【 『彼らの』神 】
◆sjPepK8Mso




415 名前:『彼らの』神 1/5 ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/03/10(土) 10:58:42.60 ID:LdmevIZb0
 南米で一つ用事を済ました後、それだけで帰る気にもなれずに、メシの種でもないかと話を聞いて回った時にその話を聞いた。
 密林の奥深くの一つの村に、神が住んでいる。
 村のある方向を人差し指で指した青年は、ただそれは神なのだと言った。
 それ以上に詳しい事が聞けないものかと、俺は踏ん張ったが、何も具体的なことは言ってくれなかった。
 科学が発展しすぎた現代において、神などと言うものはナンセンスにしか過ぎない。
 大抵の場合、そんなのは宗教家のたわごとか迷信の類でしかなく神の存在というのを、先進国の一つ、日本に生まれた人間として信じる事は出来なかった。
 下らないゴシップ記事にぐらいはなるかもしれない。そんな気持ちで、俺は青年が指差した方向を目指そうと思った。
 大きい川に囲まれた小島のようだから、船を出してもらうように、泊めてもらっていた村の村長に頼んだ。
 村長はすぐに船を手配してくれたが、村を去るというのに別れの言葉の一つもくれなかった。
 俺が泊まっていた村は、もう電気が通っている。近くに大きな街があるらしい。
 テレビや冷蔵庫があるという程では無かったが、どの家にも電灯があって、村の人たちは夜の暗闇の恐ろしさを忘れかけていた。
 次の日の朝、俺が船に乗り込んだ時、村長は今から俺が向かう方向に向かって、手を合わせて何かを一心に祈っていた。
 あまりにも一生懸命に祈っていたから、俺は首に下げていたカメラを自然と構えていた。
 ファインダーを覗いて、ピントを合わせた後、シャッターを切る。長老は、カメラの方なんて見向きもしなかった。
 俺がシャッターを切った時、船に乗り込んでいる二人の案内役と船頭が、ぼさぼさの髪をたばねた手拭いの下の虚ろな目で、俺を見つめていた。
 睨んでいるようにも見えたが、俺はただカメラが珍しいからなのだと思っていた。
 それぐらいは別に珍しい事じゃない。発展途上国の小さな村なんか行けば、そんな視線を受けるのはいつもの事だった。
「おい船頭さん、珍しいのは分かるけどよ、急いでるからそろそろ船を出してくれないか?」
 それを聞いた船頭は何も言わずに振り返り、船を漕ぎ出した。
 返事も返さず、俺を無視する様な船頭の様子に俺は気分を悪くした。
 ちょっと目を吊り上げて、中指でも立ててやろうかと思った時に、案内役の二人がまだ俺を見つめている事に、やっと気付いた。
「あんた達だけが便りなんだからな、しっかりやってくれよ。頼むから」
 案内役達も、俺に返答をする気配を見せなかった。黙って俺を見ていた。気持ちの悪いねちっこい目に俺は気分を悪くしたよ。
 ただじーっと俺を見つめる二人は、船が岸を離れて暫くしてから口を開いた。
「その機械は魂を取る機械だ。神の魂は取れない。私たちのものではないからだ。気をつけられよ、魂を取ろうとすれば神はお怒りになるだろう」
 それだけ言って、二人は川の先を見据えるように振り返る。
 俺は視線から開放されて肩の力が抜けて、船の縁に座り込んだ。船がぐらりと傾いた後また水平になって、川には大きな波紋が残った。
 
