【 魂の価値 】
◆c.1knr2tzg




722 名前:魂の価値1/3 ◆c.1knr2tzg 投稿日:2007/03/11(日) 10:06:05.11 ID:+l3u1cjo0
 少年が目を覚ますと、ベッドの傍らに大男が立っていた。男の外国人めいた彫りの深い顔を向けられ、吸い込まれそうな深緑の眼に見つめられると少年は息苦しさを感じた。
少年は鉛を飲み込んだような、ぐっと重い何かが腹の奥底からこみ上げてくる気がした。
 少年は冷静に考えてみた。家中の全ての鍵は掛けてあったはずだ。それなのにこの男は何故部屋にいるのだ。第一、この男は誰だ。一通り考えた後、少年が導き出した答えは
一つだった。
「泥棒だ! 泥棒がいる!」
ベッドから跳ね起きると、喚き声を上げて男の存在を知らせようとする少年。その口を押さえ、少し慌てた様子で男が話しかける。
「待ってください。私は泥棒ではありません」
少年は男の話す日本語の流麗さに驚きの表情を浮かべるが、すぐに威嚇するような眼に戻って言った、
「じゃあ何だって言うんだ。勝手に部屋に入れるなんてあり得ないだろ」
男は暫く目線を泳がせた後、一つ大きな深呼吸をしてから一言、
「私は死神です」
少年は、そんな馬鹿げた子供騙しには誰も引っかからないと死神をなじった。そして携帯電話を枕元から探し、110番へ電話を掛けようとした。死神は急いで言葉を言い換えた、
「じゃあこれは私という死神のいる夢、ということでもいいです。夢の中なら何が起こってもおかしくないでしょう」
 少年はこんなに不可思議な夢なら再び寝た方がいい、そう感じて再び横になり目を閉じた。死神は少年を揺り起こして言った。
「夢なんだったら少しくらい時間はおありでしょう。私と共に来ていただきたいのです。少し命のお勉強をしたいのです」
 少年は聞く耳持たず、完全に目を閉じ外からの雑音も遮断しようとした。死神はぐるぐる眼を回しながら考え、これだけは言いたくなかったのだが、と前置きをして続けた、
「君は友達を一人殺しましたね。そのことも含め、話をしたいのです」
 少年ははっとして死神の方を見つめた。そして、もう逃げられないと思った。彼の背中にはじっとりと汗がにじんでいた。

少年は確かに一人、知人を殺していた。いや、直接殺したわけではなく、少年は彼をいじめていたのだ。いつも少年は彼をからかって遊んでいた。顔を殴り腹を蹴り。それが少
年の愉しみであり、暇つぶしの遊戯だったのだ。
 一昨日、少年は彼に向かって言った、「死ねよ、馬鹿が」と。それはいつもと同じ軽口であった。しかし、昨朝学校へ行くと彼の机の上には花が置かれていた。少年はそれも
いじめの一環だと思って気にしていなかったが、確かに彼は死んでいた。少年が彼を罵倒したあの晩に、部屋で自殺していた。
 その件があって以来、少年は陰鬱な気持ちを心に抱き続けていた。自分のせいで、もしかすると人が一人命を絶ったかもしれない、自分が加害者になってしまった、そんな考
えがずっと少年の周りを回っている。毎夜毎夜悪夢を見続けた。死に苦しむ彼の顔が溶けて消えていく。そんな夢ばかり見ていたのだから、今見ている映像もその悪夢の一端な
のだろう。少年は妙に納得し、今日はどんなことが起こるのかという不安に駆られていた。
 少年は死神を玄関へと案内し、外へと出た。日が既にだいぶ高いところへ昇っている。少年が時計を確認すると午前十時を少し回ったところだった。こんな時間まで自分は寝
ていたのかと少年は驚いたが、これは夢の中なのだから時間の感覚もおかしいのだろうと思い直すことにした。

723 名前:魂の価値2/3 ◆c.1knr2tzg 投稿日:2007/03/11(日) 10:07:14.30 ID:+l3u1cjo0
 今まで死神の顔以外まともに見ていなかった少年は、死神の不可思議な服装に目を止めた。一見、英国紳士を思わせる風貌である。頭と同じほどの高さのシルクハットに靴墨
のような漆黒のマント、そして右手には艶やかな木で作られた杖が握られている。杖の先には人の頭蓋骨をモチーフにした彫刻が施されており、眼球代わりに大粒のルビーが埋
め込まれていた。少年はその悪趣味さに顔をしかめながら、この風変わりな紳士を見つめていた。
 少年はつまらないといった表情で、地面に咲くヒナギクの花を蹴り、踏み潰した。こうすることで、苛立ちを逃れようとしているのだ。すると死神ははっとした様子で少年の
足元にしゃがみ込んだ。そして、肩を怒らせながら少年に言った、
「花を踏んではいけません! 花にも命はあるのです」
「花に命なんてないよ。それにあなたは死神なんでしょう? 死を見るのが大好きなんじゃないの?」
「そんなことはありません。花にも魂はありますし、死を見るのは今でも胸が痛みます」

