125 名前:ペットボトルの空 (1/5) ◆H7NlgNe7hg 投稿日:2007/03/12(月) 00:01:20.45 ID:X+GXaaix0
何時もの帰り道。
ふと、道端に捨ててある小さなペットボトルが目に入った。
「ん……? 何だぁ、これ」
ひょい、と摘み上げソレを観察すると何かが妙である。
ラベルも無ければ、製造している会社の明記も無く、液体も入っていない。
中はもやもやとタバコの煙のような物が充満していて、不透明。キャップを開けてみようとしたが、幾ら力を入れても無駄だった。
「オモチャ……かな?」
繁々とペットボトルを見ている内に、好きな番組の放映時間が迫ってきているのを思い出す。
「やべっ」
俺は、そのペットボトルを元あった場所に戻り早足で自宅へと戻った。
駆け足で安アパートに着き部屋に入り、鞄を置きテレビを付ける。
帰り道にコンビニエンスストアーで買った弁当を鞄から取り出そうとすると、弁当の袋に何かが入って居るのが解った。
ペットボトルだ。
「あれ……? 捨てたよな……」
──はぁい! 今夜も始まりました、トゥデイナイト! 今夜の特集はカップルの海水浴事情──
テレビから軽快な音楽が流れ、目的の番組が始まる。
「ま、良いや。弁当弁当」
ペットボトルについて考えるのを止めた俺は、ペットボトルを棚の上に置き弁当とテレビに集中する事に専念した。
レジで暖めて貰った弁当はほんのりと暖かく、そして、不味かった。
淡々とテレビを見つつ、弁当を食べていると不意に視線が棚の上のペットボトルに行った。
ペットボトルの中が変化している。
さっきまでは、白い煙だったのに今は灰色の煙になっていた。
割り箸を咥えたまま、立ち上がりペットボトルを手にとって見ると、また煙の色が変化した。
例えるなら、雨雲が雷雲に変わったかのように浅黒く変色し、しかも流動している。
「雲……? 何だこれ、気持ち悪……」
恐怖で顔が強張るのが自分で解る。怖い……けど、何か惹かれるものもありそのせいでペットボトルを捨てることは出来なかった。
結局、どうする事も出来ずにペットボトルを棚の上に戻し寝る事にした。
127 名前:ペットボトルの空 (2/5) ◆H7NlgNe7hg 投稿日:2007/03/12(月) 00:01:49.28 ID:X+GXaaix0
ジリリリリリッ。
目覚ましから鳴る機械音で眼が覚めた。のそり、と重い体を持ち上げて顔を洗う。
買い置きのバターロールを齧りながら昨日拾ったペットボトルを見つめる。
中の煙はまた白い雲のような色に戻っていて、まるで回遊しているようにぐるぐるとペットボトルの中を泳いでいる。
「オモチャ……なのかなぁ」
やっぱり蓋は開かないし、振ってみても中の煙には何の影響も受けない。
ペットボトルを見つめている内に、家を出る時間になった。
「行かなきゃ……」
棚にペットボトルを戻し、会社へ向かう……何時も通りの生活。
ペットボトルの中は灰色に雲っていた。
仕事中、不思議なペットボトルを拾った事を友達にメールしてみた。
案の定返ってきた返信は“大丈夫か? 疲れてるんじゃねーの? ”だ。
「ふぅ……」
溜息を一つついて、パソコンの電源を落とす。
うだつの上がらない平リーマン、何がしたくてこの会社に入ったのかも解らない……。
毎日毎日、同じ事繰り返す退屈な日々が続いて二年。
そんな俺だけど、大学時代バンドを組んでいた。
結構人気があって、オリジナルの曲何かもあって一時期はプロを目指そう! 何て息巻いてた時期もあった。
でも……何時までもガキのまんまじゃいられないし“日本は新卒社会! ”なんて先生に言われてビビッて就職。
バンド仲間は今でもバンド活動を続けて頑張っている。
そんなバンド仲間から先日、バンドに戻らないかと誘われてた。
凄く嬉しかった。
「ありがとう……でも、俺……会社あるし……」
「まぁそうだよな……でもさ、俺は諦めないから。俺達のバンドにはやっぱお前が必要だ……また来る」
嬉しかったけど、会社を辞める踏ん切りなんて簡単に付くわけ無い。
俺は断ったんだ……。
「あぁもう……スッキリしない! 飲んで帰ろう」
130 名前:ペットボトルの空 (3/5) ◆H7NlgNe7hg 投稿日:2007/03/12(月) 00:03:26.31 ID:X+GXaaix0
