【 柳生活人剣 】
◆pZKLgkblQY




194 名前:柳生活人剣 ◆pZKLgkblQY 投稿日:2007/03/04(日) 01:26:03.81 ID:KjXCWkJU0
その小さな村の殆どは、既に炎に呑まれている。
だが、村の中心に円を描くように炎が避ける一角があった。
二人の剣士がその中心に立っている。
一人は、徳川泰平の世にあって、戦国から抜け出たような甲冑の大男である。両手には長短二本の刀。
もう一方は、打って変わって着流しに太刀を持つのみである。
右目を手で覆っていた。指の間から流れる夥しい血は、その片目が喪われた事を明快に示している。
名を、柳生十兵衛と云った。齢二十二である。

十兵衛が江戸の柳生屋敷を飛び出したのは前年の冬だ。
父、柳生但馬守宗矩の統べる柳生新陰流の極意は「活人剣」即ち、悪を斬り、万民を生かす剣である。
確かにそれは将軍家兵法指南役としての柳生の基本理念であった。
しかし、柳生にはもう一つの顔があった。
戦国の世を生き抜く為に、剣術集団であった柳生が会得したもう一つの技術。
裏柳生。すなわち忍びの顔である。それは正当な決闘の為の剣でもなく、
己を、人を守る為の剣でもなく、暗殺と虐殺の剣だった。
詐術に満ち、集団を持って個を圧殺する剣だった。
そしてその剣が振るわれるのは、只々徳川の、柳生の為のみである。
若き十兵衛にこの剣は邪悪に過ぎた。

「おい」
声を掛ける頃にはその百姓は農具も置いて一目散に逃げ出していた。
これで四人目だ。この一帯に入ってからずっとこうだ。恐れられすぎていた。
無論、当時にあって武士とは百姓が気軽に声を掛けれるような存在では無かったし、
十兵衛自身も到底穏やかな風貌とは言い難かった。
だが、それを差し引いてもこの状況は異常としか言いようがなかった。
胸に嫌なモノが溜まる。草陰からの視線をその時感じた。
十兵衛が目を向けると視線の主はやはり逃げ出していく。
(埒が明かん)
十兵衛は追う事にした。
視線の主は妙齢の娘だった。必死で逃げるが十兵衛の俊足には適い様も無い。

195 名前:柳生活人剣 ◆pZKLgkblQY 投稿日:2007/03/04(日) 01:26:42.16 ID:KjXCWkJU0
右手を掴まれた娘は既に半狂乱の様相であった。
「落ち着け、俺は何もせん。他藩から来たんだ、何が起きているのか教えてくれんか?」
出来うる限りの優しい表情で言った。

娘の名はおしゃぶと云った。決して美人ではないが抜けるような白い肌と、
ぽってりとした唇がなんとも男好きのする女であった。
何より憂いに満ちた目つきが、十兵衛の「男」をどうしようもなく揺さぶった。
(たまらんな)
十兵衛は呑気にもそう思った。
だが、おしゃぶの話を聞くにつれ、十兵衛の心から余裕は消えていった。
「父っつぁまも母っつぁまも殺されたんです,あいつらに」
「あいつら?」
「卍団」
徳川幕府の黎明期、全国には戦国の気風が色濃く残っていた。武装盗賊もその一つである。
甲冑に身を包み、刀槍と馬を駆使して略奪を繰り返すならず者だ。
しかし、家康は何よりもまず天下から「戦国」を一掃することに心血を注いだ人物であった。
各藩に対し厳重にこうした盗賊の殲滅を命じ、藩の軍事力と盗賊を同時に消し去ったのである。
まして今は二代秀忠の時世であった。そのような過去の遺物が残っているとは、俄かには十兵衛は信じがたかった。
「あいつらが色ンな村を襲い始めたのは五年位前でした。
食べ物、銭、女を求めて。出せればよし、出せなくなった村は見せしめに焼かれて……
次の番が、うちの村なんです。だけど、今ある食べ物を取られたら冬も越せなく」
「藩は何も手を打たなかったのか」
「初めはお役人様も私達の為に戦ってくれました」
「初めは、だと?」
「討伐に向かった八十人のお侍様達は三十にも満たないあいつらに皆殺しにされたんです」
「それで討伐が打ち切りになったのか」
「そうではないんです。その……噂だと殿様の御長男があいつらに殺されて、それで……」
おしゃぶは少し考えてから気まずそうに言った。
「恐れをなしたって……」
十兵衛は顎に手を当てて考え込んだ。