 そういうと死神は再び歩き出した。少年はため息を一つついて死神に付いていった。植物に魂などあるはずがない。だって何の反応も示さないから。少年はそう自分に言い
聞かせた。しかし彼の胸の奥には、何かが引っかかっていた。
 死神はいたずらっぽい笑みを浮かべながら杖で前方を指した。少年がそちらを見ると、子猫が一匹箱に入っていた。箱には『誰かもらってください』と書いてあった。少年
はあまりに漫画的な情景に呆れながらも、死神の方を向いた。
 死神は何事か小声で呟いていた。少年は死神に、何を言っているのか尋ねた。死神は少年の方を向くとにっこり笑って一言、「あの子猫を殺すのです」ごく自然にそう言っ
た。少年は信じられないといった様子で目を見開き、死神を突き飛ばした。死神は頭をさすりながら、何をするのかと少年に問うた。

「あり得ねぇよ! 猫殺すなんて」
死神はその答えにニ、三度頷くと語気を強めて言った。
「しかしあなたも先ほど、花の命を絶とうとした」
「だって猫が可愛そうじゃん」
「猫は可愛そうで花は可愛そうではないのですか? それに、あの猫はきっと誰にも拾われずに死ぬでしょう」
確かにそうだろう。この猫はおそらくすぐに死ぬだろう。その時間を短くする事が、猫を幸せにするということかもしれない。少年は葛藤していた。何が猫にとって最も幸せ
なことか。
 少年がふと前を見ると、既に猫の姿はなく、死神は満足そうな表情を浮かべていた。少年は問い詰めたが、死神は中途半端に微笑んだままだった。死神の杖の先には赤い液
体がこびりついていた。
「お前、最低だよ! 猫を殺すなんて」少年は死神のマントを掴み、激しく揺さぶったが、死神は全く動じずに歩き出した。死神の残酷さに少年は唖然として、その場に立ち
止まった。すると死神はくるりと反転して少年に向かって言う、
「次は誰の命を頂きましょうか……あなたのお母様とか」
少年は体中に怒りが流れ込むのを知った。そして充血した目で死神を睨み、あらん限りの大声を張り上げた。

724 名前:魂の価値3/3 ◆c.1knr2tzg 投稿日:2007/03/11(日) 10:09:11.93 ID:+l3u1cjo0
ふざけるなよ! こうやって命を弄んで、そんなのが楽しいのか」
「楽しみではなく、私が生きるために致し方ないことなのです」
そして死神は続けて言った。人間も生きるために牛や豚の命を奪う、そして自分もそれを実行しているだけであると。
「万物には魂がある、というのが人間古来の考え方でした。人間も獣も、植物も石ころや木でさえ魂を持っているのです。しかしあなたはさっき、花の魂を消そうとした」
 少年は首をひねり、死神に自分が話を理解していないことを示した。死神は静かに言った、
「自覚がないのですね。魂がなくなるという自覚が。だからあなたは『彼』にあんなことを言って、死なせてしまった。どうせならば、『お前が死ねよ、馬鹿が』」
 少年ははっとして死神の顔を見た。そこにはあの彫りの深い外国人はおらず、『彼』がいた。彼は満面の笑みでこちらを見ている。右手には杖はなく、鋭利な短剣が
握られている。少年が声を上げる間もなく、短剣は少年の胸を貫いた。少年は激しい痛みを感じ、そのまま地面に突っ伏した。

 布団から飛び起きる。何も起こっていない。やはり全て夢だったのだ。少年がほっとして自分の服の夢で貫かれた胸を見ると、赤黒い血がべっとりと付いていた。
 少年は錯乱し、自分の着ている服を体から引き剥がした。ボタンが弾け飛び、血生臭い服は遠くへ投げ飛ばされた。体には傷一つ付いていなかった。少年は胸をなでおろし、
投げ飛ばした服を拾いに行く。その途中、足で何か踏んだ感触があった。その何かを摘まみ上げる。それは手紙であった。
「君の心の闇を殺しました。これで大丈夫です。彼はまだ生きています。時間を確かめてみなさい」
少年は手元の目覚まし時計を見る。日付の欄を探すと、まだ少年が「死ね」と言う予定の日の朝だった。少年は汗を拭きながら考えた。全てのものに魂はある。だから自分も、
彼に優しくしてやるべきだ。「死ね」などという言葉を軽々しく言わないようにしよう。少年は学生服を探しに、クローゼットの方へと歩き出した。

 杖を突く音と微かな笑い声が町に響いた。





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