【 去年と同じ願い事 】
◆9IieNe9xZI




749 名前:【品評会】去年と同じ願い事(1/5) ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/11(日) 15:06:20.44 ID:aVoorIpO0
「隣の爺さんがさ、『麗しのメイジー』ちゃんは今日も元気だねって」
 ジンコは短めの髪をかきむしって続けた。
「センスが古いっての、昭和だよ昭和」
「あんたそれ、お爺ちゃんに言ってないでしょうね」
「何よ、お姉ちゃんも本当は嫌だってこないだ白状したじゃんか」
 それはそうだけど、とメイは言いよどむ。
 漆野芽衣と神子の姉妹は、近所の人々から名前をもじって『麗しのメイジー』と呼ばれていた。目立つ容姿をしていれば、親しみを感じる
ためにあだ名の一つも付けたくなるのかもしれない。
 姉のメイはクラスの男子に背の高さで負けたことがなく、その記録は中学に入って三年近く経った今も更新中である。一方で妹のジンコ
は背が低い。五年生にもなって低学年に間違えられるくらいだった。
「言わないよ、言ったらお終いだよちゃんと分かってるよ。だけどさ、何かもの悲しい響きだと思わない? 白黒映画のタイトルみたいな」
「もういいから、お蕎麦食べちゃいな。伸びるよ」
 姉妹はこたつに入って年越し蕎麦をすすっていた。テレビで紅白歌合戦がもうすぐエンディングを迎えようとしている。
 メイはため息をついた。彼女だって恥ずかしいし嫌だ。しかし止めろと言って角が立つのも馬鹿らしいと思っていた。そう呼ばれる度
に、彼女の頭の中では似たタイトルの小説が思い出される。『夜明けのメイジー』という本だ。表紙に高貴な感じの短髪の婦人と、長い髪
の淑やかな女性が描かれている本だった。もっとも、二人が似ているのは髪の長さくらいのものではあったが。
 急にジンコが箸を投げ出してこたつに潜った。
「松子出てこい、たまには外で遊びなさい」
 そう言ってジンコは太った白猫を抱えて出てきた。それは飼い猫の松子だ。変わった名前だが、松子という名は母親の好きな女優から
つけられた。首輪の鈴がちりちりと音をたてている。
「それはあんたもでしょう」
 メイはテレビの横に山と積まれたゲームソフトのケースを見た。
「お姉ちゃんもさ、若いんだからたまには羽目を外しなさい。本ばっか読んでないでさ」
 こたつでのぼせたのだろうか、ジンコの腕の中で松子はぐったりしていた。
 はいはい、とメイはつぶやくがその声は憎々しげだ。
「そう言えばお姉ちゃん、お父さんたち遅いね」
 壁の時計を見てジンコが言った。両親は親戚の家へ行っている。夜には戻ると言って出かけたにも関わらずまだ帰ってきていなかった。
「そうね、ちょっと電話してくる」
 メイが電話を終えて居間に戻ると、ジンコがぼんやりテレビの画面を見ていた。
「何て言ってた?」

750 名前:【品評会】去年と同じ願い事(2/5) ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/11(日) 15:07:26.54 ID:aVoorIpO0
 振り返ってジンコがそう訊ねる。
「何かお父さんが酔っ払っちゃって、車の運転出来ないみたい」
 メイはこたつに入り、廊下で冷えたつま先を暖めた。
「えー、それじゃ明日の旅行どうすんのさ」
「大丈夫よ、朝早くには帰ってくるから」
 漆野家は元旦に温泉旅行へ行く予定で、それが冬休み唯一のバカンスだ。
「……事故にあわないといいね」
 心配なのかジンコがぼそりと言う。
 遠くから除夜の鐘が聞こえていた。メイがつまらないテレビを消して耳をすませると、静かな部屋に音が響く。頭の中で直接鳴っている
ような感覚がメイは好きだった。埃っぽい、古臭い音色が頭を掃除してくれるような気がするからだ。
 ジンコは蜜柑の皮をむいている。
「ね、これが一年中鳴ってたらどうしようって思うこと無い?」
「思わないわよ」
 さて、とメイは立ち上がる。
「そろそろ初詣に行こうか」