196 名前:柳生活人剣 ◆pZKLgkblQY 投稿日:2007/03/04(日) 01:27:14.05 ID:KjXCWkJU0
藩主が息子を殺されたとして、恐怖に泣き寝入りするだろうか。
そもそもこの藩の息子が盗賊に殺されたとなれば、
それは当然江戸にいる時に十兵衛の耳にも入っていた筈だ。おおよその察しは付いた。

十兵衛の予想は当っていた。二代将軍秀忠の治世に於いて、各藩への圧力は苛烈を極めた。
徳川一極支配の為に、戦国の功労大名が凄まじい勢いで改易(要はクビだ)されていた。
改易の理由は何でも良かった。跡継ぎの断絶から些細な手続きの不備まで多岐に渡った。
十兵衛は父の宗矩が多くの藩の「粗」を探すための裏柳生の密偵を全国に送る所を幼少から見てきたし、
時には彼らが、自身で諸藩の「粗」を作り出すところも良く知っていた。
「息子が盗賊に斬られたと、幕府に知らせても良いのか?」
卍団の首魁は藩主にこう持ちかけたのである。秀忠の改易政策を逆手に取ったのだ。
この様な大失態が漏れれば、士道不覚悟によっての改易は免れなかったし
藩主含む家臣一同の切腹、御家取潰しも十二分にあり得る、いや、必ずそうなっていたであろう。
無論、そうなっては卍団も只では済まないだろうが、盗賊三十人と一藩主の首では割が合わない。
この要求を呑まざるを得なかった。この藩が東北の弱小藩で宗矩の密偵がいない事も幸いした。
つまるところ、彼らは領民を犠牲にして自己の保身を図った訳だ。
「反吐が出る」
十兵衛は吐き捨てた。卍団にではない。この藩の連中にだ。
このような「けち」な企みが漏れぬ訳は無い。
今は良くても時が立てば必ず他藩に、幕府に伝わる。結果は同じなのだ。
それでも尚、数年の保身の為に領民を見殺しにするその醜態。まさしく反吐が出た。
「次に奴等がこの村を襲ってくる時の察しは付くか」
「え……?」
「守ってやろう。卍の連中を切ってやる、俺が、一人残らず。」
だが、十兵衛が村を守ると真に決めたのは、藩や卍団への怒りからではなかった。
自分の前で泣くこの娘を、男として守らずにはおれなかったのだ。

決戦は五日後であった。食料を持たせた村人を山縁のあばら屋へと密かに避難させると、
十兵衛は村に備えられた木柵を移動させ始めた。
魚採りの罠の要領で巧妙に配置された木柵は、騎馬を易々と内には入れるが出すことはない。

