【 薔薇の下には 】
◆789FSfdFHA




641 名前:薔薇の下には(1/5) ◆789FSfdFHA 投稿日:2007/03/10(土) 22:55:33.96 ID:C6ho7ZNC0
  私はある日、静かな雑木林の中を一人、あてどなく歩いていた。空気は冷たく、木の葉ももうあらかたは
散り、木々は寒々しい姿を見せていた。歩くたびに落ち葉がぱりぱりと音を立てた。
 ふらふらと歩いていると、林の奥に古びた洋館が見えた。私はまたつい、ふらふらとそちらの方へ歩いていっ
た。
 洋館には人が住んでいる気配はなかった。辺りを覆う鉄柵は赤錆を浮かせているし、遠くからでも屋敷はと
ても人が住めるようなものではないのが分かった。まさにそこは廃墟と呼ぶにふさわしいと思えたほどである。
 私は屋敷の中へ入ってみることにした。鉄でできた門もやはり錆付いており、開くと耳障りな音を立てた。
 屋敷へと続く敷石は悉くはがれ、何度も足をとられた。また、庭を埋め尽くすように咲く薔薇の茨が至る所
に野放図に、絡み合いながら繁っていた。そして、咲く花は、いやに美しく、生き生きとしているのである。そ
れも多くの種類があると見え、花の色もさまざまであった。
 私は庭を抜けて、屋敷の中へと足を踏み入れた。足をつけるともうもうと埃が舞い上がり、この廃墟が過ご
してきた年月が窺われた。床はところどころ腐り、踏み外しそうにもなったりした。
 屋敷の中には家具のひとつもなかったが、ある部屋の片隅に、小さな机が残されていた。
 その机には、三つの引き出しがあった。一つ目には、インクとペンがしまわれていた。インクは空で、ペンも
先は錆付いていた。二つ目は空だった。
 そして三つ目の引き出しには、一冊のノートがしまわれていた。ノートをぱらぱらと繰ってみると、最初の数
ページだけに、細かい字で、こんなことが綴ってあった。

642 名前:薔薇の下には(2/5) ◆789FSfdFHA 投稿日:2007/03/10(土) 22:56:02.77 ID:C6ho7ZNC0
『………………
 私にはつねづね考えていたことがあった。それは、なぜあれほどまでに薔薇は美しく咲くのだろうということ
である。
 特にあの、血のような、としか形容できない赤い薔薇。あの赤いろはどこからやってくるのだろう。薔薇を見
るたびに考えていた。
 しかしいつも最後にたどり着く考えは、その秘密は花には無い、その根にあるはずだということだ。茨と葉と
土に隠されたその先には、きっとその美しさの秘密があるに違いないであろうと。
 その秘密を見たいと思った。薔薇の美しさの、まさに根本である根の、その秘密。それに勝るものは無いだ
ろうと思えた。だがどうすれば、その秘密を暴くことができるのか。
 その美しさは私を不安にした。理由の無い美しさの奥に、私は恐怖を感じた。
 そして、私はその美しさの秘密を見つけ出した。
 ――薔薇の下には屍体が埋まっている!
 その考えが浮かんだとき、私は慄然とした。血のような赤。それはまさに血のいろそのものだったのである。
 薔薇の根は土の中で蠢き、屍体をくるみ、血を吸い上げていく。私には、吸い上げられた血が維管束を上っ
ていく様子すら見えた。
 この小さな黄色い薔薇には小さな犬の、あの薄っすらピンクがかった薔薇には清らかな乙女の、あそこの純
白の薔薇には美しい白馬の、屍体が、きっと埋まっている。そして、青い薔薇が地上に咲かないのは、それが
異星人の血を吸って育つためであろう。私の血は、いったい何色の花を咲かせるのだろうか。
 私はその秘密を知ってから、なんの不安もなく薔薇たちを眺められた。
 花弁いっぱいに朝露をためて、少し首をかしげた薔薇。そこに私はあどけない少女を見たし、その隣に、寄り
添うように咲く小さな花に、幼い弟を見た。
 確かに彼らは生きていた。そして彼らの生き方こそが、最も美しい生き方だった。今すぐにでも、私は屍体と
なって、薔薇たちとともに生きたかった。その淫らな根に血を吸われ、その薔薇自身となって生きていく、それ
以上に素晴らしいことがあるだろうか。
 しかしその前に、私にはどうしてもやらなくてはならないことがあった。


