【 歯車の館 】
◆ZEFA.azloU
※投稿締切時間外により投票選考外です。




847 名前: 俳優(山梨県) 投稿日:2007/03/19(月) 05:44:06.57 ID:mLpki76b0
 大学二年生の夏休み。故郷に向かう電車に揺られながら、僕は一通の手紙を見つめていた。
 成人式が終わってしばらくした頃、下宿に届いたのだ。
 手紙は、万年筆で書かれた達筆な文字で、『博物館開店のお知らせ』と始まっていた。

 ――小学四年生の夏休みも、八月に差し掛かろうかという頃の話だ。
 家からほど近くの山間に、ひっそりとそびえる洋館があった。
 住人の姿を目撃した人はなく、週に数回、運送会社の車が向かうばかりだった。
 山間の洋館。週に数回運ばれる荷物。おまけに、中の人は正体不明。
 近所では怪しい実験をしている科学者が住んでいるだの、何かの事件の犯人が隠れているだの、まことしやかに噂されていた。
 当然、僕は母親からあの洋館には近づくなと言われていたが、不思議と恐怖感は無かった。
 むしろ、本当はあの洋館の中に何があって、どんな人がいるのか、それが知りたかった。
 その思いは日増しに強くなり、遂にある日、外で遊んでくると嘘をつき、好奇心に任せて洋館へと向かった。
 山道に生い茂る草は僕の腰ほどまであったが、幸いにも運送会社の車がタイヤで踏みつけていってくれた舗装路があった。
 おかげで、家からおよそ三十分ほどで何とか洋館にたどり着くことができた。
 遠くで見た時はただの赤煉瓦の館に見えたそれは、近くで見ればまるで幽霊屋敷のような景観だった。
 随分時を重ねてきたのが伺える黒っぽく変色した煉瓦に、伸び放題の雑草。
 この洋館を恋い慕うかのように、ツタの類が煉瓦壁を這い上がっていた。
 雑草をかき分け、何とか玄関までたどり着くと、木製の重厚な扉に出迎えられた。
 恐る恐る扉をノックするが、反応は無い。
 しばらく躊躇した後、扉を開けた僕の目に最初に飛び込んできたのは、玄関からちょうど正面に位置する大きな壁掛け時計だった。
 上に目線を移せば、ツツジの花を五つ、逆さにつるした様なシャンデリアがぼんやりと部屋を照らしている。
 足で感じる絨毯の感触は柔らかく、敷き詰めた草の上を歩いているようだった。もっとも、色は落ち着きのある赤だったが。
「おや、これは小さなお客さんだ」
 突然の声にびくりとして玄関の方を振り返れば、洋館の主と思わしき人物が立っていた。
「これは失礼。驚かせてしまったかな」
 落ち着いた声に、柔和な笑顔。杖をつき、タキシードに身を包んだその人は、老人と言うより老紳士と言った方が適切に思えた。
「ご、ごめんなさい。勝手に入ってちゃって」
 慌てた僕の声にも彼は笑みを絶やさず、構わないとでも言いたげに小さく手を振った。
「いやいや。歓迎するよ。ようこそ、我が『歯車の館』へ」
 それが、僕と老紳士――右京さんとの、出会いだった。

848 名前: 俳優(山梨県) 投稿日:2007/03/19(月) 05:44:29.67 ID:mLpki76b0
 次の日から、僕の日課は山登りとなった。
 朝食を食べてすぐに家を飛び出し、洋館に到着したら合図代わりに扉を三回ノックする。
 足が少し不自由な右京さんが玄関に来るまで、いつも少し時間がかかる。その間に、息を整え、服装の乱れを直すのだ。
「ようこそ、歯車の館へ。今日もぴったり八時だね、護君」
 懐中時計と僕を交互に見ながら、右京さんが出迎えてくれる。僕の準備が整ったのを見計らうかの様に、いつもタイミング良く。
「おはようございます」
 軽い会釈をして、僕の一日が始まる。
 まずは、洋館の周囲に生い茂る雑草の刈り取り。根ごと引き抜いてしまうと景観が寂しくなるので、程よい長さに揃える。
 長さを揃えれば立派な庭の景色なのだが、放置しておけばすぐに幽霊屋敷のような景観になってしまう。難しいものだと思う。
 それが終われば、次は洋館の裏にある花壇の手入れとなる。
 季節ごとに大小様々な花を植えているらしく、花壇の大きさも異なっていた。
 今の時期は、ヒマワリが元気よく太陽に向かって咲き誇っている。隣の小さい花壇では、ラベンダーが良い香りを放っていた。
 ここでの仕事は、雑草を引き抜くことと、水を与えること。それと、三日に一度くらいの割合で、肥料を与えること。
 最高の環境に雑草は元気よく生長し、根もしっかりしている。全てを引き抜くのは重労働だ。
「右京さん、よくこんな作業できたよなぁ」
 じょうろで水をやりながら、独りごちる。まぁ、その分玄関の雑草は完全放置だったようだけど。
「はぁ、終わった」
 大きく背伸びして、空気を吸い込む。水をやった後の植物の匂いというのは、それだけで爽やかな気分にさせてくれる。
 持参したタオルで汗をぬぐいながら洋館へ戻り、左右に部屋が続く廊下を歩いていく。
 元々、この洋館はどこかのお金持ちが別荘として建てたらしい。
 ただ、完成してすぐにその人は病死してしまい、結局一度も使われることなく放置されることになったそうだ。
 右京さんはその洋館の何番目かの管理者として雇われたのだが、この館を気に入ってしまい、そのままここに居着いているらしい。
 そして、格安で洋館の管理をする代わりに、好きな事をしても良いという特約をもらったそうだ。
「右京さん、入りますよー」
 廊下の突き当たり、『書斎』というプレートが貼られた扉を開く。
 書斎中央にある、大きな机。優雅にティーカップを傾けながら、パソコンのモニターを見つめている右京さんがいた。
「ご苦労様、護君。今日はこの間届いたばかりの、シンギングバードという品物をご覧に入れよう。何、古いオルゴールの事だよ」
 僕に視線を移し、右京さんがいつもの笑みを浮かべた。

