75 名前:目守る(1/5) ◆mTsmZDGOUQ 投稿日:2007/03/03(土) 23:37:58.68 ID:b8kY2clr0
『守』なんてチープな名前に、俺は最近違和感を持っている。
小さい頃から、守、守。
そう呼ばれることに何にも違和感なんて持っていなかった。
誰が何と言おうと俺は守だし、俺は当たり前に守だった。
そのことに違和感を覚え始めたのは、中二になったある日のことだ。
「母さん、俺、なんで守なの?」
え? と母さんは少し間延びした声を出した。
俺はすかさず質問を加えた。
「どうして、俺は守って名前なの?」
あらあら、と母さんは笑いながらも食事の支度を続ける。
時計に目をやればもう朝の七時だ。
母さんは、そうね、とつぶやき俺の眼をやけにじいっと見た。
「守、あなた学校で古典の授業って、ある?」
76 名前:目守る(2/5) ◆mTsmZDGOUQ 投稿日:2007/03/03(土) 23:39:05.54 ID:b8kY2clr0
「あるっちゃ、あるかな」
国語の授業は、主に普通の、いわゆる国語の授業と、古文漢文の授業で構成されている。
俺はどちらかといえば、漢文の方が好きな部類だ。
これは、学校の連中から見たら随分異端らしい。
何故古文漢文が存在するのか、そこに疑問を投げつける連中も多い。
漢文は好きだ。それはひとえに俺が世界史好きだからだろう。
だが古文はというと正直、あまり好きではない。
現国も俺はどうしても好きになれない。
「現国ってさ、作者の意見とか、想像するの、他人には無理じゃん。なんだかんだ言っても」
「そうよね。考えていることは結局作者さんにしかわからないものね」
母さんはエプロンで、濡れた手を拭き、俺が座る椅子の前に食事を出した。
旨そうな目玉焼きだ。俺はそれに塩をぱぱっと振りかけた。
何とも言えない、香ばしく、ああ、筆舌に尽くしがたい香りが鼻腔に満ちていく。
俺は目玉焼きの臭いを味わうと、真っ白なご飯が登場するのを待った。
77 名前:目守る(3/5) ◆mTsmZDGOUQ 投稿日:2007/03/03(土) 23:39:54.70 ID:b8kY2clr0
「でも母さん。なんで古文なんだよ」
「ふふ、母さんこれでも、大学は文学部だったのよ? それも古典学科」
そう言えばそんなことを言っていた気もする。
母さんの部屋には紫式部の、確か……。
「源氏物語、枕草子。でもわたしは『とりかへばや物語』なんかが好きね」
「わからんがな、母さん」
軽く母さんのボケを受け流すと、目玉焼きをすべて口に放り込んだ。
実に旨い。美味だ。塩加減がたまらない。これなら一日に何枚でも胃袋に収まりそうだ。
「現代の日本語は、古代の日本語を受け継いでいるわ」
「そりゃまあ、当然のこって」
ふふ、と母さんは意味深に笑う。
「わたし達の身体にも、知らないうちにその言葉の血が流れているのよ」
「言葉の、血ね」
「そうよ、守」
80 名前:目守る(4/5) ◆mTsmZDGOUQ 投稿日:2007/03/03(土) 23:40:33.05 ID:b8kY2clr0
「それと、俺の名前とどんな関係があるっての?」
守、なんて結構最近の名前じゃないか?
少なくとも、母さんの言う古代日本人から連綿と受け継がれている
言葉の血なんて代物が俺の名前に流れているとは思いがたい。
俺はそのとき、母さんが俺の眼をじっと見詰めているのに気が付いた。
何故だかボッ、と顔が熱くなる。
「ちょ、何見てんの、母さん」
「あら、恥ずかしいの?」
「ともかく、もう時間がないから、俺学校行くよ」
俺がごちそうさまでした、とダイニングを離れようとしたとき。
後方で母さんが呟いた。
「守、あなたの名前は、お父さんが付けたのよ」
お父さん――か。
81 名前:目守る(5/5) ◆mTsmZDGOUQ 投稿日:2007/03/03(土) 23:41:33.70 ID:b8kY2clr0
俺の父さんは、難病に冒されていたと聞く。
それでも母さんは、きっと父さんを心から愛していた。
そして、俺が生まれた。
「あなたは、見守る、という言葉、知ってるわよね?」
「ああ」
「古語ではね。目を守る。つまり、目を相手に向け続けること、それを、目を守るって書いて
目守る(まもる)、って読ませたの。お父さんは死んでも、守のことをね、見守り続けたかったんだと思う。
守る、という言葉には、見守るという古代の意味が、流れているのよ」
だから、『守』?
「そう。あなたは人のことを見守ることが出来る、優しい男の子。
時には積極的に助けることも大切。でも、相手を優しく見守るのも、大切」
ちょっと難解な説明だ。母さんは少し哀しそうに俯いている。
でもなんとなく、母さんが言わんとしていることは分かる気がする。
俺にもなにか、守れるものがあるのだろうか。わからない。でも。
「守れるかどうかも大切だけど、守ろうとする、その心が一番大切なのよ」
なら俺は、この幸せな日常を守ろうと思う。
目玉焼きの旨い、この日常を。
俺はゆっくりと、窓の外を見上げた。本日は、快晴だ。
〜 fin 〜