【 一本の灯火 】
◆59gFFi0qMc




7 名前:一本の灯火1/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/03/11(日) 22:30:38.16 ID:6nRKuCtA0
 突然高校が休校となったので、僕は自宅へ戻った。すると弟が先に帰っていて、リビングでテレビを見ていた。
 どうやら中学も事情は同じようだ。ニュースでは僕達の町の名を連呼している。
「兄ちゃん、何か見た?」
「いや」
 僕はソファーへ野球のグローブを放り出してから、ぶっきらぼうに答えた。
 僕達のいる町は、今日から精霊のお祭り会場となったのだ。
 日本に住む八百万の神の代表が日本政府首相へ一方的に通達を出し、それに呼応した精霊がわらわらと出現す
るという精霊指定都市制度。今朝、唐突に僕の町が指定された。と、同時に三日間の開催スタートとなった。
 直後、学校で早速担任から説明があり、僕の高校はそのまま三日間の臨時休校となった。当然、野球の練習も
休みだ。親父と母さんも早めに帰ってくるだろう。せっかくの自由な午後、親と顔など合わせたくないのだが。
 何の前触れも無く昨年から始まった精霊指定都市制度、第一弾は隣の町だった。そこは、秋になると稲の黄金
色が美しい田園地帯で、元々信心深い年寄りが多かったせいか精霊が徘徊しても大きな混乱は無かった。それど
ころか、その町で出現した精霊は善意のものばかりだったそうで、精霊と人間との間で色々な物語が繰り広げら
れたそうだ。
 お稲荷さんの狛犬がキツネ耳の少女の姿で現れ、三日間、神主である老夫婦の面倒を見たという話も聞いた。
「兄ちゃんの友達、ホモの精霊に襲われたってね」
 弟が思い出したように笑う。その笑顔に僕は奥歯を噛み締めた。
 同じ野球部の友達がその町に住んでいる。当時、持っていた鉄アレイの精が出現したそうだ。小麦色でビキニ
パンツのオイリーなマッチョマンで、友達は三日間筋力トレーニングのコツを耳元で囁かれ続けたそうだ。
 ホモの精霊で笑ってばかりの弟を見ると、友達が笑われているようでこめかみが熱くなってくる。いい加減に
鬱陶しい。僕は弟を殴りそうになる衝動を押さえ、とっとと自分の部屋へ戻った。
 耳を澄ませて部屋のあちこちを見渡すが、それらしい物はどこにもいない。もしかして、と思ったのだが。
 「くそ。キツネ耳の女の子くらい出て来いよな」
 そう愚痴りながら、コンポのスイッチを入れようと腕を伸ばした。
 その時。
「ご主人様、ここです」
 空耳か? と、周囲をくまなく見渡す。だが、ご主人様から連想される類の物は何処にも見当たらない。ひょ
っとして、どこかに精霊がいるのか。よしよし、どこだ?
 さっきまでのイライラはどこかへ吹き飛び、僕は上唇を舌先で二、三度舐めた。心臓の刻みが段々早くなって
いくのが分かる。甲高く、小さな声だ。早く見つけないと何処かへ消えてしまいそうだ。

8 名前:一本の灯火2/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/03/11(日) 22:32:00.62 ID:6nRKuCtA0
「ここです、ご主人様」
 なんとか声の主をピンポイントで見つけた。だが。
「お前、マッチか?」「そうです」
 声の主は本棚の隅っこで転がる、使いかけの小さなマッチ箱だった。僕の全身から力が抜け、音を立てて椅子
へ座り込んだ。こんな機会は二度と無いかも知れないのに、よりによってマッチ? しかも声だけの精霊。
 手にとって左右に振ると、カラカラと頼りない音がする。えらく本数が少ないなと中身を確認すると、あと二
本しか入っていない。箱には白地に筆文字で”お好み焼きの坂東”と書かれている。僕の高校から近い、溜まり
場で有名な店のマッチだ。
「申し訳ありません。あまり振られるとマッチの軸から頭が取れてしまいます」
「あ、ああ、ごめん」
 思わずそっと机の上へ置いた。
 このマッチ、半年程前に野球部の部室で見つけた物だ。部室で煙草を吸ってる先輩が忘れていったものらしく、
そのままにしておくと顧問に見つかるのも鬱陶しいので、後で捨てるつもりで持って帰ってきたものだ。
「精霊指定都市では八百万の神から力を分けてもらえます。私のような力の弱い精霊が、こうしてご主人様と話
をすることができるのもそのお陰です。見つけてもらえて、私は本当に幸せです!」
 マッチ箱は、一段と高い声で嬉しそうに喋った。
 
