【 住める人々 】
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532 名前: 留学生(アラバマ州) 投稿日:2007/03/18(日) 15:54:36.58 ID:JovAMDKD0
 奴が話しかけてきた。いつの間にか傍にいたらしい。
「やっぱり早く出て行くべきだと思うんだ。君がね。そろそろまずいだろう?」
 後半部分には全く賛成だった。先日ロビーで寛いでいた時、珍しく主が出てきて心臓が止まりそうになった。主は私がいると途端に機嫌が悪くなる。そのときは見つからない内になんとか自室に戻ることが出来たが、捕まったらと思うと恐ろしい。
 しかし私は出て行きたくない。ここで生まれ、育った。立派に成長できたのは、主人らの恩恵に浴したからとしか言えぬ。そして何よりこの洋館が好きだ。広々として、輝きを放っているかの様なこの洋館が。
「彼らは脂性の君が嫌いだと思うよ」
 そんなことはお互い様だ。しかしここの家族が私と目の前の男を嫌っているのもまた事実であろう。それでいいと思っている。私が好きなのだ。ここの住人と、この洋館が。彼らとこの居心地いい場所が放つ匂いが。
「これは私のわがままなんだよ。確かに、もう限界かも知れない。でも、それでも、私はここに居たいんだよ。ずっとね」
 呆れたような声で彼が言う。
「けど殺されるかも知れない。わかってる?」

534 名前: 留学生(アラバマ州) 投稿日:2007/03/18(日) 15:55:36.92 ID:JovAMDKD0
 分かっていた。この目で見ていた。私は笑って頷いたつもりだったが、それが通じたかは分からない。
「私はここで死にたいんだ。どうせ残り短い命だ。好きな場所で、好きな人の前で死ねるのなら、こんな幸福なことはない」
 彼は心底呆れた様子だ。殺されても、と何度でも言いたげだった。
「分かったよ。じゃあ、僕が消えるよ。そうすれば君は僕が居なくなった分だけ長生きできるかも知れない」
「けど君は――」
「丁度引っ越したかったんだ。ヒステリックな家主が嫌いでね」
 私は息が止まりそうになった。彼もここが好きなはずだ。執着心は私と同じくらい強いだろう。私よりも長い時を過ごし、馴染んでいる。私は声にならない何かを発した。もしかすると泣いているのだろうか。
 彼が大丈夫だ、と言った。すぐにいいところを見つけると。そんなことは無理だと分かっている。
 私がなおも引き留めようとしているのを遮るように言う。
「じゃあ。やさしく殺されることを祈ってるよ。それから……」
 彼が少し言い淀んだ
「僕は君が好きだぞ」
 そんなことは知っている。私も彼が好きだ。
 私は精一杯笑顔を作ったが、それが彼に伝わることは無かった。私は悲しむ間もなく、彼と同じようにスリッパで叩きつぶされた。



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