【 松明の先 】
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681 名前: 派遣の品格(神奈川県) 投稿日:2007/03/18(日) 23:42:44.13 ID:eDsSomYp0
 男はその洋館の前に立ち尽くした。
男の名はタクティオン。洋館の東にある村に1年前に引越してきた若者だった。
もといた村は戦争で滅び、この村に転がり込んだのだ。
彼は決して勇敢な男ではなかった。村人からは頭でっかちの臆病者と呼ばれていた。
目の前に三メートルはありそうな鉄の扉がそびえる。
タクティオンはゴクリと唾を飲み込み、その取っ手を強く引っ張った。
ギギギ……。錆びて軋む音が、夜の闇と共鳴して遠く響いている。

 事の起こりは数ヶ月前だった。いや、それより前から始まっていたのかもしれない。

 この洋館は二年ほど前まで荘園主の家族が住んでいた。
もともと人好きのしない性格で、村の住人達からはひどく嫌われていた。
そんな時に事件は起こった。荘園主が、徴収する小麦を一割ふやすと告げたのだ。
ただでさえ苦しい生活を強いられてきた住人は、怒りを一気に爆発させた。
彼らは各々武器を持って洋館に押しかけ、一家もろとも皆殺しにしてしまった。

 それからだった、村に異変が起こりだしたのは。
村の風車小屋に住む老人が、誰もいないはずの洋館に火が灯っているのを見た。
さらに、同時期に原因不明の疫病が流行り出したのだ。
数日に渡って高熱に襲われ、ほとんどの場合で死に至る。
しかも、その病に罹るのは働きざかりの男女ばかりだった。
村人達は恐れおののいた。奴らだ、奴らが復讐に戻ってきたんだ……。

 今ではほとんどの若者が命を落としてしまった。
そんな中、タクティオンだけは疫病にかからなかった。
村人達は即座に彼を疑った。新参者の彼は亡霊の使いだと思われた。
タクティオンの必死の説得も、彼らは全く聞こうとしなかった。
自分達の親戚の仇として殺そうとまでした。

682 名前: 派遣の品格(神奈川県) 投稿日:2007/03/18(日) 23:43:47.29 ID:eDsSomYp0
 タクティオンが疫病の伝染と関係無い事を認めさせるには、洋館に住む
という家族の亡霊を倒す事しかなかった。
そしてそれが、身寄りの無いタクティオンが生き抜くための唯一の方法だった。

 タクティオンは玄関をくぐる。松明でも数十センチくらいしか先が見えない。
家から引きずってきた剣は、鞘も入れると五キロもの重さがあった。
手先は剣の冷たさを吸いこんで、かじかんでいるようだ。
「なんてこった……」

 自分でも足の筋肉が痙攣しているのが分かる。
一歩進むたびに、その痙攣が手に伝わり身体に伝わっていく。背筋に冷や汗が流れる。
もはや引き返せない。尻尾を巻いて帰れば、その先には死しかない……。
そんな思いがタクティオンの脳内で大きく膨らんだ。

 さわさわ……さわさわ……。

 タクティオンは、ずっと奥の方、何処かも分からぬほど遠くで音がするのを聞いた。
「まさか……本当に亡霊なんて物がいるのか……?」
彼は松明の明かりだけを見つめ、何も考えないようにして正面の廊下を進んでいった。

 ぞわぞわ……ぞわぞわ……。

 その音は確実に大きくなっていく。
それに呼応するように、彼の鼓動の音も大きさを増していった。
「これは……何かの声なのか……?」
剣の鞘を胸元に抱え、松明で先を照らして、左手の渡り廊下に進む。
声の元をたどるように脚を無理やり動かしていく。

683 名前: 派遣の品格(神奈川県) 投稿日:2007/03/18(日) 23:44:55.96 ID:eDsSomYp0
 がさごそ……ひそひそ……。

 近づいていくにつれてタクティオンは確信した。これは確かに人の話し声だ。
彼はその時、恐怖とは違う感情を持った。
「この人間達を倒せば俺は……」
タクティオンは剣を片手で握り締め、脚を強ばらせて声のする部屋の前に辿り着いた。
その部屋は、隠してこそいるが、かすかに光が漏れている。

「お前達、ここで何をしている!!」
タクティオンは勢いよく、木製のドアを蹴り開けた。
そこには見知らぬ老人と数人の子供のおびえた姿があった。
「お前達は私の村を脅かす悪魔だな!!」
タクティオンは得意気になった。老いぼれとガキ相手なら俺でも……。
「私達は悪魔などではありません」
老人がしわがれた声を上げた。
「ほおー、では何者だ?」
タクティオンは、奴隷でも見るような目で彼らを眺めた。
「私達は西の村から来た者です。疫病でこの子の親達が皆死んでしまったのです。
 育てる場所も無かったために、この空家を借りていました」
年を感じさせない声で老人は語った。

 タクティオンはそれを聞き流していた。後はこいつらを殺すのみ……。
タクティオンは松明を端において、鞘から刀身を引きぬいた。
「悪いがお前達には消えてもらう」
柄を両手でガチリと掴み、刃先を老人達に向けた。


684 名前: 派遣の品格(神奈川県) 投稿日:2007/03/18(日) 23:45:39.39 ID:eDsSomYp0
 恐れ逃げ出そうとする弱者を斬り、意気揚々と帰ってみせる。
これがタクティオンの考えたシナリオだった。

 しかし子供達の反応は全く違った。皆静かに目を閉じ、祈りの格好をしていた。
「何故驚かない! どうして生き延びたいと思わない!!」
タクティオンは絶叫した。信じられない……何故、何故、何故……。
「お兄ちゃんみたいになりたくないから」
一人の女の子が淡々と話した。
「生きるために生きてるんじゃないからだよ」
他の子供も続いた。
「ここで死ぬのなら、それが主の決めたさだめだから」
「主はぼくらの人生を、いつも正しい方向に進めてくれるから」

タクティオンは閉口した。何を言ってるのか全く分からなかった。
老人が立ち上がってタクティオンに話しかけた。
「西の村では、昔から生死を『主の思し召し』ととらえる風習があるのです
 ここで死ぬのならば、それがさだめだと」

 タクティオンの中で何かの崩れる音がした。

 この子供に比べて、生に囚われた自分は……。

タクティオンは剣を床に突き刺した。そして子供達に微笑を見せた。
「お兄さん、てっきりここに幽霊がいるのかと思ったんだ。勘違いだったよ」
そして松明だけを持ってドアの向こうへ出ていった。

 松明の火は既に消えていた。              (完)



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