「で、それで?」
 二人いる娘の上の方、映子が食卓のチンジャオロースとサラダを超えて身を乗り出して、章吾に詰め寄った。

416 名前:『彼らの』神 2/5 ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/03/10(土) 10:59:20.35 ID:LdmevIZb0
 章吾は顔を遠ざける様に体を反らして手を振って、
「待てよ、行儀が良くないぞ?」
 右手で箸を持ち直して、左手で料理の盛られた白い皿を引き寄せる。
「でも今食事中だろ、お前さっきから全然料理に手がついてないだろうが。食事が終わったら話してやるよ」
「でも続きが気になるじゃない」
「わかってるよ、だからさっさと食事済ませちまえ」
 映子はぶつぶつ言いながら、身を引いて、椅子に座りなおした。
 身を引く時に服に皿を引っ掛けて、豪快に引きずったまま椅子に座りなおす。
 最後の最後まで引っ掛けた皿に気付かなかった映子は、座りなおしたときに豪快に皿をスカートの上にぶちまける事になる。
 油でギトギトのタレがスカートに染み付く事だろう。洗濯には苦労するだろうが、どうせ洗濯の当番は映子だ。
「あぁあー、コレ買ったばっかりなのにー」
 大声だった。三軒向こうの大軒さん所まで届いた。もう八時だし、いつもいつも映子は声が大きい。
 大軒さんもしつこい事だし、明日は回覧板に悪口でも書かれてるんじゃないかと思う。
「姉さんはほんっとーに行儀が悪いのね、食事中はもっと静かにしてよ」
 下の娘、海晴は随分と覚めた声をしている。やはり話がつまらなかったのかと、章吾は残念な気持ちをしながら、
「そうだ、今のは映子の行儀が悪いのが良くなかった。幾ら俺のはな」
「父さんは黙ってて、元はといえば父さんが変な話するから姉さんが反応するんじゃない。頭に蛆が湧いてるんだから」
「誰の頭に蛆が湧いてるってのよ!」
「あら、姉さんは耳まで悪かったかしら?」
 箸で掴んだ肉の切れ端を口に突っ込んで、二人の娘を見やる。
 元気に騒ぐ映子のスカートにはべっとりとタレがこびりついている。
 早く洗剤につけておいたほうがいいと思うのだが、仲の良さそうな二人を止める気はしなかった。
 映子は立ち上がって海晴の頬を引っ張るが、海晴は平然としたまま映子を挑発している。
「誰がご飯作ってると思ってんのよ、少しぐらいは誠意を示しなさい!」
「私は最大限に誠意を見せてるわよ。姉さんに対してこれ以上どんな丁寧な態度を取ればいいのか私には解りかねるわ」
 騒がしいのはいい事だ。騒がしいという事は元気だと言う事だから。
 本当は秋子がここにはいる筈で、二人を微笑みながら見守っていると思う。
 しかし、秋子はここにはいない。探したって、見つかるわけが無い。
 十三年前に海晴を産んでから、死んでしまったのだから、探す意味すらも無い。

417 名前:『彼らの』神 3/5 ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/03/10(土) 10:59:58.39 ID:LdmevIZb0
 本来ならば、生きているはずだ。それこそが正しい我が家の在り方のはずだ。
 映子が洗面所に向けて駆けて行き、海晴は空の皿を掲げる。
「海晴ー、つけておく洗剤どこ置いたのよー!」
「おかわりー」
「いつもある場所に無いんだけどー」
「洗剤はーいいからーおかわりー」
 男手一つで今日まで娘を育ててきたが、まだ不意に秋子の事を思い出すことがある。
 最近はフリーのジャーナリストとして働いているから、家を留守にする事が多いが、映子達はしっかり育っている。
 食卓は長方形。長い辺に二つずつ椅子が置かれている。
 章吾の向かいに映子が座り、その隣には海晴が座っていて、章吾の隣の椅子には誰も座ってはいない。
 椅子の前には、写真立てが置かれている。
 その中には、まだ生まれたばかりの子供を抱く、一人の女の姿が写っている。まだ、目を細める子供を布に包み、胸に抱き寄せる女は、笑っている。
 