「たっでいまー!」
同僚と居酒屋で飲んだ後、千鳥足で部屋へと雪崩れ込んだ。
「あーあ、雲ってやがらぁ」
窓の外を見上げると、夜は深く深夜の二時。月も星も無く雲が空を覆っていた。
「せっかく気分良く酔ってるんだから月位顔出せってんだばーろー!」
にへらにへら、と酔いながら部屋を見渡すとまたペットボトルが目に入った。
ペットボトルの中の白い煙は、悠々と回遊している……それをボーっと眺めているとまた変化が起こった。
容器内が急に暗くなり、雲の隙間から薄白く光った球体が顔を覗かせる。
一気に酔いが醒めた。
「月……か?」
ペットボトルの中は正に月夜だった。
飾り気の無い星が、ぽつんぽつんと浮かび、控えめな雲を押しのけて月が淡く光っている。
「マジかよ……」
俺の心は高鳴った。
良く解らない、理解出来ないけど……新しいオモチャを買って貰った子供のように嬉しくなった。
ふよふよと満月はペットボトルの中を浮いている。
この光景はさっきまで、俺が見たかった…見たいと思っていた月そのままだった。
「おっ、そうだ! せっかくだから、月見酒しよう!」
ふら付く足で冷蔵庫から缶ビールを取り出し、缶を開ける。
チビリチビリと月を見ながらビールを飲んだ。
ペットボトルは曇る事無く、気持ち良さそうな月を浮かべ、それを見ている俺の心も不思議と気持ちよかった。
缶ビールが無くなる頃、時計の針は午前四時を挿し、気持ちよく月を見ている俺を現実に引き戻した。
「やべ……明日も会社だ、寝なきゃ……」
その瞬間、月は沈みペットボトルの中は灰色の雲で覆われてしまった。
その朝、目覚めて直ぐに襲ってくる頭痛を尻目にペットボトルを手に取ってみた。
やはりペットボトルの中は、曇ったままで昨日のような月を浮かべる事は無かった……。
131 名前:ペットボトルの空 (4/5) ◆H7NlgNe7hg 投稿日:2007/03/12(月) 00:04:03.85 ID:X+GXaaix0
「はい……すいません、風邪引いちゃって……」
「はいはい、お大事にー」
初めて、会社をズル休みした。別に理由なんて無く、ただダルくて……。
片手にはペットボトル……。
ペットボトルの中では雨が降っていた。
その雨は、溜まる事は無く永遠と一定量を保ったまま雨が降り続けている。
俺は、雨が振り続けているペットボトルを枕元に置いて床に伏せた。
枕を抱え、寝転がりながらペットボトルを見つめる。
何時間たった頃だろう、急に眠気が体を襲って寝入ってしまった。
夢を見た気がする……。
夢の中には小さい俺がいて……そう、自分がロックスターになる夢を描いて……。
目覚めると、もう夕方で窓からは赤い夕日が部屋を朱に染めていた。
枕元に置いてあるペットボトルも同じように、真っ赤な夕日を浮かべていた。
「こう言うのを黄昏るって言うのかな……」
ペットボトルの夕日と、窓の外から見える夕日を目の前に俺は決心した。
「さて……飯でも食って、今日は早く寝よう」
132 名前:ペットボトルの空 (5/5) ◆H7NlgNe7hg 投稿日:2007/03/12(月) 00:04:46.14 ID:X+GXaaix0
翌日。
身嗜みを整え、鏡の前に立つ。
鞄には辞表を用意して……。
「決めたんだ……」
鏡には引き攣った笑顔の自分が立っている。
深呼吸をして、棚に置いてあるペットボトルを手にした。
「教えてくれ……俺は……これで良いんだよな……?」
「おう! どうしたんだよ急に!」
「いや、会社……辞めちゃった」
呼び出したバンド友達にそう言うと、まるで顎が外れたかのように大口をあけて驚いた。
「バンド……戻っても良いかな……?」
「お……おう、そりゃ良いけどさ、何で急に……」
自分でも吃驚している。
まさか会社を辞めるだなんて……。
でも……さ。
「別に。ただ、空が──青かったからかな」
手に取ったペットボトルは今まで、俺が見た事も無いような……雲一つ無い青空を広げた。
バンドに再加入が決定した後、部屋に戻ると棚に置いてある筈のペットボトルは消えていて、どこを探しても見つからなかった。
今でもあのペットボトルが一体何だったのかも解らない。
けど……あの、あの青い空を俺に見せてくれる為に来てくれたんだと思う。
──空をありがとう。
おわり