【 館のあるじ 】
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499 名前: 接客業(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 12:23:07.53 ID:upcOs4ZA0
 まさか人がいるとは思わなかった。
 僕とテーブルを挟んで座っているのはこの館の主人。主人といっても女性で、しかも歳は僕と同じくらい、
つまり十三とか十四とかその辺りだろうから少女と言ったほうが適当だろう。もっとも、左右に結われた髪
は淡い金髪で、しかも日本人と外国人が混ざったような目鼻立ちをしてる彼女の容貌から、まだ人生経験の
少ない中学生の僕が正確に彼女の年齢を推し測れるかというとちょっとわからないし、端正な顔をした彼女
の顔をずっと直視できるほど僕は人間ができていなかったけれど。
「まずはこの館に無断侵入したわけを聞こうかな?」
 大した理由じゃないんですけれどと前置きして、僕は事の経緯を話し始めた。

 本当に大したことじゃなかった。なぜか僕と和久と亮平の三人で肝試しをしようということになって、そ
して舞台として選ばれたのがこの西洋館だったというだけだ。ここは窓に人魂が見えるとか、真夜中にゾン
ビが徘徊しているのが目撃されたとか、その他もろもろの、要するに怪談的な噂がひっきりなしに立ってい
るから、そういうイベントをやるには格好の舞台と言える。
「それで私の家に入ってきたのね」
「ご、ごめんなさい」
 テーブルに手をついて謝る。きっと怒られるんだろうなあ。それとも通報されてしまう? 何かを壊した
り盗んだりはしていないけれど、不法侵入だけでも犯罪なんだっけ。どうしよう、通報なんてされたら。
「それだけ?」
 彼女の言葉に顔を上げる。
「それだけって、それだけだけど」
「ふぅん……あと二人来てるんだっけ。その二人は?」
「外で待ってる……と思う。一人ずつ中に入って館を十五分探検するっていうのがルールだったから」
「大したものね」
 僕もそう思う。大したものっていうか大したバカモノだけど。ただの肝試しで不法侵入なんてさ。
「いいわ。許してあげる」
「え……い、いいの?」
「なにも悪さはしていないみたいだし。……特に盗むようなものもないけどね、この家」
 もうボロボロだし、と彼女は付け加えた。確かに壁は薄汚れてる上にあちこちはがれてるし、この部屋に
案内される時に通った階段なんてところどころ腐ってた。

500 名前: 接客業(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 12:23:48.92 ID:upcOs4ZA0
「よくこんな古い建物に住んでるね」
「そうね。自分でも不思議だと思う。でもね、私はここじゃなきゃだめなの」
「そうなんだ。確かここって明治時代に建てられたんだっけ」
「そうよ」
「なんか当時もいろいろ噂があったらしいね」
 言ってからしまったと思った。せっかく彼女に許してもらえたのに、ご機嫌を損ねてしまうかもしれない。
だってその噂っていうのは、窓に人魂が見えるとか、館の主人が生血をすすってるとか、つまりは僕たちが
聞いたのと変わらない怪談めいた話らしかった。図書館の郷土資料にそんな記録があったのだ。
 もちろんそれらは単なる見間違いで、人魂はロウソクの火かなにかだろうし、生血はワインのことだろう
……という注釈が資料に載っていた。
「そうみたいね。なんだか今流れてる噂と同じで笑っちゃう」
 僕の心配をよそに彼女は本当に面白そうに笑っただけだった。可愛い笑顔だった。

 おお〜〜い、翔太ぁ〜!
 いるのか〜!

 和久と亮平の声が聞こえてきた。僕を呼んでる。腕時計を見ると針が思ったより進んでいた。僕がこの館
に入ってから二十分以上が経っている。十五分を超えても僕が出てこないからさすがに心配になったんだろ
う。この可愛い女主人ともう少し一緒にいたい気持ちはあったけれど、タイミングとしてはちょうどいいし、
そろそろ帰ろう。
 立ち上がろうとした僕よりも先に彼女が立った。
「あの二人がなにもやっていないか、確かめてくるわ」
 部屋のドアを空け、その姿が廊下へと踊り出た。僕も後を追い廊下を出て……彼女を見失った。
 彼女は廊下のどこにも見当たらなかった。
 探す対象が三人に増えてしまった。あの少女はどこに行ったのかわからないから、先に和久と亮平を探そ
う。さっき聞こえてきた声から方向の見当をつける。そういえば、今は二人の声が聞こえない。いや、二人
の声だけじゃない。こんなに広い館なのに、今は何の音も聞こえない。
 少し気味が悪くなってきた。早足で廊下の真ん中を歩いていく。左右に規則正しく並んでいるドアが後ろ
へと流れていく。それにしても大きな建物だ。部屋なんていくつあるのかわからない。
 廊下の突き当たりが見えた。正面には半開きのドア。ドアの前を右に折れれば階段がある。

501 名前: 接客業(東京都) 投稿日:2007/03/18(日) 12:24:42.11 ID:upcOs4ZA0
 階段を下りようとしたところで、開いたドアから部屋の中が見えた。中にいたのは和久と少女。放心した
ような顔をしている和久の体に少女が抱きついている。
 和久と目が合った、ような気がした。でも状況が状況だけに声をかけるのをためらってしまう。というか
あいつはあの子といつの間に抱き合うような仲になったんだ? それとも、僕が知らないだけで二人は元々
そういう間柄だったのか。
 突然、和久が崩れ落ちた。使い古された比喩だけど、糸が切れた操り人形のようにというのがピッタリく
る、そんな感じで力なく倒れた。
「和久!」
 慌てて部屋の中に入る。少女がこちらを振り向いた。笑っていた。その目を赤く光らせながら笑っていた。
 部屋の奥にもう一人倒れているのが見えた。亮平だった。
 僕の脚が止まった。
 逃げろ! 僕の本能がそう叫ぶ。ここから逃げろ。その声に応じてはじけるように廊下へと飛び出した。
 いや、飛び出そうとした。
「こっちへいらっしゃい」
 少女の一言に僕の意思とは関係なく脚が止まった。なにやってるんだよ、逃げろ。回れ右をして走ればい
い。わかるだろ。ここは危険だ。早くこの部屋から、いや、この館から脱出しろ。
 僕の頭の中はずっと最大レベルの警報を発しつづけていた。でも体は言うことを聞かない。少女の言葉に
従って彼女の前に立った。
 ヒッという音が口から漏れた。
「いい子ね。大丈夫よ、怖くないから」
 赤く光る彼女の目で見つめられると、不思議なことにさっきまで感じていた恐怖が嘘のように消えていっ
た。なんだか頭の中がぼんやりしてきた。夢を見てるような変な気分。
「とって食おうってわけじゃないわ。ただ血を吸わせてもらうだけ」
 血を吸う。吸血鬼。ぼーっとした頭の中にそんな単語が浮かんだ。そういえば、小説や映画だと吸血鬼は
洋館や古城に住んでいるのがセオリーだったっけ。
「大人しくしててね。すぐに終わるわ」
 彼女の腕が僕の首に回された。端正な顔が僕の肩に密着する。首筋に彼女の息が吹きかけられる。
 僕は彼女の行動をただ見ていた。言われたとおりに大人しくしていた。
「いただきます」
 彼女が僕の首筋にキスをした。何かが皮膚を突き破る感触があった。



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