 その岸には船を繋いでおく杭も無かったから、上陸してからはまず杭を打ち込むことから始めた。
 暫くは誰も来ていないと言う事なのだろう。
 村の人でさえ、滅多に近づかない場所だと。
 杭を打ち込んでいる最中に、俺は立ち上がって目の前に広がる森林を眺めてみた。
 神がいるという密林は、暗く、湿気ていて、ただひたすら不気味だ。
 神がいると言うには、あまりにもあまりにもだと思うが、それらしい雰囲気はあった。
 それらしいというのは、吸血鬼とか幽霊とか、そういう迷信めいたものがいそうなやつだ。恐山なんかよりもずっとそれっぽかった。
 息を呑んで、俺は暗闇を食い入るように見つめた。唾を飲み込む音がやけに耳に残った。
 別にびびったワケじゃない。ちびりそうになったとか、そう言う事は無い。
 杭を打ち終わった男が、船を繋いでから、案内役二人が先にたって森に入る事になった。船頭は、船に残った。
「一時間で帰ってこなければ、ワシは帰るぞ」
 やけに新しそうな腕時計を見ながら船頭は言って、案内役の二人は頷いた。
 船頭の脅しなんだろう、肝試しか何かのつもりなんだろうと思った俺は、船頭に愛想がたっぷり入った笑を返してやったが、船頭はやっぱり見向きもしなかった。
 俺はそこが、子供が成人になるための儀式に使ったりする場所だとあたりをつけていた。バンジージャンプを度胸試しに使う民族とか、そういったのと同じものだと思ったんだ。
「それで、神様とやらのところにはどれぐらいでつけるんだ?」
「二十分あればつけるだろう。この道をまっすぐ行けば。それと、その魂を写す機械を寄越せ、それを使われては神が怒る」
 俺は首を横に振って、カメラを両手で握り締めた。カメラはジャーナリストの命だからだ。俺は当然の事をしたまでだ。

418 名前:『彼らの』神 4/5 ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/03/10(土) 11:00:49.40 ID:LdmevIZb0
 それからは、ただ歩くだけだった。
「神は正しい道を知っている。怒らせさえしなければ、神は正しい道を示してくれよう」
 密林の中にぽっかりと空いた、まるで大きな動物の食道の様な獣道を俺は歩いた。草を踏み越えて、ツタを払って。
 不思議な事に、途中では生き物の姿は全く見かけなかった。さっきの村の周りでは、鳥の鳴き声が絶えることは無かったし、でっかいクモがそこらじゅうに巣を張っていた。小動物が沢山いた。
 しかし、何の巣の跡も無かった。まるで、長いことそこには生き物が住んでいないように思える。
 えらく凝った度胸試しだと、最初の十分は思っていたが、残りの十分は、俺には一時間にも思えた。
 あまりにも異常だ。命が溢れる筈の森の中に、虫一匹いやしないなんて。
「ここだ」
 その一時間にも思える時間が過ぎた時、案内役は言った。俺は目を疑った。そこは広場だった。
 鬱蒼とした密林の中に、たった一つ、円形の広場があった。そこまでの道を食道と呼ぶのなら、その広場は胃にあたるかも知れない。
 その広場の上は、高い木で覆われていて、光はほとんど入ってこない。懐中電灯を点けた方がいいかもしれないとも思った時、俺はソイツを見たんだ。
 俺にはそいつは神には見えなかった。ただの岩だと思った。
 ただの岩ではあるが、普通ではなかったのは確かだ。その岩は、仮面を模した形をしていたように思える。
 何を表すものかは知れないが、妙な模様がその仮面には刻まれていて、その仮面は岩の全てではなかった。
 仮面の形をした岩は、かなり大きいようで、そのほとんどは植物に覆われている。仮面だけでも縦四メートル横二メートルはあって、その部分だけが満足に見えた。
 俺は、それを写真に取っておくべきだと思った。珍しいものだから、取っておいて損は無いと思った。それに来る所まで来て何も持ってかえらないのは癪だった。
 俺は下げていたカメラを知らず知らずの内に構え、ファインダーを覗き込んだ。
 俺はその日、何度も目を擦ったよ。カメラが間違う事なんて無い筈だし、俺の眼がおかしいのかと思った。
 何が起こったのか、俺にはわからなかった。
 ファインダーの中には、その仮面は無かった。
 そして、岩を覆うツタの隙間から見える岩肌も見えなかった。カメラには岩は全く見えていなくて、ツタの中には空洞が見えるばかりだった。
 俺は目を見開いてシャッターを切る前に、
「一体どうなってるんだ、コレは?」
 二人いる案内役に尋ねた。すると一人が振り返って俺に言う。
 酷く狼狽した様子で、脂汗を滲ませていた。
「お前は……とんでもない事をしてくれた、神がお怒りになられている」
 要領を得ない答えだもんで、俺は聞き返そうとしたその時に、あたりで轟音が鳴り始めた。
 地面が揺れてツタが落ちて、唸り声のような音が聞こえた。あたりには何もいないハズなのに、だ。
「揺れている……?」
 俺がもう一度岩を見た時、岩を覆っていたツタはほとんど無くなっていた。