 親父と母さんは、僕の予想に反していつも通りの時間で帰ってきた。珍しいことに今日の夕食は、家族四人が
全員揃った。普段は僕が先に何かを食べているので、家族全員がなかなか揃わない。なぜ先に食べるのかという
と、親父と顔を会わせたくないからだ。だが、今日はマッチの一件があったので、食べるのを忘れていた。
 僕のポケットには、例のマッチ箱が入っている。部屋に置いてきてもよかったのだが、何となく一人にしてお
くのが気の毒な気がして、一緒に連れてきた。
 八宝菜が盛られた皿の手前に、マッチを置いた。すると、
「皆さんはじめまして。僕、マッチの精霊です!」
 いきなり楽しそうに喋り出すマッチに、家族全員が目を丸くした。
「お、お兄ちゃん、こ、これって精霊?」
 驚きと喜びが入り混じった弟から伸びる手を、僕は箸でつついて引っ込めさせた。
「マッチの精霊か? お前らじゃなくて煙草を吸うワシが触るべきだな」
 そう言いながら、普段は不機嫌そうな親父が物珍しそうに手を伸ばした。今度はそこへ、僕の平手打ちが炸裂。
パチン、と綺麗な音が部屋に響いた。その直後、親父は椅子を突き飛ばすようにして立ち上がった。

9 名前:一本の灯火3/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/03/11(日) 22:34:48.79 ID:6nRKuCtA0
「てめえ!」「なんだよ、クソ親父!」
 僕も負けじと椅子をひっくり返し、勢い良く立ち上がった。ずうずうしく人の物を親の立場を利用して取り上
げようなんざ、上等じゃねぇか。殺してやる。
 両手で握りこぶしを作り、牙を剥き出して親父を睨む。親父も僕を睨み返す。
「やめてください!」
 悲しそうな声で叫ぶマッチを、僕は苛立たしく見下ろした。
「うるせえよ。お前じゃなくて、もっとましな精霊だったらよかったんだよ」
 その場で思いついた悪態をマッチへぶつけた。何か言い返すかなと思ったが、リビングには沈黙が訪れた。僕
の悪態に対して誰も口を挟んでこない。予想もしていなかった雰囲気に、僕は混乱した。どうしていいのか分か
らなくなり、目をあちこちに走らせ、何か打開策は無いかと考え始めた。
 親父は二歩ほど下がって、突き飛ばした椅子へゆっくりと座った。
「最低だな、お前」
 静かに、低い声で親父が言った。怒りの色はもう見えない。むしろ、哀れみを含んだような目で僕を見ている。
だが、そんなものは関係無い。親父の”最低”という言葉に、僕のカンシャクが炸裂しそうなのだ。
「ご主人様。おっしゃる通り私は小さい存在です」マッチ箱がつぶやくように言った。「私はあくまで道具であ
り、その役目は火を起こす仕事です。その仕事さえ出来れば私は満足なのです。そのためなら何でもします。お
願いです、願わくば私を使い切ってください」
「へえ、使い切ったらどうなるっていうんだ?」
 口元をゆがめ、意地悪そうに僕は尋ねた。
「私は消えます。この世から存在が消えます。その後どうなるのか知りませんが、これが私の本分です」
 かすれそうな小声でマッチが言った。
 その言葉に僕は、眉をひそめた。
 どうしてこのマッチは、明日の天気を語るかのように、そんな事をさらっと言えるのだろうか。
 僕はゆっくりと拳を緩め、元の席へついた。ちっぽけなマッチ箱の話にすっかり毒気を抜かれた。あれだけの
ことを言われても、これから先の運命にも、泣いたりわめいたりせず冷静に語るマッチに。
 反抗期だから、と開き直っていつも家で暴れている僕とこいつとでは、どこか大きく違う。

 親父は、マッチの最後を飾るのにふさわしい、最高の仕事をさせてやろうと言い出した。そして、”バーベキ
ューで使い切る”という案を切り出してきた。親父と行動を共にする時点でイライラが募るのは目に見えている。
だが、けなげなマッチの為に、少しの間は我慢しようと思った。だから、僕もその案に憮然としながらも賛成し

10 名前:一本の灯火4/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/03/11(日) 22:35:51.79 ID:6nRKuCtA0
た。

