【 植物人間 】
◆xQiMei65Yg




75 名前:植物人間 1/4  ◆xQiMei65Yg 投稿日:2007/03/11(日) 23:23:26.38 ID:jccORPGP0
 朝日が昇り、森の中で小鳥達が囀る音に、微かな逡巡孤独を感じながらも、体を起こす。
 途端、肌寒い空気に体が震え、枯葉のベッドに身を沈める。息が白い。

 そこは僕の全てだった。
 寄り掛かる大きな木は幾重にも重なる腕で降り注ぐ雨から僕を守り、悠久の時を感じさせる体で優しく僕を包む。
 舞い落ちた枯葉も僕を暖め、土の香りは僕の心を癒してくれる。
 ずっと此処にいたい。人間達の悪意に晒されるのは懲り懲りだ。
 だから……。

 タッタッタと軽快な音を響かせ、こちらに駆け寄ってくる赤い少女を受け入れる事は出来ない。
「もう来るなと、言っただろ?」
 低い声で威嚇するように放つ。
 少女は長い髪を靡かせ、一瞬ひるむが、何かを言い聞かせるようにボソっと呟くと大きな目を更に広げて、こちらに迫ってくる。
 僕の手を掴み、体に似合わない力で引き上げると、表情を緩ませ、はっきりした声で言う。
「おはよう」
「だから、人の話を聞けと――」
 掴まれた手を振り解き、抗議を込めて少女を見ると、彼女は満面の笑みで。
「おはよう」
 繰り返しそう言った。

76 名前:植物人間 2/4  ◆xQiMei65Yg 投稿日:2007/03/11(日) 23:25:06.55 ID:jccORPGP0
 僕の一連の生活サイクルに彼女が介入して来たのは数日前だ。
 何を思ったのか、この林に一人で入り、道に迷った彼女を町に送り届けたことに端を発する。
 それ以後、彼女は僕に興味を持ったのか、時折此処に来ては、いくつもの質問を投げかけてきた。
 何故ここに住んでるの?家族は?歳は?etc。
 止む事のない質問を適当に流しつつ、どうすればこの厄介事を解決できるか模索していたところ、どうやら真実を伝えるのが一番手っ取り早いという結論に達した僕は、彼女に継げたのだ。
 僕は感染者なんだ、と。
 感染者と言うのは実際には語弊があり、この病気が感染するものなのかは判明していないのだが、世間ではこの病気に対する恐怖からか、そう呼ばれている。
 蘇った者達、死後数時間して生き返り、理性もなく、記憶もなく、ただ夜を徘徊すると。古くからの迷信や都市伝説が入り混じった形で伝わっている。
 発症例は極めて少なく、この病の性質から、利用しようとする輩も後を絶たず、感染者は皆、悲惨な最期を遂げるという。
 だが実際は違う。記憶も理性もあるし、徘徊もしない。ただ人としての生活。怯えながら過ごす毎日に耐えられない者は、街では暮らせないというだけだ。
 体が固定化し、年月が身に刻まれなくなったことで、子供の場合長期間誤魔化し切るのは不可能だというだけの話だ。
 生き返れた事が良かったと思ったことはない、僕の前には二つの道しかないのだから。
 このまま人から離れて永劫の時を過ごすか、人として生活し、終わりの明白な道を行くか。
 だから。
「そっか、やっぱりキミはそうなんだね」
 どこか寂しい表情で告げられた彼女の返事は少し意外だった。
 彼女に自分の事を伝えるに当たって、何も考えていなかったわけではない。
 ただ、それ以上にどこか懺悔めいた告白をしたい欲求があり、それは僕の思考を歪めてしまうほどに大きかったというだけの話で。
 逃げる素振りを見せない彼女を見ても頭の中には疑問符ばかりが浮かび、ようやく紡ぎだした言葉は。
「……もう此処には来るな」
 拒絶の言葉だった。

78 名前:植物人間 3/4  ◆xQiMei65Yg 投稿日:2007/03/11(日) 23:25:57.48 ID:jccORPGP0
「……おはよう」
 あの告白から彼女は毎日、此処に来ては半ば強制的に挨拶をさせ、話をしては帰ることを繰り返している。
 そのどれもが取りとめもない日常の話題で、とてもつまらなくて……、少し懐かしかった。
「じゃあキミは私より年上なんだ。てっきり年下と思ってたけど」
「結構上だと思うよ。霧原は精々中学生って感じだし」
 彼女はぷうっと頬を膨らます。
「私は高校生なんだけど?」
「へえ、僕は二十歳だけどね」
 目を見開いた彼女の顔が面白くて、とても久しぶりに口が綻んだ。


 その日、彼女は少し体調が悪いようだった。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
 いつものやり取りを忘れるほど、その歩みは頼りなかった。
「ん、大丈夫、ありがと」
 言った瞬間、彼女の膝がカクンと落ちて、枯葉のベットが舞い上がった。
「ごめんね」
 その言葉の意味を理解するのは、横になった彼女の話を聞き終えた後だった。
 病気なんだと彼女は言った。普段は元気だけれど、時折体に力が入らなくなるのだと。
 そして、もうすぐ自分は、死んでしまうのだと。
 思えば、高校生だと言った彼女は、毎日のように、此処に来ていた。
 時折僕のほうを憧れの篭った視線で貫いた。前兆はあったのだ。
 彼女は言った。
 自分が生きていた証を残したかったと。自分が死んでしまっても覚えてくれる人が欲しかったと。
 どうしていいか解らず、不安になり、駆け出したところで僕に会ったのは幸か不幸か。
 時間の止まった存在に、時間の限られた存在。
「……ずっと覚えていてくれるよね」

79 名前:植物人間 4/4  ◆xQiMei65Yg 投稿日:2007/03/11(日) 23:26:29.12 ID:jccORPGP0
照りつける太陽の下、吹き付ける風に急かされながら、僕は草木を掻き分けて、懐かしい香りのするその場所へ向かっていた。
 十年前、ここで出会った少女の記憶を胸に。
 最後の時間、彼女はここで過ごしたいといった。
 僕等は最後の瞬間まで一緒で、あの木の元には彼女が埋まっている。
 この場所は思い出が強すぎて、あの後此処を立ってしまったのだけど、十年、その歳月を経た今、もう一度戻ってもいいかもしれないと。
 そんな思いが募り、僕は再びこの場所に訪れた。
 今でもあの木は高々と聳え立ち、とても高い場所から僕を見下ろしている。
 風の音に混じってタッタッタという彼女の足音が今でも聞こえてくる……よう……で……。
「おはよう」
 十年前と全く代わらない姿のまま、彼女はそこで笑っていた。



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