849 名前: 俳優(山梨県) 投稿日:2007/03/19(月) 05:44:53.77 ID:mLpki76b0
 ――僕がこの洋館の管理を手伝う代わりに、右京さんは報酬として自慢のコレクションを毎日一つ、僕に見せてくれる約束をした。
 時々届く荷物は、食料品や雑貨品の他に、インターネットで見つけた骨董品も含まれていたのだ。
 歯車の館と言うだけあって、そのコレクションは全てが歯車仕掛け。
 今になって思えば、玄関にあった壁掛け時計にも歯車が使われていた。
「さて、動かすよ」
 手袋をはめ、右京さんが机の引き出しからいかにも古そうな箱を取り出した。
 ゼンマイの様な部分を巻いて、軽く僕に目配せしてから、スイッチを押した。
 その途端、中央のフタが勢いよく開き、小指ほどの大きさの鳥が飛び出してきた。
「うわっ」
 僕が驚いている間にも、小鳥は身体を左右に振ったり、くちばしや羽を動かし、綺麗な声で鳴いている。
「綺麗な鳴き声だろう? 窓を開けていると、たまに本物の鳥が来る事もあるんだよ。スイスで作られた物でね、その歴史は……」
 目を輝かせて、僕にコレクションの説明をしてくれる右京さん。
 この時だけは、いつもの落ち着いた老紳士の姿はなく、まるでおもちゃを自慢する小さな子どものような人になっていた。
「それでね……あ、見てごらん護君。そろそろ小鳥が巣に帰る時間だ」
 その声に視線を小鳥に移すと、ちょうど小鳥は鳴くのをやめ、パタリと箱の中に収まっていった。
「へぇぇ……よくできてますねぇ」
 感心する僕の隣で、右京さんが何かに気付いたように懐中時計を取り出す。
「おや……どうやら、もう一人の小鳥さんも巣に帰る時間のようだ」
 僕に時計を見せながら、右京さんが残念そうに告げた。
「もうそんな時間ですか」
 時計の針は、十一時を回っている。母さんに洋館へ行くことを禁止されている以上、昼食までには戻らなければならない。
 その辺で遊んできたようにカモフラージュするのも、結構大変なのである。
「今日もありがとうございました。では、また明日」
「うむ。待っているよ、護君」
 いつも玄関先まで見送ってくれる右京さんに会釈をして、走って家に帰る。これが、僕の毎日だ。
 右京さんと出会ってから、毎日が新鮮な驚きの連続で、洋館での日々は今までに無く充実した日々を過ごせていた。
 しかし、そんな楽しい日々にも、終わりはやって来た。
「あ、お帰り護。あのね、護には悪いんだけど、今度父さんの仕事の都合で、引っ越す事になったの」

 ――それも、唐突に。

850 名前: 俳優(山梨県) 投稿日:2007/03/19(月) 05:45:15.26 ID:mLpki76b0
 引っ越しは、夏休みが終わる一週間前となった。その方が色々と準備ができるだろうという、父さんの考えだった。
 もちろん、必死で抗議はした。それでも、当時小学四年生だった僕では、何かができるわけもなかった。
 仲の良かった友人達に別れを済ませていき、そして、とうとう来た引っ越しの前日。
 今日、言い出せなかったことを言いに行く。そんな事を思うと、山道を行く僕の足取りは酷く重かった。
 ためらいがちに扉をノックすると、何故かすぐに扉が開いた。
「今日は少し遅刻かな、護君?」
 悪戯っぽい口調で迎えてくれた右京さんに、何て言えばいいのか分からなくて。
 玄関先で、僕は泣いた。