419 名前:『彼らの』神 5/5 ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/03/10(土) 11:01:22.81 ID:LdmevIZb0
 俺から見て、仮面の左肩の様にも見えるごついパーツが剥き出しになって、右腕にも見える岩が振り上げられていた。
 振り上げられた拳を見上げる暇も無かった。その暇も無く、俺の目前にいた案内役の片割れの上に拳が振り下ろされた。俺を狙っていたのかもしれない。シャッターを切ろうとしたのは俺だ。
 案内役は頭からぐしゃぐしゃになって、血を撒き散らして跡形も無くなった。飛び散った血は俺のシャツにもカメラにも染み付いている。
 俺は怖ろしくなった。だから、腰が完全に抜けてしまう前に這うように食道を逆に走ったが、案内役のもう片方は後について来ない。
 五分ほど走った時、広場の方から声が聞こえてきた。
「神よ、貴方の御心のままに、私たちは貴方を信じております!」
 言い終わった直後に、もう一度地震が辺りを揺るがして、俺は目を瞑って走り出した。案内役が一体どうなったのか、わざわざ考えずとも分かってしまった。
 船が繋いである岸辺に辿り着いて、船頭にすぐに船を出す様に頼むと、船頭はゆっくり頷いて、素早く船を出した。
 村へ帰る方でなく、まったく別の方へ船は進んで、俺は船頭に食って掛かったが、船頭は何も言わなかった。
 そして二十分もそのまま船を進めると、近くにある街へと通じる街道沿いに出た。
 そこで船頭は俺を下ろし、俺に二度と村に来ないように言ってから、すぐに村に向かって船をこぎ始めた。礼を言う暇も無かった。
 そこから俺は街のある方に向かって一昼夜歩いた。その一昼夜の間中、遠くの方で大きな地鳴りの音が聞こえていた。
 後になってから、地図を見て気付いた事がある。
 あの村の近くには、川に囲まれた小島なんて無かった。俺が行った島は地図上には無かった。
 その上、島の中で撮った写真を現像してみたら、全部真っ黒になってた。だから記録は残っていない。
 俺にはあれは神には見えなかった。もっと別の生き物だったんだと思う。思うが、あの村の人間からすればアレは紛れも無く神だったのだろう。
 ただ神秘的であれば、神とも呼びたくなるというものなのか。アレは神じゃない。それはあの村の人間ではない俺の意見でしかない。
 あの生き物と、あの村の間に何があったのか俺は全く知らない。
 
 話し終わると、映子も海晴もすぐに眠ってしまった。ずっと眠かっただろうに、話が終わるまでずっと聞いていてくれていたのだろう、一生懸命に。
 ベッドに横たわった映子達にしっかり布団をかけ直して、部屋の電灯を消す。安らかな寝息だけが、心地良く耳に響く。
 電灯を消す時に、海晴の机の横の本棚に貼り付けてある、秋子の写真が見えた。写真には「お母さん」とマジックで書かれている。
 神は正しい道を示してくれる、と彼らは言った。そして章吾は秋子がいる家こそが、正しい家族のあり方だと思っている。
 しかし、だ。
 章吾には、あの「神」と呼ばれる何者かが、正しい道を示してくれるとは思えなかった。正しい道を示せるのならば、秋子を生き返らせて見せろ、と思う。
 もしかしたら、人知を超えた何かである「神」はそれが出来たのかもしれない。それをしなかったのは、章吾がカメラを使ったからではないのか。
 もう、考えても詮無い事である。「神」にもう会うことは出来ないし、あんなに恐ろしい思いはしたくない。
 章吾は意志の力で未練をねじ切って、部屋を出て行く。
「お休み、映子、海晴」
 ドアが閉まり、部屋に外から漏れていた光が完全に絶たれる。



BACK−ちいさな ◆1985/2Zwgk  |  INDEXへ  |  NEXT−白い羽 ◆E4NrfUMMM2