に迫ってくるタイプです」
 カルテを見ながら、淡々と、しかしはっきりと言葉を発する医師。
「それは、心臓にまでそれがきたら、心筋の能力が低下して……」
 春華は不安そうに尋ねる。
「最悪の場合は、死に至ります」
 医師は、春華の目を真っ直ぐ見てこう言った。
「そんな、じゃあ私はもう走れないんですか」
 懇願するように医師を見つめ、春華は言った。
「現代の医療技術では、残念ながら筋力の低下スピードを遅くする事しか」
 春華は、翼をもぎ取られてしまった。

「わざわざありがとね、卒業証書」
 春華は龍也に笑いかけた。どこか、寂しげな笑顔。
「まだ式は終っておりませんよ」
 格式ばって言う龍也を見て、春華の笑顔はさびしげでない、素直な表情に変化した。
「何があるんですか、先生」
 あえて先生と呼んでみる。
「卒業記念品、授与。パーソナルコンピューター、ノートタイプ一台」


372 名前: ふぐ調理師(香川県) 投稿日:2007/03/25(日) 15:38:01.26 ID:FP8bOfMt0
お題:卒業 タイトル:二人の翼
 そう言うと、龍也は後ろ手に隠していた白い、厚みのあるデジタルアイテムを春華に渡す。中央部に、かじられた林檎のロゴがある。
「これは……」
 いまいち何がなんだかわからないと言った表情で、春華は膝の上のノートパソコンと満面の笑みの龍也を交互に見る。
「だから言ったろ。卒業記念品by俺」
「どうして私に。高いんでしょ、これ」
 不思議そうに龍也を見上げる。
「ああ、高かったぞ。十二月から三月までのバイト代つぎ込んだ。卒業制作とかあってバイトは土日しか入れられなかったけどな」
 えっへんと、少し自慢気に龍也が言う。
「バイトなんてしてた?最近あんまり姿見ないなとは思ってたけど」
「だから十二月なんだって。俺はお前と違って、第二高校の工業科を選んだ。もともと高校出たら就職するつもりだったんだけど、春華が走れなくなるって聞いたらいてもたってもいられなくてさ」
 龍也が、真面目な表情に戻った。
「それとパソコンに何の関係があるの。私には出来ることなんて何もないよ」
 いぶかしむように、春華が龍也の目を見る。
「お前さ、中学入る前にいろいろ話してくれたの覚えてるか」
「私のでたらめな創作物語の事を言ってるの」
「イエス。その事を言ってるの。お前さ、昔から国語の成績あんまよくないくせに、作文の課題だけはめちゃくちゃよかったじゃん」
 欧米人のようなジェスチャーを交えながら龍也は言う。
「否定はしない。でもそれがなんだって言うの」
「人の話は最後まで聞こうぜ。で、俺は考えた。ひょっとして、こいつには小説を書く才能があるんじゃないかと」
 声までドラマスティック。ますます不信そうな目をむける春華。
「で、私に小説を書けと」
「もちろん強制はしないし出来ない。それはどう使ってくれてもいい。だってもうお前のだからな。だけど、出来る事なら俺はお前の小説の読者第一号になりたい。」
 再び真面目な表情に戻った龍也。なかなか器用だ。
「翼、か」
「え、何か言った、春華」
 ぼそっとつぶやいた春華の声にすばやく反応する龍也。
「わたしね、もうだめだと思ってたの、何もかもが。走れない、歩けない、ベッドからすら出られない。この先、全身の筋力が衰えて、そのうち死んじゃうんだって」


373 名前: ふぐ調理師(香川県) 投稿日:2007/03/25(日) 15:41:11.61 ID:FP8bOfMt0
お題:卒業 タイトル:二人の翼
 どこに向かっているわけでもない春華の視線。だが、その白く細い指は、確かにノートパソコンの上にあった。
「でも、小説書くのおもしろそうだなって。ひょっとしてインターネットを通じて誰かに読んでもらえるようにとか出来るの」
 定まらなかった春華の視線が、龍也をとらえた。
「春華のやる気さえあれば全世界に配信可能だ」
 親指を立てて春華に向ける龍也。
「じゃあ、読者第一号さんにはマネージャー業もお願いしてもいいかしら。私に翼をくれた、まさにその人に」
「おおせのままに」
 帽子を取り、深く礼をするような仕草。まるでジェントルマン。
「じゃあまずは使い方から教えて。でもなんでマックなの」
 いまいち解せない、といった表情の春華。
「芸術家はマックを使う、っていう俺のイメージだ。さて使い方だな」
 さらっと言った龍也を見て、春華はふふっと笑う。龍也はベッドにいる春華の上に身を乗り出し、パソコンの電源を入れた。
「そ。ま、嬉しいから細かい事にはこだわらない事にする。そういえば、就職は決まったの」
「今のバイト先。っていうか、十二月の時点で正社員を前提にバイトとして雇ってくださいって言ったら一発OKでてさ」
 パソコンを操作しながら、龍也はそう言った。その横顔が、なぜかかっこよく見えた。
「なにそれ。でも、龍也らしいね」
「俺もさらに力強い翼で大空を飛び回るんだよ」
 龍也が少年のようにも、大人のようにも見える。きっと、どちらも本物の龍也なんだろう。
「私も、負けてられないな。想像を膨らませて、言葉を紡いで。読者第一号さんをがっかりさせたくないからね」
 両手でガッツポーズ。気合を入れる春華。
「名作を期待してるぜ」
 にかっと、龍也が笑った。



374 名前: ふぐ調理師(香川県) 投稿日:2007/03/25(日) 15:43:17.05 ID:FP8bOfMt0
お題:卒業 タイトル:二人の翼
「あ、龍也、もうひとつお願い。その、それ、くれないかな」
 春華は、龍也の胸辺りを指差した。
「ん、あ、これか。俺のでよければ、どうぞ」
 なんのことか少し戸惑ったが、すぐに理解した龍也は、それを春華に渡した。
「これも卒業記念品、でいいかな。龍也、最高の卒業式をありがとう」
 いたずらっぽく、しかしまじめな顔。
「お、おい、別れじゃないんだ、泣くなって」
「嬉しいときに泣いたっていいでしょ」
 泣きながら、笑っていた。そして、春華は右手でピースをしてみせた。
「まったく、しょうがないなあ」
 龍也も、ピースを返す。二人のその指は、まるで小さな翼を広げているようだった。

完。



BACK−春雷 ID:qst3hNBS0  |  INDEXへ  |  NEXT−人類卒業 ID:gotSacvJ0