【 Beyond the Screen 】
◆2LnoVeLzqY




32 名前: ◆2LnoVeLzqY :2006/04/23(日) 23:01:52.82 ID:RWvguNeN0
銀幕の向こうの世界は、子供の頃の僕の心をいつも掴んでは離さなかった。
決して居心地が良いとは言えない座席に座って、ときどき耳を塞ぎたくなるほど音が大きくなって、
それでも僕の目は、しっかりとその世界へ向けられていた。
タイトルからエンドロールまで。その間だけ、僕は銀幕の向こうの世界の住人になれるのだ。
ある場面では男優が目の前で銃を構えている。またある場面では、女優がカプチーノを飲んでいる。
全ては銀幕の向こうの世界の出来事だ。だけど僕がいるのもまた、その世界の中なのだ。
そして映画が終わって、劇場内に照明がともる。僕は現実へと連れ戻される。
あのときの脱力感と空しさは、大人になった今でも変わらない。
映画がくれる、絶える事のない驚きと感動。その点では子供時代というのは、まるで映画の世界みたいだと、今になって思っていたりする。

世界を救うヒーローも出てこなければ、思わず見とれてしまうヒロインも出てこない。
大学を卒業してからの僕は、勤め先の会社と自宅のアパートとの往復で、毎日を浪費していた。
子供の頃は毎日が楽しかった。だから退屈しなかった。1日がとても長かった。
だけど年を追うごとに、そんな気持ちも忘れてきてしまった。今でも変わらないことは、映画が大好きなことだけだ。
休日に暇を見つけては映画館に足を運ぶ。2000円で、僕はあの頃憧れていた世界の中に飛び込むことができる。
もしかしたら僕は銀幕の向こうに、子供時代の面影を探していたのかもしれない。

いつも僕が通っている映画館は、都心のはずれにひっそりと立っている。
今やシネマコンプレックスが主流となっている時代だ。こういった昔ながらの映画館は、遅かれ早かれ淘汰されてしまうものだ。
それでも僕がここへ通っている理由は、やはり子供の頃が懐かしいからなのだろう。
受け付けではいつもの女性が愛想の良い笑顔をふりまいてくれる。
彼女を見るたびに僕は安心する。映画は、僕から逃げていかないのだと。
「今日もいらっしゃったんですね、いつもありがとうございます。」
「やっぱりここが一番落ち着くから。それに、映画ぐらいしか僕には楽しみがないしね。」
彼女と話すと自然と僕の口元が緩む。チケットを切ってもらって、僕は売店へと向かう。

34 名前: ◆2LnoVeLzqY :2006/04/23(日) 23:02:56.36 ID:RWvguNeN0
子供の頃には買ってもらえなかったパンフレットも、今なら自分で買える。
映画が始まる前のCMも、昔に比べて相当長くなった。
結局何もかもが、僕の子供の頃とは変わっている。その間に僕はパンフレットに目を通す。
この映画が面白い、とか、この映画は駄作だ、という輩がいるけれど、僕にとってはどうでもいいことだ。
映画は僕を別の世界へと連れて行ってくれる。そのことだけで、僕はいつも満足していた。

帰り際、年配の女性従業員が受け付けの女性と話してるのを、ふと小耳に挟んだ。
「館長が漏らしてたんだけど、そろそろここも持たないかもしれないって・・・」
その言葉は、週が明けてからも僕の心から離れることがなかった。

普段は退屈なはずの仕事が、それから急に忙しくなった。
年度末が迫っているということで、土日でさえも会社に駆り出されるようになった。
そうして、僕はしばらく映画に行けなくなってしまった。
銀幕の向こうの世界が、とても待ち遠しかった。
仕事中の僕の心の大半を占めていたのは、もちろん映画のことと、あの映画館のことだった。

