254 名前:【品評会】きこりと少年の森 1/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/04(日) 11:28:03.33 ID:poR8r68W0
村はずれの森に、ひとりの少年が住んでいた。
森は広大で、一度迷いこめば抜け出すのは難しい。
その奥深くに建つ小屋で少年は暮らしていた。
彼は人づきあいが苦手で、長いあいだ村と交わりを持っていない。
少年には悩みがあった。
村に新助という若いきこりがいて、その男があまりに仕事熱心なのだ。彼が寝食を忘れて木を切るのに熱中するも
のだから、森がどんどん狭まっていく。森の妖精の話では、新助は村一番のきこりになるために腕を上げようとして
いるそうだ。
これではそのうち森から追い出されるのでは、と少年はおののいた。そうして頭を抱えている間にも森は小さく
なっていく。動物たちも不安な様子で、近頃では楽しげな鳥のさえずりが減っていた。
少年は仲の良い森の妖精に相談した。
「そういうわけでおれは困ってるんだ。森を守るいい方法はないかい」
妖精はあごに手をあてて考えた。彼女の顔の大きさはどんぐりといい勝負である。
ぽんと手を打ち、妖精は妙案を出した。
「新助がお金持ちになれば、きっと馬鹿らしくてきこりなんかやめてしまうわよ」
妖精は森の木々たちと話し、森の中に大昔、山賊が隠した財宝が埋まっていることを聞き出した。
少年はさっそくお宝を掘りだし、新助が眠っている隙に家の前に置く。
しかし、新助は木を切るのをやめなかった。それどころか、ぼろぼろだった斧を新しくて良い斧に替え、木を切る
速度を上げてしまったのである。
少年と妖精が困り果て、森の一角にある広場で顔を寄せ合って議論していると、村で一番のきこりの茂吉が通りか
かった。
「やあ、今日はにぎやかだね」
彼が妖精に挨拶をする。ふたりは森でよく会うので、気の知れた仲だった。
しかし少年の方は、茂吉に見つめられると木立の中に逃げ込んでしまった。
「ごめんなさい、彼はすごく恥ずかしがりやなの」
妖精が謝ると茂吉は頭をかき、お邪魔したね、と言って立ち去ろうとする。
「そうだわ。茂吉さまから新助に言ってくれないかしら。あなたは森と動物たちを大事にしながらきこりをやってい
るから、協力してくれるでしょ」
茂吉から新助を説得してくれるように妖精は頼んだ。
彼も新人の新助が無茶をするのを気にかけていたのか、二つ返事でうなずく。
255 名前:【品評会】きこりと少年の森 2/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/04(日) 11:28:45.67 ID:poR8r68W0
こうして茂吉は新助の家へ向かった。
しばらくして少年と妖精は窓から家を覗く。
中では茂吉が、森が村にとっていかに大切なものかを新助に言い聞かせていた。
新助は話を聞き終えると、首を横に振った。
なぜか、と茂吉が問い詰めると、新助はこう答えたのである。
おらは子供のころ、森に遊びに入って迷ったことがあった。
心細いし、腹が減って、凍えて死にかけた。
そうしてふらふら森の出口を探して歩いていると、小屋を見つけた。
そこには同い年くらいの子供が一人で住んでいて、おらに食事をごちそうしてくれたんだ。
するとおらの震えはぴたりとやんで、生き返った心地がした。
少年は、百年以上も前から森に住んでいると言った。
だが、その前は村にいたと言う。
戦に巻きこまれ、ひどい有り様を見て、村にいるのが嫌になったそうだ。
次の日おらは無事に村に戻ることができたが、いくら探しても、あの小屋と少年を再び見つけられなかった。
今、村は平和だ。
おらはあの時の少年に、もう一度村に戻ってきてほしい。
だから、大きくなったら村で一番のきこりになって、森をなくしてしまおうとずっと考えていた。
そうすれば少年はきっと村に戻ってくるだろう。その願いはもう少しで叶う、邪魔をしないでほしい。
それを聞き、少年は新助が現れた日のことを思い出す。百年でただ一人の、話をした人間である。新助は見違える
ほど成長していたので気づかなかった。子供は大人になるということを少年は忘れていたのだ。
新助が自分を覚えていてくれたので、少年は嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちになった。
しかし考えてみれば、森の皆が困っているのは自分のせいでもあるので、申し訳ないという思いも生まれた。
それでも少年は、新助の前に姿を現すことができなかった。
大人になった新助が、どうしても恐ろしいのだ。
大人とは別の生き物だと思っていたから、子供の新助は平気だったのである。
森の住家に帰る道すがら、少年は自分の不甲斐なさが悔しくて泣いた。肩に乗った妖精が頭をなでたが、少年の気
はふさいだままだった。
256 名前:【品評会】きこりと少年の森 3/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/04(日) 11:29:34.71 ID:poR8r68W0
その日から、新助はよりいっそう頑張るようになった。