643 名前:薔薇の下には(3/5) ◆789FSfdFHA 投稿日:2007/03/10(土) 22:56:23.88 ID:C6ho7ZNC0
 薔薇の下に埋まるのにふさわしいのは、やはり美しい屍体だろう。彼、彼女たちの上には、大輪の薔薇がい
くつも咲いた。
 私の庭はいつしか薔薇で埋め尽くされようとしていた。そして、その庭には色とりどりの薔薇が咲き乱れてい
たが、青い薔薇だけはどうしても咲かなかった。青みがかった薔薇や、紫の薔薇は咲いたが、深い青いろの薔
薇だけは、どうしても咲かなかったのだ。
 私は薔薇たちの楽園を作り上げたかった。そしてそこに足りないのはあと、私自身と、青い薔薇――異星人の
屍体だけだったのである。

 私はある日街に出た。異星人など見つけられるわけもなかったが、私は一縷の望みを抱いて街を歩いた。そし
てやはり、街を行き交うのはつまらない、ただの人間たちだけだった。
 ――もう、おれも土に埋まってしまおうか知らん。
 そう思っていたときだった。私の目の前を、美しい少年が通り過ぎた。漆黒の髪と瞳に、私は惹かれた。
「これはいい薔薇が咲きそうだ」
 私は人ごみに飲まれそうになりながらも、少年を追った。しかし、見失ってしまった。
 私は肩を落とし、今来た道を戻ろうと踵を返した。と、私の後ろには、さっきの少年が、私を見上げて立っていた。
私はちょっと吃驚して、
「ぼうや、なんだい。何か用かい」
と聞いた。すると少年は、
「おじさんこそ、何か用があるんでしょう? さっきから僕のあとをつけてたじゃない」
私はぎくりとして、
「気づいていたのかね。いや、ちょっと用があってね……」
「一緒に、土に埋まろうって?」
 私は驚いて次の言葉が出てこなかった。あぁ、うぅ、というおかしな声を出すので精一杯だった。
 私が落ち着いて話せるようになるまで、少年は私を見上げたままずっと笑っていた。

644 名前:薔薇の下には(4/5) ◆789FSfdFHA 投稿日:2007/03/10(土) 22:57:01.54 ID:C6ho7ZNC0
「じゃあ、君が……?」
「青い血が、欲しいんでしょう」
そう言って少年はにやりと笑った。確かに少年の目に走る細かな血管は、鮮やかな青いろだった。
「薔薇になるのも、悪くないはないよ」
 少年はそう言いながら、ぺろりと舌を出した。その舌もまた、見事な青いろであった。私も少年に笑顔を返し、じゃ
あ行こうかと言った。
「ええ、行きましょう」
 少年と私は、肩を並べて、さっき来た道を歩いていった。そしていま、私と少年は、私たちの新しい塒を作り終わっ
たところである。
 ……もしこれを読む人があれば、庭の隅を見るといい。きっとそこには、寄り添うように、鮮やかな青い薔薇と、乾
ききった血のように黒い薔薇が、咲き誇っていることであろうから。
 ――ああ、薔薇の下には屍体が埋まっている!
………………
 私はノートを閉じた。ここに書かれていたことは、狂人のたわごとかも知れぬ。しかし、薔薇の下にあるものが屍体
であるなら、その美しさにも合点がいくというものであろう。
 ともかく、私はその屋敷をあとにした。そして、やはりと言おうか、玄関を出た先の庭の片隅には、大輪の青い薔薇
と、黒い薔薇が咲いていたのであった。
………………』

645 名前:薔薇の下には(5/5) ◆789FSfdFHA 投稿日:2007/03/10(土) 22:57:24.74 ID:C6ho7ZNC0
 私はそこでノートを閉じた。ここに書かれたことは、紛れもない狂人のたわごとであろう。そうでなければ、これはつま
らぬ小説の類かも知れぬ。大体、薔薇の下に屍体が埋まっているというならば、気味が悪くて植物園にも行けないで
はないか。
 ともかく、私はその廃墟をあとにした。そして、やはりと言おうか、玄関を出た先の庭には、色とりどりの薔薇たちが
ひしめき合うばかりで、青い薔薇も黒い薔薇も咲いてなどいないのであった。



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