結局あの映画館に行けるだけの暇ができたのは、最後にそこに行ってから1ヵ月後のことだった。
新聞の映画欄を見て驚いた。あの映画館の案内が無くなっていた。
映画欄など1ヶ月間見ていなかったのだ。僕はすぐに支度を済ませ、大急ぎであの映画館に向かった。
映画館に着いた僕を出迎えてくれたのは案の定、閉鎖を告げる空しい張り紙だった。
なんとなく建物全体が、寂しさを纏っているように思えた。
ふと、建物の側面のドアから誰かが出てきたのが見えた。
近づいてみると、いつも僕に笑顔を向けてくれていた受け付けの女性だったのだ。
「何があったんですか」僕は彼女に問い掛けた。
彼女は驚いたようにこちらを振り向いたが、僕の姿を認めるとすぐに愛想笑いを僕に向けた。
「ここ、閉鎖になってしまったんです。時代の波には逆らえませんよね」
そう語る彼女もまた、建物と同じようにどこか寂しげだった。

35 名前: ◆2LnoVeLzqY :2006/04/23(日) 23:03:43.52 ID:RWvguNeN0
話を聞くと、今まで建物内の整理をしており、ちょうど帰るところだったという。
僕らは一緒に近くの喫茶店に入ると、やはり映画の話で盛り上がった。
彼女も子供の頃から映画が大好きだったようで、その気持ちが忘れられずにこの仕事に就いたのだという。
「そういえば、毎月のようにうちの映画館にいらっしゃってましたけど、他のところに行こうとは思わなかったんですか?」
元従業員の言葉とは思えないことを彼女が大真面目に聞いてきたので、僕は思わず笑ってしまう。
彼女は僕が笑った理由がわからないのか、きょとんとしていた。実は鈍感なんだろうか。
「多分、僕は子供の頃が懐かしいんだ。買ってもらったポップコーンを食べることさえいつの間にか忘れてスクリーンに釘付けになっていた、あの子供の頃がね。僕はそんな雰囲気が大好きだ。他の映画館に行こうとは思わなかったね。」
彼女は、言葉ひとつひとつを噛み締めるように、僕の話に聞き入っていた。
きっと、彼女も同じ気持ちの持ち主なのだろう。
映画が大好きで、銀幕の向こうの世界にいつも引き込まれていた少年と少女。
2人の眼差しを浴びて、ある時は男優が銃を構え、またある時は女優がカプチ−ノを飲んでいる。
子供の頃、知らず知らずのうちに僕らは、同じ世界の住人になっていたのだ。
そうして今日もまたどこかで、見ず知らずの子供達が僕らと同じように、銀幕の向こうの世界で出会うのだろう。

僕はまたいつもの日常に戻っていた。会社に出ては退屈な仕事をそれなりにこなし、また家に帰る。
彼女と会ったのはあれっきりで、映画館が潰れてしまった今、もう会う手段は残されていないのだろう。
それでも映画だけは、あの映画館が潰れて1年経った今でも、毎月のように欠かさず見ている。
少々不本意ながらシネコンに通い、居心地の良い席に座ってはピカピカのスクリーンと向き合っている。
子供の頃の心は、あの潰れた映画館に忘れてきてしまった。だけど銀幕の向こうの世界は、いつでも僕を受け入れてくれた。
今日もいつものように売店でパンフレットを買い、居心地の良い指定席に座る。
子供達も多く見に来ている。彼らもまた僕と同じように、銀幕の向こうの世界の住人になるのだろう。
長すぎるCMの間じゅう、僕はパンフレットに目を通す。今日の作品は新人達を多く集めたもので、こういった登竜門的なものは、僕は嫌いじゃない。
映画が中盤に差し掛かった頃、スクリーンに、ふとどこかで見た顔が映し出された。
登場シーンは決して長くない。だけどその顔は、僕の目にしっかりと焼きついた。
そして映画が終わり、エンドロールに入る。そこに、彼女の名前があった。
あの映画館で受け付けをしていた、その彼女。
主役なんかじゃない。まさに脇役中の脇役だ。
それでも彼女は、とても満足そうに演技をしていた。いや、銀幕の向こうの世界の住人になっていた。
子供の頃、映画館に通っては幾度となく足を踏み入れた、銀幕の向こうの世界。
彼女はその世界で今日も、同じ思いを持った子供達を待っているのだろう。



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