【 美少女と同棲するための百のマニュアル 】
◆1EzYxEBEas




437 名前:美少女と同棲するための百のマニュアル (1/5) ◆1EzYxEBEas 投稿日:2007/03/04(日) 22:32:37.39 ID:E2IoYw780
 夢を叶えるためには、自分の夢を守り続けなければならない。
 理想と現実のギャップとか、成功する可能性の低さとか、或いはどうしようもない事故とか、諦める理由なんてのは人それぞれにあ
る。そうして『大人になったんだ』なんて言いながら蓋をかぶせてしまう。
 ありていに言えば、それは壁だ。その壁を乗り越えるにしろ、跳ね返されるにしろ、土下座するにしろ、結局夢を持ち続けなければ
叶うことは絶対に無い。
 そして僕にとっての当面の壁は、目の前に並べられたパンフレットの山だった。
「お決まりになりましたか?」
 まるでファーストフードのメニューを尋ねるような気軽さで、目の前の少女はそう言った。
 よく晴れた昼下がり、どこにでもあるファミレスの、テーブルを挟んで座っている二人。傍から見れば微笑ましいカップルに見える
かもしれない。その様子を良く見るまでは、であるが。
 もう少し待ってもらえますか、そう言いながら僕は頭を抱える。テーブルに敷き詰められたパンフレットに書かれているのは、『幸
運の』だとか『魔よけの』とかの形容詞のついた――壺だった。

『都会は怖い。いつ騙されるか分からない。だからいつも気をつけていなさい』
 上京する時、父はそう言って僕に一冊の本を手渡した。『騙されない人間になる為の百のマニュアル』そんな表題のついた本だった。
 この人の血が流れている僕には多分無理だろうな。そう思ったのは、その本の背表紙に書かれた値段を見た時だった。そして、その
予感が正しいと思い知るまでにそれほど時間はかからなかった。
『絶対に痩せるサプリメント』、『身長を伸ばす体操全集』、『あの子を口説く百の台詞』、数え上げればきりが無い。部屋の隅には
通信販売で買ったガラクタが山のように積まれている。
 これはもう宿命なんだ。そうやって諦める事を覚えた。そしてどうせ逃れられないのなら、騙されるにしても何かいい目にあってや
ろう、楽しんでやろうと心に決めた。既に通信販売が趣味の一つになってしまっていたからだという理由もある。
 そんな風に通販生活を続けているうちに、いつしか僕には危険察知能力と言うか、本能のようなものが備わっていた。やはり失敗こ
そ最高の教材だ。友人には、そんな事しなくても最初から分かるだろうなんてからかわれたのだけれど。
 そうして都会で過ごした何年目かの朝の事だ。その日も僕は欠伸をしながらポストを探っていた。そこに入っていた一枚の広告に、
またも振り回される事になるとは気が付かずに。
『ボディガード派遣。美少女ロボットがあなたをお守りします』
 チラシには胡散臭いうたい文句が踊っていた。普段なら気にも留めないだろう。しかしその隅に印刷された顔写真が、紙を丸めよう
とする僕の手を止めた。
 ちょっとくせっ毛気味のセミロング、大きめの丸い瞳、真面目そうだがどこかあどけない笑顔、つまりは僕の好みど真ん中の美人だ
った。いや、寧ろうたい文句通りの美少女だった。

439 名前:美少女と同棲するための百のマニュアル (2/5) ◆1EzYxEBEas 投稿日:2007/03/04(日) 22:33:05.10 ID:E2IoYw780
 よし、とりあえず落ち着こう。そう自分に言い聞かせながら、僕は携帯電話をポケットから取り出していた。
 悪い癖だ。衝動買いして後悔するいつものパターンじゃないか。だがそんな警鐘も、写真を眺めているうちに聞こえなくなっていく。
 ボディガード、つまりは寝食を共にするわけだ。美少女と。値段も手ごろとまでは行かないが、いかがわしいサービスよりよっぽど
良心的だ。美少女と同棲生活、そんなささやかな夢を叶える手段が、目の前にある。
 どこかぼうとした頭で、広告に書かれた番号をプッシュする。〇九〇の……番号を呟きながら、まるで魔法の呪文のようだな、なん
てくだらない事が頭に浮かび、苦笑いをしていた。