「……そうか、よく話してくれたね」
 泣きじゃくる僕の話を黙って聞いた後、いつもと変わらない優しい声で、右京さんは口を開いた。
「何、大丈夫。護君はいつまでも我が歯車の館の授業員だ。いつでも、この館の扉は開かれる」
 言いながら、右京さんは下を向いていた僕の肩を叩き、視線を上に向けさせた。
「いいかい護君、寂しいことは何もない。ここで、私と君の間にある『時の歯車』が一旦止まるだけなんだ」
 その手には、いつもの懐中時計が握られていた。そのまま、右京さんは時計に付いたネジを上に引いた。
 何をしているのか分からないといった顔の僕に、笑みを浮かべながら時計を見せた。
「これは竜頭と言う部分でね、ゼンマイの巻き上げや時間あわせをするための部分だ」
 時計の針は、止まっていた。
「これで、私と君の時の歯車は止まった。次に会う時、この時計は再び時を刻み始める。それまで、私と君の時間は進まない」
 頷いた僕の頭にぽんと手を置いて、右京さんが笑った。
「そうだ。次に来た時、私の一番の宝物を特別に譲ろうじゃないか。楽しみにしているといい」
 その笑顔は、いつも僕にコレクションを見せてくれる時の、あの子どもっぽい笑顔だった。


「あれから、もう十年も経ったのか……」
 転校して、中学、高校と進んで、大学生になって。もうあの頃の様な自由な時間は無く、いつしか洋館の記憶も薄れていた。
 この手紙が来なかったら、きっと僕はずっと忘れたままだっただろう。
 駅を降りて、久しぶりに故郷の地を踏む。
 懐かしいはずの景色は、十年という時の流れと共に随分変わってしまってようだった。
 比較的田舎で田んぼが多かったこの地域も、今やマンションやアパートが並び立つベッドタウンになっていた。

851 名前: 俳優(山梨県) 投稿日:2007/03/19(月) 05:45:35.02 ID:mLpki76b0
 あの日も登った山道を行く。
 山道はコンクリートで舗装され、草の匂いはしなくなっていた。
 三十分もしないでたどり着いた洋館は、緑色に包まれていた。
 あの頃煉瓦壁を這い上がっていたツタ達が、館全体を外敵から守るように包み込んでいたのだ。
 僕が雑草を刈り取っていた庭は駐車場となっていたが、裏庭にはあの頃と同じ、ヒマワリとラベンダーの花壇があった。
 ただ一つ違うのは、その脇に小さな墓碑がある事ぐらいだろうか。
 懐から、手紙を取り出す。送られてきた手紙には、こう続いていた。

 ――この手紙が届いてしまったという事は、残念だが私という歯車は老朽化して壊れてしまったのだろう。
 形ある物、いつしか終わりはやってくる。これは仕方のないことだ。
 だが、この洋館はもう少し生きながらえるだろう。洋館の持ち主が、前々から私のコレクションに興味を持っていてね。
 骨董の博物館として、洋館は新たな歯車へと生まれ変わる。
 そして、是非護君に受け取ってもらいたい物がある。いつか約束した、私のとっておきの宝物の話だ。
 玄関にあった、壁掛け時計の中を見て欲しい。そこに約束の物が入っている。

 あの日と同じように、扉を三回ノックする。息を整え、服装の乱れを直す。
 自分の手で扉を開け、もはや電池が切れてしまっているのであろう、針が止まっている壁掛け時計に手をかけた。
 内部をよく覗いてみれば、振り子の部分に小さな箱が貼り付けられていた。
 箱を開けてみると、そこには一枚の紙切れと、見覚えのある懐中時計が入っていた。
『私の一番の宝物、時の歯車』
 間違いない。右京さんがいつも肌身離さず持ち歩き、十年前のあの日に時を止めた、懐中時計だった。
 裏蓋には眼鏡をかけたフクロウの絵が描かれており、それは何だか右京さんを連想させた。
 花壇まで戻ってきた僕は、小さな墓碑の前でしゃがみこみ、よく見えるようにして時計を取り出した。
「ありがたく頂きます、右京さん」
 竜頭を押し込む。カチリと、針が動く音がした。

 ――ようこそ、歯車の館へ。
 そんな声が、聞こえた気がした。
                 (了)



BACK−松明の先 ◆31ZrzN4KAA  |  INDEXへ