【 そして声は届かない 】
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637 名前: 守銭奴(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 22:59:18.60 ID:P5HDjTmn0
「でね、振り返った男は見てしまったの。人形達が……」
 後方から聞こえる声を半ば聞き流しながら、和樹は手元の懐中電灯を廊下に向ける。高い天井とは対照的に細く、長い廊下が光に照らされ、不気味なラインを作り上げる。
――全く、何度話せば気が済むのか。
 和樹は、後方を歩く雪絵が、みなみに向かって話す怪談話にいい加減うんざりしていた。
 何度話しても新鮮な反応を見せるみなみもみなみだが、それにしても雪絵のテンションは何処か異常であった。
 和樹は大方予想のついている原因を作り出したのが自分であることを思い出し頭を抱えた。
――あの時、あんな話をしなければ……。
 いつも通りの放課後、和樹が部活動(帰宅)に勤しんでいる最中、みなみに話した会話から、今回の件は始まった。
 和樹にとって誤算だったのは、先に帰って欲しいと言った雪絵が思いのほか早く合流してきたことであり、みなみがその話を雪絵にしてしまったことであった。
 話自体は他愛もない怪談。ただそれが近場の洋館についての話であっただけで。
「まさか、近くにそんな場所があったなんてねーっ!」
 話を聞いた途端ご機嫌になった雪絵は早速今夜その洋館を訪ねることを一方的に取り決め、指定の場所に来るよう促した。
 この女、根っからの怪談好きなのである。

 雪絵の独断専行は今に始まったことではない。怪談だとか幽霊だとか、兎に角そういうものが大好きな彼女は、事あるごとに和樹とみなみを、心霊スポットやら、怪談の舞台にやらにつれまわした。
 ある程度興味を持っているらしいみなみとは違い、和樹には断固として行きたくない理由があった。
 この男、根っからの怖がりなのである。



638 名前: 守銭奴(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 23:00:23.20 ID:P5HDjTmn0
 列柱が高々と聳え立ち、不気味な威圧感のある洋館。
 和樹の家から一時間も掛からない住宅街の一角にそれはあった。家主は既になく、門は開け放たれている。
 入って来いと言わんばかりの外面とは裏腹に、染み出るような異常が侵入を阻んでいた。
――怖い。
「やっぱり、やめとかない?」
「却下」
 間髪入れず和樹の提案を蹴ると、雪絵は二人の手を強く引いて歩を進めた。青褪めた和樹の顔の隣には、あははと陽気に笑うみなみの顔があった。
「よし、入るよ。っと、その前に」
 言うと、雪絵はバッグを探り紙を取り出す。
「また書いて来たの? それ」
 遺書、もしもの事があった時のため、入り口に置こうといい始めたのは誰だったか。今では和樹の恐怖を煽り立てる意味しか持っていない。どうやら雪絵も確信犯らしく、和樹にそれを見せ付けるように掲げながら地面へと置いた。
「んー。じゃ、行きましょうか」
 みなみの声を合図に、一向は扉を開く。
 ギィィと扉は軋みながら開き、暗闇に満たされた室内に月光が差し込んだ。

 そして、今に至る。
 一階部分の無駄に多い部屋を探索し特に何もないことを確認する度、和樹の顔は徐々に色を取り戻し、雪絵の口数は増えていった。和樹が後ろを振り返ると、月明かりに照らされて二人の姿が浮かび上がる。
 長い黒髪を無造作に束ねジャージ姿の雪絵と、暗闇に映える白のブラウスに短めの茶髪を靡かせるみなみ。