 話はとんとん拍子に進んだ。名前や年齢、住所等のプロフィール、それから通勤状況等の生活サイクルと、心理テストのような質問
が幾つか。それらを電話口で答えると、数日後連絡が来て、近所のファミレスを待ち合わせ場所に指定された。
 最後に僕が慌てて「チラシに載ってた子でお願いします」と裏返った声で伝えると、相手方は控えめに笑いながら「承りました。オ
シャレして行きますね」と添え、電話は切れた。
 多分、僕はどうしようもなく浮かれていたんだと思う。待ち合わせの時間より二時間も早く店に着き、ひたすらドリンクバーのコー
ヒーを飲んでいた。トイレに行くのも我慢して、ただじっと携帯の時計を見続けていた。
「……木下様ですね?」
 いい加減下腹部が痛くなってきた頃、そう声をかけられた。はっとして見上げると、そこには写真で見た少女がこちらを覗き込んで
いた。慌てて「そうですそうです」と繰り返しながら首を縦に振る。
 その様子が可笑しかったのか、彼女は口元を抑えてくすくすと笑った。ああ、絵になるなあ、そんな感想が自然に浮かぶ。童顔の彼
女には薄いグレーのスーツは背伸びしている感じがするけれど、すっと伸びた背のせいもあり、仕事熱心さと几帳面さをうかがわせる。
化粧っ気の無い顔や薄く引かれたルージュ、頭から伸びた二本のアンテナだってチャーミングだ。
 ……アンテナ?
 違和感を感じ、彼女の頭に乗ったそれに視線を戻した。先端に小さな球体のついた、まるでゲームセンターのジョイスティックみた
いなものが、彼女の頭からにょっきりと生えている。
 ぽかんとそれを眺めていると、彼女は「ああ、これですか」と頭上のアンテナに手を添えた。
「ロボットですから」
 そう答え、こちらに笑顔を向ける。僕といえば、「ああ、なるほど」なんて呟くのが精一杯だった。
 そう言えば、と『美少女ロボット』という広告の一文を思い出す。まあ『メイド喫茶のメイド』くらいの意味なのだろうけれど、結
構役作りにも力が入っているのかもしれない。なにせあれを着けたまま街中を歩いてきたのだろうから。
「それでですね、早速で恐縮なんですが、ご契約の話なんですけれど」
 アンテナに向けられた怪訝な視線を気にする風も無く、彼女はそう切り出した。いつの間にかテーブルの向かいに腰を下ろし、やけ
に大きな鞄から何かを取り出そうとしている。

440 名前:美少女と同棲するための百のマニュアル (3/5) ◆1EzYxEBEas 投稿日:2007/03/04(日) 22:33:28.42 ID:E2IoYw780
「ええと、具体的にはどんな事をしてくれるんでしょう?」
「はい。事前調査の結果、木下様の日常生活における危機レベルはF……つまり一般の方と比べても事故等に遭われる危険性は低いと
の事ですので、こちらのわくわくコースなどは如何でしょう?」
 そう言いながら彼女はパンフレットを広げる。コースの名前にひっかかる物を感じたが、とりあえずテーブルに視線を落とした。
 二十四時間身辺警護、お試し一週間コースと説明がある。こういったものの相場は分からないが、値段はさほど高く無いように思え
た。それは良いのだが……。
「なんか、たまに銃弾が飛んでくるって書いてあるんですけど?」
「はい。せっかくですのでスリルも味わって頂こうという趣向です。ですがご安心下さい。滅多に当たる事はありませんので」
「……滅多に?」
「ええ」
「……この銃弾サービス、外す事はできますか?」
「別途に料金を頂けば」
 にっこりと微笑む彼女の顔には、欠片も悪意が感じられなかった。
「ええと」なんとか気を取り直しながら、僕は質問を続ける。「二十四時間警護って事は、家の中でも?」
「はい」
「朝起こしてくれたり」
「寝坊による社会的地位喪失からお守りするのも、私共の仕事です」
「ご飯作ってくれたりも?」
「材料費はお客様ご負担で、カレーと目玉焼き以外はオプション契約になります」
 僕はテーブルの下で小さくガッツポーズをする。
「その他私共の判断に任せていただく事になりますが、詳細はこちらの小冊子をご覧下さい」
 また鞄からパンフレットが取り出される。『警備の目安』と題打たれた文庫本くらいの紙束に、どんな事からどんな風に守るのかが
事細かに書かれている。
 適当にページをめくりながら、拾い読みをする。『睡眠不足から守るために手を握って子守唄』、『野球中継延長による、アニメ録
画失敗を防ぐ手動録画代行』、『罵詈雑言から守るためネット掲示板音読』、等々。
 なんだかいらないものが大半な気がするが、それでも中には興味を惹かれるものもあり、「素晴らしいサービスですね」なんて言葉
がいつの間にか口をついていた。まあ結局、『美少女が』という枕詞さえ着けばなんでもいいやというのが本音だったのだけれど。
「ご納得頂けたようなので、物理的な警護内容はこのくらいにして、続いて精神的な警護サービスについてご説明させて頂きます」
 僕がパンフレットを閉じるのとほぼ同時に、彼女はそう切り出した。精神的? 首を傾げる僕に、彼女はこれこそが本題とばかりに
身を乗り出した。

441 名前:美少女と同棲するための百のマニュアル (4/5) ◆1EzYxEBEas 投稿日:2007/03/04(日) 22:33:50.23 ID:E2IoYw780
「ロボットによる警護ですので、どうしても精神的なケアには不足する部分が出てきてしまいます。そこで、恐怖や不安と言ったもの
からお客様をお守りする為に――」
 どすんとテーブルを鳴らして、電話帳くらいのパンフレットが目の前に置かれる。
「こちらの当社オリジナルグッズによる精神ケアサポートがセットになっております」
 ぱらぱらとページがめくられる。そこに書かれていたのは沢山の数字と、色とりどりの壺の群れだった。