 翌日の昼。
 見るもの全てが寒々とした、青空の下に広がる河川敷。まだ季節がら肌寒いのと、ニュースで散々”外出は避
けるように”と報道されていたので、案の定僕等のほかには誰もいない。
「小さい頃、よくバーベキューをやってたな」
 何気に僕がつぶやくと、弟は
「お兄ちゃんが高校へ行き始めてからは、一度もやってなかったね」
 と、寂しそうに言った。その弟の言葉と表情が僕の胸を締め付ける。その頃から親父を無視し始めていたのだ。
 コンロやテーブルの設営、焼き物の準備など、親父と母さんは手早く済ませた。小さい頃は、それこそ毎週の
ようにやっていたからスムーズなのも当然か。
 親父はそれが一段落してから、新聞紙を細く丸めたものと例のマッチを差し出した。
「お前がつけるか?」
 口元を緩める親父からマッチと新聞を受け取り、じっと見つめる。いくら見ても、単なるマッチと新聞紙だ。
僕は今からマッチの命を奪う。マッチもそれを望んでいる。だが、僕の手がこれ以上動かないのだ。
「本当にいいのか? この世から消えるんだぞ」
「私は、道具として一生をまっとうできるなら幸せです。折れても構いませんから思い切って、どうぞ」
 その声に怯えは無い。腹を括ったのか、マッチよ。当の本人に比べて僕の気の小ささが情けなくなってきた。
「くそ、分かったよ」
 僕はマッチを一本取り出し、薬の面とマッチ軸の頭とを素早く擦り合わせた。すると、シュっと火がついたと
同時に、軸が折れて火の玉が前方へ飛んでいった。その火の玉は放物線を描き、目の前の大きな岩の根元へ落ち、
すぐに消えた。
「あーっ!」
 家族の大合唱だ。その非難を一身に浴び、僕は情けなくて少し涙が出そうになった。どうせ僕は家族の輪を乱
す存在だ。マッチすらまともに使えない。
「まだチャンスはある」
 背後から親父が、僕の肩へ手を乗せた。昔の手は熊のようだったのに、いつの間にこんなに小さく、皺が増え
たのだろう。親父も確実に年をとっている。
「気にすんな。結果はどうあれマッチをちゃんと使ってやれ。多分、それでいいんだ」
 そうだ。精霊とはいえ、道具なのだ。大事に最後まで使ってやればいいんだ。僕は一度深呼吸をしてから、最

11 名前:一本の灯火5/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/03/11(日) 22:36:28.38 ID:6nRKuCtA0
後の一本を取り出した。いつの間にか新聞紙は親父が持ち、その左右を母さんと弟が風除けになるよう囲んでい
る。
 なんだか、その光景がとても懐かしく、とても楽しく、とても滑稽であった。
「久しぶりだね、家族で何かをやるのって」
 僕がそう言うと、母さんと弟の目元が笑った。親父は真剣な顔を崩さない。
「結果はいい、頑張れ」
 親父の言葉と同時に、僕は最後の一本を擦った。
 シュっという音と共に、ビー球くらいの炎が灯った。親父はすかさず、その火の上へ新聞紙をかざす。母さん
と弟は、その炎を守ろうとさらに体を寄せ合う。新聞紙の先端が黒くなり、やがて薄暗い赤、そこから小さな炎
が上がった。親父が新聞を斜め下に向けると、やがて松明のように勢い良く炎を伸ばし始めた。
「やった」
 僕は、マッチを摘む指先にまで迫る炎を吹き消した。
「ご主人様、ありがとうございました」
 その声に、僕は気づいた。今、炎を吹き消したことが、マッチの役目を終わらせたということを。
「おい、マッチ!」
 僕は貴重な宝石を見るかように、震える指先で摘んだ、マッチに向かって叫んだ。
「役目は果たせました。ありがとうございました、ありがとう……」
 ごく微かな煙が細く天へとたなびく。そして、どこからか訪れた木枯らしにかき消されていった。

 弟がひたすら肉をつつき、母さんは次々と網へ肉を投入する。
「おい、飲んでみるか?」
 親父はその様子を眺めながら、テーブルの向かいに座る僕へ紙コップを突き出した。目を真っ赤に腫らし、す
っかりもぬけの殻となった僕は、力なくそれを受け取った。中身をちらりと見る。ビールだ。
 親父は紙コップを一気にあおった。
「いい精霊だったな、あのマッチは。炭火を起こしただけじゃなかった」
 そう呟く親父の言葉で、僕は気づいた。
 あのマッチは、僕達家族の団欒へ明かりをひとつ灯そうとしたのではないか。何も根拠はないが、現にマッチ
をきっかけとして、久しく絶えていた団欒が再開した。
 親父が鬱陶しいというのは今でも変わらない。だけど、これからは少しマシな親子関係になれるかも知れない。
 僕は、顔をしかめながら紙コップをあおった。



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