【 フラッシュバック 】
◆bvsM5fWeV.




568 名前:フラッシュバック1−4 ◆bvsM5fWeV. 投稿日:2007/03/05(月) 00:03:28.58 ID:YmZzFvrv0
子ども心に梅雨の時期は憂鬱なものだった。遊び盛りの時期に雨で外に出られないのは苦痛だった。
あの日も雨で、いつも通りに学校が終わり僕は通学路を下校していた。
家に着くと玄関が開け放しになっていた。こんな雨の日に開けっ放しになってるなんてどう
したんだろうとは思ったが、それでも僕は大して気に留めなかった。
「ただいま」
いつもは母親の「おかえり」と言う声が茶の間から聞こえるのだが、この日は返事が無い。
玄関に入り二、三歩廊下へ進むと、茶の間から廊下に血が流れていた。
梅雨の湿気と赤い血を含んだ廊下の床が酷く禍々しく見えた。
さっきまで気に留めていなかった事実が僕の中で急に恐ろしい想像へと変わってゆく。
血をたどり茶の間へ目を向ける。血の海の真ん中で母親が倒れていた。
僕はその瞬間パニックに陥った。泣き、叫び、血の海の中母親に抱きついた。
母親だったその体はもう元の形を止めていなかった。
僕は母親の血に塗れ、慟哭した。
その日以降の僕の人生から母親が消えた。そして、父親も消えた。
母が死んでから三週間後に富士の樹海で腐り果てた姿で発見されたらしい。
僕にこれ以上のショックを受けさせないため親戚が配慮しそのまま荼毘に付した。
だから、母の死に較べ父の死は全く現実感が無かった。パズルの一片がそのまま抜け落ちてどこかに行ってしまったような感覚だ。
その希薄な感覚こそが父は母を殺しそのまま自殺したという現実を浮き彫りにした。

569 名前:フラッシュバック2−4 ◆bvsM5fWeV. 投稿日:2007/03/05(月) 00:04:31.13 ID:YmZzFvrv0
両親の仲は悪くなかったと思う。記憶は曖昧だが、子供心に二人の諍いの記憶はない。
それだけに不可解な喪失感は今に至るまで僕の腹の中でどす黒くわだかまっている。
何故父は愛する者を殺し、自らの命を絶ったのか。
何故、本来守るべき者を。そして守るべき家庭を壊したのか。
僕は決意をした。小学四年。幼いながらも悲壮な決意だった。

僕は結婚をしない。誰も愛さない。

父は母を愛し家庭を築き、最後は破滅した。
最初から誰も愛さなければ誰も悲しませない。僕もこの世にいなかった。
もちろん決意した時点で破綻した論理だと分かっていた。ただ僕は腹の中の不可解な喪失感を振り払いたかっただけなのかもしれない。
あの日からほぼ一ヶ月後、遠い親戚の下へ引き取られた。同時に父母を失った子どもへのせめてもの配慮だったのだろう。
親戚の下で僕は小、中学を卒業し、そのまま県立の高校へ進学した。
高校。一般的には健全な男女が恋愛に目覚めだす頃だ。
――苦痛だった。
僕は友人の恋愛の話を聞く度に胸に疼痛を覚えた。
血の海に沈む母の姿がフラッシュバックする。
父と母は恋愛をし、愛し合い結婚をした。
父は母を殺し、自殺した。
友達の恋愛の話を聞くたびに僕は誰も愛さないという決意を固めた。


570 名前:フラッシュバック3−4 ◆bvsM5fWeV. 投稿日:2007/03/05(月) 00:05:22.73 ID:YmZzFvrv0
彼女と出会ったのは高校二年の夏休み。英語の翻訳の宿題を図書館でこなしている時だった。
最初に声を掛けてきたのは彼女からだった。
「いつもこの席にいるね」そう言って彼女は僕の隣へ座り、いそいそと英語のノートを広げた。
「私ね、英語苦手なんだよね。長谷部君、随分進んでるみたいだからちょっと教えてよ」
彼女のノートを見ると端正な文字がぎっしり詰まってあった。翻訳は僕よりも進んでいた。
「せつな」と言う風変わりな名前の同級生はその日以来ずっと僕の隣に座り続けた。
せつなとはいつの間にか仲良くなっていた。
もちろん友達としてだ。何となく一緒にいて、会話の無い時間も苦痛にならない。そんな存在だ。
周りからは「デート」と言われることも何度かした。僕にとってはただの友達なのでそんな気は毛ほども無いつもりだった。

だが幼い頃に誓った決意は揺らぎだしていた。
夏休みが終わり秋口に差し掛かってもせつなは僕の隣にいた。その事がなお僕の決意を揺らがせる。
「一緒に帰ろ」
夕焼けに染まる教室。せつなが愛らしい笑顔で僕を誘う。
せつなとは駅まで一緒だ。そこまで一緒に帰るのだが
「ねえ」
「ん?」
「私たちがさ。初めて会ったのって夏休みだったよね」
「うん」
「それから、結構遊んだよね」
「んー」
「聞いてるの? あのさ、少し話そうよ」
そう言ったきりせつなは黙りこんだ。どうしたのと聞くと潤んだ瞳が僕を見つめ返す。
なぜかズキリと胸が痛んだ。


571 名前:フラッシュバック4−4 ◆bvsM5fWeV. 投稿日:2007/03/05(月) 00:06:16.38 ID:YmZzFvrv0
「私、長谷部君のこと、好きなんだよ?」
予測はしていたが、トラウマやジレンマが一挙に僕に押し寄せる。
誰かを好きになるのは決して悪いことじゃない。僕もせつなを――
でも僕の過去はそんな「当たり前」を許さない。
「前に話したけど、親居ないって知ってるよね」
「知ってるよ。人を好きになれないんでしょ?」
「愛した人を殺して家庭を壊して自殺した野郎の遺伝子を受け継ぐ男だよ。めちゃくちゃだよ」
せつなが言い返す。
「それってすごい卑怯。好きじゃないなら本当の事言ってよ!!」
「僕も君が好きだよ!!」
思わず口をついてしまった。好意を伝える言葉なのにトゲがある。
「でも恋愛の先には結婚がある。そして父は母を殺して自殺した。愛すべき者を守るどころか、ぶち殺したんだよ。
僕だっていつそうなるか分からない。愛して壊すくらいなら、最初から愛さなければいいんだよ。もちろん僕も君が好きだ。
あんなに一緒にいて好きにならないはずが無いじゃないか。君を愛している。でもそれと同時に血まみれになった君の姿を想像して
自分で恐ろしくなっているんだ。僕は僕しか守れない。しかも一番卑怯な手段で――」

言い切るまでに思いっきりひっぱたかれた。
「なんで私を守ってくれないの!!」
「なんでこんなに好き合っているのに一緒になれないの!?」
せつなの瞳にうっすらと涙が滲む。
「あたしずっと長谷部君が好きで好きで大好きでどうしようもなくて、初めて話しかけた時はすごいどきどきして無視されたらどうしようとか思って
すごいどきどきしてやっと話しかけて、その後二人で遊びに行ったりしてやっと一緒になれるかもしれないって思ったのに・・・・・・こんなのズルいよお!!」
話す途中から瞳に滲んだ涙はどんどん溢れ、言い終わる時にはぼろぼろと頬を伝って零れ落ちていた。
何でだろう。せつなのぐしゃぐしゃになった顔を見るとなぜか僕も泣けてくる。
いつのまにかお互いぐしゃぐしゃになって抱き合い、泣き合っていた。

僕はせつなを守る決意をした。





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