 こめかめに指を添えたまま、僕は固まっていた。目の前の冊子の壺達には、何故か僕の貯金と生活費を合わせてぎりぎり買える位の
値段がついている。その他のパンフには欲しいと思っていたバイクと同じ価格や、親に泣きついてもなんとか許してもらえそうな金額、
そして毎月の給料と同じ位の分割払いが載っていた。
「こちらのグッズはセットなので外せないんです」そう彼女は笑顔で言った。
 本当に効果があるのかと尋ねると、「こちらで効果のほどが説明してあります」と、また分厚いパンフレットを渡された。それでも
不満顔の僕に、彼女は「これを見れば何でも信じられるようになりますよ」と言ってビデオテープをおまけにくれた。
 洗脳、何故だかそんな単語が頭に浮かぶ。なんだか冷たい汗が額に浮かんでいた。そう言えば下腹部も痛いままだ。
 ずっと感じていた疑惑が口から出てきそうになる。だけど、と僕はその言葉を必死に飲み込んだ。
 そう、言ってみればこれは試練なのだ。美少女と同棲、そんなささやかな夢を叶えるための。
 考えてみる。ひょっとすれば、この先何かの間違いで美女と同棲することはあるかもしれない。だけど美少女となると不可能ではな
いだろうか。たとえそれが自称ロボットでも、あやしげな宗教まがいの布教者でも、僕を騙そうとしているのだとしても。それら全て
をチャームポイントとして受け入れる位の度量が無いと、叶わない夢なんじゃないだろうか。……多分。
 そうして僕は、精一杯の妥協点を口にした。
「ええと、一番安い壺はどれですか?」
 僕の言葉に彼女はぽんと両手を合わせて、嬉しそうに語りだす。
「はい。こちらの『レガ』なんかはこの春流行モデルですし、こちらの『ヤイカ』などは有名デザイナーの作品です。こちらの『トサ
ッサ』などは幅広い年代の方に人気ですし、お勧めするのはこの辺りでしょうか」
 なんとなく壺の説明では無いような気がしたが、とりあえず一番最初に進められた壺を選んだ。それからすぐに契約書にサイン、振
込口座の記入などが続く。
「ご契約真にありがとうございます。それではこれより早速、警護の方に移らさせて頂きます」
 全てが終わり、彼女は満面の笑みを浮かべた。何かもうどうでもいいや。そんな風に思わせる魅力があった。

 ドアについていたカウベルが、からんからんと甲高い音を鳴らす。空は良く晴れていて、どこからか小鳥のさえずりが聞こえていた。

442 名前:美少女と同棲するための百のマニュアル (5/5) ◆1EzYxEBEas 投稿日:2007/03/04(日) 22:34:10.07 ID:E2IoYw780
 腕に感じる柔らかな感触。頬が緩んでいるのを自覚する。晩御飯は何がいいですか? 横から聞こえるそんな台詞に、思わず口元が
にやけてしまう。美少女と腕を組んで家路に着く、これもささやかな夢の一つだ。
「そう言えば、その頭のアンテナみたいなのは何に使うんですか?」
 声が裏返りそうになるのを耐えながら、なんとか声をかける。
「これはですね」そっとアンテナを撫でながら、彼女は答える。「私のデータをチェックしているんですよ」
「データ?」
「ええ。人間で言えば心拍数とか、そういったものです。たまに遠隔操作されたりもしますね」
 結局僕は「ああ、なるほど……」なんて、要領を得ない返事しか出来なかった。
「でもなんで光っているんですか?」
「え?」驚いたように彼女は頭上を見上げる。外に出ているためか、それとも移動しているせいなのか、アンテナは落ち着き無く点滅
していた。
「あー、これはサービスエリア外ですね」
「エリア外?」
「はい。ここから先は私の担当地区ではなくなりますので、代わりの者に警護を引き継ぎたいと思います」
 そう言って彼女はきょろきょろと辺りを見回す。困惑する僕を尻目に、目当ての人物を見つけたらしく、その人の元へ駆け寄ってい
った。
「この者がこの先の地区の担当者になります」
 彼女は相変わらずの笑顔で、新しいボディガードを紹介する。彼女よりやや濃いグレーのスーツ、彼女よりも随分と高い身長、表情
の読めないサングラスに、頼もしい胸板。
「え? あれ?」少なくとも『美少女』という単語には一文字も該当しないその大男と彼女を見比べる。だが、彼女は仕事は終わりだ
とばかりに、背を向けて歩き出していた。
 僕は大男に引きつった笑顔を向けたまま、父の顔を思い出す。
 ああ、これはやっぱり宿命だ。百個あったマニュアルにはこんなケースは書いていなかった。こめかみを親指で押しながら、次は千
個くらい載ってるやつを買わなければ、なんて、そんな事を考えていた。

<了>



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