112 名前:糸がなくても(1/2) ◆Haru/zq.o6 投稿日:2007/03/11(日) 23:49:13.31 ID:ukgRbtvm0
銀の糸がしなやかに舞い、人形達はコミカルに動く、それはまるで生きているかのようで、私は目を奪われた。
十本の指が器用に動き、おどけた声が広場に響く、笑顔を顔に貼り付けた彼女は人形のようで、私は魅入られた。
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「転勤する?」
初めてその言葉を彼から聞いた時、私は動揺を隠せなかった。何せ、付き合ったばかりの彼がいきなり地方へ転勤することになったのだから。
彼からは出来れば一緒に来て欲しいと言われた。だけど私にも生活がある。すぐに頷くことが出来なかった私は「少し考えさせて」と言って公園に来た。
この公園は普段は人があまりいなく、考え事をするには持って来いだったのだが……今日に限って子供がいた。
近づいてみると女の人を囲んで何かを見ているようだった。さらに近づいてみて……分かった。女の人は糸が付いた人形――マリオネットで人形劇をしていたのだ。
男と女の人形が科白に合わせてちょこまかと動く、まるで本当に生きているかのように見える。
それを操っている女の人は肩まである金髪で、肌は陶磁器のように真っ白い。こちらはまるで人形のようだ。
不意に彼女と目が合った。その顔は笑顔だったがまるで人間らしくなかった。それこそ本当に人形の笑顔のようだ。
――と考えていると彼女の手が止まっているのに気付いた。
人形は力なく横たわり、さっきまでの事が嘘のようだ。
子供達は文句を言い始めたが、彼女は「今日はお終い」と言うと人形を片付けだした。
子供達はしぶしぶと帰っていき、公園には彼女と私だけが残された。
彼女が人形を片付けるのを黙って私は見ていた。もう帰ってしまえばいいと思うのに何故か足は動かない。
ようやく片付けが終わったようで、彼女は鞄を持って私に言った。
「座りましょ、あなたとお話がしたいわ」
公園の隅のベンチに座り、自販機で買ったジュースを一口飲んだ。
話すと言っても今日会ったばかりなのだ。一体何を話すと言うのか、考えれば分かることなのに何時の間にか流されていた。
そうして黙っていると彼女から切り出した。
「話さないの?」
そう言われても何を話せばいいのか分からない。したがって私の返答はこうだ。
「何を?」
「そうね……例えば悩みとか」
悩み……確かに悩みはある。彼の転勤の事が、だけど他人に話すようなことではない。ないハズなのだが、何故か話さなくてはいけない気がした。
その事について一通り話し終わった後、彼女はさも当然そうな顔で言った。
113 名前:糸がなくても(2/2) ◆Haru/zq.o6 投稿日:2007/03/11(日) 23:49:59.24 ID:ukgRbtvm0
「付いて行けばいいじゃない」
確かに付いて行けたらどれ程いいだろう。だけど私にも生活や仕事がある。それらを放り出して行くことは出来ない。と返した。
「あなたってマリオネットみたいね」
「マリオネット?」
「そう、マリオネット、糸が切れるのをとても恐れてる」
とても抽象的な表現だが何となく意味は分かった。つまり、私が今の生活や環境から離れるのを恐れている。と言うことだろう。
「当たり前よ、マリオネットは糸が切れたら動けないわ」
そうだ、糸が切れたらお終い。もう踊ることは出来ない。
「あら、あなたはマリオネットではないでしょう? 自分の足で立てるわ。足りないのは勇気だけ」
そう言って彼女は私の額に指を伸ばした。
「ほんの少しだけ勇気を上げる」
そう言うと額に指が触れた。人形のような彼女の指はとても暖かかった。
「おまじないだよ、頑張ってね」
彼女はベンチから立つと鞄を抱え走り去った。公園にはとうとう私だけが残った。
「足りないのは勇気だけ……か」
彼女の言葉を心の中で繰り返す。不思議と何でも出来そうな気がしてくる。
もちろんそれは気のせいだろうけど、私は自分の足で立ってみようと思った。