【 Who did she sting? 】
◆BLOSSdBcO.




596 名前:【品評会作品】 Who did she sting? 1/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2007/03/10(土) 21:19:14.66 ID:e1UQPbBi0
 世の中には、天才と呼ばれる人間が、結構たくさんいる。
 私の周囲では三組の吉田さんとか、五組の竹中君とか。
 吉田さんは「勉強なんて授業を受けてれば問題ない」が信条の、五教科九科目でオール満点をたたき出す
ような人。竹中君は三歳からゴルフの英才教育を受け、ジュニア選手権で日本一に輝くような人。
 ちなみに私、東海林泉美はというと。
「いずみん、古文何点だったよ?」
「……さ、さんじゅうにてん」
「ちょうど平均の半分プラス一点か。器用やね」
 そう、すなわちギリギリで赤点回避するような人。
 今回のテストは全科目がこんな感じで、なんとか追試も補習も免れることが出来た。
「さっちんは?」
「ん、ほら」
 赤い二重線の上に堂々たる姿で燦然と輝く三桁の数字。ノーミス。イッツアパーフェクト。
「裏切り者ぉっ!」
「アタシ、古文だけは得意なんよ。現文なんかより問われる事が簡単だし」
 それは内容を現代の文章と同様に理解出来ていてこそ、言える言葉じゃないだろうか。
 むくれる私を「数学はいずみんの方が良かったじゃろ」と慰めてくれる、さっちんこと和泉幸。たった五点
だけ、それも平均点より下での差なんて、今は虚しいだけだよ。
 唸り声をあげる私は彼女に引きずられ、放課後の教室を後にした。

 天才ってのは、私みたいな凡人から見れば宇宙人だ。
 私に分からない事が分かり、私に出来ない事をして、私とかけ離れた所にいる。
 頭脳も運動神経も人並み以下しかない私は、いくら必死に勉強しても頭に入らず、いくら必死に走っても
追いつけない。
 一度で良い。彼らのような、『特別な存在』になってみたい。私はそう切実に願っていた。
 そして、その願いは数分前に叶えられた。あまり良い方向にじゃないけど。
「さっちん、大丈夫?」
「……この状態で大丈夫だなんて言ったら、閻魔様にベロを引っこ抜かれるさね」
 お腹から血を溢れさせながら、さっちんは年寄りじみた事を言う。
「アタシは死なないように頑張るから。いずみんは殺されないように頑張りんせ」

598 名前:【品評会作品】 Who did she sting? 2/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2007/03/10(土) 21:19:59.27 ID:e1UQPbBi0
 蝋人形みたいに色を失った頬を震わせる。きっといつものニヒルな笑みを浮かべようとしたんだろう。
 私は零れそうになる涙と鼻水を必死に堪えながら、何度も首を上下する。
「こんなこと言いたくないんだけど、いずみんにアタシの命がかかってるから。薔薇色の未来のために、あの
アホんだらを吹っ飛ばしておくれ」
 彼女は私の頭に手を乗せ、ゆっくりと左右に動かした。いつも私を子供扱いしてそうするように。
「――さっちん、待っててね。私、頑張るから」
 優しく目を細めると、彼女の手は力なくアスファルトに落ちた。
 ゆらゆらと揺れるその光景から顔をあげると、私の大切な親友をこんなにした仇が目に映る。
 噛み締めた奥歯が嫌な音をたてて軋む。立ち上がった私は、獣のような咆哮をあげて一直線に駆け出した。
 毛むくじゃらの、猿と熊を足したような、醜い姿で。

