555 名前:曖昧なキーワード(1/5) ◆Pj925QdrfE 投稿日:2007/03/04(日) 23:55:02.76 ID:dPmGIgdd0
「俺、明日死ぬんだ」
唐突な一言だった。月明かりに照らされた公園の一角、ブランコを漕ぐ俺の隣に座っている野郎から。
どういう話の流れで? いや、そういえば今まで何の話をしていたっけ。
「何の冗談だよ」
俺は笑って返事をした。だが野郎――ヒロキは、返事をしないで黙ったままだ。
「おい、ボケにはちゃんとオチをつけてくれなきゃ困るぞ」
俺はブランコを漕ぐのをやめた。
「いや、冗談じゃない」
ヒロキはそう言って、じっと前を向いている。
「明日の零時ジャスト、死ぬっていうか……俺はこの世から居なくなる」
長めのノリツッコミか? だったら構わん、乗ってやろう。こいつとこういう掛け合いをするのだって
今に始まったことじゃない。ヒロキは俺の十年来の友だからな。
「病気か何かか」
しまった、声が上ずった。こういうときは出来るだけマジメな表情で、冷静な声を返すのが決まりだった。
だがヒロキはそんな俺のミステイクを気にせず話し続ける。
「いや、病気じゃない。俺がこの世から消えるのは、取引のためだ。明日、地球は俺の存在と引き換えに生き延びる」
……おやおや、これはまた斬新な切り口。さてどう返すか。だが、ヒロキは前を向いたまま表情を全く変えずに
座っているだけで、俺の返事を聞く気もないようだ。
「腕を上げたな」
つぶやいてみる。
「信じてもらえないことくらい分かってるさ」
ヒロキはそこで右足を振って土煙を立てた。
「だけど、もう暫く前から決まってたことなんだ。誰かに話しておくべきかとは思ってたけど、笑われるのが怖くて
誰にも言えなかった。臭いセリフを言うつもりは無いけど、お前なら別に構わないかな、って思って言ってみただけ」
556 名前:曖昧なキーワード(2/5) ◆Pj925QdrfE 投稿日:2007/03/04(日) 23:56:15.61 ID:dPmGIgdd0
俺は月明かりのせいであいまいになったヒロキの横顔を見る。十年来の友、なんて言ってはみたが、
こいつのこんな表情を見るのは初めてだった。もしかしたら――いやいや、信じられるか。これだってこいつの
俺をだまして笑ってやろうっていう策略のうちの一つかもしれないじゃないか。
「なあ、冗談だろ? そんな顔するなよ」
「今の俺の状況を言葉でうまく説明するのは難しい。けど、俺の取引相手はたったひとつ、俺の存在だけを要求してるんだ。
それだけで地球を救えるってんなら別に、俺一人が居なくなったっていいかなって――」
「もう俺の負けでいいよ。だから居なくなるとか死ぬとかそういう冗談はやめてくれ」
ヒロキの悟ったふうな表情に耐えられなくなって俺はたまらず言った。
「冗談じゃない!」
突然声を荒げ、初めてヒロキが表情を変えた。
おいおい、それは本気で怒ってる時の顔だぞ? 冗談じゃないのはこっちの方だ。
「ちょっと待て、じゃどうしてお前がそんなふうになるんだよ」
「さっき言っただろ。言葉ではうまく説明できないって」
「だったら冗談じゃないのはこっちのほうだ。そんな適当なことでお前が居なくなるとかどうとか……」
一瞬本気になった自分が見えてしまった。冷静になれよ、俺。
「ないだろ……普通は」
ヒロキは申し訳無さそうな顔をしてから、表情をもとにもどした。
「普通じゃないんだ」
それからヒロキはブランコを立ち、歩き出した。俺も慌ててその後を追う。
「お前なんかおかしいぜ」
「そりゃな」
ヒロキは振り向くこともなく歩く。俺達は無言のまま公園を出て、そのまま何処へとも知らず進んでいく。
557 名前:曖昧なキーワード(3/5) ◆Pj925QdrfE 投稿日:2007/03/04(日) 23:56:54.71 ID:dPmGIgdd0
「ついてくるなよ」
道中でヒロキは言った。だけど俺は納得してないから、足を止めるつもりはなかった。
ヒロキは諦めた様子で歩き続ける。時間は十一時をとうに過ぎていた。
たどり着いた先は海岸だった。ここは、こいつと二人でよく遊びに来た場所だ。
「ここに迎えが来ることになってる」
突拍子も無くヒロキがつぶやく。迎えって何だよ。プラカードを持ったお前の友達か? って茶化してみたくなったけど、
ヒロキの今までにないくらい悲壮な表情は、俺にそれを許さなかった。
「なあ、トモ。ありがとなー。いっつも俺と一緒にいてくれて」
さざめく波を眺めながら、ヒロキは言った。
「俺ケンカとか弱かったし、口も立たなかったし、結構暗い性格だからさ。いっつも誰かにいじめられないかって
ビクビクしながら生活してたんだよ」
俺はなんとなく頭の中がぼやけていくのがわかった。だけど一つだけはっきりしていることがある。
ヒロキはこんなこと、冗談でだって言わない。
「だから今回こんな話を持ちかけられた時も、すっごく悩んだんだ。だけど俺、ずっと忘れてないのはさ、
お前が、強いお前が俺と一緒に居てくれたから俺は笑ってられたってことなんだよな」
ヒロキの声が聞こえづらいのは、波が強くなってきたからか?