639 名前: 守銭奴(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 23:00:51.74 ID:P5HDjTmn0
 雪絵の服装については、言ったところで、動きやすいからという答えしか返ってこないのはわかっているので問い詰めはしない。そもそも、長い付き合いでその辺りに頓着がないことを和樹は知っていた。
「そして男は、助けを求める人形達の後ろに立つモノを見てしまったの」
 振り向いた和樹に気付いたのか、気付いていないのか、雪絵は話を続けていた。この屋敷に伝わる怪談。人形達と一人の男の悲しい物語。
 思い出し、胸の辺りにスゥっとした寒気を感じた和樹は、首を元に戻し、前方を照らす事に集中することで後ろから聞こえる話し声を聞き取るまいとした。
 一つ、二つと扉を開き、何もない事を確認する。それが漸く作業的にこなせる頃になって、和樹の懐中電灯が前方ぶ大きな円を作り出した。行き止まり。
――ここで最後か。
 やっと、この不気味な館から解放される。そんな思考が和樹の頭を過り、安堵の溜息とともに機械的に手が扉を開く。
「ひッ――」
 押し殺したような悲鳴が漏れたのは誰の口からだったのか。その部屋には人形があった。無造作に転がるもの、棚に置かれているもの、様々な状態の人形であったが、全てに共通点が存在した。
 それらはまるで生きているかのように精巧で、その目は一つの例外もなく和樹達を見つめていた。


640 名前: 守銭奴(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 23:01:17.39 ID:P5HDjTmn0
「ハハッハハハッ」
 和樹は笑っていた。怖いほど、悲しいほど、笑ってしまう癖が彼にはあった。
「みなみ、そこの馬鹿をなんとかして」
「ハイ」
 答えると同時、みなみはその腕を高らかに掲げ、和樹の脳天目掛けて打ち下ろした。
「ごふッ」
「戻った?」
「ああ。って目が、人形の目がッ!」
「落ち着きなっての。全部扉の方を向くように置かれてるだけでしょ?」
 単純。
「そ、それにしても凄い数だね……」
「百体くらいはありそうですねー」
 どうやら怖がっているのは和樹だけらしく、雪絵とみなみは部屋を物色し始める。和樹も恐る恐る部屋の奥まで入り、散乱している人形達を眺めてみた。勿論彼にはそれらに触る勇気などあるはずもなく、手を近づけては引っ込め手を繰り返している。
「どうやら、この部屋が怪談の舞台みたいね」
――大方この精巧な人形に見つめられたと錯覚した人たちによって広まった類の怪談かな。
 そんなことを考えていた和樹の耳に消え入りそうな声が飛び込んできた。
「ん、誰か今喋った?」
 二人は無言で首を振る。ジィと舐められる様な嫌な視線を背後に感じた和樹が振り返ると、入り口を向いていたはずの人形が全て彼を見つめていた。
「――ッッ!!」
 声も出せず、逃げ出そうとした彼の眼前には、ぽかんと口を空けた雪絵がいて、次の瞬間、キっと目を吊り上げると、和樹と、そしてみなみに向かって叫んだ。
「振り返らないで逃げてッ!」

641 名前: 守銭奴(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 23:01:50.33 ID:P5HDjTmn0

「ハハハッ」
 みなみの手を引きながら、なんとか記憶を辿り、屋敷を抜け出した和樹は乱れた息を整えるとすぐさま笑い出した。
 みなみも先ほどのように諌めようとはせず、ただ視線を中空に彷徨わせていた。そろそろ冬も近づき、日増しに寒くなっていく夜の空気が彼らの息を白く染め上げる。
 一頻り笑い終えた後、和樹は前方に一枚の紙が落ちていることに気付いた。拾い上げ、読む。みなみも寄り添うように近づいて来てその紙を覗き込んでいた。
「ハハッハハハッ」
 紙を読み上げた和樹はまた笑い出していた。これが笑わずにいられるものか。その紙の最後には和樹、みなみと共に、知らない名前が記されていたのだから。

 人形部屋に新しい人形が追加された。
 長い髪に気の強そうな目をしたその人形は、確かに口を開け、こう言った。『助けて』と。その声は微かに屋敷に響き渡り、暗闇に閉ざされた空間に反響し消えていった。

――人形達に見初められた者の前には屋敷の主が姿を現す。決して目を合わせてはいけない。主は目があったものの存在を食べてしまうのだから。 


《了》



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