 数時間前。散々だったテストの鬱憤を晴らすため、私たちは日が暮れるまで遊びほうけた。
 量だけが売りのハンバーガーを食べ、ガンシューティングでゾンビの肉片を散らし、ナンパしてきた茶髪の
大学生を「味噌汁で顔を洗って出直しな」と追い払い。その全てがさっちんの仕業だけど。
 とにかくそんな感じで辺りが薄暗くなり、そろそろ帰ろうかと話していたところ。
「……いずみん、ちょっと急用が出来たから、ここでバイバイ。また明日の朝日が昇る頃に」
 なんでそんな早朝に、という突っ込みも待たず、さっちんは路地裏へ駆け出した。一人駅前に取り残された
私はしばらく思案した後に、彼女の後を追ってみようと考えた。
 何故だろう。きっと、魔が差したんだ。いつもクールでニヒルで飄々としたカッコいい彼女が、いつになく
焦った様子だったから。まるで吸い寄せられるように、ふらふらと暗くて細くて湿った道を進んだ。
 そして私は目撃する。『特別な存在』とは何か、ということを。
 そして私は体験する。『特別な存在』になる、ということを。
「何、これ?」
 巨大な蟷螂が鎌を振るうたび、廃ビルの汚れた壁が切り裂かれる。まるで豆腐に竹包丁を入れるように。
 その圧倒的な死の刃を掻い潜り、低い羽音のような呪文を紡ぐ少女。それが私の親友だと悟るのは、蟷螂が
私に気付くよりも遅かった。
「んなっ、いずみん!」
「え?」
 さっちんの叫び声は、眼前に迫ったグロテスクな複眼の向こうから聞こえた。きらきらと輝くそれは、何十、
何百もの呆気に取られる女子高生の姿を写し、そして振り下ろされる肢。

599 名前:【品評会作品】 Who did she sting? 3/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2007/03/10(土) 21:20:44.40 ID:e1UQPbBi0
 ――まさに蟷螂の斧って、あれ、私、死ぬかも?
 何も聞こえない。ただ、思考だけが暴走する。取り留めのない事が、一瞬にして脳裏にオーバーフロー。
 そして衝撃。
「いぐっ!」
 突き飛ばされたんだと理解したのは、私の上に乗ったさっちんが呻き声をあげてからだった。
「あいたたた……いずみん、無事かい?」
 口を金魚のようにぱくぱくさせる私に微笑みかける。正直なところ体の感覚は無かったが、反射的に頷いた。
「それは重畳。では、っと――」
 振り向くこともなく、後ろに手を伸ばすさっちん。爆音と炎が近づいてきた蟷螂を怯ませる。
「さっさと逃げんしゃい。ここは普通の女の子が来て良い所じゃないさね」
 そう言いながら立ち上がる彼女は、辛そうにお腹を押さえていた。その手を染める液体が何であるか理解する
のは、鈍い私にしては早い方だったと思う。
 そして彼女を、私の唯一無二の親友を助けようとしたことは、臆病者の私にしては頑張った方だと思う。
「さっちん、私に出来る事はない?」 

「で、この未熟者が『外法』に手を出してあんさんをそんな姿に変え、戦わせたっちゅうことかい」
「えっと、そうなるのかな?」
 私が迷いつつもそう答えると同時に、さっちんの後頭部をキセルが強打した。
「痛あっ! 何すんのさ、婆サマ」
「堅気の人間に迷惑かけちゃならん。そう厳しく躾けたつもりだったがねぇ」
 抗議する彼女に、お婆さんはとんでもなく鋭い目を向ける。その気迫にさっちんは頬を膨らませながら、
しぶしぶ座り直した。
「すまないことをしたよ、お譲ちゃん。そんな姿になっちまった責任は、全部この馬鹿にあるさね」
 丁寧に頭を下げるお婆さん。さっちんの家の離れ、六畳ほどの和室に住まうこの人は立ち居振る舞いの全てが
洗練されている。まるで茶道や華道の家元だ。
 その正体は、さっちん曰く「人に非ざる者を狩る」一族の偉い人。そしてさっちんが私にかけた術を解く
解く方法を知っている、かもしれない人。 
「そんな、私がさっちんに頼んでこうなった訳ですし……元の姿に戻れさえすれば、何も問題ありません」
 そもそも私が余計な事に首を突っ込んだのがいけないんだ。そのせいでさっちんは怪我をし、私もこんな
姿になるハメになった。怒られる理由はあっても、謝られると逆に恐縮してしまう。

600 名前:【品評会作品】 Who did she sting? 4/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2007/03/10(土) 21:21:11.34 ID:e1UQPbBi0
 お婆さんはゆっくりと頭を上げると、小さな目に異様な光を湛えて言う。
「元の姿、つまり人間に戻りたいかい?」
 その真剣な眼差しに、私は安易に頷く事が出来なかった。
「あったり前でしょ。いずみんを元の可愛らしい小動物のような姿に戻す、そのためにこんな所まで来たのよ」
 代わりに答えるさっちん。私ってそんな姿だっけ?
「そうかい、じゃあ話は簡単だ。お譲ちゃん」
 呆れたような溜息を一つ吐くと、お婆さんは懐から何かを取り出した。
「これであんさんに術をかけた者、つまりこの馬鹿弟子を殺して喰いな。『外法』を解く方法はそれしかない」
 それは、白木の鞘に納まった、一振りの脇差だった。