「だからさ、そんなお前が居る世界を守るんだったら、俺、べつに居なくなっても良いかなって。
今までずっと黙っててごめん」
ヒロキは今日初めて笑った。その笑顔の背景に、突然まばゆいほどの青白い光が現われた。
559 名前:曖昧なキーワード(4/5) ◆Pj925QdrfE 投稿日:2007/03/04(日) 23:57:36.95 ID:dPmGIgdd0
「来たみたい」
ヒロキは左腕の時計に目を落とす。そんな素振りが見えただけ、表情は強い逆光で全く見えない。
でも声が震えてるぞ。俺だってわかる。お前の言うことが理解できるんだ。
こんな非現実的な瞬間に巻き込まれたからじゃなくて……お前が泣いてるから。
「待て」
声を出すのもためらわれてしまいそうな光の雨の中で、俺はヒロキを呼び止める。
あるいは叫んでいたのかもしれない。
「お前だけが守られてたんじゃない」
とっさに駆け出して、ヒロキの手を掴んだ。
「俺はちょっと、その、ケンカが強かっただけで、賢いお前がいたから、あー、いろいろ上手くいってたんだよ。
だから、その……俺を残して行かないでくれ」
言いたいことは沢山あった。言わなきゃいけないことがたくさんあるのも分かってる。
だけど、言葉はこれしか見つからなかった。
俺も左腕に引っ掛けた時計を見る。十二時まであと二十秒足らず。
逆光で見えやしないが、きっとお前は困った顔をしてるんだ。
「いや、だめか、地球は守らなきゃだめだもんな。だったら、これでいいだろ? 俺が守るから、俺も連れてってくれ」
青白い光が更に強くなる。何も見えなくなっていく。だけど、ヒロキは笑っていたような気がした。
560 名前:曖昧なキーワード(5/5) ◆Pj925QdrfE 投稿日:2007/03/04(日) 23:58:13.03 ID:dPmGIgdd0
……気がつくと、俺は星がほとんど見えない真っ暗な空の下に居た。
隣には柔らかい笑顔をたたえるヒロキが座っている。
何となく痺れを感じながら身体を動かすと、かさかさと身体の下で砂が流れるのを感じた。ここは砂浜の上か。
「助かったみたい」
街灯の光がぼんやりと届くなか、かろうじて横顔の見えるヒロキがつぶやく。
「何で?」
自分でも間抜けな声だと分かった。すっかり力が抜けて、弱くなっている。
そんな俺を気遣ったのか、ヒロキはゆっくり時間をかけて返事をした。
「守ったから」
ヒロキの言っていることは、正直なところよく分からなかった。
だけどその笑顔を見ていると、俺のやったことは間違ってなかったんだろう。
それからしばらく、ぼんやりとと空を眺めていた。昨日と変わらない、そして明日も多分変わらない夜空を。
たっぷりと間をあけて、セリフの余韻が全部消えてしまった後、俺はおどけた声で言ってやった。
「ところで、これ、冗談だろ?」
ヒロキは声を上げて笑った。