その一方で、少年は家にこもるようになっていた。森の動物たちが遊びに誘っても、用事があるからと断ってしまう。
妖精が家を訪ねても少年は心配ないと強がるばかりだった。
しばらくたったある日のこと、妖精がお土産のりんごを一つ抱えて少年のもとへ行こうとしていると、空から船の
形をした大きな物が小屋の前に降りてきた。
それは船体からこの世のものとは思えない光を放ち、輝いている。
妖精はりんごを落とし、慌てふためいて小屋に駆けた。
少年は彼女を落ち着かせ、あれは知り合いの船だと説明した。
「おれは故郷に帰ることにしたんだ。新助には、もう無茶はするなと伝えておいてくれ」
妖精は驚いた。
「故郷があったのね」
「ずっと昔に遊びに来て以来、おれはこの星が好きになった。遠いところへ離れるのは辛いけど、皆のためにそれが
一番いいと思う」
そう言って、少年はまつ毛を濡らす。
「帰らなくてもいいのよ」
突然、妖精が言った。
「どういうこと」
少年は小首をかしげる。
「新助がね、無理を続けたせいで身体を壊してしまったの。もう、きこりを続けることはできないそうよ。だからど
こへも行く必要はないわ」
少年が新助を大好きなことに妖精は気づいていた。だから、なかなか言い出せずにいたのだった。
「おれのせいで、新助が」
「あなたのせいじゃない。彼が勝手にしたことだもの」
彼女がいくら元気づけても、少年は落ち込むばかりである。
「それでもおれは何かがしたい。どうしたら新助は喜んでくれる」
「それなら簡単、ただ会ってあげればいいだけ。きっと喜ぶわ」
「無理なんだ。おれはもう大人と話すことができなくなってしまった。見られただけで体がすくんで、がたがたと震
えてしまう。新助は友達だから、そんなおれを見たらきっと傷つく」
257 名前:【品評会】きこりと少年の森 4/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/04(日) 11:30:21.32 ID:poR8r68W0
「新助ならきっと大丈夫、わかってくれる。やってみるのよ」
妖精が少年を必死でなだめすかし、ようやくその気にさせた頃には日が暮れていた。
少年は仲間の船を森に待たせて新助の家へ向かうが、その足取りは重い。森を出る頃には月が昇っていた。
囲炉裏に薪をくべながら、新助はため息をつく。
結局少年の所まではたどり着けず、いたずらに森を壊してしまった。
村の衆からは馬鹿者扱いだ。
それもあながち間違いではない、と新助は思った。
少年の日にたった一度会った子供のために、肩が上がらなくなるまでやっきになる者などいない。
だが新助の中では、忘れられないことだったのだ。後悔する理由はない。
むしろ、ただひたすらに惜しかったという思いが募るばかりである。
もう、あとほんの少しで届いたに違いない。そう思うと夜も眠れなかった。
戸を叩く音がして、新助は顔を上げた。この時分に来客など珍しい。
立て付けの悪い戸を苦労しながら開けると、男の子が立っていた。囲炉裏の灯りが橙色に彼の頬を染めている。
「お前さんは」
新助は予想だにしていなかった客に驚く。
少年は目をつむり、汗をかき、かちかち歯を鳴らしていた。
木の枝から降りられなくなった猫のように怯える姿を見て、新助は今頃になって自分の罪に気が付いた。
新助はしゃがみ、動くほうの手で少年を抱きすくめる。
すると少年の顔はますます青ざめていく。それを見て新助は腕を解いた。
「すまなんだ。おらは、お前さんを無理やり引っ張り出そうとしていたんだな」
少年は目をぎゅっと閉じたまま、何も言わずに首を振った。
「もう心配せんでいいから、ずっと森にいてくれ。今の友達と仲良くやってくれ。誰にも邪魔はさせん」
これからは少年を守るのだと新助は自分に言い聞かせた。
「気が向いたらまた村に来るといい、待ってるから」
そこで少年はとうとう堪え切れなくなったのか、闇の中へ走り去った。
あっという間の出来事だった。
258 名前:【品評会】きこりと少年の森 5/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/03/04(日) 11:30:56.46 ID:poR8r68W0
その後新助は、財産を用いて植林に励むこととなる。
山賊の宝を使い切り、寿命をまっとうする頃には、森は新助が木を切る前よりもずっと広くなっていたという。
その森は現在でも残っている。
以前より小さくなったものの、昔の面影を残したまま、静かに町のはずれに佇んでいる。
それが、あそこに見える森だそうだよ。
父さんが子供の頃にお祖父さんに聞いたお話。
ああ、ずいぶん長話をしちゃったな。お腹ぺこぺこだろう。
さっきお前とこの公園で遊んでいた子がね、そう、森のある方へ帰っていった子。
その子を見たら、ついつい思い出してしまった。
俺がまだ小さかった時、よく一緒に遊んでいた男の子にそっくりだったのさ。
近所の家の子では無かったみたいで、誰も名前さえ知らなかった。
さっきの子みたいに、暗くなってきたら森の方へ帰るんだ。
それで、もしかしたら、なんてね。
同じ子だったりして。
……はは、まさかな。
了