 この街の冬は長い。
 森の中に差し込む月の光は冴え冴えと白く、抜き身の刃に似て。
 木陰の闇は静寂と共に広がる。
 冷たい風が木の葉を揺らす他、虫の声すら無い。
「元々アタシのミスさね。あそこで死んでもおかしくなかった訳だし、いずみんを守れただけ僥倖ってやつよ」
 毎朝ホームルーム前の騒がしい教室で、「おはやぅ」って言いながら見せる微笑。さっちんはそんな何でも
ないような様子で、私に語りかける。
「いずみんは普通の女の子なんだから。たまたま巻き込まれちゃっただけ」
 手入れに時間がかかるって愚痴りながらも自慢げな、柔らかくて良い匂いのする髪をなびかせながら。
「アタシはいつでも死ねる覚悟をしてる。ちっちゃい頃から婆サマにそう躾けられてきたからね」
 私をからかうときにするように、優しく頭を撫でながら。
「だからさ、仕方ないんだよ。いずみんを泣かせちゃった罰さね」
 私は泣いていた。ただただ、止まらない涙で頬を濡らしていた。変わり果てた、化け物のような顔を。
 丸太のような太い腕と、鉈のような爪と、針のような全身を覆う剛毛を震わせて。
 何も知らずに迷い込んだ私を庇ってさっちんが傷を負い、さっちんを助けるために『外法』と呼ばれる術で
姿を変えた私。
 最初、私は驚いた。次に、敵に憤った。そして、喜んだ。自分が『特別な存在』になれたことに。風を切って
跳び、コンクリートを発砲スチロールのように粉砕し、恐ろしい怪物と対等に戦えることに。
 そして今、私は後悔している。自分の軽率な行動が、大切な人を傷つけているから。
「大丈夫、アタシはいずみんの中で、いずみんと一つになって生きるから」

601 名前:【品評会作品】 Who did she sting? 5/5 ◆BLOSSdBcO. 投稿日:2007/03/10(土) 21:21:39.79 ID:e1UQPbBi0
 醜い私を抱きしめ、優しく囁くさっちん。
 私は、こんな姿で生きていく勇気がない。確かに私は「運動神経とシナプスが切れてる」なんて言われる
くらいの駄目人間だったけど、それでも人間だった。こんな化け物じゃなかった。
 私は、人間として生きたい。人間として死にたい。
 だから、だから。
「……さっちん、ごめんね」
 自販機に千円札を入れるような軽い手ごたえで、刃は胸に吸い込まれていった。

                        ◆

 世の中には、天才と呼ばれる人が結構たくさんいる。
 かく言うアタシも、最近そう呼ばれているそうだ。
 でもね、天才ってのはただ才能があるだけじゃなれないものさ。
 昔の偉い人は言ったよ。「天才とは一パーセントの才能と、九十九パーセントの努力で出来ている」って。
 アタシはそれを少し訂正したい。
「天才とは半分が努力で、もう半分は信念で出来ているさね」
 全身から溢れ出る血を塞ぐこともせず、持てる力を全て術に注ぎ込む。
 雲を突き抜け成層圏突破しそうな意識を、一つの姿を脳裏に描く事で必死に繋ぎとめる。
 ぐじゅっ、と腐った果実を踏み潰したような音をたて、敵は命の宿らぬただの肉塊となった。
 我が家に代々伝わってきた力。子供の頃からの厳しい修行で身に付けた力。人外の者を狩る力。
 ――あの子に絶望を与え、死を選ばせた、そんな力。
「アタシは、もう二度とヘマをしない。そう誓ったんよ」
 未熟さ故に失った、たった一人の親友。その姿を思い浮かべながら、アタシは冷たい月の光の下、今日も
人に非ざる者を狩る。
「さっちんを殺したら私は本当に怪物になっちゃう、か」
 アタシを殺す事も、化け物でいることも出来ず。自らの命を絶つことで、人間としての死を選んだ。
「じゃあ、いずみんを死なせちゃったアタシは、怪物なのかなぁ?」
 『天才』という同業者からの賛辞に、アタシは冷めた笑みを浮かべる。
 あの子が「カッコいい」と褒めてくれた、ニヒルな微笑を。
                                               <了>



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