197 名前:柳生活人剣 ◆cFSmLeQn5s 投稿日:2007/03/04(日) 01:27:58.49 ID:KjXCWkJU0
馬の足音が聞こえてきた。

十兵衛の剣はまるで竜巻であった。
狭い村の中で逃げ場と機動力を失った騎兵が次々と十兵衛に斬られて行く。
柳生の奥義、逆風の太刀の応用であった。
袈裟に馬のすねを切り落とし、下がった乗り手の胴を逆袈裟に薙ぎながら走りぬける。
馬の強みは直線的な速さにある。狭い村に三十の騎兵は多すぎる。
しかも十兵衛によって絶妙に配置された木柵が馬の足を止めるのだ。
この村で、馬に乗ることは即ち静止を意味した。
ならばと馬から降りようとすればその隙に胸に小柄が飛んでくる。
忽ちにして二十の兵が死人となった。
十兵衛の目を逃れ馬から飛び降りることのできた兵達はまっすぐに村の外へと駆け出した。
その瞬間、村の周囲を炎の壁が覆った。予め撒かれた油に十兵衛が火種を投げたのだ。
十兵衛の発案である。粗末な家など、いくら焼けても建て直しは効く。
それよりも、脅威を一掃することこそが重要と村人を説いたのだ。
十兵衛自身はその炎から逃れる糸の様に狭い道を用意していた。
卍団を全て焼くか、斬るかした後に、肌を少々焦がしながらも立ち去ることが出来るはずだった。
全て計画通り。十兵衛の顔に一瞬油断が浮かぶ。
瞬間、右後ろから猛烈に薙がれた。辛うじて防ぎが間に合ったものの、体ごと吹き飛ばされる。
強烈な斬撃だった。
斬撃の主が後ろにいた。両手で太刀を構えている。甲冑越しに尚、強烈な剣気が吹き出ていた。
「お前が首魁か」
「やってくれたな、若造」
声にまぎれもない憤怒が混じる。炎の中心で二人は対峙した。
左袈裟に首魁が斬る。先と打って変わって凡庸な太刀筋だった。十兵衛は難無く受ける。
その筈だ。首魁はいつの間にか右手だけで剣を振っていたのだ。気づくのが遅すぎた。
自由になった左手から恐るべき速さで小太刀が飛んできた。避けられない。右の目玉が割られた。
十兵衛は後ろに大きく跳ぶと首魁の構えを見て戦慄した。
「二天一流ッ!」
「そうだ、俺の名は高坂甚内。新免武蔵の一番弟子よ……とうに破門されたがね」

198 名前:柳生活人剣 ◆5iVKMbvVOA 投稿日:2007/03/04(日) 01:28:47.08 ID:KjXCWkJU0
十兵衛の身体が大きく震えた。首魁の素性への驚きでは無い。眼を潰された痛みでもない。
憤怒であった。剣士の命である目を奪った相手への憎悪。
歓喜であった。天下は広かった。自分の眼を潰すような遣い手がこんな所にいた。
ただ無性にこの男を斬りたかった。もはや村などどうでも良かった。
「その太刀筋からすると……柳生か。若いのに相当な、もの、だ。負ける気はせぬが、
手負いの貴様とやり合って勝つ自信もないな。武蔵が言っていたよ、絶対に勝てぬなら、戦うなとね」
甚内が指を鳴らした。十兵衛の逃走用の炎の隙間から、おしゃぶが現れた。村人の一人『だった』男に刀を突きつけられている。
「潜ませておくものさ、鼠はな」
甚内がくくっと笑う。
「この女が目的で俺たちと戦ったのだろう?俺が逃げるのを見逃せば女も助ける。卍も壊滅した、この藩からは消えよう」
十兵衛は奥歯を噛み締めた。選択の時だった。おしゃぶの眼を見る。怯えきっていた。救いを求めていた。
そんな無力な人々を守る剣こそが、剣聖柳生石舟斎が提唱し、十兵衛が求めた「活人剣」である。
十兵衛は眼を閉じた。
「大したもんだよ、柳生の。もう会うこともないだろうが、な」
甚内が一歩、後ろへにじり下がった。言葉とは裏腹に警戒は解かない。
十兵衛の左目が見開かれた。
次の刹那、十兵衛の太刀が飛んだ。陣内の二刀もまた飛んだ。
二刀は「大くわがた」の顎のように十兵衛を挟み込む。
だが、二刀の軌道は水平から斜めへと変わり、十兵衛の頭を掠めるに留まった。
十兵衛の太刀が甚内を垂直に両断していた。甚内の身体が割れると共に、その太刀筋も割れたのだ。
小さな悲鳴。
おしゃぶの胸には刀が。血が吹き出ている。十兵衛は小柄を投げ、おしゃぶを刺した男の額を貫いた。
「じゅ…ぅべ…さま……どう…し」
十兵衛は燃え盛る村を後にした。振り返ることも無く。この時、十兵衛の活人剣は死んだのだ。

後年、江戸に帰った柳生十兵衛は父、宗矩の後を継ぎ表裏共に柳生の総帥となった。
それからの十兵衛が、裏柳生の長として、敵を殲滅する為にあらゆる卑劣な手段を厭わなかったのは歴史の知るところである。
しかしながら、十兵衛が柳生の総帥として最初に行った事業は、この時十兵衛が立ち寄った藩主の改易である。
それは彼が信じた活人剣への、正義への未練では無かったのか。筆者はそう信じたい。



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