【 桜 】
◆PUPPETp/a.




779 名前:桜 1/3 ◆PUPPETp/a. 投稿日:2007/03/11(日) 17:38:23.52 ID:UXg37tub0
 ある日、一通の手紙が届いた。
 母校である中学校の廃校と、それに伴う校舎取り壊しの連絡。
 実家に住む兄夫婦が、気を利かせて私宛に届いた手紙を転送してくれたらしい。
 つい先日、私は定年退職をしたばかり。
 仕事の重圧から解放された代わりに圧し掛かってきたのは余暇という名の時間である。
 その負担を少しでも肩代わりしてくれる。そんな存在がやってきたことに感謝した。
 やってきた手紙を読んで思いついたのは、その校舎を目に焼き付けておこうという考えだった。

 学校のある田舎は新幹線で約二時間。そこから電車に乗り換え、駅から学校のある町へタクシーで向かう。
「ここで降ろしてください」
 学校のある坂の手前でタクシーを止めてもらった。
 坂を見上げると学生時代を思い出す。
『こんな坂の上に学校なんて作るんじゃないっての』
 そんな悪態を吐きながら、遅刻しないようにいつも走って上っていたものだ。
 坂の途中にある家々は、記憶にあるものと随分変わっていた。自分の年齢を考えると溜め息が漏れる。
 坂を上りきると、目の前には大きな桜の木が立っていた。
 登下校に関わらず、町中からも映えて見えた『学校の桜の木』である。
 校門をくぐり、その桜を見上げる。桜の向こうには校舎が見えた。
 時間は私だけではなく、校舎にも圧し掛かっていたのだろう。当時は新しいと思えた校舎も年輪を
重ねているように見えた。
 桜の花びらに透かして校舎を見上げると、二階には美術室がある。
 当時、美術部に在籍していた私は足繁く通っていたものだ。
 ……いや、今思うと私が通っていたのは絵を描くためだけではなかったのだろう。
 絵を描いていると音楽室からピアノが聴こえてきていた。顔も知らないその奏者に、私は憧れていたのかも
知れない。
 その清廉な音色に心を落ち着かせて、音曲に合わせて筆を滑らせていた。

780 名前:桜 2/3 ◆PUPPETp/a. 投稿日:2007/03/11(日) 17:38:51.34 ID:UXg37tub0
 風が吹き、桜の枝のざわめきと共に花びらが空を舞った。
 後ろから砂を踏む足音が聞こえてくる。
 振り返るとそこには、白髪混じりの髪を上品に結い上げた、和服姿の品の良い女性が歩いていた。
 彼女は私に気づくと軽く会釈をする。私も会釈を返し、世間話をするように話しかける。
「あなたも取り壊しの連絡を聞いて来たんですか?」
「……そうですね。思い出深い場所なので」
 そう言うと、彼女は視線を上げて校舎の方を見た。
 私もそれを追うように校舎を見上げると、視線の先には音楽室があった。
「放課後はピアノを弾くことが楽しみだったんです」
 彼女はもの悲しいとも郷愁に浸るとも違う、どこか不安そうな表情だ。しかし、その口元には微笑が
浮かんでいる。
「……」
 私は彼女のその微笑の理由がわからず、ただ見つめていた。
 風が吹き、桜の花びらが視界を覆う。
「――ッ!?」
 目を背けるその一瞬、彼女がセーラー服に身を包んだ少女に見えた。
 結い上げていたはずの白髪混じりの髪が濡れ羽色になり、腰まで伸びたそれが風をはらんで踊っていた。
 その姿は、もしかしたら私が憧れていた少女のものだったのかもしれない。
 しかし、花びらが地面に辿り着くと、先ほどと同じ和服姿の女性が立っている。
 自分の目を疑った。
 それは音楽室に思い出のあるその女性に対して、私自身の願望が見せたものかもしれない。
「あの――」
 私からの呼びかけに、彼女は私に顔を向ける。
 しかし、何を言えばいいのだ。私の憧れの人ですか、とでも問えばいいのだろうか?
「……いや、何でもありません」
 彼女へと答え、私は顔を美術室へと向ける。

781 名前:桜 3/3 ◆PUPPETp/a. 投稿日:2007/03/11(日) 17:39:38.28 ID:UXg37tub0
 ――あれは桜が見せてくれた幻か。
 そんな思いが頭をよぎる。
「私も放課後は美術室に通い詰めていまして」
 取りとめもないことを話す私に、彼女は何も言わずただ見つめている。
 私が美術室を見上げると、その視線を追って彼女も美術室へと顔を向けるのがわかった。
「よくピアノの音が聴こえてきていたものです」
「……」
 彼女は何も返さず、微笑を浮かべてただ静かに校舎を見上げるのみだった。
 私も続く言葉が思い浮かばず、時間のみが過ぎていく。
 風になびいて、桜の枝がこすれ合う。
 桜の奏でる音色と美術室で滑らせていた筆の音が似ている気がした。
「……それではお先に失礼します」
 時間は余るほどあるとはいえ、いつまでもここに居残るわけにもいかない。
 私はその場を後にすることにした。
 会釈をする私に彼女も返し、校舎を背にして坂へと戻る。
 ゆっくりとした足取りで坂の手前まで来ると、名残惜しさを感じて校舎を振り返る。
 彼女はまだ私の方を見ていた。振り返ったことに気づくとそのまま一礼する。
 また大きく風が吹き、桜の花びらが空を舞った。
 青空に溶け込むように舞う花びらに心奪われて、視線を空へと移す。
 空を舞う花びらは私への別れを告げているかのように思えた。
 彼女へと目を戻すと、その姿はもうそこにはいない。
 私は覚えず口元に笑みを浮かべて桜の木に一礼すると、坂道を降りていく。
 『学校の桜の木』は私を見送るようにざわめいている。

 <<終幕>>



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