 姉妹は玄関を出た。ジンコが寒いから行きたくないと駄々をこねたせいで遅くなってしまったが、まだ除夜の鐘は続いていた。歩いて
十分もかからない所に小さな神社があって、そこへ行くつもりだった。
 二人の住む辺りは山を切り開いて造成された住宅地だ。山の中だからか鐘の音がよく反響した。音は歩いている内に近づいたと思えば
遠くなったり、離れたかと思えばすぐ側で聞こえたりと人を惑わせる。ジンコが体を震わせた。
「何か出てきそうな感じ」
「変なこと言わないでよ」
 坂道を下りながらメイが叱る。ただでさえ林に囲まれた夜道は怖いのだ。
「いっ」
 藪から突然何かが飛び出し、ジンコが短い悲鳴をあげた。
 出てきたのは白猫だった。
「びっくりさせやがって、この――」
 ジンコが威勢良く啖呵を切ろうとして止めてしまう。
「あれ、こいつ松子じゃない?」
「うん、似てるね」

751 名前:【品評会】去年と同じ願い事(3/5) ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/11(日) 15:08:13.54 ID:aVoorIpO0
 太った身体に釣鐘型の鈴のついた首輪、その猫は確かに漆野家の飼い猫に見えた。
「お姉ちゃん、ちゃんと戸締りしたの?」
「したわよ」
 そうは言いつつもどこか不安で、メイは記憶を辿った。玄関の鍵はしっかりかけたはずだが、台所の窓などはどうか分からない。
松子は今まで勝手に逃げ出したことが無かったので、メイは油断していたのかもしれない。猫なのだから気まぐれで逃げ出すことがあって
当然だ。
「あ、逃げた」
 松子と思われる猫が坂道を下って走り出した。それを追ってジンコも駆けていく。
「ちょっと、こら待ちなさい」
 メイとしては妹に言ったつもりだったが、ジンコは何かを叫びながら道の向こうへ消えていく。
 仕様が無いなあ、と漏らしながらメイも走り始めた。スカートの裾をはためかせ、アスファルトをスニーカーで蹴ると靴底にざらざら
した感触が伝わった。平屋建ての民家や竹林、山の斜面を削って作られた人工の崖、その下の駐車場などの景色が通り過ぎていく。
 セーターの中が汗で湿ってきたのでメイはコートのボタンを外した。遠くに赤いダウンジャケットを着た妹の姿があり、猫までは見え
ないのでそれを頼りに進む。何度か角を曲がる度にジンコを見失ってしまうのではと冷や冷やさせられた。
 松子もジンコも、普段運動していないようで素早い。本当に運動不足のメイがついて行くのは大変だ。
 彼女はやがて見慣れない道に入り始めた。明るい時間ならともかく、こう暗くてはまともに周りが見えない。本当は買い物の
帰りに近道として通る場所かもしれないが、今それを判断することはできなかった。
 もう幾度過ぎたか分からない曲がり角を曲がった時、立ち止まって山の上を見上げている妹の姿が目に入った。やっと追いついて、
メイは息を弾ませつつジンコを叱ろうとする。
「こら、あんたね――」
 しかしジンコに気にする素振りは無い。道端を指差し、はあはあと白い息を吐きながら不思議そうな顔で言った。
「ねえ、猫神社だってさ」
 見ると斜面に細い石段があり、入り口の所に『猫神社』と書かれた杭が立っていた。この辺りにそんな場所があるなどメイは聞いたこと
が無い。
「松子がここを上って行ったんだけどさ、勝手に入っちゃってもいいのかな。怒られない?」
 ジンコが階段の上を見る。息を整え、メイも見上げた。小高い丘の頂上に仄かな明かりが見えた。
「変わった神社だけど別にいいんじゃないかしら。お正月に休みも無いでしょう」
 ジンコは姉の許しを得るとすぐに階段を駆け上り始めた。
 急勾配な石段をメイも上がっていく。どうやら頂上に見える明かりはかがり火の物らしく、赤い光が彼女の先で揺らめいていた。

752 名前:【品評会】去年と同じ願い事(4/5) ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/11(日) 15:09:01.58 ID:aVoorIpO0
 上りきった所は狭めの境内だった。小さな鳥居をくぐって足を踏み入れると、そこは高い木に囲まれ、木の枝が天蓋のように空を
覆っていると分かる。奥に、かがり火の明かりを受けて朱に染まる本殿が見えた。本殿と言っても一メートル半ばかりの高さの慎まし
いものだ。この中にご神体が祀られているに違いないが、どんな物が入っているのかメイは知らない。普通の神社なら鏡や剣や石だとかが
ご神体として納められているはずだが、猫神社の場合は何なのか。猫目石でも置かれているのかなと思うものの、メイは自信が持てない。
 本殿の前には賽銭箱があって、そこにジンコが立っていた。
「お姉ちゃん見てこれ。鈴も無いくせにお賽銭は取るつもりみたいだね、この神社」
「お願いだから罰当たりなこと言わないで」
 メイが呆れる。玉石を踏んでジンコに近づき、彼女は辺りを見回した。
「松子は見つかった?」
 ジンコが首を振る。メイはため息をついた。
「もういいから、ここでお参りして家に帰ろう。明日探せばいいよ」
 松子よりも、自分たちが迷子になっていないかとメイは心配だ。
「それじゃ旅行は中止かなあ」
「仕方無いよ」
 メイが財布から五円玉を二枚取り出し、一枚をジンコに渡した。
 お賽銭を入れようとして、賽銭箱の隣に立て札が刺さっているのにメイは気づいた。達筆な文字を彼女は苦労して読んだ。
「ええと、心を込めて願うべし。さすれば猫神の御使いが願いを叶えん。猫神とは猫の聖地と言われし猫岳で修行を積み法力を高めた……」
「インチキ臭くない?」
「……どこも似たような物よ、きっと」
 鼻がむずむずして風邪をひきそうな気配だったので、メイはいい加減な返事をする。五円玉を箱に入れ、ニ拝、二拍、一礼して彼女たち
は願い事を心の中で唱えた。
「どんなお願いした?」
 メイが訊ねる。
「去年と同じに決まってるじゃん、背が伸びますようにって。お姉ちゃんも去年といっしょ?」
「そうね、今年も去年と同じよ」
「毎年そう言ってるけど、結局何をお願いしたのか言わないよね」
「何度も教えてるじゃない」
 そうだっけとジンコは言い、思い出そうとしているのか唸りだした。

753 名前:【品評会】去年と同じ願い事(5/5) ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/11(日) 15:09:48.49 ID:aVoorIpO0
 本殿の脇にはもう一つの立て札があり、『お帰りはあちら』という文字と矢印が書かれていた。矢印の示す方向には何も無かった。そこ
にあるのはただの崖だ。崖の縁に立つと下に道路が見えた。三メートル程度の高さとはいえ降りられそうには無い。
 昔は階段があったのかもしれないとメイは考えた。さっきの鳥居から帰ろうと思った時、背中を押される感触があった。
 メイとジンコは叫び声をあげて斜面を腰から滑り降りた。
 滑降が止まると、二人は顔を見合わせる。怪我は無いようだ。
「今押されたよね。誰かいたのかな」
 ジンコが言った。
「そんな訳無いでしょう……誰もいなかったもの。そう、足が滑っただけね」
「二人いっしょに?」
 メイは何も言えなかった。薄ら寒い物が身体を走る。それはジンコも同じようで、顔から血の気がひいていた。
 立ち上がって二人は崖を見上げる。街灯の眩い光が邪魔をして、かがり火の明かりはもう見えなかった。

 崖から落ちた先は二人のよく知っている場所だった。知っているどころか、家を出る前に行こうとした神社の目の前だったのだ。そこの
神主に猫神社のことを訊いてみると、一体何のことかと首をひねられた。何も知らないらしい。
 二人は甘酒をもらって道々飲みながら帰った。おかげで体が温まったのでメイはほっとする。
 甘酒を振舞われる時、『麗しのメイジーちゃん、今年もよろしくね』などと言って笑われた。それでもメイは恥ずかしいとは思わな
かった。そのあだ名のおかげで、日常へ帰ってこられたように感じたのかもしれない。メイは例の神社が何だったのか気にするのを止め
た。怪我も無かったのだし、忘れてしまった方が良い物に思えたからだ。
 家に帰ると松子がいた。白猫はこたつの側の座布団で寝ていた。
 何だよもう、とジンコは座布団目がけて倒れこむ。松子はテーブルの上に避難してまた背中を丸める。
「お姉ちゃん、こたつの電気つけて」
 ジンコが言って、こたつ布団の中へ体を潜らせる。
「はいはい」
 メイは電源をオンにして、コートを着たままこたつに脚を入れた。壁時計の秒針を見つめているとジンコが寝息を立て始めた。あと三、
四時間もすれば両親が帰ってくるはずだ。今はまだ寝ながらお酒を抜いている頃だろう。事故なんか起こさなければいいけど、とメイは
考える。
 喉を撫でてやると松子は幸せそうな顔をした。その眠たげな表情を見ると、メイはしみじみとこう思えるのだ。
 ――今年も去年と同じ、平和な一年でありますように。
 首輪の鈴が鳴った。(了)



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